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待ちに待ったフリーマーケットの日!主催者amopunちゃんとのりちゃんの宣伝のおかげで会場はすぐに満員!本当にこの方々には頭が上がりません。おかげさまで売り上げも上々でした。お客さん(日本に興味を持ったイタリア人の若い子が多かった)とのやり取りは楽しく、ローマ在住の友人たちの来訪は嬉しく。amopunちゃんをはじめ皆さんに心配していただきましたが、今回は往復タクシーに乗っても、ブース代を払っても、余裕で元が取れました。前回は1ユーロの赤字だったんです。一緒に出したrisoさんがなんとお昼にちらし寿司を作ってきてくれ、それをおいしく食べました。嬉しかったのが、わたしが今の職場に勤める前にわたしと同じように日本人でぽつねんと働いておられたヨーコさんが訪ねてきてくださったこと!彼女については拙エッセイ第3話ヨーコの存在をどうぞ。これ書いてた時(数年前)はまさか彼女と会うなんて思ってもみなかったもんなー。今回は出店者数が多かったので会場も広く取って、イタリア人出店者も日本人出店者もまぜまぜで、店の個性も様々で、とにかくみんな楽しめるイベントだったのではないかと思います。amopunちゃんやたいっちゃんはブースを回って「どうですか~?」とマメに声を掛けてきてくれ、そんな主催者のきめ細かな気遣いにも感動しました。またローマでこんなイベントができるといいですね。では最後に、友人たちのブログでもフリマの様子をご覧下さい。写真もあります。amopun氏、相棒riso氏、nana氏、まき氏、とこべえ。氏。来てくれたみんな、本当にありがとう。来られなかったけどメールくれた方々もありがとう。今度やる時はぜひ来てね。
2007年10月29日
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昨日はなんとロニー・キューバー氏がわたしに電話をかけてきてくれたのです。どうやらメールをやり取りしていたマネージャー氏が気を利かせてくれて、電話するように言ってくれたらしいのです。 電話に出たら“Mami?”と聞かれたのでいつも通り「イエース」と答えると、“I'm Ronnie Cuber.”と言ってきたので一瞬わけが分からず沈黙してしまいました。あとはもう“Incredible!”の連発。あー来月のライブが本当に楽しみでなりません。今週、アイルランドに住む友人が帰省していて、みんなで夜にピッツァを食べに行きました。はからずも女ばかり6人の団体。イタリア人3人日本人3人が、イタリア語と日本語まぜまぜでしゃべっている。イタリア人3人はでかくて日本人3人はちびっこい。なんか妙な目立つ組み合わせでわたしは好きです。
2007年10月27日
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信じられないことが起きました。昨日日記に書いたロニー・キューバーの宿泊先がわたしの職場だったのです。彼らのグループはうちの社長の息子の名前で予約をしており(彼はジャズクラブAlexanderplatzのオーナーと友達)、わたしは自ら予約を打ち込んだにも関わらずもちろん気付かなかったのですが、今日になってマネージャー兼プロデューサー氏が宿泊に関する問い合わせのEメールを送ってきたので判明したのです。すごくたまげましたし、緊張しました。同僚たちに興奮しつつ言いふらしました。もちろんすぐにマネージャー氏に返事を出しました。ロニー・キューバーのファンだと書きましたよ。CDも日本から持ってきています。それにサインをもらいます。ライブが楽しみでなりません。こんなあり得ないようなことが平気で起こるから、ローマ生活がやめられないのです。すみません、両親。
2007年10月25日
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先週末に日本のジャズ・ビッグ・バンドがローマに来ていて、何軒かのジャズ・クラブで演奏をしていったそうです。知らなかったので残念ながら行くことができませんでした。関係者の方、Saturday Night Jazz Orchestraというバンドをご存知ですか?わたしの知っているメンバーいるのかなあ。いずれにしてもミュージシャンの方々、ローマに演奏にいらっしゃる時はあらかじめお知らせ下さいね。絶対観に行きます。その何軒かのうちの一つ、Alexanderplatzはわたしが永久会員となっている会員制ジャズ・クラブなのですが(といっても敷居はまったく高くないです)、そこのプログラムがウチのホテルのロビーに積まれていました。何気なく一枚を手に取ってびっくり!ロニー・キューバーと書かれているのです。わたしの大好きなバリトン・サックス奏者がニューヨークからやって来ます。来月17・18日。昨日はそれを見た瞬間、その足でそのままAlexanderplatzへ行って「一番いい席ね」って、予約してきました。ディナー付き3名です。つきましては業務連絡です。かすみ4姉妹、予定を空けておいて下さい。お願いします。わたしとロニー・キューバーを一緒に聴きに行きたいという方は、ぜひご連絡下さい。Alexanderplatzの会員(月会員もしくは年会員)になる必要があり、さらにミュージックチャージ、飲食代もかかります。場所はヴァチカン美術館のそばです。ロニー・キューバーに会えることに関しては本当に本当に嬉しくて、舞い上がってしまって、どのくらい嬉しいかというと、家に帰るのに階段をのぼった時、普段はエイヤコラ5階はまだか、状態なのに、昨日は4階まで気付かずにランランランと一気にのぼってしまっていたのです。はっと気付いたら4階で、あ、あと少しだ、と思った次第です。嬉しさついでにこんな写真も。9月だったか、ローマで2番目にできたH&Mで、同じワンピースを2着買いました。1着は愛するウチの姪。もう1着はロンドンの友人の娘。2人ともちょーかわいいでしょ?おんなじ名前のこの2人におんなじワンピースを着せてみました。写真を送ってくれた双方の親御さんたち、ご協力ありがとうございました。最近はまったモノの一つに『のだめカンタービレ』があります。ヴェネツィアのF氏が漫画12巻までをローマまで持ってきてくれたのがことの始まり。あまりにおもしろくて、何度も何度も読み返しました。ロンドンに遊びに行って、世話になったそらまま宅でドラマを一気見、彼女と2人で千秋サマ玉木サマ状態です。そして漫画も13巻以降を読むべく、ロンドンに唯一ある漫画喫茶へ。そこで17巻まで読破。9月、本に帰った際に13~18巻、そして特別編の0巻を購入。すべてローマに持って帰ってきたので、恩人F氏に贈呈の予定です。日本ではこんなCDまで買ってきちゃいました。にわかクラシックファン。『のだめ』の影響で少し前の日本にはわたしみたいなの増えてたんじゃない?CDのリポートはF氏のブログにお任せしましょう。今、DVDでジュリーの映画『太陽を盗んだ男』(1979年)を見ています。ジュリーかっこいいのなんのって。この間NHKドラマ『マチベン』で見た時はふくれていたけど。こんなアイドルもういないよな…。音楽は井上堯之。なるほど。最後におすすめ商品。ニューヨークのおみやげにkyokoさんに頂いたハンドクリーム、Bath & Body WorksというメーカーのMoisturizing Hand Lotionです。Japanese Cherry Blossom(日本の桜)がとてもさわやかな香りで、潤いたっぷり、手にすごく優しいんです。
2007年10月24日
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先生の教え方がよくなくて、わたしたちはちょっと困っています。教員資格のないおじいさんなのです。イタリア語が上手ではない上、ドイツ語も方言で話しています。例えば“ich”(わたし)のことを「イッヒ」ではなく「イッシュ」と発音するのです。これはフランクフルトなど南部の方言だそうです。友人イローナに確認しました。みんなが本当にドイツ語を話せるようになりたくて、少ないけれど授業料だって払っているのだから、ちゃんとした授業を受けたいのです。わたしは昨日は宿題を忘れてしまったので、答え合わせに参加できなかったし、授業中の会話には、質問を与えられない限り参加できない落ちこぼれ者ですが、それでも授業には物足りなさを感じます。職場でもドイツ語で会話できる機会があるからいいけど、文法はきちんと覚えたいなあ。
2007年10月23日
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朝っぱらから森に行くというのです。マッテオの親戚が森を持っていて、そこに栗を拾いに行くというのです。「森を持っている」っていうのはあんまり日本では聞かない表現です。マッテオの甥っ子の地元民ステファノも、「俺んち森5つ持ってるぜー」とか言いますから、なんだかよく分かりません。森?森を車で入っていくと、途中で何台も車が止まっていて、みんなそこが「自分の森」みたいです。そこで栗拾いをしているのです。結局、マッテオは自分の森を見付けられなかったのですが、わたしたちは奥の奥の方まで行って、適当に誰かの森に入ってしまいました。マッテオとガブリエレ(6歳)、ステファノ(9歳)、わたしの4人は森の探検です。着いてこなかったロッセッラは一人でぶーぶー言いながら栗拾いをしていました。彼女は唯一手袋とビニール袋を持ってきていたのです。結局彼女が一人でビニール袋を栗でいっぱいにしてわたしたちは意気揚々と家に戻りました。戻ってくる途中で道を羊の大群にさえぎられました。前日おいしかった、あの羊なのでしょう。村で唯一のBARに行くと、羊飼いのおじいさんがスパークリングワインを飲んで、休んでいました。羊たちは反対側の草地で草をはんでいます。栗は暖炉の栗焼き機に入れました。この暖炉用の栗焼き機というのは、鉄籠の形をしていて、そこに栗を入れて、取っ手をグルグル回しながらまんべんなく焼くというものなのです。おもしろいです。昼食を食べて、またボーッとテレビを見て、F1のマレーシア戦のスタートだけ見て、それでわたしたちの週末は終わりました。時々はこんなのもいいかな。
2007年10月22日
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マッテオの山の家に土・日と誘われていて、今回は行くか行くまいかすごーく悩んだのです。なぜかというと、行きたいのはやまやまなのですが、家でゴロゴロしながら、たまっている日本のDVDやビデオを見て日曜日を過ごす方が楽だし、わたしは好きなのです(これぞモテない系?)。それに泊まりに行くとなると、お泊まりセットを準備しなくてはならないので、それも面倒でした。しかしながら、人生短いのだし、イタリアにいるうちに、あまり経験できないことをやっておこう、しかもこの機会は向こうから転がってきたんだし、と思い直して行くことに決めました。マッテオとロッセッラとマッテオの息子のガブリエレ(6歳)は、もう朝に車で出発してしまっていたので、仕事があったわたしは一人でバスで行くのです。行こうと思った理由の一つにはコレがありました。わたしは一人で旅をするのが好きなのです。乗ったことのない路線に乗るのはとても楽しみで、心が躍りました。ロッカ・カンテラーノというのが標高800メートルちょっとの高さの、山のてっぺんにある村の名前です。ローマからそこまで直通のバスはないので、直通バスが止まる途中のバス停まで車で迎えに来てもらいます。同僚たちと何回か冬にそこでパーティーをやったことがあるので、行ったことはあるのですが、いつも誰かの車だったので、バスでは初めてです。地下鉄B線のポンテ・マンモロ駅にある中距離バスターミナルの中からスビアーコ行きを見付けて、それに乗ります。この中距離バスは、市内バスとは違って、ローマとローマ近郊の町や村とを結んでいるものです。有名なところですと、噴水庭園で有名なティヴォリ行きのバスなんかもここから出ています。ここのバスターミナルは外国人、特にルーマニアやアルバニアなどの東欧系が多く、とてもガラが悪いです。ビールの空き瓶がそこいら中に転がっています。貧しい外国人たちはローマから離れたところに住んでいて、ローマに稼ぐために通ってくるのです。スビアーコ行き夕方6時半発のバスは満席、立っている人もいます。わたしは早めに乗ったので、窓側の席に座りました。ローマから数十分走るだけで標高300~400メートルくらいの山々が見えてきます。山間や特に山の頂上には町があって、それらの中心には城が建っていたりします。今もあるこれらの町の前身はもちろん中世に貴族が建てた城の周りにあった集落で、現在もこうして人が住んでいるのには驚かされます。これから向かうロッカ・カンテラーノももちろんその一つなのです。いくつかのバス停に止まりますが、真っ暗なところに止まるので、びっくりです。降りる人はあらかじめチャイムを押すのですから、どこを走っているのか分かるのでしょう。止まる停留所のまわりには何もなくて、降りた人たちはどこに行くのだろう、と思いました。少し空いてきたのでわたしは一番前の席に移って「マドンナ・デッラ・パーチェに着いたら教えて下さい」と運転手さんに頼みました。そこがマッテオたちが迎えに来てくれる村なのです。「ここだよ」と言われて降りると、ロッセッラが「マ~ミ~」と手を振っているのが見えました。降りたのはわたしだけだったのです。お店が少しあるだけの集落でした。ローマからは約50分のバスの旅でした。ここから車で10分くらい山を登っていきます。村の人口は200人。よろず屋が1軒、BARが1軒、レストランが1軒、村の中心は16世紀に建てられた教会ですが、数年前にアッシジに大きな被害をもたらしたあの地震のせいで今も修復中です。学校はありません。隣村までスクールバスで行くそうです。着いてしばらくしてから、村のレストランに食事に行きました。電気が付いていなかったので覗いてみると、厨房(というか普通の家のキッチン)でみんなで食事をしているところだったのでした。レストランといっても、家庭でやっている食事処なのです。羊の串焼きがとてもおいしかったです。肉や野菜、チーズはすべてここいらでとれたものだそうです。雪がちらりと降っていました。冬は寒さが厳しいのでどの家にも暖炉があります。家に帰って、暖炉の前で、普段は見ないイタリアのテレビ番組なんかをぼーっと見ていました。なんだか来てよかったなーと思いました。
2007年10月21日
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イタリアに来たばかりの頃だからもう6年以上前のことでしょう。当時スペインに留学していた友人むち子が、日本帰国を目前にして遊びに来てくれました。その時に持ってきてくれた物の中に、かゆみ止めのウナコーワクールがありまして、それがつい先頃なくなりました。むっちが持ってきた時点で、かなり容量は減っていたのですが、それでも6年経ってもそれほどの量をさすがに一人では使わなかったということです。蚊にくわれるのは圧倒的に日本の方が多いです。日本ではあんたどーしたのと言われるほどの数の赤い斑点を付けて生きています。そんなわたしだから実家ではムヒが手放せません。ところでイタリアの蚊はわたしを好きではないようです。わたしはO型。イタリアではゼロと言います。むっちにもらったものの中ではCDデッキが特にわたしの部屋で活躍しています。毎朝聴くラジオのニュースはこれで、ディアマンテスのCDもこれで。昨日、わたしが電話でお客さんと話しながら195ユーロ×7泊という計算を紙に一瞬で筆算したのを見た経理のボスのフランチェスカが「マミはコンピューターか」と驚いていました。えっ?この程度で驚くか?言い訳させてもらうと、普段だったらこのくらいは暗算だけどね、この時は電話で英語で話していたから筆算したのですよ。イタリア人は筆算を知らないみたいです。職業柄3桁÷1桁の割り算も多いのですが、これくらいなら暗算やります。するといつも驚かれます。同僚たちはすんげえ簡単な計算でも必ず電卓を使います。他の職場、どうなのよ。この低レベルはウチだけなのか?でも何となくイタリア、全体的にそんな感じがします。暗算で唯一わたしと張っているのが、近所のタバコ屋のトニーノおじちゃん。彼もわたしをライバルと認めてくれています。彼は早いよ。わたしは日本商工会議所暗算検定3級珠算検定1級。あーそろばん習っててよかった。お父さんお母さんありがとう。そういえば、どうなのよ、で思い出したのですが、イタリアでは生理用パンツというのは売っていないのでしょうか(男性陣すみません、こんなネタで)。この7年間一度も見たことがないのですが、それって有り得ますか?別に欲しいからというわけではなくて、イタリア女性たちはどうしているのかな、と思って。わたしはしまむらで買うから別にいいけど。こういうこと書いちゃうからモテない系なのだ、と今気付きました。そんなことないよーとかばってくれる方はぜひ、能町みね子氏の連載、くすぶれ!モテない系の投稿編をご覧下さい。
2007年10月20日
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ロンドンからKMちゃん&大佐(○○―大佐って音楽やってる人には分かる?)ご夫妻が遊びに来てくれました。会話が成り立たなくていつもすみません。わたしのひどい英語のせいです、が、大佐はなぜか時々まったく分からないはずの日本語の会話にも普通に英語で入ってきてくれます。心で分かるのだそうです。いいダンナやなーKMちゃん。幸せにねー。 *昨日の胃袋 QUELLO CHE HO MAGNATO IERI* サン・ダニエレ産生ハムとメロン、燻製魚の盛り合わせ、蛸のニョッキ、アマルフィ産緑のレモンのキタッリーネ・パスタ、伊勢海老とオマール海老のグリル、デザートの盛り合わせ
2007年10月18日
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この間恵比寿で一緒にフカヒレを食べたSASA姉さんが仕事でイタリアに来ていたので、貴重なローマでの一日、夕飯をご一緒しました。外のテーブルで食べるのはちょっと寒かった上に(ま、ワイン飲んだからいっか~)、前菜の種類もなぜかあまりなくて、せっかくお連れしたいつものVARRONEだったのに、不本意な結果に終わってしまいました。今度はおいしいものもっともっと食べていただきますからね、姉さん。
2007年10月17日
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朝、警察に呼ばれていたので指紋を採られてきました。と書くと犯罪人のようですが、違います。12月末に出した滞在許可証延長のリクエスト、処理の第一段階が完了したので、警察に写真を持ってくるようにとの指示があったのです。どうやって分かったのかというと、ウェブサイトにパスワードを入力するのです。そうすると書類処理状況がオンラインでチェックできます。わたしは書類不備や職場の契約期間延長もあったので併せて提出。指紋採取に関しては以前のように黒いインクを付けるのではなく、もはやコンピューターで読みとる機械を取り入れています。こんなめったにできない貴重な体験大好き!手続きは済んだものの、滞在許可証が出るのは、あと3~4ヶ月後だと言われました。中国(人経営)の店へ行って来ました。以前ロッセッラと来た時に、散々買うか買うまいか悩んだ中国製のマトリョーシカをとうとう買ってしまいました。濃いめの青で、けっこう大きいのです。これが 7,50ユーロ。みんなに「何買ってるの?」と呆れられていますが…。わたしのマトリョーシカ好きはご存知の方も多いと思います。もう既に1セット、緑色のを持っています。しかしながらこれも中国製。この大きさで本当にロシアで手作りのを買ったら高いのだと思います。マトリョーシカの形のキーホルダーも持っています。これは本場のロシアみやげ。夕方は毎週恒例になりましたドイツ語講座。早く話せるようになりたいです。昨日は「わたしは住む、あなたは住む、彼は住む…」ってやつ。マトリョーシカのいるわたしの部屋の写真を載せたので、ついでにもう一枚携帯で撮った写真(だから画像悪し)。ロンドンのまみ姉に頂いたテーブルクロスが、部屋のソファーにちょうどいい大きさだったので、ソファーカバーにしてしまいました。ピンクはわたしの大好きな色です。部屋がかわいくなりました。
2007年10月16日
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待ちに待った日本人会のバザー@日本人学校です。毎年楽しみにしています。お金をついつい使い過ぎてしまいます。女性自身2冊2ユーロ、サンデー毎日1冊1ユーロ、ドラマを録画したビデオ4本4ユーロ、焼きそば3,50ユーロ、豆腐一丁3,50ユーロ、水1ユーロ、あんぱん2個3ユーロ、抹茶と小倉味のジェラート2ユーロ、牛丼4ユーロ、肉まん3ユーロ、梅酒味のジェラート2ユーロ、くじ(全部ハズレ)10ユーロ。とまあこんな感じです。普段あまり会えない友達や知り合いに会えたり、日本の食べ物を食べることができたり、激安な物をゲットしたりと参加する側はいつも楽しいです。主催者の方々は大変でしょうけれど。炬燵がはじめ120ユーロで出ており、同居人38ちゃんと、どうせ売れないだろうから最後まで待って値切ろうと言っていたら、帰る時になって「たった今40ユーロで売れた」とのこと。がーん。わたしたちはタイミングを逃しました。ローマの冬はしばれるのう。
2007年10月15日
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ソラチチの日記で、ノリックが7日に交通事故で亡くなったと知りました。本当にショックです。加藤大ちゃんに続いてノリックまで…。5~6年前、日曜日になると見ていたモトGPのレースで、ノリックや加藤大ちゃんが誰かを抜かして、少しでも画面に映ると、嬉しくて応援していました。日本人であることがこういう時に誇らしくて、レースの順位に一喜一憂しました。まだイタリアに来たばかりでおっかなびっくり生活していたそのむかし、世界の大舞台で活躍する彼らを見ると、力がわいてきたのでした。わたしに勇気をくれた阿部典史選手、年がわたしと同じだと初めて知りました。あんなところで死ぬなんて思わなかっただろうに。悔やまれます。ご冥福をお祈りします。
2007年10月10日
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ドイツ語のレッスンに行きました。「コンニチハ、わたしはマミです。あなたは?」くらいは言えます。仕事で使えるレベルへの道は非常に厳しいことを悟りました。フランス・アカデミーで行われているアジアン映画フェスティバルで、昨日の夜は日本の作品『殯の森』が上映されるというので4ちゃんと行ってきました。フランス・アカデミーはその名もVilla Medici、その昔のメディチ別邸なのです。こういったイベントに乗じて中に入ることをおすすめします。とにかくすごいお屋敷なんです。映画は邸内の劇場で上映されます。メディチ家のプライベート劇場だったところなのでしょう。家の中に劇場があるのだからすごいです。くるくる螺旋階段なんてお姫様がのぼるものかと思っていたのに、わたしにものぼれます!のぼりつめればローマ市内が一望できる庭園。ここでメディチ家の三男坊か誰か(なぜ三男?)に、スプマンテで君の瞳に乾杯なんて言われてみたいもんです。ちなみにここは現在はフランス・アカデミー。三男いないからね。さてさて映画は河瀬直美監督の、老人ホームをテーマにした作品です。新人介護士の真千子さんと認知症のしげきさんのやり取りを描いた作品で、カンヌで審査員特別賞を獲得しました。しかしまだまだ子供のわたしには分かり難い作品でした。結局はわたしには介護問題や人の死が身近に感じられないからなのでしょうか、その割には老人介護の仕事をしていた4ちゃんも「分かんねー」って言っていたっけ。まだまだ未熟なわたしたちです。ただこの監督の、いつも挑戦しているという、流行りモノを追いかけない独特の作風には共感を覚えます。これでこそ映画と思うのです。分からなかったけどね、そう思うんです。 *昨日の映画 IL FILM CHE HO VISTO IERI* 殯の森(The Mourning Forest)(2007年・日本)監督*河瀬直美出演*うだしげき&尾野真千子
2007年10月09日
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日曜日は床擦れ女マミです。いくら寝ても寝たりない。いくらドラマ見ても見たりない。起きる↓ドラマ見る↓昼飯↓ドラマ見る↓昼寝↓ドラマ見る↓夕飯↓ドラマ見る↓寝る今は『プロポーズ大作戦』、『のだめカンタービレ』、それから『孤独の賭け』を見ています。夜にはちゃんと眠くなってしまうところがおそろしいです。おかげで背中は痛く、翌日の今日など、うたた寝をしたのですが、仰向けでは寝られなくてうつぶせ寝でした。でも「ベッドが悪いだけかも」と淡い期待を抱いています。誰かデートにでも誘い出してください。あー月曜日はドイツ語があってよかった。ローマの街へくりだすぜ。
2007年10月08日
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今までいくつか仕事をやってきましたけど、これほどまでに「休暇明けに山積みの仕事が待っている」という惨状はありませんでした。学生時代の封筒屋さんもダンキンドーナツも、もちろん予備校も。勤めた高校では3年間(多分)休まなかったし、そのあとの美術館もハケンで行ったいくつかの職場も、まあ、日本にイタリアほどの長期休みがないというせいもあるけど、それにしても平社員一人が休んだところで、周りの人がカバーしてくれるからそんなに影響はありません。職場に帰ってきて、予約が欠けている、支払い状況が分からない、メールの返事を出していない、の嵐。わたしの他に3人いるだろうが、できるはずの奴らが。周りの人、カバーしてくれるどころか足引っ張ってくれます。でもイタリアってね、いいんですよ、それで。結局は何とかなるから。でもでも日本人のわたしはそんないい加減な仕事のやり方、嫌なのです。あとで出てくるトラブルは未然に防げるものなら防ぎたい、今日できることは今日やっちゃいたい、って思うのは間違っているのでしょうか。ココでは間違っているのよね。あー、「郷に入りては郷に従え」なんだわ。そういえば、休んじゃう人も多いです。特に男の子。特にポーター、レストランのウエイター陣。交替制だから誰かとシフトを替えればなんとかなる、というのも一つの理由だと思います。しょっちゅう「頭が痛い」と言っては備品の頭痛薬を取っていきます。女優の檀ふみさんの何年か前のエッセイにこういう一節がありました。ベルギーのブリュッセルで「痛み」についての学会が開かれた。問題提起として、短い映画が上映された。比叡山の千日回峰行を追ったドキュメンタリーである。映画終了後、「日本人は、痛みに鈍感な民族なのではないか」という声があがった。おのれの痛みも感じないから、他人の痛みなど想像もできない。ハラキリも、戦時中の残虐行為も、このごろの人を人とも思わぬ経済侵略も、すべてそれで説明できる。わたしは今の職場で5年弱働いています。体調が悪くて休んだことは一度しかありません。この間の休み明けなんて、起きたら頭が痛かったので頭痛薬を持って職場に行ったのに、仕事をしているうちにすっかり治ってしまって、それはそれで自分の頑丈さに腹が立ちました。「頭痛い」ってすぐ言うウチの職場の男の子の痛みがどの程度かなんて分からないけれど、「コノヤロー」ってつい思っちゃうわたしは確かに、己の痛みも他人の痛みも分からない鈍感な人間なのかもしれません。
2007年10月07日
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夜の市内ガイドツアーに参加してきました。昨日はリオーネ・コロンナ(コロンナ区)をめぐる、というもので、キージ宮のあるコロンナ広場をスタートします。マルクス・アウレリウス帝の戦勝の様子が描かれているコロンナ(円柱)は台座も入れて全長約42メートル。細かく描かれた戦争の様子、近くで見ると驚きます。もちろん全部は見えないけれど。歩いてハドリアヌス帝の神殿跡へ。ここはピエトラ(石の)広場と呼ばれています。神殿の円柱が残っており、何百年もにわたって証券取引所として使われてきました。特に、近くに船着場があったからだそうです。現在でもその名残でこの遺跡の隣に商工会議所の事務所が置かれています。カプラニカ広場は15世紀の建物で有名な広場。現在は会議場などとして使われるカプラニカ劇場で有名ですが、若き修道士の学舎でもあったところです。日時計の針として有名なモンテチトーリオ広場のオベリスクを見上げ、初代皇帝アウグストゥスの平和の祭壇アラ・パチスがかつて在った場所で紀元後1世紀のローマに思いを馳せます。ここが世界の中心だったんだなあと思うのです。今回のガイドさんは説明がとても上手で(相変わらずわたしにはほとんど分からないものの)、何よりローマの歴史への情熱がとても伝わってくるのでした。史実から伝説、笑えるエピソードまで、そしてローマの歴史はとても長いのに、歩いて次の道に入るたびに出てくる出てくる説明に本当に楽しませてもらいました。わたしが彼の知識を全部日本語で持っていることができたなら、と思います。あ、別にイタリア語でもいいけど。そうしたら、誰か親戚や友達が来たらローマを案内してあげるのに。その前に、ガイドになってガッポリ稼げるわな。帰り際にアラ・パチス(アウグストゥス帝の平和の祭壇)が現在置かれているテヴェレ川沿いまで歩きました。博物館となっていますから、夜はもう入れませんが、全面ガラス張りなので中が見えます。ちょうど今、先頃引退を発表したイタリアが誇るヴァレンティーノの「ヴァレンティーノのローマ・彼の45年」という企画展が行われており、ヴァレンティーノが今までデザインしたたくさんの服が展示されていました。ヴァレンティーノやイタリアン・モードにまったく興味がないわたしでも、単純に服としての魅力や流行の変遷、ヴァレンティーノの先見性など、見るところがたくさんあって、入場料を払わなくともけっこう楽しめました。もちろん中に入って見るに越したことはないけど。おすすめの展覧会です。
2007年10月05日
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友人ご夫妻のお宅に突撃!隣の晩ごはんしました。マッテオとロッセッラと3人でお邪魔。ポルチーニ茸、贅沢なほどたーっぷりのフェットゥッチーネと日本のコロッケ。あー、書きながら、思い出してはお腹を空かせています。友人のすごいところは、イタリア料理も日本料理もプロ級。
2007年10月03日
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ご無沙汰しております。火曜日の夜にローマに戻ってきて、ホテルのシャトルバスに空港まで迎えに来てもらったもんで、ホテルに一旦行ったら、早速「マミ、この予約の詳細が不明なんだ、調べてくれ」とレセプションのアレックスに言われ、がーん、なんでわたし着いたそばから働かなくてはならないの。次の日も次の次の日も、次の次の次の日も残業をしたら、仕事はちょっと落ち着いたかな。わたし天才。日曜日は一日中、寝たり日本のドラマを見たり本を読んだりしてぼーっとして過ごしました。昨日、月曜日は洗濯をして、午後からは張り切って初のドイツ語の授業に出かけました。授業なんてこっちに来たばかりの時に受けたイタリア語の授業以来だから、ドキドキします。隣の席に素敵な男の子が座っちゃったらどうしよう、と考えつつ、教室のドアを開けると、そこは女だらけでした。ホテル協会が補助金を出している語学講座で、半年間週1回2時間の授業がたったの50ユーロで受けられるのです。2年前も申し込もうとしたのですが、やりたかったドイツ語初心者クラスの申し込み者が、少人数すぎて編成されなかったのでした。その後も友人のナタリーに習ったりしてみましたが、友人が先生というのでなあなあになってしまったのと、彼女もわたしも忙しかったことで、長続きしませんでした。クラスは10人(減っていくんだろうな)、女8人男2人。ホテル勤務の人だけかと思ったら、ファーストフード店(ローマ観光業協会で申し込んだ)で働いている人たちも半分いて、ドイツ語初心者クラスでも既にレベルはバラバラです。というのはわたしもそうですが、ホテルで働いている人は、普段からドイツ人のお客さん達に接しているので、ドイツ語に慣れているのです。そうかと思えばショッピングモールでピッツァを売っているローマ弁バリバリのおばちゃんがいるからすごい差です。先生はドイツ人のおじいちゃんで、もともと語学教師ではないので教え方はうまくないし、何よりイタリア語が下手でドイツ語訛りなので、特にわたしには何を言っているかが分かりません。ちょっと後悔していますが、こうでもしないと勉強しないわたしですから、続けるしかありません。お金払っちゃったし。昨日はまずは自己紹介。これも久しぶりで緊張しました。「ワタシハマミデス。イタリアニ7年イマス。ホテルデ予約事務ヲシテイルノヨ。」ってな具合。そういえば授業前に突然知らない女の子が「マミサン?」と話しかけてきました。誰よあなた、と思っていたら同居人38ちゃんの友人で、一緒にシチリア旅行をしたクリスティーナでした。超偶然。彼女は日系旅行会社で働いています。前途多難なドイツ語講座ですけど、3月に終わるまで続けたいなと思っています。そのあとは寿司屋にかすみ4と行ってきました。かすみは今週末日本ですけど、別に食べてもいいらしいです。わたしみたいです。わたしの日本話などをして、4ちゃんのこいばななどを聞いて楽しんできました。わたしは夕方5時くらいにマックを食べてしまっていたので、海鮮生野菜(サラダの上に刺身が乗っかっているの)を食べるにとどまりました。
2007年10月02日
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