武蔵野航海記

武蔵野航海記

東京国立博物館

4月の終わりの頃に、上野にある東京国立博物館に行ってきました。

あそこは美術館が四つ、博物館が二つあります。

博物館も美術館も英語ではミュージアムですから、ミュージアムが六つひしめいているのです。

私は今まで日本の国立博物館に行ったことがなかったので、思い切って行ってきたのです。

そして420円の入館料を払って見学し驚きました。

あまりの下らなさに驚いたのです。

行く前から嫌な予感がしていました。

「たしか京都と奈良にも国立博物館があったな。何で東京にもあるのだろう?」

イギリスやフランスはその首都に立派なミュージアムがあり(大英博物館、ルーブル美術館)、自国の文化を内外に誇示しています。

ロシアの首都は古くはモスクワでしたが、日本の江戸時代の始め頃にペテルブルクに都を移しました。

いわばモスクワが京都でペテルブルクが東京です。

そしてこの東京たるペテルブルクに立派なエルミタージュがあります。

私は「National Museum」と名乗っているからには、日本の文化財を一堂に集めて内外に誇示しているものと思っていたのです。

そして見学してみてそのお粗末さに驚いたわけです。

驚きが激しかったので、家に帰ってホームページで調べてみました。

そうしたらこれは最近独立行政法人になっていたのです。

東京国立博物館の創業は明治5年ですから130年以上の歴史があります。

本部の下に四つの博物館(東京、京都、奈良、九州)がある組織になっています。

全部で239人の職員がいますが、そのうち8人が事務を行い、東京に127人います。京都、奈良、九州はそれぞれ42,34,28人です。

地方の博物館は東京のに比べて更にお粗末なのでしょう。

博物館(Museum)と言う言葉は、ギリシャ神話のミューズという美の女神様の名前から来ました。

だから美術品を並べる所だという考え方は理解できます。

しかしそれだけでは無いようです。

ルーブル美術館にも大英博物館にも自国のものだけでなく様々な地方の物が並んでいます。

ギリシャやローマの彫刻などが多いのです。

またエジプトやメソポタミアの物も多く集めています。

これらの陳列品は、王様などの支配者が富と権力で集めてきたものですから、個人的な趣味が反映されています。

しかし共通していることもあります。

これらの陳列品を見ていて、イギリスなりフランスなりが、自国を説明し自慢していると感じるのです。

ギリシャやローマというのはイギリスやフランスの文化の源流ですから、自国の伝統の流れの中でギリシャ・ローマの物を慈しんでいるわけです。

中近東はキリスト教発祥の地であり、やはり自分たちの文化の源の一つです。

またこれらの地域は、昔は自分の国の版図でもあったのです。

悠久の昔からの伝統の中で自分たちの文化が育まれ、今日の大をなしているという満足です。

自慢話をしてお金を取っては申し訳ないと思ったのでしょう。

大英博物館は入場無料です。

ルーブル美術館も曜日と時間を決めて無料にしています。

私は「国立博物館」と名乗っている以上、日本を代表して大いに日本の文化の自慢をしていると思っていたのです。

そしてその期待は見事に裏切られました。

上野の東京国立博物館に入って最初に陳列してあったのは茶碗でした。

「茶碗が日本の誇る文化の代表か?」とまず驚きました。

有田焼や伊万里焼が並べてあるのです。

その説明に「朝鮮や支那から作り方を教えてもらった」と書いています。

文化の相互の影響は当然です。

それを最初のところで「日本は教わってばっかりです」と宣言しているわけで、どういうつもりだろうと考え込んでしまいました。

その他は和服・刀剣・戦国時代・江戸時代や明治になってからの絵画・仏像そして古墳時代の埴輪や鏡の展示で終わりです。

これらをバラバラに並べてあるだけで、相互の関連やそこに流れる日本人の考え方がまるで感じられないのです。

何のことはない、骨董屋の店先です。

戦国時代の掛け軸に、西洋の絵画を真似して描いているのが展示されていました。

また大正時代に東京で開かれた万国博覧会の宣伝ポスターもありました。

こんなものはゲテモノで、国立博物館に展示するものではありません。

「よくも恥ずかしくないな」と思いました。

刀剣は展示していても鉄砲や槍は展示していません。

だからこの武器が武士の魂の象徴であり、大名同士の贈答品である美術品だという位置付けが分りません。

1600年に起きた関が原の戦いでは、東西30万の軍隊が戦いました。

こんな大軍の戦闘など同時代の他国では類がありません。

そのときの主力の武器は鉄砲と槍です。

関が原の合戦図の屏風を説明入りで展示し、鉄砲と槍を見せた後で美術品たる長船長光の刀を展示すべきなのです。

古今集の写本は展示されていましたが、源氏物語は影も形もありませんでした。

絵巻物や貝合わせなど源氏物語に関する美術品はいくらでもあります。

源氏物語に流れる仏教思想を説明すれば、日本の仏教の説明の取っ掛かりになります。

また源氏物語の題材は江戸時代の大名道具にまで及んでいるということも説明できます。

このように日本の誇る文化を評価してそれに合わせて展示品を選べば、日本の伝統文化が分ります。

東京国立博物館は明治5年(1872年)に出来ました。

130年以上の積み重ねがあってしかるべきですが、あまりに内容がお粗末です。

これは京都と奈良にも国立博物館があって貴重なものはそちらにあるからかもしれません。

博物館は骨董屋ではありませんから全体が分るようにすべきです。

「東京国立博物館」と日本を代表する名前がついていますからここで日本の全体が分るようにしなければなりません。

京都や奈良にも行かないと全体がわかりませんというのはおかしいのです。

それであれば東京の博物館は即刻閉鎖すべきです。

お寺や旧家にある貴重な文化財を集めてきて、一つのところで日本の文化の自慢をするのが国立博物館の仕事だと思います。

別に金を出して、文化財を国が買い取ることはないわけで、預かって展示するという方法もあります。

それをするには大義名分と国家の権威と日本に対する愛情が必要です。

歴代の日本政府にその気がなかったから、こんな下らない博物館が出来てしまったのです。

そもそも独立行政法人にするということは、国は今後金を出さないから今までに買っておいた骨董品を展示して自分で食っていけという意味です。

そんな態度で自慢が出来るわけがありません。

展示品の中には、いろいろな国の博物館の寄贈品が目立ちました。

自分たちの食い扶持を稼ぐために、外国に骨董品を恵んでもらっているのです。

そして独立行政法人になったとたんに九州にも博物館をつくってしましました。

今年の10月からは入館料を600円以上に値上げするそうです。

自国の文化を大事にしないことの付けがいつか廻ってくると思います。

私が書いた「東京国立博物館」を読んだ方が、これに関する意見を投稿してくださることになりました。

この方は学芸員で博物館の内部事情に詳しい方です。

次回はこの投稿を掲載いたします。

以下は、匿名の方からの寄稿文です。

「東京国立博物館」読ませていただいて、たしかにそうだ、と思う点もたくさんあります。

ただ、諸外国の博物館のほうがすぐれている点もありますが、日本ならではのものもあるのではないでしょうか。

批判ばかりしていても仕方ないので、日本の博物館の置かれた現状を多少擁護する視点から思ったことを少々書いてみようと思いました。

まず、日本の美術品の特性です。

欧州の彫刻は石が使われているものが多数ですが、日本のそれは木造や塑像(粘土)が大多数を占めます。

しかも彫刻の多くは歴史あるお寺や神社の所有が多く、現在もご本尊として祀られているものも少なくありません。

そうした現状から博物館に収めてしまうことには無理があります。

絵画についても、欧州では油彩やフレスコ画が多いですが、日本は岩絵具や墨で紙(紙本)や絹地(絹本)に描かれたものが主です。

形状は絵巻物、屏風、障壁画が大多数です。

とくに障壁画に関しては、仏像と同じく現在も寺院等で実際に使用されているものも少なくありません。

博物館や美術館に行くと掛け軸がたくさん見られますが、これも元は巻物だったものが断簡となって軸装されたものがほとんどです。

これら巻物は非常に繊細で、少しの光や空気に触れただけでひび割れや退色を余儀なくされてしまいます。

そのため、1回の展示期間は非常に短くならざるを得ないのです。

展覧会で絵巻物が展示される場合、確実に期間内に数回の巻きなおしがあります(ex.鳥獣戯画・・・現在京都国立博物館「大絵巻展」にて展示中)。

あるいは数巻に分かれているものの場合、1巻ずつ本物を展示し、ほかの巻はレプリカを展示します(ex.伴大納言絵詞・・・出光美術館所蔵・・・現在展示中)。

宗教美術品以外の美術品には、日本の豊かな四季を繊細に描いたものが多数あります。

東京国立博物館(以下、東博)もその季節に合わせてかなり頻繁に展示替えが行われています。絵画だけでなく、陶磁器類も同様です。

和食や和菓子はその小さな中に季節を表現しますが、その際には食器にも気を使います。

東博の陶磁器展示でも同様のことが言えます。衣装(着物の意匠)のコーナー、刀剣(柄や梗概)のコーナーもそうです。

たとえば、今の時期に山の紅葉がきれいに描かれた着物を着ていたらどうでしょう?

何か違和感を感じることと思います。

藤の花が描かれた着物をきれいに着こなした方とすれ違ったら、ふっと振り返りたくなりませんか?

春夏秋冬それぞれの時期に東博を訪れると美術品に込められたそんな四季のうつろいを感じることができます。

私立美術館もすぐれた美術品をたくさん持っています。

ここでも四季のうつろいにあわせた展示計画が作られています。

今の時期でしたら根津美術館の〈杜若図屏風・・・尾形光琳〉を思い浮かべる方も多いでしょう。

毎年、この時期に2週間ほど展示されます。2月でしたらMOA美術館の〈紅白梅図屏風・・・尾形光琳〉でしょうか。

近代日本画の巨匠、横山大観の〈夜桜・・・東京・大倉文化財団蔵〉〈紅葉・・・鳥取・足立美術館蔵〉も、それぞれの美術館で春、秋に展示されます。

数年前東博で行われた「横山大観・・・その心と芸術」という特別展でどちらの絵も見ましたが、一作品ずつでしたらそれぞれの季節に見たいものです。

ひとつの絵の中に春夏秋冬が描かれているものもあります。

私の頭にすぐに浮かぶのは〈上杉本洛中洛外図屏風・・・狩野探幽〉です。

六曲2双の屏風の中に京都の風景を鳥瞰的に描き、その中に四季の風物を織り込んでいるのです。

非常に細かい絵の中にたくさんの人々の四季の生活風景が非常に楽しい屏風絵です。

ここでも、日本人が四季のうつろいを非常に繊細に感じ、大切にしていたことがうかがわれると思います。

東博のメールマガジンがほぼ毎週届きます。

最新号で8月8日から〈夏秋草図屏風・・・酒井抱一〉が展示されると知りました。

立秋のあと、まだ夏の気配の残る時期にこの絵を見られることは、今から楽しみになります。

たしかに大英博物館やルーブル美術館に比べると規模も小さく貧弱に見えるかもしれない東博の展示です。

しかし、四季の豊かな日本の風土を絵に、陶器の絵付けに、着物の意匠に託した日本人の美意識に目を向けて見るともう少し違う見方ができるかも知れません。

こうして書いていて気づいたことがあります。

東博は、英国でいうと大英博物館よりもビクトリア&アルバート美術館(V&A)の展示内容に近いのではないでしょうか。

展示、収蔵品が生活調度品など、日々の生活に密着したものが多いのです。

私個人としては大英博物館よりもV&Aのほうが好みです。

こればかりは個人の好みなので、どちらがいいとはいえませんが。

京都・奈良国立博物館はほとんど行ったことがないに等しいので、内容についてはとくに触れません。

しかし、京博は場所柄、旧家や寺院の寄託品もかなり多いようです。

また、奈良博はなんといっても毎年文化の日をはさんで行われる正倉院展でしょう。これをめざしていく人は数知れずいます。

最後に九州国立博物館ですが、開館は昨年秋、国立博物館が独立行政法人になったあとのことですが、計画はかなり前からありました。

これだけの規模の博物館を作るには並大抵の年月ではできないのです。

東博の歴史もわずか130年です。

この間に日本は脱亜入欧政策、第二次世界大戦の敗戦などにより、自国の文化を投げ出そうとした時期が長くありました。

こうした時期に欧米人のコレクターが自国に持ち帰ったコレクションの中には国宝級のものもあります。

そのようなものが今、外国にあることに対して一抹の寂しさはありますが、もしも日本にあったら捨てられてしまったものもあるかもしれません。

戦火で焼けてしまったものもあるかもしれません。そう考えると持ち出されたことも一概に悪くはなかったのかな、とも思います。

また、こうした時期に鉄道会社のオーナーや財閥人がその富をすぐれた美術品に注ぎ、現在小規模な私立美術館がとてもいいコレクションを私たちに見せてくれることも忘れてはいけないでしょう。

正直なところ、私もリニューアルされた東博の常設展示は歴史の教科書の資料集を見ているようであまり好きではありません。

それでも、国宝や重要文化財に身近に出会える東博は私の好きな場所です。

小学6年生の時に教科書に出ていた銅鐸をどうしても見たくて父にせがんで連れて行ってもらったのが、私の意識的な博物館との出会いです。

ガラスケースの中にある銅鐸を目の前に夢のような思いをした記憶はいまだに鮮明です。

そのときに買ってもらった安田靱彦の〈夢殿〉の絵葉書は今も手元にあります。

今、東博は子どもたち向けの博物館の仕事あれこれを紹介や博物館内オリエンテーリングなどの企画が行われています。

こうした活動を通して「博物館は硬いものだ」というイメージが「博物館は楽しいところ」と思ってくれる子どもたちが増えること・・・そして長い目で見た将来、日本の文化行政がもっと充実したものになることを願ってやみません。

博物館の充実は博物館側だけの責任でもないのです。

来館者がさらに高度な要求をしていけばそれに答える術も考えるでしょう。

あきらめたら負けではないでしょうか。さらに文科省や文化庁へそれが届き、気づいてくれる職員がたくさんいればいうこともありませんが・・・

東博の私のお勧め・・・正門を入って左にそれたところにある法隆寺宝物館の1階です。

小さな仏様が一体ずつ薄暗い空間に並んでいてほっとできるところです。

書いているうちにとりとめもなくなってきましたが、日本の博物館も捨てたものじゃない、ということを少しでも感じていただければ幸いです。

以上が匿名の寄稿文でした。

私はこれを読んでこの方の日本に対する愛情の大きさを感じました。

また、日本の美術品の特質なども理解できました。

こういう方がもっと活躍されればいいですね。


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