「非情銀行」



 「おい先輩が捕まったぞ。」
 「だれだ。」
 Aは、神奈川県の住友銀行青葉台支店長が、仕手グループ光進への100億円迂回融資をしたとして、逮捕されたことを告げました。

 住銀本店は一支店長が単独でやったことだと鉄面皮に主張しました。

 これが今も続く金融危機の濫觴(らんしょう)であったとは当時誰一人として知る者は無かったのです。


 さてこれは第一勧業銀行築地支店長だった、江上 剛 氏の小説です。

弊社の東京支社は築地の本願寺前にあります。東京支社員は江上さんの顔も良く存じ上げているようです。

 大学時代のクラス会で江上氏のことに言及すると、銀行員(元銀行員)あがりのクラスメートはあまり良いことを言いません。というよりは、かなり評判が悪い人です。
 何故かの真相はわかりません。

 「正義と嫉妬」が入り混じって、激しい罵詈雑言となるのかなと思ったりします。

 「彼は偉いよな。学生時代に井伏鱒二のところへ訪ねて行ったら、早稲田の学生が来たのは八年ぶりだと,たいそう喜んだらしいぜ。」と申しますと、(我々はその勇気がなかったのです)

 「そんなの嘘だー。あいつの作り話だー。」てなぐあいです。

 「造反組みだと言って反抗しておきながら、さっさと支店長になって出世しておいて、またさっさと退職しゃがった。」(下品な表現お許しください。酒の席のうえですから)

 私は銀行とはお門違いですから、真実はどこにあるかわかりません。

 「お前たちも江上氏の小説に異議があるなら、何でも書いてみろよ。俺の新聞に連載するよ。書け書け。」と言うのですが、

「自分だけ良い子になるような嘘は書けない。」とのたまう友人もおみえでした。
 「なに言ってんの。小説と言うものは嘘を書くものじゃないか。」と言ったのは私です。

 さて小説の感想ですが、「『銀行と雑居ビルとホテルの宴会場、居酒屋とアパートと住宅』しか建築が出てこないのだね。」と言う語に尽きます。

 銀行員は博物館や美術館には行かないのでしょうか。

 「銀行以外にも勤め先はあるだろうに。自営しても良いじゃないか」

 「青い海原もあれば、緑の山もあるじゃないか。」と言う感がします。

 銀行員という職業に限らないですが、あらゆる職業(新聞記者はもちろんです)は本人たちが思っているほど、偉いとか社会的地位が高いとは、一般的には思われていない場合が多いのです。

 銀行員の場合は、取引先は金を借りねばならないですから、ていそつに扱われるだけです。

 銀行は大きな金融機関です。ゼネコンも大きな組織です。

 しかし、自分はそこに勤務しているだけであることを勘違いすると、組織からの離脱を強いられたとき、悲劇が起きることもあります。

 「銀行を良くするために我々は立ち上がったのだ。」と自己陶酔した小説では、金を払っているお客様である読者のなかには鼻じろむひともいるでしょう。預金者も同じです。

 ビジネス小説とはこういうものなのでしょうか。事実に近い「衝撃的な材料」をアレンジして、数人の男女を配して淡い恋をちりばめるものでしょうか。
 かつて(またまた古い話で恐縮です)元総評議長の太田薫氏が「最近評判の小説を読んでみたら」とインタビューに答えていました。

 「されど我らが日々ー」という近頃評判の小説を読んだがなんだね、あれは。
 中間小説とでもいうのかね。中間層の読む大衆小説とでもいうのかね。

 大学の大衆化とともにあの程度の軽い小説が受け入れられる時代なのか。
 (我々の青春時代は、いかに生きるか、なぜ人は生きるか、社会にどう貢献するかを模索する時代だった。)

 太田ラッパありせば、「非情銀行」をどう評したでしょう。


 大企業に勤務する友人の顔がちらついて、書き難いのでこれまでにします。

 エー、江上さんに置かれましては井伏鱒二最後の弟子だそうですから(自称か他称かはまだ裏を取ってませんが)、百年はもつような小説を期待します。

 妄言多謝




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