さくらママの日記

さくらママの日記

父親を知らない父親として




8ヶ月間さくらを見ていただいて有り難うございます。2002年11月に結婚、いきなり7歳の純平の父親に、翌年4月にさくらが生まれました。それまで子どもとの接触がなかった私は物心ついた時にはすでに父は家にいませんでした。友達の家庭を羨ましく思い、友達が家族で遊びに行くのを寂しい思いで見ていました。それからずっとファミリーに憧れ、いろいろありましたが、39歳にして初めて家庭を築きました。何もかも初めてです。父親としての純平との付き合い、昔の「親父」像を参考にスパルタもどきに叱ってみたり、仕事と組合で忙しいのを理由になかなか会話ができず気持ちが伝わらない時もありました。

4月も後半、出産が近づくと、心配で心配で仕事も手につかない状態でした。28日、陣痛らしき痛みがあり、会社を早退して一緒に病院に行き、入院。その夜は純平と2人で過ごしました。赤ちゃんがもうすぐ生まれること、お兄ちゃんになること、家のお手伝いをちゃんとすることを話しました。29日、朝から陣痛が激しくなり純平と交代でママの手を握り励ましました。分娩室に入り立ち会いました。小さい体で頑張るママ。私も心臓がはちきれそうなくらいのドキドキです。痛みが最高に達したと思われた時「オギャー!」さくら誕生です。母親の強さを感じたと同時に父親の責任の重さを初めて感じました。

それから数日の入院。家では2年生の純平と2人で慣れない洗濯など家事にてんやわんやでした。ママが家に帰ってきても、私にとって初めての育児は大変です。ママは仕事を2ヶ月休み、さくらの育児と、子どもみたいなパパと純平の世話に大変。私も会社からの合理化との闘いに大変でした。

3ヶ月目にバンビに入所。やっとママも仕事ができました。それから8ヶ月、いろんなことがありましたね。さくらもバンビでいろんな事を覚えました。私もおたより帳からいろいろ学びました。1日1日の出来事が私の教科書のようなものです。

たくさんの家庭が共働きでないと生活ができない世の中、頑張っても頑張っても社会保障の改悪や増税などで負担は増えるばかりです。アメリカの戦争に協力し、平和憲法も変えて昔の戦争をする国に戻りつつあります。私は戦争の経験はないけれども、さくらや純平、世界の子どもたちを戦争の犠牲にしたくない。イラクの子どもたちもたくさん犠牲になっています。私たちが今やらなければならない事は、子どもたちがすくすくと育つ環境をつくること。人間らしく生きていける日本をつくることです。私は労働組合の役員で頑張っています。父親として、子どもたちの明るい未来をつくるために全力で頑張ります。バンビを卒所してもお世話になったバンビを守っていきたい。子どもたちを大きくするために頑張っているお父さんお母さんが安心して働ける環境をつくっていきたいと思います。先生や父母のみなさん、本当に有り難うございました。

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