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昨日はDiane SchuurのライブをVilla Celimontanaに見に行きました。ダイアン・シューアといえばこちらが有名ですね。Diane Schuur ダイアン・シューア / And Count Basie Orchestra 輸入盤 【CD】価格:2,405円(税込、送料別)このアルバムはよく見かけるし、聴いたことがあったので、とても興味がありました。スタン・ゲッツに見出された逸材だと紹介があって、ステージに登場!ストレートの金髪を長く伸ばしていて、意外と小柄、いつも写真で見る黒髪のパーマのショートカット、でっぷりしたいかにもなジャズシンガーではなかったです。ちょっとイメージが違いました。高音も低音もすごく安定感があって、ロングトーン(歌でもこう言うの?)が腕の見せ所のようです。イタリアの観客は日本と違ってジャズ通というのが殆どいないのですけれど、それでも有名な“It don’ t mean a thing”では、メインのフレーズはもちろん、ドラム、ベース、ピアノのソロ、それぞれ盛り上がりました。他の人がソロだとまるで電車で座ってうつむきながらうつらうつら眠っているように拍子を取っていて、自分のスキャットでは、がきんちょのように手をばたばたさせながら歌うギャップのおもしろさ。目が見えないからステージでずっと立って歌うのはやはり厳しいのか、終始座っていましたが、座ってあの声は凄いな、とあさちんと話していました。アンコールは立ち上がってアカペラの『虹の彼方に』。8月とは思えないほど寒いローマの夜のステージでしたが、大変楽しめました。やっぱり音を楽しむっていいなあ。
2010年08月31日
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一日の終わりに、その日食べたものを記録するということを、ダイエットの足しにでもなるかと思ってtwitter上でしておりますが、いくらなんでも会社からUPしているわけではありません。先月までのわたしは確かにブログもmixiもfacebookもメールもすべて会社でやっておりました。しかし日本でかわいらしいパソコンを買ってしまったのです。音響ミマ号と名付けています。初、自分パソコン!それに合わせましてネットができるUSBというのを購入しました。月100時間で15ユーロ(約1600円)です。おかげで最近寝る前に、TBSラジオの森本毅郎を聴いています。夜更かししている時は大沢悠里まで…。今の時代、マクドナルドやスタバ(イタリアには無いけど)など、外でWi-Fi無料という所もあるそうなので、調べてみました。マックの情報はこちらをどうぞ。ヴェネツィアのF氏は家でネットが使えなくなってしまった時に、夜の市内をさまよったそうです。体験談はこちら。ローマでは公園が多いです。市内のワイアレス・ポイントはこちらをご覧下さい。マックも市内のワイアレス・ポイントも、利用の際には登録が必要です。
2010年08月29日
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アッピア旧街道にある一つ目のマイルストーンがレプリカだとのこと。ローマ時代の1マイルは1478.50メートル。カペーナ門から1マイルのところにそれが置かれていて、本物はカンピドーリオにあると刻まれているそうです。わたしはマイルストーンを気に留めたことがなかったのでもちろん見たことがないのですが(っていうか気付かなかっただけ)、せっかくだから本物は見に行ってみるか、と思い、近くを通りがかった際に、カンピドーリオ広場への階段を、あさちんと上ってきました。ふう。えっ?コレなの?と少々拍子抜けのわたしたちです。しかし何でまたここにあるんでしょう?ちなみに広場に向かって左側には7マイル目のマイルストーンのオリジナルがあります。左右対称…。これを見に行くきっかけを与えてくれたのは同じく楽天ブログをやっている*IZUMI*さんでした。*IZUMI*さん、大正解です!
2010年08月28日
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ご主人が日本出張中のあさちん。月曜日は、近所にあるこのお宅に昼からお邪魔して、いつものごとく図々しく昼飯も夕飯も(二食続けてはさすがに滅多には無い)あさちんシェフの料理を頂いてしまいました。あさちんは『新選組!』のビデオを見ています。【国内ドラマポイント3倍対象】新選組!完全版 第壱集 DVD-BOX価格:33,075円(税込、送料別)かつてのひとみちゃんとわたしのようです。わたしは堺様に見とれます。長々と居てしまったので、夜10時半頃おいとましました。とぼとぼ歩いていると「マミちゃん?」と呼ばれました。まあ、こんな時間にどなたかしら?すっかりイタリア人の通行人だと思っていた女性2人組はキョーコちゃんとzzちゃん。まあ奇遇。「コーヒー飲みに来ない?」と誘われ、これまたすぐそこのzzちゃんちへ。キョーコちゃんが同僚にもらったという大量のお魚、お2人がローズマリーを入れて焼いてくれていたので、おすそ分け6匹も頂きました。翌日の夕飯にあたためて醤油をかけて6匹一気に食べました(だって腐っちゃったら悲しいもん)。名前はキョーコちゃんが言っていたけど忘れてしまいました。大きさは中くらいの、身のしまった白身魚です。さらにzzちゃんには薔薇ローションと石鹸までおみやげに頂いてしまいました。頂いた石鹸の1つがこちら。これで洗うと顔がツルツルになり、びっくりです。いつもではありませんが、zzちゃんはフリマにお店を出すこともありますので、運がよければローマで買うことができます。
2010年08月24日
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ピアニスト高須博氏のコンサートがマルケルス劇場(テアトロ・マルチェッロ)であるというので、あさちんと行ってきました。コロッセオではありません。カエサルが着手し、初代皇帝アウグストゥスが完成させた1万5000人収容の劇場です。マルケルス(イタリア語でマルチェッロ)というのはアウグストゥスの甥で、娘婿でもあり、彼が早世したために捧げる目的で造られたのだそうです。コロッセオはこれを参考にして造られました。ちなみに後世、貴族により住宅として利用され、驚くことに今もどこの誰だかがお住まいなんです!羨ましい限りです。更に敷地内にはそれよりもはるか以前の、紀元前5世紀の神殿の柱も残っています。さて、そんな素敵なところで聴ける素敵なピアノの音色…。至福の時間です。半袖のクール・ビズYシャツ(イタリアにはないです)で満員電車からさっき降り立ったばかりの日本のサラリーマンのように颯爽と現れたマエストロ高須。イタリアの観客をうならせ、楽しませてくれました。アンコール3曲もやりましたけど、最後のショパンの『革命』は特に凄すぎます!左手だけで弾いていました!気付いていない観客もいたはずです。プログラムはこちらです。リストヴェルディの歌劇『エルナーニ』による演奏会用パラフレーズ S.432マルトゥッチヴェルディの歌劇『運命の力』による演奏会用幻想曲 作品1A.フマガッリドニゼッティの歌劇『ランメルモールのルチア』より「やがてこの世に別れを告げよう」による左手のための演奏会用練習曲 作品18-1タウジッヒモニウスコの歌劇『ハルカ』による幻想曲 作品2ソルク編曲スメタナの連作交響詩『我が祖国』よりモルダウD.フマガッリ編曲マスカーニの歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲ヘラーメンデルスゾーンの序曲『フィンガルの洞窟』によるカプリス・エチュード 作品144-1パブストチャイコフスキーの歌劇『マゼッパ』による幻想曲 作品83
2010年08月20日
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最近キュウリをよく買うようになったので気付いたことです。とにかくイタリアにはとてつもなく苦いキュウリが普通に流通しています。人の味覚は異なるものですから、不良品だとか訴えられないのが残念です。何度か不自然に思って、それでも自分を騙し騙し食べていたのですが、ある時、「毒を盛られた」(『テルマエ…』のルシウスみたい)と思うほどおそろしく苦い毒の味のキュウリがあったので、同僚の若い男の子に、「ねえ、これ、毒が入っているみたいなんだけど食べてみて」とキュウリが入ったタッパーを彼に向けると、ためらいもなく一切れ取って口にポイッと放り込み、「あ、これ熟れ過ぎなだけだよ、よくあることだよ」とむしゃむしゃ食べながら言うのです。そして他の同僚たちに、「明日俺が死んだらマミのせい」と言い触らしていました。日本のキュウリは本当においしいです。河童の気持ちが分かります。皆さんは毒の味のキュウリを食べたことがありますか? イタリア生活10年目に入ってもこうしてイタリアのキュウリの味にすら慣れないわたしですが、イタリアの笑い話(BARZELLETTA)にもちっとも笑えません。そんな生真面目なわたしが吹き出してしまった笑い話を。イタリア語じゃないです。My Time's UP?A 54 year old woman had a heart attack and was taken to the hospital.While on the operating table she had a near death experience.Seeing God she asked "Is my time up?"God said, "No, you have another 43 years, 2 months and 8 days to live."Upon recovery, the woman decided to stay in the hospitaland have a face-lift, liposuction, breast implants and a tummy tuck.She even had someone come in and change her hair colorand brighten her teeth!Since she had so much more time to live,she figured she might as well make the most of it.After her last operation, she was released from the hospital.While crossing the street on her way home,she was killed by an ambulance.Arriving in front of God, she demanded,"I thought you said I had another 43 years.Why didn't you pull me from out of the path of the ambulance?God replied: "I didn't recognize you!"
2010年08月18日
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翌朝はTちゃんが日本に帰るのでフィレンツェの空港まで見送りに行きました。フィレンツェに国際空港があるなんて思ってもみなかったけれど、ローマの国際空港と違って市内からとても近くにあるので、フィレンツェにお住まいの人や観光客にはとても便利です。空港自体は鉄道の駅のように小さいので、ローマやミラノの空港に比べたら便ははるかに少ないです。でも日本人観光客グループも見ましたし、直行便で来られるヨーロッパ諸国の観光客もたくさんいました。意外にもおすすめの空港なのです。30分に一度出ているバスで、街に戻ってきました。8月15日なので車もまったく通らず、街まで20分とかかりません。国立考古学博物館へと足を向けました。エトルリア人の遺物や古代ローマ、エジプトのものなどが保存されています。イローナがフィレンツェに行くならここへ行け、と薦めてくれました。メディチ家の屋敷だったらしく、「メディチ家の長廊下」と呼ばれる廊下があります。そしてその先には、病のため見るも無残な容貌だった、17世紀のとあるメディチ家のお姫様が、他人の目に触れることなく、隣の教会を詣でることのできるように造った小部屋があるというのです。これを見たかったのですが、残念ながらこの日は公開していませんでした。監視員に尋ねると、企画展の時しか公開していないとのことでしたが、本当だかどうだか。フィレンツェにはこれを見にまた来なければなりません。メディチ家のお姫様が密かに参加していたのがサンティッシマ・アヌンツィアータ教会のミサです。入り口へ行くとすぐに教会なわけではなく、一旦、屋根付きの回廊のある中庭に出ます。珍しい造りだな、と思いましたが友人F氏によればもともとのキリスト教建築はこういうものだったそうです。それから教会内に入るとすぐの左手に受胎告知の聖母の礼拝堂というのがあり、たまたまこの日が聖母被昇天の日だったので、「受胎告知された聖母」の意味を持つこの教会では特別なミサがあるらしく、この礼拝堂に向かって、つまり正面の祭壇にお尻を向けた状態で、お祈りしていました。みんな反対側を向いているのでとても不思議です。1年のうちこの日しか見られないのかな、そうだったらラッキーと思いました。メディチ家のお姫様が覗いていた窓はどれかしら、と考えたりしました。フィレンツェの街は本当に小さく、この広場からもドゥオーモは見えます。お腹が空いたので駅前の中華のお店へ。京都大酒楼(Capitale della Cina)といいます。Largo Fratelli Alinari, 12-13 (Tel. 055-287703)日本人のグループも利用しているらしく、日本語メニューがあります。冷やしうどんが食べたいな、と思っていたところ、メニューに冷やし中華があったので即決しました。13ユーロ(約1400円)で、餃子、搾菜、スープも付いてきます。つけ麺タイプで、イタリアの中華屋さんにしてはおいしかったです。イタリアにいたら胃に染み入るおいしさです。もちろんこの日もGROMに行きましたよ。連日GROM。無い物ねだりなもので。この日はもちろんドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会)の内部も見てきました。花の教会と呼ばれているだけのことはあります。写真は夜の教会(右)と洗礼堂。ローマへの帰りも1時間半で帰れるユーロスター(片道44ユーロ)でなく、ちょっぴりのんびり2時間半のインターシティー(片道28ユーロ)で帰りました。旅のお供は谷崎潤一郎の『幼少時代』。取材をしているとはいえ、立派な作家は幼少時代のことをよく覚えているものです。明治時代の歌舞伎役者の芝居のくだりは特に興味深く読みました。ボンボン谷崎少年が主人公。古き良き東京の生活がうらやましく思えてくるほど、明治の頃が魅力的に書かれています。
2010年08月16日
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せっかくのホテルの朝食なので、サラミやチーズをはじめ、カップッチーノやクロワッサンまできちんと取りました。朝イチでドゥオーモ広場まで行きます。ジョットの鐘楼に上るんです。通称から、ジョットによって手がけられたことはお分かりでしょうが、実は彼は完成を見ずに亡くなってしまっており、建築はアンドレア・ピサーノによって引き継がれ、フランチェスコ・タレンティ、ルーカ・デッラ・ロッビアなどの手によって約25年後に完成したものだそうです。階段を上るのはおばさんには辛いです。ただ、塔は何層かに分かれているので、そのたびに小休憩ができ、しかも雨が降り始めていておそらく20度ないくらい涼しかったので、思ったよりも楽でした。わたしはエレベータ無しの5階(日本で言う6階、しかも天井の高いイタリア)のアパートに住んでいます。友人F氏が言うには、わたしはこのせいで階段に慣れているのだそうです。でもさすがにジョットの鐘楼のように85mも高くはありません。ここの上から見るフィレンツェの街はとっても綺麗です。フィレンツェはローマと違って茶色く見えます。ぬくもりのある茶色です。同じイタリアでもこんなに街の風景が違うなんて、とても不思議です。間近に見えるドウォーモの姿も美しいです。そのあとはミケランジェロのダヴィデ像で有名なアカデミア美術館のちょっと先にある、サン・マルコ修道院美術館に行きました。サン・マルコ教会脇の付属修道院が美術館になっています。ベアート・アンジェリコのフレスコ画『受胎告知』。修道院の僧坊の壁を飾る絵だったというのですから何という贅沢なことでしょう。天使のカラフルな羽と、天使と同様に聖母マリアが交差して胸に置いた手とが心に残ります。この時代の宗教画には大して興味もないわたしですが、これはあまりに綺麗なので絵葉書を買ってしまいました。『我に触るな』というキリストとマグダラのマリアの絵も見落とさないで下さい。わたしは見落とすところでした。漫画『チェーザレ』にも出てくるサヴォナローラもここで生活していたそうですし、コジモ・ディ・メディチの礼拝堂も見られます。食堂に掲げられたドメニコ・ギルランダイオの『最後の晩餐』も必見です。ヨハネは寝ているので何でだろう、お行儀悪いなあ、と思うのですが、寝ているのではなくて、ユダの裏切りにショックを受けてキリストに寄りかかっているのだそうです。雨が強く降っています。アルノ川を渡って向こう側の、おいしいという評判のトラットリア(値段設定低めで庶民向きのレストラン)、アッラ・ヴェッキア・ベットラにお昼を食べに向かいます。観光客にも有名ながら、地元の人も多く集まるお店のようです。このお店の名前を冠したパスタとフィレンツェ風ビーフステーキを頼みました。パスタはトマトとクリーム、唐辛子のソースなのですが、どんな配分でこの味が出るのか聞いてみたいほどおいしいのです。ちょっとでも配合が違うと、ここまでおいしくならないと思うので、そのデリケートな味のバランスに感激しました。フィレンツェと言えば、ビーフステーキです。わたしはおいしい牛は大好きなので、もちろん食べました。3人で頼んだのはパスタ1人前、ビーフステーキ2人前(1kg)、サラダ1人前です。それからこの近くにあるサンタ・マリア・デル・カルミネ教会へ行きます。ここで見るのはブランカッチ礼拝堂に描かれているマザッチョの壁画です。左端の『楽園追放』は教科書か何かで見たことがあります。アダムとイヴが追放されて歩いているのですが、イヴのこの上なく悲しそうな表情が怖いです。マザッチョは若くしてペスト(黒死病)で亡くなりました。このシリーズ画はマゾリーノ・ダ・パニカーレとの共作であり、最終的にフィリッピーノ・リッピが完成させたのだそうです。このあと寄ったジェラート屋さん。真夏とは思えないほど涼しかったので、ジェラートを食べようかどうか迷いましたが、結局入ってしまいました。コーン、カップとも1ユーロからあり、2つのフレーバーを載せてもらえます。ホテルのある広場はサンタ・マリア・ノヴェッラ広場と言います。これはこの名前の教会がここにあるからなのです。フィレンツェ中央駅の名前もコレ。ドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)と同じくらいフィレンツェにとって重要なのでしょうね。緑と白の大理石のコントラストが目を引きます。中は外から見る印象と異なり、荘厳なゴシック建築。尖っています。ロマネスク建築とゴシック建築の混在型なのだそうです。夜はカジュアルなかわいらしいお店に食べに行きました。わたしは牛フィレのグリーン・ペッパー・ソースがけとサラダ。ソースは生クリームが強すぎてちょっと残念でしたが、肉は柔らかくておいしかったです。わたしはクリームよりも醤油とか塩のしょっぱい味が好きなのです。同意見の方には牛フィレのグリーン・ペッパー・ソースならローマのジャニコロのスカルポーネをおすすめします。これよりおいしい牛フィレにはお目にかかったことはありません。肉の旨みもさることながらシンプルでもコクのある味付けに加え、グリーン・ペッパーのパンチがたまらないのです。帰りにGROMに寄ります。わたしはすっかりGROMの虜。ビター・チョコレートのアイスクリームをダラダラ垂らしながら食べて、子供たちに笑われています。
2010年08月15日
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世間では夏休み。ローマ、観光地である街の中心はともかく、ヴァチカンから歩いてたった15分ほどの距離ですがうちのアパートの辺りなんてガラーンとしています。誰もいない…。こんな8月にローマにいるのが好きです。毎日観光客を迎える仕事をしているわたくし。たまにはわたしもイタリアで観光客になりたい!ってなわけで、土曜日に休みを取って、土・日にフィレンツェに小旅行致しました。金曜日、仕事を早目にあがってすぐに駅へと向かいました。ローマからフィレンツェへは通常、ユーロ・スターと呼ばれる列車で約1時間半かかります。これが2等席で44ユーロ(約5000円)と貧乏人には超高いので、わたしはインター・シティという急行電車に乗ることを考えました。これだと旅行気分がゆっくり味わえる2時間半の列車に揺られる旅。2等で28ユーロ(約3000円)ですからお財布にも優しいです。わたしが乗った電車は夜7時発の夜行で、ローマ発ウィーン行きでした。毎日あるわけではないみたいで、たまたまだったのです。ウィーンまでちなみに約13時間かかるそう。わたしの車両にはミュンヘン行きと書いてあったから車両の切り離しでもするのかもしれません。アムステルダム行きのチケットが付いている自転車も自転車専用車両に置いてあって、いつもと違う電車なので見るのがとても楽しいです。わたしはもちろん寝台なんかには乗らず、コンパートメントなのですが、どこもドイツ人の若者たちでいっぱい。まさかこの子たちは冷房もないこの狭いコンパートメントで13時間過ごすのかしら…。ひえーっ。幸いこの日は寒いくらい涼しく、冷房なんかとても必要ありませんでした。この日の昼食はいつもの通りキュウリ、プチトマト、パルメザンチーズでしたが、夜はこういう事情だったためマックのバーベキュー・ラップ1つとチーズバーガー1つを電車の中で食べてしまいました。あゝダイエットよ…。明るいうちは外の景色を見ながらハンバーガーをかじり、小説を読みつつ、コンパートメント内の人々の様子を観察しながらの2時間半の旅。けっこういいものです。わたしはこういうふうにこの電車で過ごす時間、好きなんです。9時半に麻薬犬大活躍のフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅に到着しました。ヴェネツィアのF氏と従妹のT氏が迎えに来て下さっています。ありがとうございます。ホテルは駅からすぐ、サンタ・マリア・ノヴェッラ広場にあるホテル・ローマ。格安料金でしかも広いお部屋でした。他の部屋は知りませんが、素晴らしいホテルだと思います。ここはアメニティの量が豊富で、というのは石鹸が大きい上、歯ブラシや剃刀まであるのです。ビジネスでホテルを利用することの多いF氏によればチェーンのNHホテルにも歯ブラシはあるそうですが、イタリアのホテルには歯ブラシはまず無いと思って下さいね。リンスもないですからね。日本人があまり使わないビデ用ソープはありますが…。わたくしの働くホテルも例に漏れません。部屋に荷物を置いて向かうのは、もちろんジェラートのGROMであります。今回はヨーグルト、昔ながらのクリーム味、そしてレモン。やっぱり来て良かった~。これは前回昨年11月に行った時の写真。その時のブログはこちら。
2010年08月14日
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またまた本について。今読んでいる本はローマの遺産価格:3,990円(税込、送料別)美術評論家の故フェデリコ・ゼーリ氏の講演を本にしたこちらの日本語訳です。そしてまなさんに薦められて日本で買ってきた本がこちら。ベルニーニ価格:3,465円(税込、送料別)同時期にまなさんとSASA姉さんに薦められたのがこちら。キリスト教とは何か。 2010年 05月号 [雑誌]価格:780円(税込、送料別)雑誌だから綺麗な写真が多くて分かりやすそう。それからこちら、雑誌『旅』のヴェネツィア特集。ヴェネツィアと言えば…。そうです、こちらは友人F氏の仕事です。旅 2010年 07月号 [雑誌]価格:1,200円(税込、送料別)ちなみに明日からフィレンツェに小旅行してきます。
2010年08月13日
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この4日間で2度も。この時期、ヒマヒマであろうカラビニエリ(軍警察)に止められました。一度目は日曜日の夕方4時頃。ボローニャ広場近く。IKEAに連れて行ってもらうためにマッテオのバイクの後ろに乗っていて。免許証だけ見せれば済むのかと思ってボーッと座っていたら、「マミ、降りろ」と。免許証に身分証明書、保険や車検?とか全部見せるのです。スピード違反などの取り締まりとか言うよりも、手配人とか盗難車とか、ブラックリストに載っていないか調べる目的のようです。それから火曜日深夜、職場の近くでアリーナの車に乗っていて。ひょっとしたらアリーナ持っていないんじゃないかとヒヤヒヤしていると、突然、「チャオ」とだけ言ってカラビニエリはパトカーに乗り込み、どこかへ去ってしまいました。道路の先の方で何かあって応援に駆け付けなければならなかったみたいですが、何か一言言い残してくれよ。証明書を手に呆気に取られるアリーナ…。っていうかさー。こんな外人顔のわたしなんだからさ(しかもアリーナはルーマニア人)、ちゃんと調べろよ、って思います。2度目はもちろんですが1度目ですら、わたしには何の身分証明も求めませんでした。この怠慢が便利に働くことの方が多いから有難いは有難いんだけどね。わたしがテロリストだったら、マフィアだったらどうすんのさ。この国では空港のパスポートコントロールでも税関でも、調べられたことは一切ありません。けっこう厳しかったのはヘルシンキとロンドンです。強いて言えば、ある意味成田の税関(入国なのに…)。とにかく2回も遭った割に何とも拍子抜けな、いつものローマの風景です。ちなみに日曜のIKEA、クリスマス前ですらこんなじゃなかったよ、というくらいの混みようでした。隣接のショッピングセンターが閉まっていたから、ということもあったのですけれど。みんな海に行ってるんじゃなかったのか?あたくしは関係ないよ~ん。この週末、フィレンツェがあたくしを待ってるよ~ん。あっ、GROM行かなきゃ。ところで日本では新宿だけではなく原宿にもできました。えー、渋谷にもできるんだそうです。イタリアを味わいたい方は是非食べに行ってみて下さい。超高いけど、イタリアの味がしますよ。ちなみにおすすめは小倉と抹茶です。もちろんイタリアにはありません。傳太郎さんも最近行かれたそうです。ハイ、IKEAはこちら。GROMはこちら。
2010年08月12日
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昨日はお客様におみやげで三重のブランカというお店のシェル・レーヌを頂いてしまいました。A様、ありがとうございます。貝の形をしたマドレーヌなんですけれども、普通のバター味だけではなく、あおさのり、伊勢茶、蓮台寺柿の葉と、なんとも珍しい味が入っています。こういうのは本当に嬉しいです。と書きつつ、ダイエットを始めて2週間が経ったことを報告します。体重計に乗るのは、減らない数字を見るのが恐ろしいのでやめておきます。20kgくらい減った感じがしたら乗ります。会社で食べるお弁当として、キュウリ1本(太いものは半分)とプチトマト、パルメザンチーズの一口サイズになっているキューブ1個を毎日家から持って行っています。夏だからそれほど食欲もないのと、お招きにあったり外で食べることになったりした時はちゃんと出かけて食べていて、無理はしていないのです。日本から帰ってきてすぐアレクサンドラと竹寿司に行ったし、先週はニコリーナにうどんを茹でてもらったし、技術屋さんと玄海2にも行ったし、昨日は夜に鮭のパスタ半皿を食べてしまいました。その前の日も具なしの白い薄いピザを一枚食べています。わたしみたいなヤル気のない人間にはこのくらいのペースが合っているのではないかと思っています。そもそもなぜキュウリとプチトマトなのかと言うと、この間、母が「ハイ、おやつ」と孫(3歳と1歳になりました!)にキュウリを1本ずつ手渡し、彼女らがそれをポリポリ食べていたのが印象に残ったからです。あ、おやつはキュウリでいいのだ、と。野菜の中ではキュウリとプチトマトは好きだし、用意するのも持って行くのも楽なのです。味は日本のキュウリの方が身がしまってシャキシャキしていておいしいです。それにイタリアのキュウリには難点があって、それは皮を全部むかなければならないことです。硬いし、農薬のこともあるので、全部むくのが普通のようなのです。いつまで続くか分かりませんが、キュウリが店頭に並び続ける限り、毎日食べようと思います。日本は年がら年中どの野菜でも売っていますが、イタリアではちゃんと季節どおりに出ていることが多いのです。いつでも手に入らないのは面倒なことですが、健康的ではあると思います。ジムに通っているわけではないし、ちゃんと食べているので、傍から見たらダイエットに思われないかもしれませんが、今まで無制限で食べていたので、それに比べたらやっぱりかなり少量な上、健康になっていると思います。日本に2週間いるだけで、健康的な食事をしているという変化が体で分かる、つまり、わたしの普段の食生活はけっこうヤバイということ、恐ろしいほど増えていく体重と年々着られる服がなくなっていく現実、そして両親の雷、もろもろの理由でやっと決心しました。職場では確かに「デブデブ」と言われているけれど、それでもちやほやされるから(イタリア女性はこれで高飛車になる)危機感が完全に失せます。それがアナタ、日本に行ったらおシャレでガリガリの女性だらけの街に出て、ローマでは平気で歩けるはずのみすぼらしい服を着ているすっぴんの自分を見たら、そりゃ悲しくなりますわよ。食べたものを書き記すダイエットで成功した人がいましたが、わたしも毎日twitterで食べたものを書き残していこうかな。三日坊主にならなければだけど。マドレーヌもちゃんと書きます。
2010年08月11日
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伝説によれば、4世紀のローマ法王リベリウスの枕元に聖母マリアが現れ、「雪が降った所に教会を建てなさい」と言いました。季節は真夏です。そんな無茶苦茶な…。しかしなんと、西暦356年8月5日に雪が降ったというのです。雪が降った場所に建てられたのが、サンタ・マリア・マッジョーレ教会です。現在ではローマ四大聖堂のうちの一つに数えられています。この真夏の奇跡を記念して、特別なミサと、降雪を再現するイベントが毎年この日に行われています。人工雪を降らせるという夜のイベントを見に行ってきました。昨日は風が強い上に肌寒い夜でした。かつてこの日に雪が降った、と言われても奇跡と思わないくらい涼しかったです。段取りの悪いイタリアのイベント…。9時に始まると聞いていたのでカメラを構えて待っていても、素人のロックバンドの演奏や、ハレルヤの合唱をテープで流しているだけで(こんな大きなイベントなんだから生演奏くらいすればいいのに…)なかなか始まりません。わたしはいいけど、長時間立っているのもつらそうなお年寄りたちも待っているので、なんだかかわいそうでした。これもカトリックの試練なのか?と一人深読み…。みんなだんだんしらけたモードになっているのが笑えます。大聖堂のファザードや近隣の建物をスクリーンに見立てて、色鮮やかなライトを当てたショーが行われます。「平和」、「真実」、「奇跡」の色文字と前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の姿が映し出されて、アンチ宗教のわたしはちょっと興ざめ。わたしにとっては宗教は研究の対象としては大いに興味があるけれど、こういうのはちょっと苦手です。さて、いよいよ雪が降ります。映像は重くてここに載せられません(動画を小さくするのって、どうすればいいのですか?親切な方教えて下さい)。facebookに置いておきますので見られる方はどうぞ。サンタ・マリア・マッジョーレ教会は、テルミニ駅から徒歩ですぐ。美しいモザイク画、礼拝堂、ベルニーニ家の墓など見所満載。とても素晴らしい教会です。8月5日に、まあ、その日じゃなくても、ぜひ来てみては?
2010年08月06日
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エジプトのオベリスクを見に行くガイドツアーに参加しました。ローマの夏の夜は涼しくて、こんな歴史散歩にもってこいです。オベリスクというのは、ギリシア語で「串」を意味します。確かに串のように長細い、エジプトの神殿前に飾られる記念石碑です。ローマに来たことのある人は、どこかで一度くらいは見かけていると思います。世界中には本家本元のエジプトを含めて現在30基あるそうで、そのうちの13基がローマにあります。ローマに半分近くある理由は、紀元前1世紀にエジプトがローマ帝国の領内となったためです。初代アウグストゥスをはじめとした皇帝たちがエジプトから運んできたり、模倣して造ったりしました。ツアーは夜8時半に始まりましたが、ローマのこの時間はまだ明るいです。まずはナヴォーナ広場のど真ん中、ベルニーニによる四大河の噴水の中心に据えられた、高さ16メートル強のオベリスクです。これはエジプトのものではなくて、ドミティアヌス帝(1世紀後半)によるコピー品です。4世紀初頭になってマクセンティウス帝が自らの競技場の中央分離帯の装飾のために使ったのですが、その後は何百年も捨て置かれており、17世紀に広場を改修する際にベルニーニが彫刻の中心の装飾のために必要としました。出資者の一人でもあった銀行家ジョヴァンニ・トルローニアはマクセンティウス帝の競技場をはじめとするアッピア旧街道沿いの一帯の土地を所有していたので、これを提供できたわけです。奇しくもナヴォーナ広場はドミティアヌス帝の競技場跡です。それからパンテオン前のロトンダ広場にあるオベリスクを見に行きました。これは正真正銘エジプト製、ラムセス2世時代のもので、ドミティアヌス帝によってローマに運ばれてきました。ジャコモ・デッラ・ポルタによる噴水の中心として使われています。そこから歩いてすぐのところにサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会前の広場のオベリスクがあります。これもドミティアヌス帝がエジプトのヘリオポリスから、パンテオンのオベリスクと一緒に運んできたものです。このオベリスクはちょーかわいいです。なぜかというと台座が象さんなのです。ベルニーニ作です。最後にモンテチトーリオ広場のオベリスクを見に行きました。これは紀元前6世紀のファラオ、プサメティク2世時代のもので、ローマ初代皇帝アウグストゥスが巨大日時計の針にするために運んできました。 日時計の場所は今と少し異なります。現在ローマには13基のオベリスクがありますが、わたしがローマに来たばかりのころは14基ありました。その1基というのが、ファシズム時代にローマ帝国回帰を目指したムッソリーニがエチオピアから略奪してきたもので、2005年に返還されたのです。この話になるとイタリア人は、ルーブル美術館にはナポレオンが略奪したものが山ほどある、返して欲しいよな、とよく言い始めますが、わたしは大人なので何も言いません。オベリスクは特に16世紀のローマ法王シクストゥス5世によってまるでチェスの駒のように動かされました。彼はオベリスクを巡礼の指標としたのです。オベリスクまとめ!背の高い順(純粋なオベリスクの高さ)から(1) 場所 (2) 起源と経緯 (3) 最後に現在の位置に置いたローマ法王 (4) オベリスクの高さ (5) 台座、頂の装飾部分を含めた高さ(6) 台座周辺彫刻の作者Obelisco Lateranese(1) サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ教会(2) エジプトのファラオ、トトメス3世と4世の時代のもの(紀元前15世紀) ローマ皇帝コンスタンティウス2世(4世紀半ば)によって テーベ川沿いアメン神殿から運ばれてきました。 チルコ・マッシモの中央分離帯に使われていました (ポポロ広場のものとセットだった)。(3) 1588年シクストゥス5世(4) 32.18m (5)45.70m ローマのオベリスクで最も古いのは言うまでもありませんが、 高さはローマでだけではなく世界一です。 なんと230トンもあるそうです。(6) ドメニコ・フォンターナObelisco Vaticano(1) ヴァチカン市国サン・ピエトロ広場(2) エジプトのアレクサンドリアにあったものを カリグラ帝が持ってこさせました。 ネロ帝の競技場(現在のサン・ピエトロ)の 中央分離帯に使われていました。(3) 1586年シクストゥス5世(4) 25.50m (5)40m(6) ドメニコ・フォンターナObelisco Flaminio(1) ポポロ広場(2) ラムセス2世とその息子メルエンプタハの時代のものです。 ヘリオポリスの太陽の神殿からアウグストゥスが運ばせました (モンテチトーリオのものと一緒に)。 チルコ・マッシモの中央分離帯に使われていました (サン・ジョヴァンニのものとセットだった)。(3) 1589年シクストゥス5世(4) 24m (5)36.50m(6) ドメニコ・フォンターナObelisco di Montecitorio(1) モンテチトーリオ広場(2) 本文をお読みください。(3) 1792年ピウス6世(4) 21.79m (5)33.97m(6) ジョヴァンニ・アンティノーリObelisco Agonale(1) ナヴォーナ広場(2) 本文をお読みください。(3) 1651年インノケンティウス10世(4) 16.53m (5) 30.17m(6) ジャン・ロレンツォ・ベルニーニObelisco Esquilino(1) サンタ・マリア・マッジョーレ教会(2) ドミティアヌス帝による模造です。 アウグストゥス廟にあった2本のうちの1本(下のとセット)。(3) 1587年シクストゥス5世(4) 14.75m (5) 25.53m(6) ドメニコ・フォンターナObelisco del Quirinale(1) クイリナーレ広場(大統領官邸前)(2) ドミティアヌス帝による模造です。 アウグストゥス廟にあった2本のうちの1本(上のとセット)。(3) 1786年ピウス6世(4) 14.63m (5) 28.94m(6) ジョヴァンニ・アンティノーリObelisco Sallustiano(1) トリニタ・デ・モンティ教会(2) ポポロ広場のオベリスクの模造です。 クイリナーレの丘の北側にあった 歴史家サルスティウスの庭園から運ばれてきました。(3) 1789年ピウス6世(4) 13.91m (5) 30.45m(6) ジョヴァンニ・アンティノーリObelisco del Pincio(1) ピンチョの丘(2) ハドリアヌス帝がナイル川で溺死した愛妾(と言っても男の子) アンティノーに捧げて造りました。 郊外のヴァリアーノ競技場の中央分離帯に建っていました。 その後、アウレリアヌス帝の城壁、バルベリーニ宮、 ヴァチカンの松ぼっくりの庭などに移動していました。(3) 1822年ピウス7世(4) 9.24m (5) 17.26m(6) ジュゼッペ・マリーニObelisco del Pantheon(1) ロトンダ広場(パンテオン前)(2) 近くのサン・マクート広場(エジプト・コミニュティがあった辺り)で 1373年に見つかりました。 ミネルヴァ広場からヴェネツィア広場方面にかけては かつてのエジプト人地区であり、 現在のサント・ステファノ・デル・カッコ教会の辺りには イシスとセラピスの神殿があったと言われています。(3) 1711年クレメンス11世(4) 6.34m (5) 14.52m(6) ジャコモ・デッラ・ポルタObelisco di Dogali(1) ディオクレティアヌス帝の浴場跡(2) ラムセス2世時代のもので ヘリオポリスからディオクレティアヌス帝が持ってこさせました。 パンテオンなどのと一緒です。 1883年サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァで発見されました。 13基の中で発見された年代が最も最近のオベリスクです。 1887年エリトリア(アフリカの元イタリア植民地)の 戦没者の記念碑としてテルミニ駅前に置かれましたが、 1925年ディオクレティアヌス帝の浴場跡である 現在の位置へ移動しました。(4) 6.34m (5) 16.92m(6) フランチェスコ・アッズッリObelisco della Minerva(1) サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会(2) ドミティアヌス帝時代にヘリオポリスより運ばれてきました。(3) 1667年アレクサンデル7世(4) 5.47m (5) 12.69m(6) ジャン・ロレンツォ・ベルニーニObelisco di Villa Celimontana(1) チェリモンターナ公園 市所有の公園で、 夏には恒例のJAZZコンサートが行われています。(2) ラムセス2世時代のものです。 1582年には既にここにありました。 カンピドーリオの丘にかつてあったイシス神殿のもので、 元老院がマッテイ家に贈ったそうです。 チェリモンターナ公園は16世紀のマッテイ家の庭園です。(4) 2.68m (5) 12.23m
2010年08月04日
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昨日は、ボルゲーゼ公園内にある夏だけの仮設劇場グローブ・シアターにお芝居を観に行きました。この劇場は、名前からも分かるように、シェイクスピア時代の劇場を模倣しており、筒形で、上部が開いている木造の劇場です。毎年7月から9月の頭まで、シェイクスピアのいくつかの演目をイタリア語訳で上演していて、わたしはここのところ毎年1回は観に行くようにしています。2008年2009年昨日は『あらし(テンペスト)』の最終日でした。有名な舞台俳優のジョルジョ・アルベルタッツィが主人公のプロスペロを演じているので、お客さんの入りがよく、公演はとても盛り上がりました。わたしたちが取ったのは自由席であるアリーナ席です。シェイクスピア時代の劇場ですから、平土間で、地べたに座ります(もちろん家から座布団を持って行きます)。座席がないために、背もたれのある、少しでも見やすい場所を取る争奪戦が行われます。わたしたちも1時間半前から並びました。幸いアリーナ席の中ではかなりいい席を獲得。ホッ。でもお尻は痛いです。主人公は弟によって島流しにされた元ミラノ大公。その島に自分を追放した弟とナポリ王が、船の難破によって漂着するところから話が始まります。実はこの漂着は偶然ではなく、主人公プロスペロが自分を島流しした弟への復讐のために、妖精の魔法によって仕組んだものでした。プロスペロを演じたアルベルタッツィの芸達者なこと。なんと77歳です。長丁場で長台詞をいくつもこなします。狭い劇場ではごまかしはききませんから、本当に素晴らしい演技だったのだと思います。ラストシーン、観衆に語りかける独壇場が終わるやいなや、割れんばかりの拍手、スタンディングオベーションでした。ここのお芝居、いつも残念に思えるのが俳優が個々にマイクを使っていることです。屋根のない劇場なので声が散ってしまうからなのでしょうか。でもこんなに狭いのだから地声でできそうなのに、と思いました。イヤホンマイクが付いているのが見えるのも少し興ざめなんです。音も割れるからあまり良くないし。シェイクスピアの時代は絶対にマイクなんて使っていませんよね。舞台建築に詳しい方、教えて下さい。
2010年08月02日
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今回JALのイタリア便に乗るのは最後になりました。行きはローマからミラノまでアリタリア、ミラノから成田までJALの直行便。そして帰りは成田からローマまでJALの直行便でした。ローマ便、ミラノ便ともこの秋に廃止となります。この10年、日本への帰省の時にはほぼ毎回利用していたJAL直行便。ずっと存在するのが当たり前と思っていたのに、なくなってしまうなんて本当に悲しいです。直行便として今後唯一の選択肢となる某航空会社の、設備およびキャビンアテンダントのサービスとは雲泥の差です(JALは雲ですよ)。機内食はまずくて最後までほとんど食べられませんでしたが、機内食リクエストをするようになってからはわざわざ挨拶に来て確認してくれる丁寧さで、それは帳消しとなりました。外国人スタッフもかなりの日本語を話し、とても親切。機内誌SKYWARDはおもしろいし、機内販売はJALカードで10%OFF(JALの回し者ではありません)。昔(といっても数年前までですよ)はトイレに使い捨て歯ブラシもあったし、わたしの好きな女性誌は読み放題、ポッキーもおかきも取り放題でした(だから潰れた?)。OBでビジネスクラス、というおいしい思いも2~3度させて頂きました。残念ながら、もう乗ることはありません。長い間、お世話になりました。risoさんもこんなふうに悲しんでおられます。JAL贔屓だった在伊日本人の皆様は今後どうなさいますか?直行便として今後唯一の選択肢となる某航空会社には乗り替えたくないんです。この間の往復400ユーロみたいに安ければ別ですけれど。ルフトにしようかな、フィンエアかな、エールフランスかな。乗り継ぎで帰らなくてはならない地方出身の方、もしくは直行便のもともと無い海外の都市にお住まいの方には、贅沢に聞こえてしまうかもしれないので大変申し訳ないですけれど。JAL、羽田⇔パリ便というのができるそうですね。パリ在住の方がうらやましいです。
2010年08月01日
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