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Ryu-chan6708

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2006.07.10
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カテゴリ: 読書感想

:この本は 日本の身体文化の知的街道 の重要なハイライトだね。この本はジャーナリストの田中聡氏がまとめたものだが、そのエッセンスは、この本文の最後の数行に圧縮されているようだ。

「これから、きっと日本は危機的な時代を迎えるのだろうが、だからこそ、理念を掲げて制度の延命をはかったりすることより、まず、自分の歩き方を見直してみたりすることのほうが重要なのだと思う。
悠長で迂遠なようだが、身体観が変わらない限り、もはや変革すべき事態の核心には届かないのだ。
いや、そんなことより、なんといっても、生きることが面白く、楽しくなる。それは強くなることでもある。それこそ、今、もっとももとめられていることではないのではないだろうか。
身体から、すべては変わるのだ。」


 ここで言う 身体観 とは、近代の頭脳を尊重し身体を軽視したものから脱して、身体感覚と意識を一体化するどころか、 身体感覚の幅を広げることが、思考の幅も広げるという、全体を統合した身体観だ。

「ハイコンセプト」 は英語で A Whole New Mind と言うように 右脳中心の左脳との新しい合体 だね、
 これに対し、甲野氏の身体観は 身体感覚中心の脳と身体の合体だからA Whole New Body

A氏 ナンバ で有名になった甲野氏だが、その発想はかなり独特なのだね。いろいろな分野で効果を出しているようだが、何故、飛躍的に拡大しないのかね。

私: ナンバ については江戸時代の日本人の歩き方が意識的なナンバであるというのは、誤解であると甲野氏はいっているね。ただ、 西洋式の腕を大きく振るということはなかったらしい。
 この本を読んで分かったが、野球、フルート演奏、介護など、従来の近代の身体観を全く否定しているのだね。
 それは、しかし、 それに基づいたスポーツのプロの基本的な身体観の否定にもなる。 スポーツでも個性的な工夫を尊重する。
 だから、怒鳴る高校野球に大いに批判的だ。しかし、怒鳴る高校野球が支配的なので、甲野氏のやり方を取り入れようとすると、当然、まわりから抵抗勢力の圧力がかかるらしい。

A氏 伝統技術の武術と反対のことをやっている高校野球の甲子園で、国歌と国旗を掲揚するのは矛盾かね。

:今、俺の行っているスポーツクラブで甲野式をとりあげたら、トレーナーや筋力増強用のジムの機械は全部要らなくなりそうだ。当然、抵抗はあるね。

A氏 :一種の抵抗勢力があるのだね。強大な―――。


 武士は、いつも敵が襲ってきてもいいように、 準備運動 などない。疲れて汗をかかないから 整理運動 もない。 うねり系 の動きも極力なくす。 筋力 もあまり使わない。だから、近代スポーツの トレーニング 部分的な筋肉強化 もない。個人的な身体感覚で思考する。 体系的な理論やマニュアル はない。
 そして、面白いのは、体の動きは日常生活と同じだ。日常生活の動きがそのまま、仕事の動きの工夫となる 常在戦場 だ。
 まさに 武術発想 だね。

 近代スポーツは、日常生活と専門的なスポーツを切り離した。そして、専門化した。それはスポーツのマニュアル化、頭脳化となった。個性を失った。それは身体の微妙な感覚を同時に失った。養老孟司氏のいう 身体の卑下と脳化の拡大 だ。
 甲野氏は養老氏を「人生の師」と呼び、十数年来の付き合いだという。

A氏 :身体を区別して、下に見る考えは、身体の個性を軽視する考えにつながることを養老孟司氏も言っているね。

:だから、個人的な身体の動きは感覚的で、一般的な表現が難しい。情報化が難しい。養老孟司氏が 情報は死 だといているように、人間のほうが常に変わっている。

A氏 :たしか、甲野氏も常に改善をしていると言っているね。ナンバよりももっといい方法が開発できるかもしれない。
 日常改善が重要だとして成長している トヨタ や衣料の しまむら の経営活動に似ているね。
 そして、すぐに実際にやってみるというのも、 トヨタ語録の百見一行 に似ているね。

:面白かったのは ゴルフ のことだね。俺はゴルフはやらないが、テレビはよく見る。
 甲野氏もゴルフはやらないが、もし、真剣に職業としてやるなら、 球を打つときに、球を見ない。打つ方向を見ると言う。 これは西部劇で鉄砲を撃つときに鉄砲を見ない。打つ相手を見るのと同じだというわけだ。

A氏 :なるほど、発想の原点が違うわけだ。甲野氏以外にこの街道で日本文化の特徴として 蜜息 」「骨盤後傾」「腰ハラ文化」「息の文化」 と続いたが、甲野氏の考えも同じかね。

甲野氏は、「息」のことはあまり言っていないね。 型にするほど、きまったものはまだ、ないらしい。動作に無理がないということは、そのまま、息も楽であるということかもね。
 それから 、「骨盤後傾」 のところで述べていた 日本人の得意な引き手には疑問視しているね。 ノコギリは西洋人でも引くという。

A氏 :「 まず、自分の歩き方を見直してみたりすることのほうが重要なのだと思う 。」というこの本の趣旨を生かすとすると、最初、日常生活のどこから手をつけるかね。

:日常生活ですぐ使いだしたのは、今月二ヶ月になる 孫を抱くときの抱え方 だ。
 まず、肩の力を抜いて片手で抱いて、次にもう 一方の手を肩の力を抜いて手の甲を上にして肘までいれてから、裏返して抱く。 こうすると肩に力がかからないという甲野氏のアイデア。これは武術の応用だ。
 それから、 ウオーキング だが、どうもマニュアルにある手を大きく振るのや、ひざ裏を延ばすのは 安定感 に乏しい実感がしている。少し、自己流を考えて歩くよ。
 思考にどういう影響を与えるかね。
 本当に 愛国心 を論ずるなら、日常の生活活動を変えないと空論だね。

身体(からだ)から革命を起こす





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Last updated  2006.11.19 09:04:36
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