教会へのお礼



 賛美に太鼓等の打楽器を拒否してた私が突然練習に参加させていただいて 自然に触れれるようになりました 帰りには注文したほどです 主のなさる事は本当に想像を超えます 一つ一つ薄皮をはぐようにこだわりやしがらみ、肉をそいでいってくれてるようです

 さんびの集会に参加しているときは  霊的に風を感じ 喜びも深まるのですが 家に帰って日々の暮らしの中でまたにごり水の中にはまっていくようで苦しみが続きます

 洗礼をうけた3男は登校拒否が続き まだ小4年です 私の身体も治らず腰痛も増え痛みが続きます 3度も祈っていただき心の癒しはうけましたが 肉の部分は癒されずよくなりません 主のご計画があると信じていますが やはり肉の苦しみは私を揺らします 長年通った気功療術も行かず我慢して祈りますが 信仰が薄いのか祈りが足らないのか よくなりません すべて祈るしかないのでしょうか あまりに受動的過ぎて 子供にも的確な事がしてやれず親として苦しい

 すべて主にゆだねますと決意したものの 現実の生活の中ではやはり苦しい この苦しみも与えられているものなのでしょうか?

 ドナルド(打つ勝つもの)と洗礼名をいただいた三男です 彼は今暗闇の中で何を見ているんでしょうか いいえ光の中で光だけを見て進んでいる であってほしいと祈ります 主にゆだねますと祈っていたのに あまりに学校へ行かない彼を見て やはり学校へ行って楽しんで欲しいと祈ってしまいます 先を思い悩んでしまいます 

 白いはとを読むにつれ 聖書を読むにつれ頭がこんがらがってきます 

 こんなときは歓びを忘れているんですね あんなに涙して打ち震えるときがあったのに 本当に弱いものです

 主よ どうかおあわれみを


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