ACT・3


「明郎、あの状態をどー考えまする?」
「一触即発、嵐の前の静けさ、天変地異の前触れ、トイレに行きたいのをがまんしている・・・のうちから選べ」

 ここ、男子寮320号室の思いっきりすみに身を寄せて、陽平と明郎は小声でささやきあった。
 窓辺には、何か物思いにふけっている様な一郎が、満天の星空を見上げており、たまにため息をついたりする。この様な光景はいままでなかった。
 あの根っからの単純男、一郎が物思いにふけるなど言語道断。
 はっきり言って、陽平と明郎には信じられない。
 故に、何かの前兆ではないか?という話になり、恐ろしくて二人とも一郎に近づけないのであった。

「なあ陽平、お宅一郎に話しかけてみれば?」
「冗談!やでござるよ、触らぬ神にたたりなし、そういう明郎こそやればよいのでは?」
「・・・オレだって命はおしいよ、うわわっ!」
 一郎がのっそりと立ち上がって、二人の方へ振り向いた。
 その、何かに取りつかれたような目つきに、陽平と明郎は金縛りにあった。

「・・・は・・・」
 ぼそりと一郎は遠い目をしてつぶやいた。
「腹がへった・・・」
 とたんにグウ、と一郎の腹の虫が響く。

 そういえば一郎は夕食も食べずに、ずっと空を見つめていたのだ。
 暴れ出すんじゃなかろうかと、びくびくしていた陽平と明郎はひとまずほっとする。
「それじゃ非常食をば」
 と言った数分後には、三人は黙々とラーメンをすすっていた。

 ちなみに、一郎の食べているのはこってりした「みそラーメン」
 陽平の食べているのは、これぞ元祖「しょうゆラーメン」
 いやいや、やはりあっさりしたものが、と明郎は「海鮮ラーメン」
 などと、三人とも好みはバラバラである。

 ずずずう、とスープを味わって一郎が顔を上げた。
「・・・お前らさ、どう思う?」
 ふいに、陽平と明郎にたずねる。

「んー?やっぱり“しょうゆ味”でござろう。何と言っても元祖でござる」
「なぁーに言ってんだい。社会は日々変化しているんだよ、元祖だなんて過去の栄光さ。現代人にはあっさりした“海鮮”が合うのさ!」
「む、本当にそうかな?オレとしては“みそ”の力強く男らしい味が好みなんだけど・・って、おい!ちがうっ!」
 いきなり一郎が叫ぶ。
「誰がラーメンの話をしてるっ!」

「ちがったでござるか?」
 きょとんとして、陽平は問い返した。
「いつものように、活発かつ白熱した議論の始まりかと思ったのでござるが」

 この三人は、そんな下らん論争を日々続けているらしい。

「だーっオレは今日の一件の事について聞いてるんだよ!」
「あ、その事ね」

「さっきからずっと考えてたけどよ、オレはあのFOSとかいう人さらいどもが、このままおとなしくひっこむとは思えねェ・・・おまけにあの和美ってのは何者で、どーして狙われるのかも判らねえんだ」
「はて、そーいえば」
 言って、陽平は首を傾げた。その隣で明郎がメンをすすりつつ、
「ま、この学校へ転入してくるんだから、謎のひとつやふたつは持ってても珍しくないけどね」
 ずず~と、スープを飲みほして言った。

 確かに、この『斎木学園』という学校は普通の高校ではない。
 その特長のひとつに、転校・転入する生徒が異常に多いということがある。
 それだけならいい。
 単に転校・転入が多いだけなら何ら問題はないのだが、不思議なことに転入生に限ってひとくせもふたくせもある連中ばかり集まってくるのである。

 例を挙げれば、一郎と陽平も実は、一年生の終わりに転入してきたのであった。

 ケンカっ早さとタフネスでは類を見ないトラブルメーカー。
 忍術の修行をしている高校生。

 こんな連中が普通の高校に存在するだろうか?
 それにいずれ劣らぬ、個性あふれる連中が通っているのである。

 ここ斎木学園では、大小さまざまな事件がしょっちゅう起こっているのだ。

「ホントに、あの子は何者なんだろうね」
 明郎はため息をついた。

 静まり返った部屋の中に、時計の音がやけにはっきりと響く。
 時刻は十一時をまわっていた。

「むっ!」
 ふいに、一郎は小さくつぶやいて、人指し指をぴんと立てた。静かにしていろと、二人に合図する。

「何だい?」
 明郎が小声でささやくと、陽平が辺りの気配を探った。
「誰か、窓の外にいるでござる」
「な・・・ここ四階だぜ?」
 ささやく明郎をよそに、一郎と陽平は音も無く窓際の壁にすり寄った。
異常なほど敏感な二人には、壁を通り抜けてくるそいつの気配を感じとることができた。

「お?」
 それが、ぷっつり途絶える。

 存在がバレたことに気づいたらしい。気配が消えたのを逃げたと勘違いして、陽平が飛び出そうとした。それを、一郎が目で制する。
 気配は消えたが、やつはそこにいる。何者かも判らないのに、無防備で出ていったらどうなったか。
 完全に気配を消したまま、少しずつやつは移動し始めた。
「ど、どうなったんだい一郎?」
「うるせえ、静かにしてろ」
 そして、さらに一郎は窓の外にいるやつに神経を集中し、居場所を確かめる。

 一郎たちの部屋、すなわち男子寮四階三二〇号室の窓の外はヒマラヤ杉などが密集して生えている。その一本の枝の上にやつはいた。

 猫のようにひっそりと、こちらをうかがっている。
「あののぞき魔ヤロウ、とっつかまえて何探ってるのかしゃべらせてやる!」
 一郎はこう言うのと、手にしたカップラーメンを投げつけるのと同時に行った。そしてすぐさま窓から身を乗り出し、手近な杉の枝に飛び移る。
 両手で枝をつかみ、そのまま鉄棒の選手よろしく大車輪を行い、次の枝に飛び移った。
 その間に、投げたカップラーメンが外れたのを確認した一郎は、舌打ちした。

「くそォ、やっぱ全部食べてから投げればよかったな、もったいない」
 相手の身のこなしや、すばやさに驚くとかいう考えは、一郎の頭にはつまっていないらしい。

 相手も追ってくる一郎を確認したのか、素早く移動し始めた。一郎がさらに追う。
 ふたつの人影が、枝から枝へ舞う。
 落下に対する恐怖はないのか、ものすごいスピードである。
 猿でさえ、追いつくことはできまいと思われた。
 そんな地上四階の高さをも恐れない二人だったが、スピードの点で、一郎がわずかに勝っていたようだ。
 追いついた一郎から、なお逃れようとして別の枝へ飛びかけたそいつの足首を、一郎はがっちりつかまえてそのまま下へ振り落とした。

 殺すつもりじゃない。

 一郎もそいつめがけて逆さに飛び降り、襟を捕まえたところで、片手を枝に引っ掛けてぶら下がった。
 月齢十三日目の月明かりの下で、右手に人間、左手で枝にぶら下がっているのは、とてもシュールな光景だった。
 一郎はその状態で尋問を始めた。

「やい、てめェ一体何者だ、何でオレたちを探ってやがる?」
 男は何も答えなかった。
 宙づりの状態になっても、まだ余裕が残っている。その証拠に・・・・男はくっくっと低く笑い出した。襟をつかまれているせいでぎこちないが、肩をすくめる。

 にこやかな男の顔が、一郎を見上げた。

「沢村さんの言ったとおりだね、たいした腕だよあんた」
「何だ?沢村って誰だ?それに・・・お前は・・・」
 一郎、きょとんとする。

「ま、オレのことは知らなくて当然だけど、ほら、“すくらっぷ”のマスターだよ。で、オレの名前はね」

 一郎は、ようやく思い出した。
「ああ!てめえは昼間のライフル野郎!」
 男はウインクひとつして、
「オレは沖田 省吾、よろしく」と、言った。

「相沢 一郎だ、よろし・・・と、なんでよろしくしなきゃならねェんだよ」
 くわっと牙をむいた一郎に、省吾、くっくっと笑って、せきばらいをした。
「いや、沢村さんからあんたの話を聞いてね、ちょっと興味がわいたもんだから」
「なぁにが興味がわいたから、だ! オレの方こそ聞きたいことは山ほどあるんだ。まず、お前とあのマスター・・・・沢村っていうのは何者だ?それに、昼間のヘリコプターだ、FOSっていうのは何だ?そしてもうひとつ、和美って娘は一体何者だ!」
 しばらく、省吾は何も言わなかった。顔を上げて、一郎の顔をのぞき込む。

「どこまで言ったものかな・・・うーんそうだね、まず言えることはオレたちは味方だってことかな。そしてFOSについては、和美さんを利用するため力づくでさらおうとしている悪いやつら、とでも言っておきましょう」
 ヘラヘラしながら省吾は言った。

「和美のことは?」
 一郎が聞く。
「彼女の事なら、本人に直接聞いてみたら? オレもそろそろ行かなきゃならないんでね」
「おい、まだ話があるんだ離しゃしないぜ」
 一郎は、省吾の襟をつかんだ手に力を込めた。
 一郎の怪力で握られているのである。省吾はどうやってこの状態から逃れるつもりだろう? 余裕たっぷりだ。

「グッナイ」
 そう言って、省吾は笑顔で敬礼した。
 その笑顔が、一郎のまぶたに焼きついた。と、同時に一郎の手の中から省吾の姿は消失してしまった。

「何ィ!?」
 一郎は呆然と右手を見つめた。今まで確かにあった人間一人分の重量がこつ然と消えてしまったのである。

───なんの冗談だ?

 この時、一郎の頭の中に『不思議の国のアリス』に登場する、空中に「にやにや笑い」だけを残して消える、『チェシャキャット』の姿が浮かび上がっただろうか。
月光が杉の林を照らし、一郎の姿を優しく包み込んでいた────。

         ☆         ☆         ☆

「やあ一郎、どうだった?」
 数分後、一郎は部屋に帰ってきた。明郎と陽平が窓から出迎える。
「曲者には逃げられたのでござるか?」
 答えず、一郎はむっつりと黙ったまま部屋に入り、ベッドに横になった。

「?」
  明郎と陽平は顔を見合わせた。
 一体、今のわずかな時間に何があったのか、一郎はさっきまでと同じ状態に戻ってしまった。
 と、思ったら、
 がばっと、一郎は身を起こした。

「陽平、お前の忍び道具見せてくれ」
「へ?・・・いいでござるよ」
 少し戸惑いながら陽平、ナップザックをタンスから引きずり出し、中にある忍び道具を床に並べた。
 どこにそんなに入っていたのか、と不思議に思うほど数が多い。

一郎はその中から、カギナワを取った。

「これ、借りてくぞ」
「別にかまわんでござるが・・・何に使いまする?」
「ちょっと夜這いに行ってくる」
 そう言うと、一郎は再び窓から外へ飛び出して行った。後に残された明郎と陽平、きょとんと顔を見合わせる。深いため息をついて、一言。

「ついに一郎がおかしくなったか・・・」
 明郎は十字を切り、陽平は必死で念仏を唱えた。

         ☆         ☆         ☆

 月光の降り注ぐ中、一郎は女子寮の前で困っていた。
 大事なことを忘れていたのである。

「しまった、和美の部屋って何号室だ?」
 しばらく首をひねって、出直そうかと考えていた一郎だったが、四階のとある一室からかすかに聞こえる悲鳴と怒鳴り声を聞いて、考えを変えた。
「よし、あいつに聞こう」
 一郎は肩にかけたカギナワを、女子寮の屋上へ投げつけた。が、ロープが短くそこまで届かない。

「しょうがねえな」
 一郎は、軽く舌打ちすると少し考えた。が、すぐ決心して建物めがけて走り出した。
 壁が目前に迫る。
 と、ぶつかる寸前で一郎は真上へ飛んだ。異常な跳躍力に物を言わせ、ぐんぐん上昇するが二階までが限度だった。みるみるスピードが無くなっていく。
 まずい、こりゃ落ちる。
 そう思った時、一郎は壁に足をついた。

 今、一郎が行っていることはニュートン力学への挑戦だろうか、はたまた、ただの冗談だろうか?
 壁に足をついた一郎は、そのまま上へ壁を走り出したのである。

         ☆         ☆         ☆

 さて、ここは弥生の部屋、今やこの部屋は戦場と化していた。

 昼間起こったヘリコプター爆発事件により、新聞部で号外を出すことになり、編集長である弥生のもとで、下っぱ一年生がカンヅメになっているのだ。

「いい?新聞は早さが命よ。明日の朝に間に合わせるんだからね!」
 愛用の木刀“修羅王”を片手に、弥生は怒鳴った。途端に、夢中でペンを走らせている少女たちが悲鳴を上げる。

「え~ん、先輩かんべんしてくださいよお」
「ねむいよ~、お腹すいたよ~、テレビが見たいよ~!」
「口を動かす前に、手を動かすっ!」
 びゅっ! 叫びざま、弥生は修羅王を振った。

 ただの素振りなのだが、その音たるやすさまじいもので、少女たちはぴたりと騒ぐのをやめ、再びペンを動かし始める。
 窓もカタカタ揺れていた、とんでもない素振りだ。噂では、弥生に修羅王で打たれればブロックでも砕けるそうである。一体、どこのどいつが弥生に剣道なんぞ教えたのだろうか、迷惑な話だ。
 しばらく、ペンのサラサラいう音だけが部屋を満たしていた。
 弥生は壁によりかかって目をつぶり、その音に聞き入っていたが、ふいにぱちりと片目を開けた。

 こん、こん。 と窓が鳴っている。何かが当たっているのか?
 こんこんこん。 また音がした。多少あせっているようでもある。

「何よ?一体」
 前髪をかき上げながら弥生、窓を開ける。が、誰もいない、ここは四階だ。
 キョロキョロと周りを見回していると、ふいに下から声をかけられた。

「よう弥生、和美の部屋って何号室だ?」
 ぎょっとして弥生、後ろへ飛びすさった。何と一郎が窓枠にぶら下がっている。
「い・・・一郎?あんた何の冗談よ、それ」

「別に、いーからさっさと教えろ」
「彼女?二階の一番すみの部屋よ・・・って、あんた何する気?」
 弥生は窓から身を乗り出した。
「あいつ自信に直接聞こうと思ってる。あいつは何者か、FOSって何か」
「いいけどね、彼女ずっと部屋にこもりっぱなしよ」
 一郎はぶら下がったまま、下を見た。和美の部屋の窓は開いている。

「あそこから入ればいいんじゃねーか」
「バ・・バカ!死ぬ気?あ───っ!」
 止めようとした弥生の手をかわして、一郎は窓枠から手を離した。

 そして一郎は壁を、和美の部屋へ向けて斜めに『走った』。

         ☆         ☆         ☆

 月がきれいだった。

月齢十三日というともうほとんど満月のようなもの、月光がかなり明るい。

 和美は部屋の電気もつけず、カーペットに直接座り込み、開け放たれた窓から忍び込む月明かりを浴びていた。膝を抱えた姿勢のまま、身動きひとつしない。
 そよそよと、夜風が和美の髪をなぶっていった。黒から青へと変化する髪を。

 なぜ? と和美は自問する。何万回と繰り返した問い。
 なぜ、自分の髪の色は青になるのか? なぜ、自分にはこんな『力』があるのか?

 すう、と髪が青くなり、和美はその姿勢のまま床から数センチ浮き上がった。
 すぐに、すとんとカーペットに落ちる。
 すべてはこれがいけないのだ。 そう思い、ため息をつく。

 自分が普通じゃないから・・・・

 髪の色が元に戻った。

 また、転校しなければならないのか。 その思いがある。
 彼らがやってきたのだ、自分だけならともかく他の人に迷惑をかける訳にはいかない。 ふと、和美は一郎の事を思った。昼はもう少しでヘリコプターの下敷きになるところであった。関係ない者を、あのように危ない目に合わせる訳にはいかない。
 だから、逃げる。 しかし、はっきり言って和美は逃げるのに疲れていた。
 どこへ行っても、やつらはすぐに見つけ追ってくる。

いっそ、夢の国へでも行けたらいいのに。 と、空想的な想いが胸を占めた。
 ピーターパンのいるネバーランドにでも行くことができたら・・・・
 和美の目から、涙があふれかけたその瞬間。

「うっわ────っ!」 びったああんっっ!

 きょとんとして、和美は開け放った窓に目をやった。確かに今、外を人が通り過ぎていったような・・・・しかも、上から下へ向けて?
・・・ここは二階である。
 何が起こったのか判らないまま、和美はきょとんと窓を見つめていた。

  くそォ勢いつきすぎた、二階で止まらないで地面まで落ちちまったぜ。

 和美は、地上にいる人物がこう言ったのを聞いた。すると今のは自殺ではないらしい。 しかし、二階以上から落っこちて平気な人間というのは・・・・

 和美はぎょっとした。何かが壁を駆け登ってくる!

「こんばんわあ」
 ぬ! と窓から顔を出したのは、一郎であった。
「夜這いに来たんだけど、入れてくれるか?」

  和美の目は点になってしまった。

「え・・・ええ、いいですよ・・・」
 それを聞いて、よっこらしょとスニーカーを脱ぎ、一郎は窓から部屋に入った。
 ぽかん、としている和美を見て、一郎は頭をぽりぽり掻きながら、
「え~と、き、きれいな月だな」
 などとよくわからん事を言う。

「あ、ははっ、そーですね」
 と、答えた和美もどこかぎくしゃくしている。

 こうして、二人のちぐはぐな会話が始まった。何しろ互いに変に意識して、上手に会話ができないものだから、どーにもおかしな話になってしまう。

「こ、こんな満月の夜には、きっとどこかで狼男が喜んでるだろうな、ははっ」
「そうですね、うが~っなんて吠えたりして、でもあれってどうして満月を見て変身するんでしょうね」
「あ、そうだよな、別にまんじゅうでもハゲ頭でもかまわないのにな・・・・ただ、月の満ち欠けってのは人間の精神にある程度の影響を与えてるらしいぜ。実際、満月の日には殺人事件が増えるんだってよ。英語のルナティック(気ちがい)てのも月の“ルナ”からきてるらしいし」
「ああ、そういえば聞いた事あるような気がします・・・」
 ふっと笑って、一郎はため息をついた。

「満月だからかな?変な事が起こるのは・・・・」
 ふいに、一郎は和美の顔を真正面から見た。

「か弱い女の子がさらわれかけたり、ヘリコプターが襲ってきたり・・・・なあ、お前は一体何者なんだ?」
 真剣な表情で、一郎は聞いた。何とも言えない気迫がこもった、その目つきで見据えられた和美は金縛りにあってしまった。何を言う事もできない。
「オレでよければ、力になるぜ」

 一郎は、目をそらさず正面から言った。その一言を聞いて、和美の中で張り詰めていたものが、ぷつんと切れた。

「あたし・・・」 和美は言った。「超能力者なんです・・・」
 その告白を自分から他人にするのは、生まれて初めての事だった。
 言ってすぐ、和美は目をそらしてうつむいた。
“やはり、この人も自分を気味悪く思っているのだろうな・・・”

 ところが、

「なんだ、やっぱお前エスパーだったのかよ!なるほど、またか」

 という見当違いの明るい声に、逆に和美はズッコケた。それに「またか」とはどういう意味か?
「あの・・・驚かないんですか?その・・・あたしがエスパーだって判って」
 おそるおそる聞いてみる。

「何で?どうしてエスパーぐらいの事でいちいち驚くんだ?」
 和美、なぜか逆に聞かれてしまう。
「だ・・・だってエスパーですよ。普通の人間じゃないんですよ、だから・・・その」
 何かおかしな気分になって、和美は話すのをやめた。

どうして自分がこうまでムキにならなきゃいけないんだろう? 話があべこべじゃないか。普通の人は、みんなエスパーなんて気味悪がって化け物扱いするのに、どうしてこの少年はすんなり受け入れてしまえるのだろう?

 すると、一郎は言った。
「ひょっとして、お前まだこの学校の事判ってないな?」
 くすっと笑う。

「いいか、この学校はただの学校じゃねえ、エスパーなんぞごろごろしてても珍しくないほど異常なんだよ」
 話についていけず、混乱している和美に、一郎は説明した。

  私立斎木学園高等学校。

 この学校を創立した人物は、非常に変わり者だったらしい。どんな人物だったか記録に一切残っておらず、伝える者も誰もいないので、男か女かも判らない。ただ判ることは、「変人だった」ということだけ。
 その謎の人物が創った学校が、これまた異常であった。
 まず、場所が悪い。星辰の位置は最悪、方角占いでも最悪、地相もメチャクチャな上に鬼門にまで引っ掛かっており、以前とある拝み屋がこの土地に通りかかった時、泡を吹いて倒れた事もあったそうだ。しかし、創立者はこの土地に立った途端。
「ここがいい」と満足気につぶやいたと言う。

 そんないわくつきの土地に建てられた学校である。そこらの学校にある『七不思議』などより、ずっと不可思議な現象が巻き起こるようになった。
 数えあげればキリがないので全ては記さないが、とにかくその異常さは、生徒にまで影響を与えるようになった。

 それは、個性と言えるものだろうか?
「天下無敵のタフネス」「学生忍者」「木刀持たせりゃ最凶最悪娘」「自称天才手品師」「狼男」「吸血鬼」「歩く音響爆弾」「IQ不明のマッドサイエンティスト」「究極の天才料理人」・・・・
 そして、これらの頂点に立つ男「生徒会長」
 あと、生徒ではないが、旧校舎からうようよわきでる幽霊たち。

 他にちょくちょく転校・転入があるため、過去のデータからスプーン曲げ程度の力を持つエスパーは最もポピュラーな「個性」とされているらしい。

 和美が自分の事を普通じゃないと言うのなら、こいつらは一体どうなる?

  二人、紹介しよう。

 まずは、科学部の部長「玉置 克吉」。
 ボサボサの髪に眼鏡、半年は洗っていないといわれる、よれた白衣がトレードマークで常に自分の行動に、絶大な自信を持っている男である。
「何、ボクは天才だからね、君たち凡人にはボクの考え方が理解出来なくて当然なのだようん、うん」
 彼はそう言って笑う。確かに彼は「天才」であるらしい。その頭脳は国連のコンピューターに匹敵すると噂され、常識では考えられない発明を行ったりする。
「天才・玉置に不可能はなああしっ!」
 不可能はなくても失敗はあるらしい。ついこの間もひまつぶしに原爆を作ろうとして、放射能もれを起こしかけ、学校中大騒ぎになったばかりである。
 彼はその時、ひたすら笑ってごまかしていた。(おいおい)

次に、家庭科クラブ部長「平野 忠」。
 彼は「料理の大天才」である。彼の料理の腕前は、世界料理コンクールに出しても充分通用するほどで、どんな材料からも最高の美味を作り出せるのだ。
 それはそれで別に問題はない、普通の料理を作っているのならば。
 しかし、その天才ぶりを発揮して、「究極の味」を求めた場合、問題が生じる。

  こんな話があった。
 かつて、平野の料理を食べた男がいたそうだ。
「君の持つ才能の全てをそそいだ料理を食べさせてくれ」
 男はそう注文したらしい。それに応じて、平野は腕をふるった。
 やがて現れた料理の素晴らしさに、男は絶句し、感動に身を震わせた。最高だった。
 涙で顔を濡らしながら、男はこの料理の作り方をたずねた。
  こんな味は今まで体験したことがない。と感想を述べると、平野は、
「その通りです、これまでの調理技術ではこの料理は作れません。ボク独自の工夫がなされているからこそ、この味は完成したのです。大変でしたよ、これだけの材料を集めるのは」
 そう言って、男に自分の使った材料を見せた。
  男は知った。 その料理の材料を。自分が食したものの正体を!

 この時、平野の作った料理が何だったのか知る者はいない。
 しかし、その男はその後その日のうちに自殺してしまったそうだ。

  遺書には、こう書かれていた。
『オレは あれを食べたのか』
 その字は、恐怖がありありと伝わってくるものだったそうだ。

「そんなやつらにくらべりゃ、エスパーなんて可愛いもんだ」
 あまりに非現実的な話のため、和美はぽーっとしてしまい、何を言ったら良いのか判らないようだった。それを見て、一郎は苦笑して頭を掻いた。
 沈黙にいたたまれず、窓に歩み寄る。

「あ、待って下さい」
 じゃあな、と言いかけて、一郎は窓枠に足をかけたまま振り向いた。

「もう少し、お話、しませんか」
 そう言って、和美はにこっと笑った。
「あたしのこと聞きにきたんでしょう?」
 ちょっと首を傾げたポーズがとても可愛らしくて、珍しく一郎はドキッとした。
 和美ははにかみながら一郎の横にきて、夜空を見上げた。

「FOSって知ってます?」
 一郎はうなずいた。
「そうですか、じゃ話は早いですね。FOSは、どうやらあたしの超能力に目をつけて、それを利用しようとたくらんでいるらしいんです。あたし、あの人たちに追われて転校を重ねてきたんですけど、今までの高校と違ってこの学校は・・・あの何ていうか」

「ようやく、落ちつける学校にめぐりあえたってことか?」
 和美の顔が、ぱっと明るくなる。
「そうです!何かこう・・・安心できるっていうか」

「オレも転校してきた時、そうだったからな」
 ぼそっと一郎はつぶやいた。
「他の学校にゃ無い、何かがあるんだが・・・よく判らん」
 ぽりぽりと、鼻の頭を掻いた。風が木の葉のざわめきを連れてくる。

  また、沈黙のひととき。

 すると、ふいに和美の目に光るものが現れた。
「やっぱり、あたし転校します」 震える声で言った。

「どうした、急に?」
「あたしが狙われているせいで、他の人に迷惑かけたくないんです・・・・」
 小さく和美の身体が震えている。一郎は、そのきゃしゃな肩に手を置いた。

「そんな事、気にすることじゃねえよ」
 明郎や陽平が聞いたら、大笑いするような優しい声で言う。
「でも・・・」
「ここは何て学校だ?言ってみろ」
 少しきつい声で、一郎は言った。

「え・・・さ、斎木学園です・・・」 おそるおそる、和美は答える。
「その通り、ここは『斎木学園』だ!そしてお前はここの生徒だ、仲間だ!安心しろよ、誰も迷惑だなんて思わねえ。この学校にいるかぎり、仲間が助けてくれる。そして何よりこのオレがいる!・・・オレがお前を守ってやるよ」
 力強く、一郎は言い切った。

「・・・・・」
 無言で和美は一郎を見上げ、見つめた。何か言いたいのだが、言葉がでてこない。
 そんな和美の頭に、ぽんと手をのせ、一郎は唇のはしを吊り上げた。

「ま、とにかく今夜は寝ようや、ぐっすり眠ってまた明日、だ」
「はい!」
 にこっと微笑む和美に笑い返して、一郎は再び窓枠に足をかけた。
「じゃあな」
 そして、一郎は窓から外へ飛び出していった。

 開け放した窓から忍び込む風が、微笑む和美の顔を優しくなでていった。








            ~“X”DAY~
         ☆      午前七時一〇分      ☆

「ふわわあ~」 省吾が大きく背伸びをする。「朝・・・か」
「朝だな」

 沢村が胸ポケットから煙草を出し、火をつける。一睡もしなかったわりに、二人の表情に疲れはない。
 FOSは、昨日のヘリコプター騒ぎ程度なら平気で起こす連中である。どんなムチャクチャな行動をしてきても不思議ではないので、いざという時のために、徹夜で学生寮の近くの路上に張っていたのである。

「いつ来るんでしょうね、あいつら・・・」
「さて、やつらの事だ、戦車軍団でも投入してくるかもな」
「はは、それだけじゃなくて改造人間がぞろぞろ来たりして、ははは」
 言ってから気づく、相手はFOS、冗談ではすまされないということを・・・・

  二人は空を見上げた。
 スズメが鳴きながら視界を横切り、その上を見事な青空が広がっている。
  今日も暑くなりそうだ。

         ☆         ☆         ☆

「キッドナップぐらいオレ一人で充分だ」
 兵藤は冷たい口調で、新しくなったデスクの向こうの青ざめた軍服に言った。

「いかん、これは上からの命令だ」
「それがどうした」間髪入れずに、兵藤は答える。

 もう、軍服は黙り込んでしまった。一般の部下には平気で怒鳴りつけるくせに、兵藤のようなタイプには心から縮みあがってしまうのだ。
 軍服はのどをヒクヒク動かして、助けを求めるように視線を横へずらした。

 壁によりかかって、二人のやりとりを楽しそうに見物していた男がいた。
 見事に長い金髪、長身である程度のトレーニングを積んでいるらしいたくましい身体、そしてその、いかにもプレイボーイです、と宣伝しているような二枚目ぶった顔。
 兵藤と同じ、FOSの“壊し屋”ジョニー・ハミルトンである。

「まあまあ山猫、ここは私の顔にめんじて、それにたかがジャパンのハイスクール相手にシリアスになっても仕方ナイでしょう。軽いゲームだと思えばイイ」
 両手を上げてまあまあとやりながら、ジョニーはにやにやと笑う。
 じろり、と兵藤はジョニーをにらみつけた。

「勝手にしろ」
 短く言い放つと、幽霊のように部屋から出ていった。
 存在感のない不気味な男である。彼は歩くとき、けして足音をたてないのだ。

 それに比べて、こちらの金髪青年は対照的に明るかった。
 非常に陽気な雰囲気が、全身からにじみ出てくるのである。逆に、いきすぎてニヤけた感じでもある。

「彼はいつも暗いですネ、人生はもっとエンジョイしなければ楽しくないのに。ところで今回の任務はハイスクールを丸ごとツブすって任務でしたネ?」
 軍服は相変わらず青い顔で、首を横に振った。

「どこからそんな話になったのだね?ジョニー、君の任務は山猫・・・・兵藤と組んで、ティンカーベルのキッドナップをするのだよ」
「ああ、そーなのですか、じゃ、ティンカーベルをキッドナップする時に、ついでだからハイスクールも破壊してしまいましょう」
 HAHAHA、と笑いながらジョニーは廊下に出ていった。
 軍服は深いため息をついた。

「まったく、上部も疲れる連中を回してくれたものだ・・・」
 独り言をつぶやいて、軍服は額の汗をぬぐった。

         ☆      午後十二時二〇分      ☆

 三時限終了のチャイムが鳴る寸前、一郎はぞくっと背筋を走るものを感じた。
“何だ・・・?”

 窓の外に目を向けると、抜けるような青空が広がっていた。
“いやな予感がするな”

 出掛けてくる時、スニーカーのひもが切れ、黒猫が目の前を親子連れで通り過ぎたのを思い出して、一郎は眉をしかめた。
 視線を黒板のややこしい連立方程式に戻したとき、終了のチャイムが鳴った。

「さ~て一郎ぉ、学食行って昼メシ食おーぜ」
「早くしないと混むでござる」
 チャイムを聞くと同時に机に教科書をしまいこみ、食堂に行く準備を完了させ、明郎と陽平は一郎をせかした。すでに二人は廊下に半分出ている。
 が、陽平はひょっこり教室内に戻り、一郎においでおいでした。

「あん?どうした?」
 一郎は、陽平の指差している方向を見た。そこには、はにかんだ和美が立っていた。

「あら、和美ちゃんじゃないの、どうしたの?誰かにいじめられたとか」
 和美の姿を見つけて、弥生が声をかけてきた。

 和美はぷるぷると顔を横に振った。
「とんでもないです。あたしびっくりしました、こんなの初めて」
 初めてとは、要するに学校のみんなの反応のことを言ってるのである。

 朝、和美は思い切って自分はエスパーだということを、弥生たちやクラスのみんなに、告白したのだった。
 しかし、誰一人として和美を化け物扱いする者はいなかった。
 普通の学校で、普通の転入生を迎えるように、和美を扱ってくれたのである。

 この事は、和美にとってたまらなくうれしい事だった。

  異常な自分を、暖かく迎え入れてくれた唯一の学校。
  この学校では自分は異端者にならない。

 今にもうれし涙がこぼれ落ちそうだ。

「ね、気持ちは判ったからさ、とりあえずごはん食べに行かない?」
「はいっ!」
 にこにこ顔で和美は答えた。

「それもそーだな、と、陽平と明郎はどーした?」
「ああ、あの二人ならとっくに走ってったわよ」

「何?よし、行こーぜ」
 一郎を先頭に、三人は走り出した。

 昼休みの学食は、まさしく弱肉強食の世界である。この時ばかりは男も女も関係ない。自分が食べたい物を手に入れるのに、なりふりかまっている余裕などありはしないのだ。 ぎゃーすか騒いでいる、腹をすかせた学生の軍団の熱気は、すさまじいものがある。
「ぷはっ、おーいお前らいるかあ?」
 片手にヤキソバパンとコロッケパンを持って、人の群れから一郎が脱出してきた。

「な・・・何とか大丈夫よ」
 と、髪を乱した弥生は、しっかりとサンドイッチを抱きしめて現れた。

「きゃーっ助けて、弥生さん」
 人ゴミの中で和美の悲鳴が聞こえた。バンザイしたまま身動きできなくなったらしい、手がぶらぶら揺れている。
 弥生と一郎の協力で、無理矢理引っこ抜くと、ふらふらしながら和美が出てきた。
 肩で息をしている。

「す・・・すごいですね」
「何、すぐ慣れるわよ。ところで、どこで食べようか?」
「明郎と陽平が外で待ってる、そこで食おーぜ」

 二人は中庭の芝生の所で座っていた。

「おーい、こっちこっち」
「待ちくたびれたでござるぞ」

 自分たちは一郎たちを見捨てて、先に行ってしまったくせに、勝手なことを言う。
 ま、何はともあれ。芝生の上に座り込んで、幸せ一杯お弁当タイムである。

「いやー、やっぱパンには牛乳だよなー」
 ぐびりぐびりと、うまそうに白牛乳を飲みほす一郎、それを横目に明郎が、

「何言ってるんだい。ここはアイスコーヒー抜きには語れないね」
 と反論しつつ、缶コーヒーのプルトップを引き開ける。

「いやいやお待ちくだされ二人とも、日本の食べ物といったらやはり米。お昼ごはんにはこの“うめぼしおにぎり”と“熱いほうじ茶”のセットこそふさわしいと思わんでござるか?」
 と、ほっぺたにごはんつぶをくっつけて、陽平も口をはさんだ。

 それを面白くもなさそうに、黙々とサンドイッチをぱくつきながら見ている弥生。
 和美は目をぱちくりさせて、三人のやりとりに聞き入っていた。

  これがいわゆる一郎たちの『活発かつ白熱した議論』であった。

「ばかやろう、てめえら判ってねえな、白牛乳にはカルシウムが含まれてて身体にいいんだぞ。今の日本人はカルシウムが足りてねえんだ。だから牛乳を飲め飲め!」
 と、一郎。

「あ、そういうのは良くないよ一郎、自分の趣味を他人に押しつけてるだけじゃないか、オレが昼食の時にコーヒーを飲むのはね、授業中、居眠りをしたりしないようにっていう勤勉な精神の現れなんだよ」
 ぬけぬけと明郎が反論する。

「いや、だからごはんにはお茶が一番なんでござるってば!」
 と陽平が言うと、

「「おれたちの食ってるのはパンだっ!」」
 などと、一郎アンド明郎の二重攻撃を受けてしまった。
 さすがに陽平、たじたじとなる。が、
「し、しかしでござるな・・・・」 すぐさま反撃に転ずる。
 三人の議論はまだまだエスカレートしそうな雰囲気だ。

「アホらし・・・ったくこいつら、いつもこんなバカな言い合いしてるのよ」
 サンドイッチの最後の一口を口に放り込んで、弥生が和美に言う。
 和美は本当に楽しそうに、にこにこ笑っていた。

 こんな風にくつろいで昼食を食べるのは、ずいぶん久し振りのことだった。心から安心して、笑顔で友人と語り合うことができる時は、ここしばらくなかった。
 今までの学校では、常に一人でいた。
 ひとりぼっちで昼食を食べる。おいしいはずがない。
 声をかけてくれる子もいたのだが、自分の異常な能力がばれてしまい、化け物扱いされた事があり、それ以来、和美は一人を選ぶようになった。

“あたしは普通じゃないから”というコンプレックスもこの時からだ。
 しかし、この斎木学園は違った。「他の学校には無い物がある」と一郎は表現したが、和美も何となく判るような気がする。ここにいるだけで、うきうきしてくるのだ。
 ふと、和美は空を見上げて目を細める。

 我知らず笑顔になってしまうほど、気持ちのいい青空であった。
 いつまでもこの幸せが続けばいいのに、と彼女は思った。

         ☆        行動開始        ☆

  暑い・・・・

 道路はアスファルトが日光に照らされて、ゆらゆら陽炎が立ち昇っている。じっと立っているとクツの底から熱が伝わり、火傷でもしそうだ。
 フライパンの上を歩いているような錯覚を覚えるほど熱い。
 ぬぐってもぬぐっても、汗がにじんでくる。

  熱気が、ねっとりと肌にからみついて離れない。
 夕方になれば少しは風が出てくるだろうが、不思議なことに、昼間は風はそよそよとも吹こうとしない。

「そんな時には、やっぱりこれですよ」
 省吾はよく冷えている缶コーラを、ぐびり、と飲んだ。
 しゅわわ~と、炭酸の刺激が心地よい。沢村も、汗をぬぐいつつコーラを口にした。

 二人はまだ、校門わきの人目につかない所に張っていたのである。
  ボディガードも楽ではなさそうだ。
 頭上のポプラの木がちょうどうまい具合に日陰を作ってくれているが、それでも暑い。「ふう・・・」
 ぱたぱたと、手のひらで顔をあおいでいた省吾の目が、その時ふいに細くなった。
 サイドカーに座っている沢村も、ちらりと視線をずらす。

  陽炎のゆらめく道を、『ヤツ』が歩いてきたのだ。

「沢村さん・・・」
 省吾が目で合図する。

「ついにお出ましだな」
 手にしたコーラの缶を握りつぶして、沢村は立ち上がった。
 省吾と並んで立ち、歩いてきた男の前に立ちふさがる。

  男が足を止めた。

 にらみ合った三人の間に、緊張した空気が流れる。
  男の冷たい目つきは、山猫・兵藤のものであった。

「久し振りだな、兵藤」
 先に口を開いたのは沢村であった。

「“一人軍隊野郎”と“笑い猫”か」
 兵藤は、能面のような無表情はそのままで、目だけを動かして沢村と省吾を見すえた。「あの時以来だね」 かすかな微笑みを浮かべて、省吾は口を開いた。

「あの時、オレたちをだまして、沢村さんを死ぬ寸前まで追い込んだのが兵藤、あんただった・・・」
 そう言って、きっと兵藤をにらみつける。
 頭上でセミが鳴いているのをBGMに、そこの温度だけ下がったようだ。

「そう・・・・その後で左腕を失った沢村を助け、オレの仲間を一人で全滅させたのが、お前たち“黒い風”のリーダーだったな・・・」
 この三人の過去にどのような事があったのか、ものすごい思い出話をする。

  三人は口を閉じた。
 三人の周りにたまらない緊張感がたちこめ、敏感に反応したセミが鳴くのをやめた。
 空気がぴりぴりと張りつめる。
  針でつっつけばはじけてしまいそうだ。

「そこをどけ・・・」
 低く、兵藤が言った。

「そーいうわけにもいかないんだよね、もし通りたければ・・・力づくで通れば?」
 省吾が言った途端、兵藤の体内に殺気がうねった。

「しゃっっ!」
 兵藤の長身がバネと化し、一気に省吾のふところに入り込む。

  速い!常人ではよけるどころか、動きを理解することもできないだろう。
 兵藤の貫手が下から上へ向けて、省吾ののどへ伸びた。それを省吾は、思い切り後ろへのけぞりかわした。
 この動きもまた、速い。
 空振りした兵藤の右の貫手は空気を裂きつつ折り曲げられ、肘打ちへと姿を変えた。
 省吾は、こめかみに叩き込まれてきたその攻撃を左腕でガードしたが、その姿勢のまま横へ吹っ飛ばされた。
 ごろごろと地面を転がって、すぐに立ち上がる。

 この兵藤、細身のくせにとんでもないパワーだ。省吾は少しの間、左腕に力が入らなかった。
 兵藤の無表情から氷がとけた。
 唇の端をきゅっと吊り上げて笑ったのである。

  省吾はぞっとした。胸から肩にかけてシャツが破れ、血がにじんでいる。
 兵藤の貫手の攻撃を、完全にかわせなかったのだ。
 兵藤の視線が省吾に集中した瞬間、沢村はスーツの内側に手をすべりこませ、すばやく愛用の拳銃SW・M659を抜き出していた。
 背を向けている兵藤に銃口を向ける。引き金は・・・引けなかった。

 兵藤の身体が消失したかと思わせるスピードで沈み、次の瞬間その長い足が下から伸びて、沢村の右腕を蹴り上げたのだ。銃口が空を向き、ショックで暴発した。
 骨が砕けるような痛みに顔をしかめつつも、拳銃を離さなかったのはやはりプロだが、右後ろ蹴りで軸足となった兵藤の左足が、さらにはねあがってきたのを腹にくらい、沢村は身体をくの字に曲げて吹っ飛んだ。

「まずはお前だ、死ね、沢村・・・」
 兵藤はくるりと振り向き、地面に倒れた沢村を必殺の貫手で刺し貫こうとした。

  その時、びしっという音が響いた。

 兵藤の表情がくもり、右手を押さえた。みるみるうちに青黒いアザが浮かび上がってくる。
 その足元に、クルミぐらいの石が転がった。

「よう、沖田にマスター、校門付近で昼間っから物騒な真似しないでくれねェか」
 その声は三人の頭上から降ってきた。

「相沢!」「学生かっ?」
 省吾と沢村、同時に叫ぶ。
 塀の上に、小石片手に一郎が立っていた。にっと笑うと飛び降りてくる。

「まったく、変な声が聞こえるんで来てみたらこのザマかよ」
「相沢、和美さんはどうしてる?」
「ああ、オレはトイレに行くふりして来たから、のんびりメシ食ってるぜ」
 そう答えて、一郎は兵藤とにらみ合った。
 炎の視線と氷の視線とのぶつかりあいが生じた。

「誰かと思えばこの間並木道で会ったな、てめえがFOSかよ? 和美を狙ってきたんなら・・・ブッ倒させてもらうぜ」
 バキボキと指を鳴らす一郎。
 すると、その前に省吾が立ちふさがった。

「悪いけど相沢、この兵藤とはオレたちが先約でね」
「何だ、オレに見物してろっていうのか」
 せっかくその気になっていた一郎、口をとがらせる。
 それを見て、兵藤がニヤリと笑った。

「はたしてそんなヒマがあるか?」
 不気味にぼそりとつぶやくと、胸ポケットから小型の通信機を出し、何やら暗号らしきことをささやいた。
 その暗号を解読した沢村は、青くなって叫んだ。

「何ィ!兵藤、貴様この学校を丸ごとつぶす気か!」
「オレのやり方じゃない、ジョニーのやつが指揮をとっているんだ。あの“壊し屋”が、な」
 冷やかに兵藤は答えた。

「マスター、何が起こるんだ?」
 訳の判らない一郎、とにかく聞く。

「こいつ、この学校に戦車を呼びやがったのさ、このままだと斎木学園はなくなっちまうぞ!」
「なあにぃ!戦車だあ?」
 叫ぶ一郎にかまわず省吾、

「沢村さん、兵藤はオレが引き受けた。あんたはその戦車をどうにかして下さい。それと相沢、生徒たちを安全な所へ避難させろ!」
「O.K.」「よし」
 一郎と沢村は同時に答えると、沢村はサイドカーへ飛び乗り、一郎は校舎へと走った。 後に残った省吾と兵藤、改めてにらみ合う。と、兵藤の目が細まった。

「笑い猫・・・お前一人でオレを倒せると思っているのか?」
 その問いに、省吾はにっこり微笑んだ。
────それが答えである。

 「あの時の決着を、今、この場でつけてやるよ、兵藤」






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