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前回の日記で書いたように 子供の頃の我が家は年中お金が不足した状態でした^^;
ところが その事を気に病んでイジケていたのは私だけで 母や弟達は 私には理解できないのですが 「明る~く貧乏生活」 を過ごしていました。。。
(父もマイペースなのでお金の心配をしている様子はありませんでした・・・;;心配しないから貧乏だったのかな~^^;)
弟達に会って子供の頃のビンボー話になっても 弟達は楽しそうに 「中学から新聞配達していたのぼくたちだけだよね~^^♪」(自慢) とか 「高校生になってお袋に『お小遣い頂戴』って言ったら『働かない子にはあげない。』って言われて バイトしたら『お給料貰っている子に何でお小遣いあげなきゃいけないの!』って言われたよ~^^」 とか。それくらい。。。
弟達は朝から晩まで近所の林や川でドロドロになって遊んでいて それで毎日とても幸せそうでした お金の心配も(それから勉強も)したことが無かったようです。
しかし 一番危機感を感じるはずの母も あまり気にしてはいなかったのです。。。
学校の集金のたびに家中のお金をかき集めたり 「貯金は無いよ~。」なんて話を聞くと 私はもう不安でいっぱいになるのに 母はへっちゃらでした。。。
「お金が無くても 本当に必要な時には不思議とどっからかお金が来るんだよね~ それにお金がちょっと貯まると誰かが怪我したり病気になったするから 無い方がいいのかも♪」 なんて言ってました;;
母は引き寄せの達人です・・・
(電子レンジやテレビゲームも友だちの家にはまだ無い頃から どこからか引き寄せていました。)
そして お金が無いのに生活を妥協しないのです。
どうしても気に入った食器や洋服 絨毯などがあると 突然高級なものを買ってきたりしていました^^;
でも その時の母の嬉しそうな顔を見るのは私にとっても とても幸せで 母の説明をワクワクしながら聞いていたものです^^*
我が母には『後先考えず』 という言葉がぴったりです。
今だけを見て 前も見ずに 全力疾走です。
小学生の頃 2、3年間 母子家庭だったことがあるのですが その時に 『母子家庭のためのバスツアー』のような支援行事があって どこかの海に行った事がありました。
その時のイベントで 目隠しをした母親を子供が誘導してポールを回って帰って来る というゲームがあり 一等の商品が高性能な炊飯器でした。
母はやる気満々!!
よーいドン で子供をおいて一人全力疾走していきました。
司会者も大うけ 他のお母さん達はよろよろと恐る恐る歩いているのに・・・^^;
そして当然コースを外れて ボランティアのお兄さんに激突 しかし母は子供の名前を叫ぶと「どっち!!」と方向を指示させ 再び全力疾走!
ダントツ 一位でゴールし 炊飯器をゲットしました^^
このレースが母の生き方をとても表しているな~と私は思っています。
目隠しで走って 転んでも さっと起き上がって走り出し そして転んだことすら覚えていないのです^^。 そんな母ですから人生も波乱万丈 その子供(能天気でない)は大変です。
私には一生真似できません。。。
私は心配性で 人見知りで そのくせ人の目を気にする子供で 面倒なことに無意味にプライドが高かったのです。。。
貧乏家で生きていくにはとても不向きな子供でした^^;
(貧乏家で能天気な家族に囲まれ だいぶ性格は矯正されました・・・。)
ですから 昭和という時代は 私にとって 『暗くて 怖くて 悲しくて 重くて 長~い』 最悪の時代でした。 3K+O+Nです。
近所の怒りんぼうのおじさんも 虫を殺す子供も 不治の病も とっても怖かった。
学校で過ごす時間も 下校後の一人ぼっちの留守番も 一年間も とっても長かった。
そして 歌謡曲も 夜のネオンも 空気自体も 虚しくて 悲しくて 重たく感じたのです![]()
つい最近まで 私は 『昭和恐怖症』 でした。
昭和の時代の映像や 昭和時代のドラマや映画なんか観ると 虚しくてへろへろになってしまうのでした。
ところが その恐怖症が突如 完治したのが 今年の2月の末でした。
私の感じるこの世界に光りの量が増えたように感じた後から 『昭和』が怖くなくなっていました♪
まるで 心にあった 『昭和の傷』 にかさぶたが出来たように 今は『昭和』のことを考えるとちょっとくすぐったいような気持ちになります。
変な話でしたが ずっと怖かった 『昭和』 がやっと怖くなくなったのでした![]()
変な話にお付き合いいただいてありがとうございました![]()


水鉄砲で遊ぶ兄弟 崖がジャングルと化しつつあります。。。
夏が怖い~