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昨日はかすみ4姉妹とALEXANDER PLATZへ行きました。アルトサックス、ピアノ、ベース、ドラムのカルテット。ピアノの人が結構うまかったです。サックスの人もきっとうまかったのだろうけど、ちょっと見た目が地味で…MCもイマイチで…。インパクトがありませんでした。残念。バラード好きみたいでGIANT STEPSのアレンジも地味に、で、彼の作曲も割と地味目。結成したばかりなのかバラバラな感じがしました。そのせいかどうかしらないけど、30代後半~40代?の女ども15人くらいのグループが、なぜかこのJAZZクラブで集まって食っては飲んでいるのです。ぺちゃくちゃうるさいのなんのって。こっちは演奏してるのを聴いてるんだよ。しかもうちらの前で食事をしていた「今日が記念日よ」みたいなカップル。金髪女うるさいんだよ!声がでかいんだよ!絶対それに気付いてるはずの男、何も言わないし。JAZZがイタリアでは高尚な音楽ってイメージが日本に比べて大いにあるけど、その意味が昨日よーく分かりました。おしゃべり好きでおおざっぱ、落ち着きのない彼らには聴けないわ。そしてイタリアのジャズミュージシャンにはクラシックを完璧に勉強して音楽院を卒業したという人がとても多いけど、決してそんな、エレガントでクラブでだけ聴くという音楽ではないのです。むしろ庶民的な音楽、いいアドリブソロがあったら曲中であっても観衆が大いに拍手や掛け声で盛り上げる、それによっておだられたミュージシャンがさらにいい演奏をする、というものなのです。イタリアのジャズシーンはまだまだだな、という感じがします。日本に比べてクラブのミュージックチャージは安いけれど、その分昨日の女性客たちのようにマナーのない奴が入ってくる確率も高いのです。イタリアでは市バスや地下鉄は切符が安い上に検札制度も頻繁ではないから、やろうと思えばタダ乗りができる、だから治安が悪い、っていう例えに似ているかな。安いということにも問題があるわけです。ともかく会場がうるさくなければ時々こんなふうに聴きに行くジャズはやっぱりいいなあ。
2007年05月31日
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risoさんに『容疑者Xの献身』を借りたのですが、あまりにおもしろくて一気に読んでしまいました。読者には犯人は分かっていて、物理学者がそれを解いていく過程をと読ませるいうものなのですが、最後にあっ、と驚くどんでん返しがあるのです。わたしは最後まで気付きませんでした。まんまとはまりました。理系の作者東野圭吾氏、今回は高校の数学教師を主人公にしました。こんなくだりがあります。数学に興味のない生徒達、その代表格の生徒が代弁する形で「微分積分なんて一体何の役に立つんだよ。時間の無駄だろうが」と教師に向かって発言します。教師はそのバイク好きの生徒に対して、例えば「オートレースを見たことがあるか」と切り出します。レーサーには微分積分の知識が必要、レースを支えるスタッフにも、彼らが使うコンピューターソフトにも、それを作る人たちにも、と。「君たちに教えているのは、数学という世界のほんの入り口にすぎない。それがどこにあるかわからないんじゃ、中に入ることもできないからな。もちろん、嫌な者は中に入らなくていい。おれが試験をするのは、入り口の場所ぐらいはわかったかどうかを確認したいからだ。」そして彼は数学の勉強は時間の無駄、と発言した彼の姿勢が嫌いではない、と言います。「なぜこんな勉強をするのか、という疑問を持つのは当然のことだ。その疑問が解消されるところから、学問に取り組む目的が生まれる。数学の本質を理解する道にも繋がる。」わたしも日本で3年間高校の教員をやって、何度「世界史なんて役に立たない」、「日本史なんて意味がない」と生徒たちに言われたことか。いや、実際わたしも高校生の頃は世界史に関しては何の役にも立たないと思い、何の勉強もしなかったのです。定期試験で赤点にならないだけのぎりぎりの点数を取る程度の勉強しか。そして高校時代のわたしが思いもよらなかったことが起きました。世界史の教員になりました。ローマに住みました。あ~世界史、勉強しておけばよかった~。こうなるのです。誰にも将来のことなど予想もできないのです。将来の可能性は無限なのですから、持っていて損な知識はなかったのです。さらに作者は主人公にこう言わせています。「彼等の素朴な疑問に答えようとしない教師が多すぎる。いや、たぶん答えられないのだろう。」決して疑問に答えない教師が実際に多く存在するとも思わないけれど、わたしの場合はこんな形で話をしていたと思います。世界史や日本史の知識、全部覚えておけとは言わない、でも大人になって例えばヨーロッパに旅行した時、テレビドラマで信長を見た時、そんな時に授業のことを少しでも思い出したなら、あの時あの先生があんなこと言ってたな、って思い出したなら、それが勉強した甲斐というものなのではないかと思うのです。わたしは当時三年生にユグノー戦争を教えるのに1時間使ってフランス映画『王妃マルゴ』を見せていました。(世界史を使った大学受験者がほとんどいなかったからできたことですが)。男の子たちはイザベル・アジャーニのおっぱいのデカさ、女の子は当時まだ髪のあったヴァンサン・ペレーズのセクシーさしか覚えていないかもしれないけれど、それでも続きが見たくてレンタルビデオ屋に行ったよ、と話してくれた子は何人かいたし、見ている間はみんな興味を持っていてくれました。そんな時はやっぱり嬉しかったです。それに、授業中は歴史上の人物のエピソードを語ることがしばしばあります。そこでその人物に興味を持ち、調べたり、小説を読んでみたり、または逆にテレビのクイズ番組を見ていて授業のことを思い出したり、そういったことが生徒一人ずつに一つずつでもあるのなら、それで教員冥利に尽きるのです。そんなキレイ事では片付かない、現在の教育事情もあるのでしょうが。「こんな授業、何の役に立つんだよ」と言う生徒はまだいるのかなあ。でも彼らにもいつか分かると思うのです。ここのところ、他人の褌で相撲、的日記になっています。本の抜粋ばかり利用しちゃって。でも最近読んだ『容疑者Xの献身』と『プリンシプルのない日本』のこの2冊、本当におもしろかったんです。
2007年05月30日
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お昼、お寿司を食べに吉左右に行って来ました。着く直前に大雨になってしまい、朝洗濯して屋上に干してきたわたしは大馬鹿だと思いました。隣の本屋さんのカフェでお茶をしました。ここのカフェはその存在をあまりバラしたくないくらい居心地が良くて空いていて気持ちがいいです。デザインのコーナーの近くに座ったら、わたしの好きなブルーノ・ムナーリの絵本があったので立ち読みしました。せっちゃんのご主人のG氏は本当によくしゃべっていつも元気だなー。それからせっちゃんとかすみと、女3人で某ホテル(ウチではありません)のロビーのソファでダベっていました。こんなわたしたちは観光客に見えることでしょう。ソファがとても気持ちよかったです。数時間しゃべって、帰りました。また洗濯のし直しでした。すすぎ。夕飯は38ちゃんと野菜炒めと餃子を作りました。せっちゃんは日本のバラエティー番組の入ったビデオをいつも貸してくれます。今回は『わが愛しのキャンディーズ』というのが入っていました。わたしの好みにビンゴ。
2007年05月29日
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のりちゃんとamopunさんが主催したフリーマーケットにrisoさんと参加してきました。桜集にはここ数年顔を出していなかったのですが、お兄ちゃんのたいっちゃんが「会いたかったよー」と言ってくれました。顔が広くてお忙しい着物ののりちゃんもわたしのことを覚えていてくれて嬉しかったです。参加者はみんなミクシィやブログ、メールで知り合いのようで、情報通のrisoさんに紹介してもらいました。みんなイタリア人の旦那さんを持つママさんたちで、それでミクシィとかでつながっているんだなあと思いました。ローマのママさんコミュニティです。モテない系のわたしがここに入るのはいつのことやら。はて。ところで、わたしのサイトをいつも読んで下さっているというお嬢様に出会いました。嬉しいっ!これこそブログをやっている醍醐味!もともとわたしの異国での行状を心配する両親+親戚+友人たちを安心させるために始めたブログなので、知らない方に、しかもローマに住んでいる方に読んで頂けるのは本当に嬉しくてありがたいことです。ところでフリマの様子はamopun氏のブログにて、またはriso氏のブログにて、なーんて。わたしは雑貨小物、洋服などを出したのですが、意外なものも売れました。日本人形とか簡易マッサージ器とかテープレコーダーとか。持たせてくれたウチの母も喜ぶと思います。売り上げは36ユーロで、参加費(risoさんと割り勘)とタクシー代(+チップ)が37ユーロで、残念ながら赤字となってしまいました。ま、いっか。楽しかったのでまたrisoさんと出店するつもりです。帰りにriso夫におごってもらったジェラートのおいしかったこと!労働のあとの甘い物は格別うまいってか。来てくれたせっちゃんあさちんセレーナちんをはじめ、売り上げに貢献してくださった皆様、riso氏一家、主催者ののりちゃんとamopunさん、ありがとうございました。またいつか頑張るぞー。
2007年05月28日
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白洲次郎の『プリンシプルのない日本』を読み終えました。感慨深かったところはいろいろありますが、1952(昭和27)年に書かれたものの中からパンパン(進駐軍相手の娼婦)に関する箇所をまず。○○婦人会とか○○会とかいうものが興奮の余り、占領中司令官やその夫人に嘆願書を出したり、方々でわめき立てているのを聞く度に、パンパン攻撃は片手落だと思う。我が同胞の中、女性の一部分だけがこういうことをやっているなんていうことはあり得ないと思う。こういう種類の女性が出現し得るということは、男性の中にも殆ど同比率の、することは違っても心の持ち方に於て彼女等パンパンと同等の物が存在するからだと思う。私は占領中に、最下等のパンパンすら風上に置くまいと思われる様な相当の数の紳士(?)を知っている。軍国主義全盛時代は軍人の長靴をハンカチで拭き、占領中は米国人に媚びた奴等とパンパンとどう違うか。私はパンパンを非難攻撃するなら彼等男性も排撃せよといい度い。パンパンの存在は戦争の悲劇の一場面に過ぎない。戦争中我が同胞も外地で、パンパンの様な女を相手にしていた人もあったことと思う。彼女等を非難するべからずというのではない。非難はもっと冷静な立場に於てあるべしと思うだけである。出張先の山形で見かけた、チュウインガムを噛み煙草をくゆらせながら闊歩しているパンパンらしき女性達の光景を描写してこの問題を提示しつつ、GHQに何も言えなかった政治家たちを大きく批判しているのです。同じく1952(昭和27)年に。この間誰々かが、昔の私塾と本日の学校の相違を指摘していたのを聞いて成程と思った。昔の塾は塾生が塾長よりものを教わること以外に、塾長の私生活に日夜ふれてその影響を享けたことが甚大であったに違いない。例えば吉田松陰先生の様な偉大な塾長は、塾生にああしろ、こうしろとは一々言わなかったに相違ない。日々の彼の言動が一番雄弁な指導であったに相違ない。わたしもなるほどと思いました。あとがきでは辻井喬氏がこう書いています。これを読んで私は、いま「教育が悪い。教育基本法を変えろ、教師の再教育だ」などと声高に叫んでいる財界指導者や政治家のなかで、私生活を共にして感化を与え得るような人士が果たしているだろうか、というような事を考えない訳にはいかなかった。現在の教育制度について考えました。ちょうど昨日わたしの母校の高校についての新聞記事を読んだからです。東大現役合格数が増えているそうですがその一方で、最近、生徒が教員を評価する制度を取り入れたそうです。確かに時代の流れとともに必要なことなのかもしれませんが、なんだか間違っていると思うのです。数年前に徒歩数分のところに新しく電車の最寄り駅ができて便利になったのだけど、わたしたちの頃はターミナル駅からヤクザやチンピラ、ビラ配りやセクシードレスを着たホステスさんたちの行き交う繁華街を通って徒歩25分の道のりでした。それがある意味社会勉強でもあったんじゃないかなと今では思っています。そして最後に1953(昭和28)年の『文藝春秋』より。欧洲に行って見て痛感することは、日本の復興のたどたどしさである。占領中に司令部の米軍高官が日本の復興の目覚しさを謳歌した。この宣伝は彼等の本国向けの放送であると私は思った。米国民にはこの放送がどの位友好であったかどうか知らないが、この放送を日本の国民が大部分みな鵜呑みにしたのではないだろうか。当時司令部の云うことは全部信じると決心していたらしいから。あれだけの戦争をやって、国力を殆ど全部消耗してそんな「目覚しい」なんていう様な復興など有り得るとは思わない。現在の日本の復興ぶりなどということは、言わばクリスマス・ツリーみたいなもので、飾り付けて豆電気がついて色々のものがぶらさげてあって、見ると本当に綺麗な物だが悲しい哉あのクリスマス・ツリーには根がない。あの木は育たない、あの木はきっと枯れる。本当はツリーではなくてただの枝みたいなものだから。戦後たったの8年で東京にはネオンが輝き、オリンピックにも参加し、朝鮮特需の日本です。それでも白洲氏は根のないクリスマス・ツリーだと言います。戦後生まれの首相率いる内閣で、現役大臣が自殺するような現在の日本を、彼が生きていたらどう思うでしょうか。この本、おすすめです。貸してくれた道氏、どうもありがとうございました。しかし戦後史に詳しくないわたしはいかんせん意味がほとんど分からなかった…。大学入試の時のノートを日本から持ってきてそれでまた復習しながら読んでみようかな。
2007年05月27日
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『くすぶれ!モテない系』の連載第15回「モテない系とメール」が更新されていました。一瞬、作者能町みね子氏がわたしの日記でも読んでいらっしゃるのかと思ってしまいました。わたしの心のもろ代弁者です。モテない系は絵文字だらけのメールを送られるのが嫌いです。女子ならまだしも、絵文字顔文字が雨あられと降り注ぐメールを恥ずかしげもなく送りつける男子にはドン引きします。人にされて嫌なことは自分もしない。基本ですね。そんなわけで絵文字も使わない、いや、使えない。最後のフレーズがポイントです。「使えない」。でもこんな時には許せないのよ。言葉づかいとはまた別の話ですが、最近の子どもの破天荒な名づけに、モテない系ならば抵抗を感じるんじゃないでしょうか。(中略)きちんと読めて、日本語としておかしくない名前をつけてやれよと、抵抗どころか怒りさえ覚えますよね。その通りでございます、そこの輝憂汰くん(いないって)。そして最後に、ま、かわいくふるまえないヤツら(私含む)の言い訳にすぎませんがね…。これもその通りでございます、分かってはいるのよ。分かっては。
2007年05月26日
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白洲次郎の『プリンシプルのない日本』を借りて読んでいます。この間日本で仕入れた藤原正彦氏の『国家の品格』を読もうとしたのですが、途中で挫折してしまいました。文体はとても簡潔で氏の人柄がうかがえる優しさ、やわらかさでとても読みやすいのですが、内容が何だかぽあーんとしていて曖昧な感じがわたしにはするのです。同様に日本に喝を入れた『プリンシプルのない日本』、こちらは言いたいことが力強くドーンと見えていて、具体例も分かりやすく、おまけに歴史上の著名人のエピソードが書かれているからおもしろいのです。時代は違えどいずれもイギリスに暮らした経験のある日本の知識人が日本について書いたものです。わたしは戦後史詳しくないのだけどこれはそれを知る意味でも必読書だな。読んでいくと1950年くらいに書いた記事があったりして、あれ、それって昭和25年でしょ。この5年前、日本は焼け野原だったんでしょ。そうとは思えないほど進んだ物の考え方なんです、この人は。日本の復興が早かったのはこの人や吉田茂なんかがいたからなんだなと思うのです。おまけにこの人いい男だったんですよねえ。
2007年05月25日
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木曜日に、9泊ご滞在のU氏ご夫妻がご出発日されました。去年のこの時期にも10泊くらいして下さったので、よく覚えているお客様です。今年もウチのホテルを選んで下さいました。もしかしたらこれを読んでいるかな…。神戸にこのありがとうございます、が届くといいな。高級な和菓子をおみやげに頂いた上、貴重な文庫本の新刊も頂きました。さだまさしの『眉山』という小説で、本の帯には今月映画も公開されるとの宣伝がありました。主演はおととしウチにお泊まりになった某女優さんです。接客させて頂きましたが、本当に素敵な方でした。そして舞台となった徳島は友人、通称「トクシマのヨーコちゃん」のご実家のあるところ。大学の時のバンドの徳島遠征旅行で地元の大学とのジョイントコンサートがあって、それを機に仲良くなったピアニストのようこちゃん。眉山へは多分行ったことがないのだけど、埼玉っ子の荒川みたいなもんでしょ。地元に根付いた自然ってことで。こんなふうに、なんだか、然るべくしてわたしの手に入ったようなこの小説、読むのが楽しみです。Uさんご夫妻ありがとうございました。こんなお客様がいらっしゃると本当に仕事していてよかったなあと思います。お話しするのも楽しいです。そういえば同じ浦和出身の海外ホテルウーマン組、マイミクYoshimiさんもそんなようなことを最近日記に書いていらっしゃいました。もっともYoshimiさんは「背筋が伸びていて好き」とリピーターの日本人のお客様に褒められたそうなのだけど。それってかっこいい!背筋の丸まっているわたしは気を付けなきゃ!
2007年05月24日
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日本行きのチケットを取りにJALPAKさんへ。久々に駅方面へ行ったのでコレアン・マーケットで大谷さんの豆腐でも買おうかなと思いました。それで高いけれど豆腐2丁と冷凍餃子を買って、おすそ分けついでに近所の道氏の家へ赤ちゃんを見に行くことにしました。1ヶ月半になるここのお雛様は元気はつらつ、いつも笑って元気です。少しだけ生まれたての赤ちゃんと行動をともにしましたが、乳飲んでるか寝てるか泣いてるかだけ、というのは本当のことでした。お母さん大変です。今頃ヨメのさとちゃんもそうなのかなあ、とふと鳩ヶ谷に思いを馳せてみました。日本の親友とみたん、ロンドンのまみ姉、ローマのアサカ氏もです。てんてこ舞いのわたしとお母さん業慣れてきた道氏の2人で夕飯を作り、大根サラダ、冷や奴、ゆで豚(塩ぽん酢味)を食べました。おいしかったです。
2007年05月22日
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ショッピングセンターに行くのにもイタリアでは一苦労です。何せほとんど存在しません。だからめちゃくちゃ混みます。少し前にローマに、ヨーロッパで一番大きいショッピングセンターというのが開きました。郊外です。車で行かなくてはなりません。そして何より、人の少ない時間帯に行かなくてはならないので、わたしは朝8時45分にイローナに迎えに来てもらうことにしました。つまり朝9時開店と同時に入るってことです。わたしんちじゃなくて、ショッピングセンター方面(とはいっても近くはない)にあるロセッラの家に。ですから前日からロッセッラの家に泊まりこみました。このショッピングセンターはROMAESTといいます。210の店、12のスクリーンがあるシネコン、7000台収容可能の駐車場。しかしながらこれに対して25のレストラン及び喫茶店というのは少ないですよね。これが日本との大きな違いだと思うのですが、イタリアにはまだまだ外食文化が根付いていないのです。さてさて、入っているテナントは他のショッピングセンターや商店街とさほど変わらないです。洋品店がほとんど。スポーツ用品のFOOT LOCKER、日本にもあるTHE BODY SHOP。ブラウスとYシャツの店7 CAMICIEやNARA CAMICIE。下着のINTIMISSIMI、TEZENIS、そしてYAMAMAY。靴下のCALZEDONIAとGOLDEN POINT。それからイタリアといえばBENETTON、MAX&CO。亀のマークのCARPISA、最近わたしお気に入りのBERSHKA。アメリカのLEVI’S、そしてスペインのZARA。そして今回わたしのお目当てはこれだけ!H&Mです。既にわたしのH&M贔屓をご存知の方も多いと思いますが、とにかくH&Mです。これがローマ一号店なのです。ここまでの道のりは長かったです。ロッテルダムで出会い、バルセロナ、リスボン、ジェノヴァ、アムステルダムと各地のH&Mを経て、やっとローマでも巡り会えました。たいへん規模は小そうございましたが、まあよいでしょう。一人でなかったため充分堪能できなかったのが少し残念です。メンズと160の男の子コーナー見る時間がなかった…(わたしはZARAで自分に男の子160cmの服を買ったりもするのだ)。下着と赤ちゃん洋服計6点で60ユーロ強。買い物上手。とみたん、弟、アサカ氏、道氏のそれぞれの赤ちゃんのところにわたし自らお届けの予定です。どれもかわいくてびびるから待っててね。あっ、値段安いのバレちゃってるけど、ま、いっか。あとはスペインのメーカーPROMODで、キャミソールを買いました。結局わたしたちが一通り見終わったのが1時くらいでしたが、この時間には人がいっぱい。駐車場もいつの間にか満杯です。ROMAESTに行った日本人はわたしだけではありません。それを証拠にこちらの日記もどうぞ。Tomさん、毎週月曜日はわたくし休みですので、いつかその新しい免許でわたしをH&Mに連れてって。スーパーPANORAMAで買い物をして、イローナの家で昼食を食べました。茄子とトマトのパスタにトミーノというチーズのオーブン焼き。おいしかったです。
2007年05月21日
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文化週間がもうすぐ終わってしまうのに、わたしはマッシモ宮とアルテンプス宮を見学しただけなのです。これはもったいないです。そこでまだゆっくり見たことのないパラティーノの丘のガイド付きツアーに参加しました。文化週間なのでもちろん無料です。かすみが予約を入れておいてくれました。パラティーノはいわずとしれたローマ発祥の地であり、ローマ帝国初期に歴代皇帝が邸宅を造り、住んだところです。宮殿を意味する英語のPALACEの語源はこの地名なのだそうです。特にドミティアヌス帝が手がけた建物は遺跡が残っており、公邸ドムス・フラヴィアと私邸ドムス・アウグスターナ、そして競技場の大きさには驚かされます。その他初代皇帝アウグストゥスの家とその妻リヴィアの家(現在内部は見られず)、この丘に3つあったとされる神殿の跡、さらに出土品を収めた博物館などがあります。2000年前にローマの皇帝たちが通っていたであろう道を歩き、手を触れたであろう円柱を目にすると、ドキドキしてしまいます。他にもローマ帝国を知ることのできる場所はローマにはもちろんたくさんあるけれど、これほどまでに彼らの生活を身近に感じられるところはないかもしれません。丘からチルコ・マッシモを眺めながら、そしてかつて柱であっただろう大きな石に腰掛けて、かすみとガイドブックに載っていた宮殿の復元図(誰かが予想して描いた絵)を見ながら、アウグストゥスやネロ、あるいはカラカラやディオクレティアヌスの時代に思いを馳せていました。ここにあったとされる70メートルの高さの建物セプティゾディウムの高さを考えては、うっとりしていました。なんかねえ、いい男を見てうっとりしたりすればいいのに、ねえ。
2007年05月20日
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くだらないと思いつつも、フジテレビの『2005年かくし芸大会』を見てしまいました。ボビーというナイジェリア人が今日本ではもてはやされていて、わたしにはどう見てもViale Marconiで海賊盤CDを売っている黒人さんたちの一人にしか見えないのです。彼らの運命って…、と考えました。ボビーは日本へ行ったからあんなふうに有名人になったけれど、一歩道を踏み違えていたら、イタリアでコピーCDとか偽バッグ売って、警察が来たら風呂敷に包んで一気に逃げる、というあの人たちのようになっていたかもしれません。どこでどうなるか分からないものです。あら、今Wikipedia見たら、浦和の人なのね。ポイントアップ。
2007年05月19日
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イギリスだったかスコットランドだったかの某オンライン予約サイトに女性事務員たちの写真を載せるというのです。ホテルのオンライン予約サイトって、よく部屋とか外観とかフロントとかの写真が載ってるけど、スタッフの写真まで?っておびえてしまいました。それで昨日はその写真撮影でした。デルモっすよ。もう既に我が社のオフィシャルサイトにはぶさいくきわまりないわたしの写真が出てしまっています。これ以上バカっ面をネット上でさらすのか…。あー。で、この日のために先週から白いブラウスと黒いジャケット着用の指示が出ていたので、わたしは花菱で作ってもらったリクルートスーツをびしっと着ました。10年前のだわ(もう?)。事務員とはロベルタ(社長の娘)、ルーシー(おばちゃん)、アレクサンドラ(営業担当)、わたし(みんなの尻ぬぐいしてる東洋人)。黒髪一人はかえって目立ちます。こんなにクレームの多いホテルのウェブサイトでは、決して目立ちたくはないのだけれど。金髪のカツラでも持ってくればよかったです。身長の点ではロベルタもチビなのでちょっとばかり安心。いろいろな場所でいろいろなポーズで取りましたが、あー疲れた。しかしモデルさんってこれが仕事なんだからすごいですね。そんなわけで残念ながらそのウェブサイトのアドレスは…秘密です。ちなみにコレ↓は入社当時オフィシャルサイト用に撮った写真のうちの一枚。コレは別にいいのよ。白黒だから。実際に載っちゃってるのはカラーな上、ひどい写真なのよ。
2007年05月16日
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道氏にも先月赤ちゃんが産まれていたのです。見に行ってきましたが、これがかわゆいのなんの。名前は「子」で終わって読める漢字なので安心。とてもかわいらしい名前です。学校で働いていた時に生徒の名前を見ていていつも思っていたのですが、読める名前はとても好感が持てます。当て字で読ませるタイプの名前ってこっちに挑戦している感じを受けて、あまり好きではありません。「読んでもらえなくて結構」みたいな開き直りもどうかと思います。音だけのために当て字を付けて、意味がないことも多いし。電話で説明する時にも聞き返されたり間違われたりする名前はちょっと嫌だな。わたしは「まあじゃんのまあにー」(マミ誕生時、マミ父が麻雀をしていたというのは本当か?)、もしくは「タイマ(マヤク)のマにー」。「植物の」でも分かってもらえますが。それに「ウツクシイです」。ここに照れが入ります。そして名前負けの感が。名前に関してはここでも書いていますので読んでいない方はぜひどうぞ。ふみえちゃんが書きこんでくれてたけどトッティのところのシャネルちゃんってのもねえ。学校でクラスメートに「ねえ、シャネル」って呼ばれるんだよねえ。わたしトッティファンだけどねえ。そして引き続き無料で国立博物館ガイド付きツアーに参加。昨日はアルテンプス宮です。アルテンプス家、そして婚姻関係のあったルドヴィシ家のコレクションを所蔵しています。お屋敷だっただけあって他の博物館や美術館と違い、しかもそんなにどでかい屋敷というわけではないので落ち着きます。日本が縄文土器作ってた頃ヨーロッパではこんな大理石像彫ってたよ、ってなくらい感慨深い作品多数です。2006年5月7日にもわたしは来ていました。ちょうど一年ぶりです。
2007年05月15日
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テルミニ駅前の国立マッシモ宮という博物館のガイド付き案内ツアーに参加してきました。12日から20日までイタリアは文化週間で、国立の博物館などは入場無料なのです。このガイド付きツアーももちろん無料。イタリア語なのでわたしはけっこうな割合でちんぷんかんぷんですが、彫刻やフレスコ、モザイクなどの実物を見ながら説明を聞いていると、基本の部分はなんとなく分かるので、いずれにせよとてもおもしろいのです。そして良かったことに、昨日のガイドさんは説明が上手でした。ここにはヴィッラ・ファルネジーナで発見された壁画をはじめ、紀元前の大理石彫刻などがあります。わたしが好きなのは皇帝アウグストゥスの奥さんリヴィアさんのおうちのフレスコ画。とてもきれいで、当時はどんなだったろうと思います。この部屋に入ると突然2000年前にタイムスリップした感じになります。2年前に初めて行った時の日記はこちらでどうぞ。ちなみにここの多くの従業員の態度が悪くて残念です。こっちが分からないと思ってみんな平気でイタリア語で悪態付いてきます。国立博物館ですからきっとみんなコネで就職したのでしょう。こんなところがこの国って…、と思うのです。
2007年05月14日
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アサカ嬢が産んだよと電話をくれたので、昨日その赤ちゃんを病院に見に行ってきました。トラステヴェレ駅近くの某大病院なのですが、産婦人科病棟を探して病院の敷地を歩くと、不安が募るばかり。壁は剥がれ落ちているし、廃墟も何棟か見てしまったのです。夜来たら確実に怖いです。イタリア人だからとりあえず正面のメインの建物だけはきれいに造ってみたけどね、って感じがよく表れています。産婦人科病棟はその剥がれ落ちた壁の建物でした。階段を上がるといきなり動物園というか水族館状態でした。ガラス越しの新生児室(イタリア語でnidoと言い、巣の意味でもあります)にたかっている数々の面会人たちを目にしたのです。しかも「かわいー」の連呼で病院とは思えない騒がしさ。これは一般の面会時間がたったの1時間しかないからのようです。午後3時から4時までのみ。わたしたちは苦笑しつつ病室に向かいました。アサカ嬢前日の疲れと痛みで横たわっていました。本当にお疲れ様です。5月11日に無事男児出産です。2人部屋のベッドで、隣も外国人女性。これがわたしは翌日知ることになるのですが、なんと彼女、ジプシーだったのです!!!さすがイタリア…。「明日から産まれたての赤ちゃんと地下鉄もしくはバス64番に出勤(つまりスリってこと)」と冗談で言いましたが、意外と本当にそうかもしれません。あるいは道端に座ってついでに赤ちゃんだっこして物乞い?イタリアの国立病院での出産がまったくの無料であることからくる問題がコレなんです。イタリアの出産時の入院期間ははるかに短く、自然分娩で3日ほど、帝王切開でも5日前後と、日本とは比べものになりませんが、ジプシーにしてみたら、適切な医療と快適なベッドはあるし、食べ物もその間は保証されています。こんなにいい環境はありません。だから来てしまうのです。まあ、子供が減っていることを考えたら出産にかかる費用が何十万円もする日本がどうかしてるとも思いますがね。中庸ってないのでしょうか。しかしアサカ嬢、よく頑張りました。1軒目の病院、ベッドがないから断られたっていう話だし、出産中は看護学生たちの実習の対象になっていたらしいし。出産自体もめちゃくちゃ大変だったのだけどこの話はこんなところで。ところで赤ちゃん、わたしたちも水槽を覗くように、ガラスにへばりついて見ました。ちっちゃくてかわいかったです。もう一つイタリアらしさを感じたのが、この新生児室担当の看護婦さん。体格のいいおばちゃんが、どでかい菱形の金色のイヤリングをぶらぶらさせながら水槽の中を歩いているのです。日本じゃありえないよなー、何かの拍子でイヤリングが落ちたら角の部分が赤ちゃんに突き刺さるよなーと思いました。ガラス窓に「プライバシーにかかわるため写真禁止」と貼り紙があっても説得力なし。写真禁止する前にあのイヤリングをどうにかせい、と思いました。帰りは久々にViale Marconiに行ってみました。riso氏に勧められた子供服の店DU PAREILがあるのを思い出したのです。アサカ嬢のところと先月産まれた道氏のところにかわいいベビー服を買いました。新しくできたFeltrinelliでは、まず、わたしの好きなジェリー・マリガンのCDを2点ほど。わたしは大学の時JAZZバンドでバリトン・サックスを吹いていたのですが、当時よく聴いたマリガンはわたしにとってバイブルのようなものなのです。ピアソラとのコラボがあって、10ユーロだったので手にしました。ピアソラはやはりその頃に渋谷のbunkamuraシアターで『タンゴ』という映画を観た頃から気にし始めたのです。バリトン・サックスとバンドネオンのハーモニーは合っていて素敵です。あともう一つ、1960年のマリガンのコンサート・バンドの2枚組も10ユーロであったので手に取りました。日本で買ったらいくらするでしょう?いろいろなレーベルから何度も発売されている音源らしいので、価値があるというほどのものではありませんが、イタリアではJAZZの需要が低いので、きっと適当に値段を付けているのかもしれません。あー売れないや、って。こういったCDが、驚くような値段で売られていることもあります。しかしもともと数が少ないので、このように偶然見付けるしかありません。以前、サンプル版ですがブルーノートのCDが1枚50セントで売られているのを見て数枚買いましたが、今思えば買い占めればよかったです。ところでこのコンサート・バンド、ズート・シムズやメル・ルイスもいて、豪華メンバーです。1960年といえば昭和35年ですが、アメリカではこんなかっこいいコンサートをやっていたのかと思うと、驚きです。これに会員10%のシールの付いたDVD“Takeshi’s”(北野武監督の日本映画)を持ってレジに行ったら、 「会員様は30%引きです」と言うのです。なんでも3点以上買うと3割引きだったらしく、すごく得をした気分になりました。
2007年05月13日
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日本にいた頃から朝といえば、ラジオを聴きながらあわただしく出勤前の準備をします。わたしが聴いているのは朝8時半過ぎ(ひどい時には8時50分頃)から9時ちょっと過ぎまで。RAI(国営放送)ラジオ1で、ニュースや交通情報、為替相場、株価(日経平均株価も言ってくれます)はもちろん、第三世界に関するルポタージュなどもテーマ日替わりでやってくれるのでなかなかおもしろいのです。昨日耳に入ってきたのは地中海の本マグロの乱獲を批判する報告。「『日本の』寿司のせいで」と言っていました。イタリアのマスコミはこの手のネタが大好きです。「日本の」捕鯨にもここぞとばかり食いついてきます。しかもどうしていつも日本が敵なのかしら?果たして寿司ブームが原因だという根拠は本当にあるのか?調査捕鯨についても日本は数字を提示してその必要性を説いているのに、グリーンピースは、イタリアは、何でまた反対しているのでしょうか。わたしはマグロや鯨を食べなくても生きていけるとは思うけれど、それらを食するという日本文化をどうしてわざわざ他民族が善人ぶって侵すのだろうかと思います。もちろん彼らには否定するつもりはないらしいけれど。乱獲して日本に売りつけている、例えばイタリアの漁師が問題にされないのはなぜかしら。日本人に脅されて仕方なく売っているとでも言うのだろうか。ラジオではグリーンピースの広告塔として、イタリア人タレントのロミーナ・パウエル(イタリア読み。父親はアメリカの映画俳優タイロン・パワー)がもっともらしいことを言っていました(昨日の放送が聴けます)。しかしわたしは知っています、この人が日本料理屋の常連で上客だったことを。今は潰れましたがわたしが働いていた店です。きっと誰も知らないと思っているのだろうけどそうは問屋が下ろさないわよ。当時小学生だった彼女の娘なんぞ、クラスメートと2人でご来店でした。特別料金の畳の座敷を貸し切って、マグロをぱくぱく、支払いは母ちゃんの金色のクレジットカードです。もっともあそこで使っていた安いマグロは絶滅を危惧されるような希少種ではなかっただろうけれど。とにかくそんな彼女が売名行為なんだか知らないけれど、平気で本マグロ漁獲反対運動しているのを聞いて腹が立ちます。反対する主張に説得力がまったくありません。店に「すんげえうめえよ、ここのスシ」と、おもいっきりローマ弁のメッセージをサインとともに残してくれた女優のサブリナ・フェリッリは、わたし、大大大好きです。
2007年05月11日
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最近、2人の思いがけない人から連絡をもらいました。職場つながりのしみさんはミクシィのメッセージで。もう一人はイタリアに着たばかりの時に日本料理店でお世話になったゆみこお姉さんです。ゆみこさんは日本料理店で会計事務をしていて、わたしたちウエイトレスのよきお姉さんといった感じでした。イタリアに来たばかりの頃、友達もまだいなかったので、パーティに引っ張って行ってくれたり、友達のホーム・パーティにも連れて行ってくれたりもしました。彼女が旅行に行っていた時は猫の世話に家に通ったこともあります。わたしがスペイン広場界隈で働かなくなって、連絡が途絶えてしまいましたが、日曜日に電話をもらいました。話したのは数年ぶりでした。とても嬉しかったです。『隠し剣 鬼の爪』を見ました。 ラストシーンの松たかこちゃんのせいで、それまでの友人の謀反とか友人同士の対決とか主人公の貧乏生活とかそういうのが全部吹っ飛んでいってしまいました。山田洋次監督は本当にあんなラストでよかったんでしょうか。見た人いますか?感想を聞かせてください。
2007年05月09日
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朝のんびり起きて天気が悪かったのですがお洗濯。残念ながら部屋の中に干しました。夕方5時に3人姉妹(かすみ4まみ)でトレヴィの泉近くの古代ローマ帝国時代の遺跡を観に。これはちょ~~~おすすめです。おそらくイタリア語だけだと思いますが、分かる人は予約をしてガイド説明付きで見学してください。ガイド付きでも4ユーロと決して高くありません。現在は本屋さん。その地下に発掘された紀元後1世紀のインスラ(集合住宅)があります。ネロ帝の時代です。当時既に水道も引かれていました。壁や浴槽、トイレも分かります。そのあとも家として使われており、中世の層も見えます。壁や井戸、道路が残っています。出土品についてもローマ第三大学考古学専攻の学生であるお兄さん (27歳黒Yシャツに赤ネクタイ)はガイドしてくれました。説明なしだと分かりにくいかも知れませんが、ローマ在住の人にはおすすめ。もしくは誰かに通訳してもらえればいいと思います。そのあとその家まで来ていた水道の遺跡の一部を見られるところがあるというので、土砂降りの中を探しに。バーガーキングの隣の細い道にそれが!わたしはこの道、何千回通ったことでしょう。今まで気付きませんでした。不覚。ローマ史って奥が深いなという気持ちを胸に抱きつつ、某バス会社の夜のツアーに便乗。バスの上からでもローマはやはり素晴らしい。そしてトレヴィの泉近くで食べるジェラートはおいしい。終了後、まりこの食事処へ。かすみと、サルシッチャとでっかいサラダを食べました。久しぶりでおいしかったです。4ちゃんは肉食べないのでサラダのみ。まりこのパンナコッタも最高です。牛乳プリンに似ていました。驚くべき事にわたしがその時間になってもまだ元気だったので、4人で飲みに出かけました。といってもわたしは飲めるようになったわけではありません。鱈の食べられるモンティのエノテカへ。Rosso di Montalcinoをちびちびやりつつ女4人で馬鹿話を。もう何を話したのかすら覚えていません。あ、ここでも話したのですが昨日、お正月のドラマ『明智光秀』を見ていて明らかに変な日本語があったので意見!妻煕子が養子に光秀の思い出を語るのに「あの方は申しておりました」って言っていたのですが、このセリフ、間違っていますよね?「あの方」は敬語だから「あの方はおっしゃっていました」、もしくは、謙譲で「ウチのバカ亭主が申しておりました」ってするとかですよね。誰か教えてください。長澤まさみちゃんにあんなに堂々と言われちゃうと、あれが正しいのかと思っちゃいますが…。しかし中途半端なドラマでした。作らない方がよかったかも。帰ってきたら2時です。翌日仕事のあるわたしにしては快挙です。でも何か昨日はすごく元気だったんです。何ででしょう。
2007年05月08日
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4ちゃんと再びAlexanderplatzに行ってきました。かすみものちに合流。昨日のグループはドラム・ベース・ピアノのトリオにボーカル。はじめトリオが「じゃーん」ってやった時点で「あ、これうまいな」と思いました。当たっていました。ボーカルはアメリカ人でしょうか、図体のでかい黒人のねえちゃん。イタリア語うまくないけどしゃべる、しゃべる、でMCめちゃくちゃうまいです。人を惹きつけてました。歌唱力はアメリカにいたらきっと大したことはないのだろうけど、イタリア人女性JAZZボーカリストの中で、英語ネイティヴで歌がうまい人というのはほとんどいないだろうし、大柄で元気な黒人女性ってことで雰囲気があって、すごくおもしろかったです。ビリー・ホリディやナット・キング・コールのナンバー。それから『イパネマの娘』ではわたしたちを含めた観客も歌うことになって大盛り上がり。“Wow…I feel good!”ってわたしも歌っちゃいました。向こうが楽しませてくれるというより、自分が楽しめるステージでした。バックも個性的でとても上手でした。ただイチ・サンでノッているイタリア人たちにはどうも納得がいかないのだけど。
2007年05月07日
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仕事を終えてから遊びに行くつもりでかすみ4んちに行きました。2人が稲荷寿司を作ってくれて、いくつ食べたか分からないくらい食べてしまいました。小海老の佃煮を食べながら、ごきぶりの話をしていました。
2007年05月06日
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ローマではヒロミという名の女性にいつも助けられています。特に胃袋。以前はそらままがいました。週末になると居候していました。おいしい日本食、おふくろの味をよく作ってくれました。カレーとか鍋とか焼き肉とかおいしかったなあ。しっかり妻&母していて、そういう時はわたしより年下には思えませんでした。それから今お世話になっているひろみちん。昨日はご馳走さまでした。っていうか昨日もですけど。スープまでおいしいムール貝の煮込み、アスパラ、かじきまぐろロール。この方は和洋何でもプロ級の腕前です。この2人、名前が同じなのだけど漢字も同じ。わたしはローマで会った2人のヒロミに運命を感じます。
2007年05月04日
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まだ見ぬ姪がかわいくて仕方がありません。弟はEメールや携帯メールで写真を送ってきます。あまりにかわいいのでかすみや4ちゃんに転送します。はっきり言ってバカです。最近はわたしのまわりはベビーブームで、そういう年頃なんでございましょう、今年あたまのとみたんを皮切りに、弟の嫁様、道様、まみ姉。そして今あさかちゃんがウンウンうなっている頃だと思います。うちの社長の長女も25日に産みました。彼女、産後1週間もたたないうちにもう仕事に出てきています。「家にいるとうるさくて気が狂うわ」とボヤいていたのをルーシーが聞きつけてきて、「ここんちどうかしてるよねー」とみんなで言い合っています。外国人ベビーシッターに任せきりなんです。わたしなんてまだ見ぬ姪がこんなにかわいくて仕方ないのに…。こんな調子だと自分の子供にいつか会ったら、嬉しくて気絶してしまうのではないかしら。
2007年05月03日
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メーデーでわたしは臨時で休みになりました。市内バスは日中運行しなくなります。さすがイタリア。日本ってば祝日ですらありません。地下鉄でテルミニ駅に出て、せっちゃんと地下街で会っておしゃべりしました。3時に待ち合わせして別れたのが7時だったので4時間しゃべり続けていたことになります。よくしゃべってたなあ、こんなに。
2007年05月02日
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最近4ちゃんの影響があって再びジャズを聴くようになって気付いたのですが、アメリカのジャズミュージシャンってイタリア系少ないです。映画俳優とかだったらわんさかいて枚挙に暇がないのに。ディカプリオにデ・ニーロ、マドンナ、アル・パチーノ。演技にならその才能を発揮できるが、ジャズはやはりノリがダメなのか。あ、先年若くして亡くなったミシェル・ペトルチアーニというのはイタリア系フランス人だそうです。とみたんに昔もらったGRPオールスターズの超かっこいい東京ライブのDVDを見ていて、南米系(スペイン名)を2人発見。ラッパのアルトゥーロ・サンドヴァルとピアノのラッセル・フェッランテです。ベースのジョン・パティトゥッチはイタリア系かな。しかしこのDVD、超を何度付けても足りないほどかっこいいです。生で見た人、たまげただろうな。本当にオールスターズなんだもの。わたしの大好きなアキヨシのDVDもとみたんはくれました。後年あまり演奏しなかった『QUADRILLE, ANYONE?(カドリール、エニワン?)』というバリトン・サックスのテーマではじまるこの曲がわたしは大好きで、叶わなかったけど一度吹いてみたかった曲です。どなたかお願いします。秋吉敏子は曲の題名もとてもインパクトのあるものにしてしまいます。『カドリール、エニワン?』は、満州に住んでいた頃学校の体育にカドリールという踊りの授業があって、先生が生徒たちに「どなたか(できますか)?」と言ったその思い出を曲にしたとか、確かそんな感じだったと思います。本当にかわいらしい曲なんです。このライブでは曲の最後にトシコが手を広げてペコってパフォーマンスをしていたのがまたとても良かったんです。ちなみにこの時のバンドメンバーにはイタリアの名字は一人も見あたりませんでした。
2007年05月01日
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