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武蔵野航海記
郷士 2
天照大神や地方の豪族の創始者の魂が後継者に付着するということは、人間には自分固有の魂のほかにもっと優れた魂も持っているということです。
日本人は憑依現象を信じていますから、優れた魂だけでなく悪い魂も付着すると考えているようです。
源氏物語では、生霊や死霊が人にとりつくということを随所に書いてあります。
また今でも興味本位のオカルト番組で、悪い霊が人に取り付いた結果様々な不幸に見舞われるということを言っています。
現代日本人のとっても、他者の霊が付着するということは極めて当然のことなのです。
こういう日本人の発想に大乗仏教の「仏性」の教えが重なって出来たのが「本心」です。
仏の魂ともいうべき「本心」が全ての日本人に付着しているので、素直な状態の日本人は皆ものの道理が分かる良い人間なのです。
そういう意味で日本人は本質的に同じ素質を持ち平等だということになります。
こういう「本心」という発想と日本書紀などの日本創業神話が合わさって出来たのが「国学」です。
一番強力で良い魂である天照大神の魂を付着させた天皇が日本を支配するのが一番良いのです。
天照大神が作った「道」という優れた統治原則もあります。
全ての日本人が儒教や仏教という異国の邪悪な思想を放棄し欲を離れ清浄な心で、「道」に従えば日本は豊かに繁栄するのです。
天照大神の恩恵は全ての日本人に等しく及び武士や百姓などという区別もありません。
こうして日本古来からの発想を体系化した「国学」が、細かく身分を差別し窮屈な生活に嫌気がさしていた日本人を魅了しました。
天皇の下で全ての日本人は平等だという国学の「一君万民思想」は、細かく身分が区別され非常に窮屈な生活を送っていた日本人に非常な人気を博しました。
儒教の方も天皇の権威を高めるのを援けました。
本来儒教というのは血統を重視するのではなく道徳を重視し、昔から続いている家系というだけでは何の意味もありません。
天皇家は後白河上皇や後醍醐天皇など破廉恥で無能な天皇を多く出したので、道徳を堅持する家系ということはいえません。
ですから儒教の本来の立場から言えば、他の家系のものに取って代わられるべきものです。
ところが林家(幕府お抱えの朱子学の家)や崎門学派(山崎闇斎が始めた民間の朱子学)も天皇家が潜在的な日本の支配者であることを認めています。
本場の儒教と矛盾することを主張しているわけで、この事に関していろいろ弁解していますが説得力はありません。
結局、天皇には天照大神の強力な魂が付着しているからだという古来からの伝統感情から来ているとしか解釈できないのです。
こういうわけで、日本の儒教というのも国学の一派です。
このようにして国学の「一君万民思想」が普及してきた時にペリーがやって来て、大砲で幕府を脅かしました。
幕府は日本人の安全と幸福を守る実力も気概もないことが明らかになってきたわけです。
そこで国学の主張どおりに、天照大神が定めた統治原則である「道」に従って、天皇中心の統一国家をつくり、大名や武士などという余計な特権階級を廃止して平等な世を作る「世直し」を始めました。
これが尊皇攘夷です。
この尊皇攘夷の活動家には雑多な経歴の者がいました。
幕末の有名な志士には代々の武士というのはあまりいません。
水戸藩は日本化した儒教である「水戸学」の本場で、幕末の初期に日本を思想的にリードしました。
水戸学を完成させたのは藤田幽谷ですが、もともとは水戸の城下町の古着屋の息子でした。
学問が出来るので武士になり水戸学の研究をするようになったのです。
その息子が藤田東湖で、水戸学が日本全体を主導した思想だったときに水戸藩のリーダーだった男です。
西郷隆盛なども藤田東湖から大きな影響を受けています。
また真木和泉は水戸学を信奉した尊皇攘夷論者でした。
彼は長州の尊皇攘夷の過激派のリーダーとなり1864年に蛤ご門の変で敗死しましたが、九州の久留米の水天宮の神主で本来の武士ではありません。
長州出身の志士は前にも書いたように正規の武士と百姓・町人が混じっていましたが、吉田松陰の「一君万民」の思想に大きな影響を受けています。
長州の場合は薩摩と同様にかなり上級の武士も尊皇攘夷運動に参加していますが、これは長州藩の伝統的な立場から来たものです。
長州も薩摩も関が原の合戦では徳川に敵対しており、当時の徳川の力では両藩を潰せなかったので領土を削って存続させました。
しかし江戸時代を通じて幕府はこの二つの藩をいじめたのです。
ですから長州藩の武士は反幕府という意味で尊皇攘夷を受け入れたのです。
土佐の尊皇攘夷の志士は正規の武士はいません。
皆さんご存知の坂本竜馬は郷士の次男ですが、坂本家の本家は百姓出身の商人です。
中岡慎太郎は大庄屋の息子でこれも長宗我部の遺臣である郷士です。
土佐勤皇党のリーダーで保守的な藩主から死刑にされた武市半平太も郷士です。
土佐出身の志士はほとんど全員が郷士階級出身で多くが維新前に戦死しています。
明治期の土佐出身の政治家の多くは正規の武士の出身ですが、彼らは幕末の最終段階で倒幕に参加した藩官僚出身で、郷士の努力を横取りしたのです。
また幕末の一時期に非常に人気のあった策士に清川八郎がいますが、彼は山形の富農の出身です。
渋沢栄一は前にも書いたように埼玉の百姓出身です。
新撰組は結局は幕府のテロ集団になってしまいましたが、もともとは尊皇攘夷を主張する思想集団でした。
そしてこのリーダーが皆さんご存知の近藤勇と土方歳三ですが、二人とも東京の奥地である多摩の裕福な百姓の出身です。
このように幕末の志士たちの多くは、先祖代々の武士ではないのです。
幕末の前半に世論を主導したのは正規の藩士ではなく、郷士や草莽の志士といった者たちでした。
幕末も後半になると、その尊王倒幕の流れに乗った薩摩・長州や土佐といった雄藩がリーダーシップを握り明治維新を成し遂げ、その藩官僚がそのまま維新政府の幹部になったというのが大きな流れです。
郷士や草莽の志士(富農や地方の有力者の出身)は江戸時代の窮屈な社会にもっとも不満が大きかったからです。
下級武士も上級の武士に差別され経済的に貧しかったとはいえ、藩という大きな組織に守られ、また殿様に忠義を尽くさなければならないという教育を受けて、世直しに動き始めるまでには時間がかかったのです。
百姓や町民といった一般庶民は日本の運命に責任を持たされていなかったし、へたにお上の政道に口を出したら怒られたのでほとんど主体的な活動をしませんでした。
明治維新はよく「下級武士が行った革命だ」と言われていますが、私は「郷士や草莽の志士が始め、下級武士が完成させた革命だ」と考えます。
郷士や富農の多くは先祖が武士で、自分たちの階級にプライドを持ち教育に熱心でした。
また農業やその周辺の産業に実際に従事し日本の経済を支えていました。
更に庄屋などを勤め、藩の実際の行政も担当していました。
ところが正規の武士でないために自分たちの考えを政治に反映させることができず、税金を取られるだけで武士から差別されることが多かったのです。
こういう時に、「一君万民」という日本的な平等思想を唱え細かい階級差別を否定する国学が出てきたわけですから、それが非常な人気を博したのも当然です。
実際、国学は地方の郷士・富農層に支持者が多かったのです。
そしてペリーに対する幕府のだらしなさを見て幕府や藩士を見限り、「尊皇攘夷」から「尊王倒幕」へその思想が発展していったわけです。
この熱気に乗って藩を動かし、実際に革命を成し遂げたのが下級武士たちでした。
実際に「尊皇攘夷」というスローガンで幕府を倒した下級武士は、その過程で夷狄(西洋人)の軍事力に勝てず「攘夷」は不可能だと悟りました。
そこで維新後、急激に西洋の文物を輸入し始めました。
国学は、西洋の文化だけでなく支那など外国の文化の一切を排除するという発想ですから、明治政府の「文明開化」政策と反します。
そこで国学は、維新後は「廃仏毀釈」という夷荻の思想である仏教を排除する運動で活躍した後は日本社会の表面から姿を消してしまいました。
明治維新の大きな推進力の一つが「一君万民」思想です。
維新後に「自由民権運動」が非常な盛り上がりをみせますが、これは「一君万民思想」が名前を変えたものです。
自由民権運動というと、ルソーの「民約論」を翻訳した中江兆民が有名です。
彼は維新直後にフランスに留学して革命思想に触れ、帰国後に自由民権運動を展開したのです。
ところが私には彼が「自由・平等」の本質を理解していたとは思えません。
彼は帰国後外国語学校の校長になりますが、その時に儒教教育をしようとしました。
「西洋の学校では道徳教育が盛んだが、日本の道徳は儒教が基になっているから」という理由です。
彼は儒教と「自由・平等」が両立すると考えていたのです。
西洋の「自由・平等」はキリスト教の信仰が基礎にありますが、中江兆民はその事に気づかず宗教とは無関係な政治的主張だと誤解しました。
この無理解は、現在まで続いています。
大日本帝国憲法はドイツ帝国憲法を真似したものだという奇妙な学説が今の日本でもまかり通っていますが、これはとんでもない誤解です。
確かに明治の日本人はドイツ帝国憲法を参考にはしましたが、全く別の原理でできています。
ドイツでは「自由・平等」は神がドイツ人に与えたものです。
ドイツ皇帝といえども人間であるということでは一般のドイツ人と同列ですから、ドイツ人の自由と平等を否定することは出来ないのです。
ところが大日本帝国憲法では日本人に自由と平等を与えたのは天皇なので、天皇はいったん与えた自由と平等を日本人から再び取り上げることも出来ます。
キリスト教の信仰のないところでは、自由と平等はこれほど弱いものなのです。
昭和初期に天皇機関説事件が起きました。
美濃部達吉という東大の憲法学の教授がいて、ドイツの憲法の教科書を翻訳しただけの講義をしていたのです。
神の定めた掟を守るものが国会や裁判所という国家機関で、皇帝も神の掟を守り実施する国家機関に過ぎないという点で国会や裁判所と同列だというのが「皇帝機関説」です。
これをそのまま翻訳して皇帝を天皇に置き換えただけの理屈が「天皇機関説」です。
キリスト教の神が存在しない日本で同じ理屈が成り立つと考えたのは、宗教というものに無知だったからです。
「天皇が国家の機関だというのは何事だ」と非難された美濃部達吉は、理路整然とした反論が出来ませんでした。
日本では天皇が神だったからです。
そして「天皇機関説」は多くの日本人の理解が得られないままに消えてしまいました。
当時の日本の国会議員は「自由・平等」を守るために非常な努力をしていたのですが、美濃部達吉の「天皇機関説」はこの援けになりませんでした。
それは日本の「自由・平等」がキリスト教の信仰に基づくのではなく、国学の「一君万民」思想に基づくからです。
江戸時代の国学の伝統の上に日本人の平等観が作られました。
その平等観は、繰り返しになりますが日本人が古来から持っている霊魂に対する考えと仏教の仏性の教えが結合して生まれたものです。
その国学から「一君万民」の思想が生まれ、それが明治維新の原動力になり、最終的に大日本帝国憲法に反映されました。
天照大神という日本の基礎を作った神霊を体に付着させた明治天皇が、日本人に平等を与えたのです。
天皇という存在が未だに日本人の間に人気があり、一部の左翼が騒ぐ「天皇制反対」が相手にされないのは、天皇が神霊の力を持っているとなんとなく感じているからです。
敗戦までは「天皇が日本人に平等を与えてくれた」という考えがはっきりとしていて、日本人も自分たちの平等の根拠が分かっていました。
一般的には「天皇の赤子」である日本人は平等だと理解されていたのです。
ところが敗戦後、天皇が「人間宣言」をし明治憲法が廃止されてしまいました。
そうして「日本国憲法」が日本人の知らない間に出来てきました。
明治憲法というのは、幕末に多くの志士たちが身を挺して作り上げたもので、「確かに自分たちが作った」という実感のあるものです。
ところが「日本国憲法」は自分たちの知らない間に空から降ってきたものです。
憲法学という学問では、こういう空から降ってきたものは憲法としては成立していないと考えます。
日本国憲法というのは成立していないのですが、一応その中身にある平等を検討してみると、その根拠を書いていないのです。
誰がどういう理屈で日本人に与えたかが分からないので、日本人は昔からの理解で「平等」を理解しています。
国学で教えていることを日本人は「平等」と今でも理解しているのです。
そうしてこの平等というものを主張して行動を起こしたのが、幕末の郷士や草莽の志士でした。
一ヶ月以上前に京都の円山公園にお花見に行きましたが、そこにあった坂本竜馬と中岡慎太郎という土佐の郷士の銅像を見てこういうことを考えたのです。
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