東の野にかぎろひ立つ夜明け


東の野にかぎろひ立つ夜明け


 人麻呂の歌でもっとも素晴らしいと思うのは、軽皇子(後の文武天皇)に随行して安騎野に宿った時の作とされる長歌と短歌だ。
「石が根」「禁樹」をおしなべ「荒道」を往き、亡き父=草壁の皇子と遊猟した想い出の地を訪れた皇子は、懐かしさにこころ騒ぎ、寝つかれないままに朝を迎える。

 万葉集において長歌と短歌(反歌)はワンセットでひとつの「歌」と自分は考えるが、残念ながらここでは短歌のみを引用する。

 阿騎の野に宿る旅人打ち靡き寝(い)も寝らめやも古(いにしへ)思うに
 ま草刈る荒野にはあれど黄葉(もみぢば)の過ぎにし君が形見とぞ来し
 東の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
 日並(ひなみし)の皇子の尊の馬並めて御猟(みかり)立たしし時は来向かう

 第一首はむかしを想って眠れない軽皇子の姿、第二首は亡き父に呼びかける皇子の胸中、第三首で東の山野でゆらめく炎と西の残月を伴ないながら夜が明ける様を描き、そして第四首において、かってこの場所でこの時刻に馬上にあった草壁の幻をあらわす。(なお第一首・二首の主格を人麻呂自身とみなす見解もある)

 詠われた軽皇子の安騎野遊猟は父皇子の死からおよそ四年後(持統七年?)のことらしい。人麻呂は四年前にあった原点を現在に呼寄せ、さらに未来に向けて無限の密度で繰り返すヴィジョンを導出することに成功した。この歌の持つロマンに魅せられ、人麻呂の見た黎明をみずから体験しようと安騎野(現在の大宇陀町)を訪れる人も多いという。

 犬養孝博士の『万葉の旅』上巻には、十二月下旬の早朝、安騎野に「かぎろひの立つ見える瞬間」の写真が収められている。幾度も失敗を重ねた末にやっとこの写真を撮った伊藤銀造氏の手記を博士が紹介しておられる。これもまたいにしえへの恋しさが増すようないい文章なので引用しておく。

《東の空がしらみはじめたのかなと思われ出したのは四時すぎごろで、それがはっきりしてきたのは五時ごろ、そのころには月は西の空三十度位の高さまで傾き、蔭が長くなるためか、それまで比較的あかるかった地表が一段と暗さを増し、それに対比して東の空の白さがきわだって来た。実際の日の出は六時四十分すぎ、四時ごろから見られた最初の微光は黄道光によるものであったのだろう。》

 自然科学上の計算を用いれば、人麻呂の歌に詠われた夜明けが「何年何月何日の何時ごろだった」というところまで特定できるそうだ。面白いが、翠の黒髪に無粋なピン留を挿すような色気のない話でもある。


ZOUSHOHYOU


© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: