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Ryu-chan6708

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2013.02.08
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:著者は、 原始時代の教育 を考えるときに 、(1)出産、育児 、( 2)生産、生活技術の伝承、(3) イニシエーション の3つを基本観点としているという。

A氏 イニシエーション というのは、成人となり、大人の仲間に入るときの「 通過儀礼 」だね。
肉体に傷をつけたりして、これに耐えるテストに合格 すると成人として認め、大人の仲間に入ることが許される。
 今、 成人式 がこの伝統をわずかに残しているね。

縄文時代 の遺骨に多い「 抜歯 」は縄文人の イニシエーション のあとではないかという説が有力であるという。
 ただ、これは罰とか「体罰」とは異質だね。

縄文時代 の子どもは裸同然で山野を走り回っていただろう。 だから、現代人よりは動物に近い皮膚を持っていただろうから、「 体罰 」という意識はなかっただろうね。

 しかし、 奈良・平安時代 になると、「 体罰 」が鮮明になる。
 「 万葉集 」に当時の里長が、民衆を ムチ打つ ことが出てくる。
奈良時代後期 に官吏養成機関である 大学(寮)の規定 には、 ムチ打ちの罰 の規定がある。
 当時は 貴族の家庭 でさえも、 ムチ打ち が行なわれていたという。
 「 規定 では、祖父母、父母の教えに従わない子どもを 殴打 して戒めることが許されていたという。

A氏 古代国家 では「 体罰 」的風潮が強かったようだね。

:しかし、 天台宗 の開祖 、伝教大師 最澄 は、今日、知られている わが国最初の「体罰」否定論者 だという。
 「 手で児童を打ってはならないし、違反するものは同志でない 」としているという。
 後の江戸時代に一般的となる 「体罰」忌避の先駆 となっている。

 しかし、中世では、まだ、下の者に対する「 体罰 」は存在していたようだ。

A氏 禅宗 はどうかね。

:中国化され、もっとも中国人的な仏教とされる 禅宗 は、 6世紀 達磨 によって始められる。
 「 悟り 」の境地に達するには、艱難辛苦を耐えねばならず、「 悟り 」の契機として師から「 体罰 」を含めた 無理難題 苦痛 を課せられることを必要不可欠としていた。
 しかし、中国の 北宋 時代には、「 体罰 」の抑制を考える方向も出てくる。

日本の禅宗史上 、注目されるのは 道元 だね。
道元 は、「 他の人の間違いを見て、いけないと思ったら、相手が腹を立てないように教え導くべきである 」と言っているという。

A氏 道元 は、「 体罰 」の 完全否定論者 ではないが、「 体罰 」の 本質的な非教育性 を洞察し、教育としては抑制すべきだというわけだね。

;明日は、日本の近世の「体罰」に移ろう。






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Last updated  2013.02.08 21:11:20コメント(0) | コメントを書く


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