武蔵野航海記

武蔵野航海記

チャイニーズ

私は大学生の時、外国語の一つとしてチャイニーズの講座があったので、興味本位に聴講してみることにしました。

ところが少しかじってみて前途の困難さが分ってきたので、すばやく撤退しました。

先生がいきなり、「チャイニーズを覚えたから現地で物を値切れると思ったら間違いです。皆さんが話すチャイニーズは通じません」と言われました。

先生は、アメリカや日本の国会に当たる議会で、議員が演説しているフィルムを見せてくれました。

議員が演説している演台の上にスクリーンがあって、そこにこの議員が演説している内容を文字で表示しているのです。そうです。「字幕」です。

聞いている議員の大部分は、話している言葉が分らないのです。

最後に「儒教を学んでも現実の解決には役立ちません」と言われました。

殆どの学生は私同様逃げ出した様です。残ったのは将来学者になろうと考えているマゾヒストだけでした。

この先生は、毎年学生を脅して半端な連中を追い払うので有名でした。

チャイニーズと私の関係はそれで終わってしまいましたが、上記の先生の言ったことだけは覚えていました。

その後、チャイナ出身者と話をする機会もあり、先生の言ったことは嘘ではなかったことが分ってきました。

アメリカの先生が教えようとしたのは、北京官話でした。

チャイニーズは自分達の住んでいる所を世界の中心と考え、周辺に住んでいる諸民族を、北狄・西戎・南蛮・東夷と称して低く見ていました。

北狄とは、満州の狩猟民族、西戎とはモンゴル・トルコ系の騎馬民族、南蛮とはタイ系の焼畑農耕民、東夷とはコリアンや日本人です。

これらは、言語構造がお互いに全然違います。

チャイニーズとは、これらが交じり合って出来上がったもので、もともと一つの民族をなしていたわけではありません。

従って、場所が違うとお互いに言葉が通じないのです。
北京官話は北京周辺の言葉で、地方では全然通じません。

チャイナの政府は、この北京官話を標準語にしようとしていますが、未だに普及率は低いのです。

更にことをややこしくしているのは、「漢文」の存在です。

日本人が「漢文」として学校で教わる言葉は、論語など古典が書かれている言葉ですが、生きている言葉ではありません。

話し言葉がお互いに通じないので、「漢字」という文字を媒介として人工的に作り出された言葉です。

漢文は、言葉の通じない者どうしが考え出した言葉が起源ですから、簡単な構造になっていて、複雑な内容を表現するようには出来ていません。

このような起源の特殊な言語ですから、文法もありません。

例えば「話」という漢字を見ても、「話す」という動詞にも、「はなし」という名詞にもとれます。

「歩道」は「歩く道」と読めますが、「道を歩く」も可能です。

又、過去か現在かの区別もありません。非常に曖昧な言葉です。

しかし、チャイナ全土で統一的に使える文章語は「漢文」しかありませんから、後に行政用語となったのです。

ですから漢字を並べて、それを教養あるチャイニーズにいきなり「読め」といっても無理です。

あらかじめ文章全体の内容が分っていないと理解できないのです。

チャイナの高級官僚の試験が、古典をどれだけ暗誦しているかで合否を判定するのはこのためです。

古典とは、実質的には「模範文例集」です。
これをたくさん暗誦していてはじめてお互いに手紙で意思疎通が出来るのです

魯迅は、子供時代に古典を暗誦させられましたが、一つとして意味が分らなかったと自伝に書いています。

同じ系統の言葉であれば、古くても何とか分ります。しかし日常使っている言葉と全然違うので、まるで分らないのです。

二千五百年ぐらいの前の戦国時代になると、各列強の版図が広くなり官僚組織が出来てきたので、文書が使われるようになりました。

又、外交文書も必要になりました。

この時に、漢字の書ける儒者を下級官吏に採用したのが、後の儒教の興隆の始まりでした。

儒者というのは、始めは死者の霊魂を呼ぶ一種の霊媒だった様です。
その後孔子という大先生が現れビジネススクールを開きました。

孔子は、社会の安定の為には主君に対する忠誠が大事だと教え、支配者の泣き所を抑えたのです。

又、彼とその後継者はその思想を本に纏めましたが、儒者は「詩経」「春秋」「易経」といった古典を神聖視し、その読み方を厳密に定めていました。

行政文書や外交文書の読み書きには、儒者は都合が良かったのです。

戦国の列強は、下級官吏として儒者を雇いました。
儒者はお互いの手紙によるコミュニケーションを円滑にするために、「模範文例集」として、儒教の古典を用いたのです。

戦国時代の儒者は、倫理道徳を説く人材というより、文書作成の技術者と認識されていました。

チャイナの官僚が「儒教に通じ思想的に優れた人間でなくてはならない」というのは建前だけです。

実際は、儒教の古典を暗誦していることが、コミュニケーションに必要だったから、儒教が重視されたのです。


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