武蔵野航海記

武蔵野航海記

中江兆民

中江兆民(ちょうみん 1847~1901)の父は土佐藩の足軽でした。

彼は日本にルソーの思想を紹介し「東洋のルソー」と呼ばれている日本の自由民権論者の元祖です。

彼は大久保利通に懇願してフランス留学を果たしています。

フランスから帰国後東京外国語学校の校長になりましたが生徒に儒教を教えようとしました。

西洋ではキリスト教が道徳の基礎になっているから日本では儒教だと思ったのです。

兆民の主著は「民約訳解」で、ルソーの民約論を日本に紹介したものです。

私はこの本を見て驚いたのですが漢文で書かれているのです。かな交じりではなくて全部漢字です。

明治になってからは多くの人が漢文ではなく出来るだけ分りやすい文章を書くように心がけています。

その中で兆民のこの態度は異様です。

兆民は積極的に儒教の言葉・概念によってヨーロッパの思想を表現しようとしたのです。

ということは兆民には儒教がヨーロッパの思想とは全く体系の違う宗教だという認識がなかったのです。

そしてヨーロッパの思想の背景にキリスト教があるという認識もなかったのです。

だから漢文で書いたら日本人は良く理解できると思ったのです。

しかし儒教には人権や自由という概念がありませんから自由の概念を説明するのに苦労しています。

「キリスト教の神が人間を自由なものとして作ったから人間は生まれながらにして自由だ」と書いたら簡単で正解だったのです。

ところが彼はそういう説明をしていません。

「自由の権は天が人に与えたものだ」と書いています。天賦人権説です。

そしてそれを更に説明しています。「故に人たるの道はおのずからその生を図るより重きはなし」。

つまり人間はこの世に生を受けたのだから、その命を守ることが大事だというのです。

この兆民の考えが日本の人権の源流です。

だから最近まで人権を「生存権」だと日本の憲法の教科書では説明していました。

「生存権」とは生き延びる権利で、その中の一つが自由という権利だというわけです。

生き延びる権利の一つである自由という権利から「身体の自由」や「生命の自由」という権利が派生してきます。

この発想からは「自由のために戦う」という発想は出てきません。

戦えば戦死の可能性もあるので「生命の自由」に反するからです。

自由の本場であるフランスでは「自由のために戦う」というのが崇高な行為になっています。アメリカでもそうです。

自由とは神が人間に与えたものですから、それを奪うことは神への挑戦なのです。

だから神の栄光を回復するために戦うのであって、神の栄光は自分の命より大事なのです。

もともと自分の命も神のものですから神の命令どおりに使うのが正しいのです。

ところが明治維新に出来た日本の「自由」の概念は神から与えられ神への義務が伴っているといったものではありません。

「生まれながらに持っている」ので原則として無制限なものです。

「公共の福祉」という曖昧な制約があるだけです。

ここから出てくる発想は「西から狼が襲ってきたら東に逃げる」という羊の発想です。

「狼と戦え」という考え方は「人権を無視」する危険思想です。

その結果自分たちの生命も財産も守れなくなってしまうのです。

非武装を主張して憲法9条を堅持するという発想は、この兆民的な自由に平安時代や江戸時代の外敵がいない社会へのノスタルジーが習合したものです。

このように明治の民権運動は日本人の宗教に対する無知・無理解のために初めから畸形でした。

明治という時代は「日本の独立」が最優先でした。

だから独立維持のため戦争の可能性が常にあった時代でした。

日本人一人一人の自由や「文明的な生活」を守るには日本の独立は不可欠だったのです。

そのときに日本の独立を命がけで守ることが当然だという理論的な説明ができない自由民権運動がしぼんでいったのも当然です。

生命や自由を守るには、時として自分の生命や自由を危険にさらさなければならないことがあります。

つまり生命や自由というのは目的ではなく別の目的のための手段なのです。

ヨーロッパの思想では、人間の生命や自由は神から与えられ神のためにそれを使うべきものです。

だから生命や自由を神の命じる目的以外のために侵害するのが悪いことになります。

生命や自由の保持は単なる手段です。

日本の武士道にあっても侍が命を維持するのは合戦で主君のために戦うことが出来るようにするためです。

忠誠という価値は命より重いのです。

このように神の意思や主君への忠誠という人間の生命を超えた価値があって初めて人間は命がけでそれを守ることが出来ます。

福沢諭吉や中江兆民はキリスト教がこのようにヨーロッパの思想の根幹をなしていることに気づきませんでした。

それはキリスト教がヨーロッパの近代思想の背後に隠れていたからです。

フランス革命は絶対王政との戦いでしたが、当時のカトリック教会は絶対王政を支えていました。

そこでフランス革命ではカトリック教会を敵視して反カトリック教会の宣伝活動をしました。

その影響で19世紀後半のヨーロッパでは教会組織という人間の勢力の存在を否定する傾向が強かったのです。

しかしこのことは決してキリスト教自体を排除するということではありませんでした。

諭吉や兆民にはこのことが分らなかったのです。

そのため人間が命がけで守らなければならない根拠を見逃してしまい結果だけを受け入れたのです。

このヨーロッパの近代思想の誤解の結果、現在に至るまでヨーロッパ式の制度の運営が上手くいっていません。

昭和の初めに議会制民主主義が行き詰ったのもこれが原因です。

やはり輸入した制度は本場と同じようには機能しないのです。

儒教を背景とする律令制度を導入した7世紀と全く同じ現象がおきてしまったのです。

また日本以外の国の行動の原因が分らないのもこのためです。

アメリカの行動はキリスト教の知識がなければ理解できません。

チャイナの行動も伝統的な道教や儒教から影響を受けています。

それを日本人は理解せずに経済や政治といった計量的な要素しか分析しません。

彼らの行動の背景にある価値観が分らないから計量的な要素の分析も上っ面だけになります。

そのためにトンチンカンな答えしか出ないのです。

兆民流の本質を見逃した民権思想の変わりに明治の日本国家の根幹となる思想を作ったのが伊藤博文でした。


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