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―国語(1)―


 周囲の環境と比べると相対的に成績が落ちた高校以降でも、自分自身の成績の中では他の教科と比べれば相対的にできた。
 私の出た学科は、英国社のうち国語の配点だけが高いというものだったため、
「私がこの大学に受かったのは、ひとえに中学までの読書習慣による貯金から」
と言っていたのは私だけではなかった。
 現行の国語のテストは、「年齢に応じて完全に理解できるレベルをやや超えた範囲の文字化されたものを、日常的に自主的に読む習慣があるかどうか」のチェックであるといっても過言ではない。その習慣さえあれば、特別に切れる頭脳を持たなくても、7割方できるような読解力を測るものばかりを問題作成者は作っていることが多いからだ。
 これ以外に必要なものは、漢字表記など書記のマナーに関するいわば書くほうの立場が必要となる技術的なものを、定められたとおりに「正確に」暗記することである。
 漢文や古文などは外国語学習のようなものなので、暗記仕事が多いけれど、逆に規定の範囲内をしっかり暗記さえできていれば、それを駆使して読解ができるようなレベルである。(大学入試まではね)
 国語が抱えるややこしい問題は、「読解力」に「正義」や「道徳」のようなものを要求するところである。それを「美しい日本語」として、教え込もうとするのは大変危険であると私は思う。
 そして美的センスを共有しない場合に出てくる表現が、「正しい日本語」である。
 「正しい日本語」を学べば、「美しい日本語」を共有できるという思想は、ものすごーく間違っていると思う。
(この問題については、また書く。)















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