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-将来の夢-


幼稚園のころは「画家です」と答えていた。どういうわけか、そういう職業が世の中にある、ということは知っていたので、「絵をかいている人のお仕事の名前ってなあに」と父に聞いて覚えた単語だ。幼児の語彙なら「えかきさん」と和語で教えるのが普通なのだが、父にはそんな使い分けに関する配慮がなかった。いかめしい音読み熟語の画家という単語は、大真面目に答えているのに必ず笑われた。

年長組になると、この「大きくなったら…」の質問は、「どうしてそれになりたいのか」がセットでついてきていた。
子供たちにありがちな回答と理由
(1)ケーキ屋さん 「ケーキが食べたいから」
(2)おもちゃやさん「おもちゃで遊びたいから」
(3)お花屋さん  「花が好きだから」
聞いてくる大人たちは、そんな子供の無邪気さを喜ぶのだが、私はこれに疑問を持った。
(1)ケーキが食べたければ、買えばいいだろう。
(2)おもちゃ屋になる年齢になって、おもちゃで遊んだらおかしいだろう。
(3)商品が好きだからというのは、どんな商売でも使える表現だ。
それにしたって、全員が物を売る人ということでしか将来なりたいものを考えないのも変だよな、と思っていたのだ。
「画家」というのは「絵を描くことが好きだから」と正当で固有な理由がいえるところが気に入っていた。

学年が下の子の中には、
「大きくなったら飛行機になりたい」
というのがいた。たぶんパイロットという単語を知らないのだろうと察したが、この言葉通りだとしたら、物に成長するというのは難しいなと思った。
「大きくなったら象さんになりたい」
というのもいた。これも「大きくなったら」という意味を取り違えているのかもしれないが、私は魔法使いに出会ったとしても「象にしてください」とお願いするのは考えられなかったので、意外な回答だなと思った。

理由が自分で説明できるというのは、ある程度の言語能力があった上でしかできない。この子たちに、「どうしてそれになりたいの?」と聞いたところで、
「ぼくんち飛行機いっぱいあるよ。ジャルでしょルフトハンザでしょ…」とか
「このまえ動物園に行って象さんがいたの。うんち大きい。あひゃ」とか
彼らの脳内に自由に展開される、全然違う話題に移されていってしまうのだ。

この「将来の夢」というネタは、卒業をひかえた節目節目に聞かれることになる。卒業アルバムだか卒業文集だかに書けとなるのだ。
小学校で「料理の上手なお母さんになりたい」と書いたら、担任に「志が低い」といわれた。
中学校では「別にない。今のまま普通にいられればいい」というような曖昧な書き方をしたら、担任にもっと具体的な夢を設定しろといわれた。

小学校では6年間、中学校では3年間、さんざん考えてああでもないこうでもないということを「一生の記念」と高められた価値のものに、そんな思い付きで書けるもんかと担任のことばに反発心を持った。

もうとっくに大きくなっているのだが、低い志は達成しないまま、今後に関する具体的な夢もない。

細かい夢は、たいがい達成しちゃっているからなぁ。
想像力が豊かではないので、自分の能力と相談しながらできる範囲の最小限のことしか夢として設定できないのだ。

もっとでかい夢を考えるべきか。
 1:宝くじ高額当選
 2:今後70年間、無事故・無病
 3:月面旅行
風車に向かって突撃するような情熱がないものの考えるでかい夢って
自力での努力ではどうにもならないレベルのものばかり。


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