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―美大―


画家では食えないからではなく、その能力がないと悟ったからである。

大学受験でも美大を受け、一応補欠ながらも合格はした、というと「すごーい」とか言われちゃうのだが、実技試験や作品提出がなかったので、腕前が認められたというわけではない。

芸術学科という、プロデューサーを目指そうとするような学科なので、英語と社会(美術史中心)と小論文が課せられていた。
赤本を買って過去問をみたら、名画や名作を批評せよというものだった。
今でも覚えているが、過去2年の問題は、
ルチオフォンタナという人の、キャンバスを裂いただけのもの(タイトルは忘れた)
ナムジュンパイクという人の、便器を並べた「泉」というもの
前衛芸術にもっともらしい文を書くコツをさぐるため、通称「びてちょう」という『美術手帳』という雑誌を読んだりするくらいで、特に受験勉強はしなかった。

というのは、予備校の模試結果は、第一志望校などは殆ど「E判定」(合格は絶望的)であったが、この美大は判定「A判定」(楽勝合格圏内)だったからだ。たぶん美大に行く人は、予備校の模試なんか受けないので、このデータは全く意味がないものだが、もしかしたら受かるんじゃないかという気になっていた。

当日の入試は、都内のキャンパスでおこなわれた。
英語の問題はいきなり「えー、今年は趣向をかえまして、リスニング問題をおこないます」下を向いていた受験生、鼻をすする音とともに、いっせいに顔をあげた。
内容は、たいして難しくはなくて、「誰がどこにいる」とか「何はどこにある」とかいうのを話しているもので、用紙には部屋の間取り図があった。
で、問題が流れる。
「居間にソファの絵を描きなさい」
「台所にナイフの絵を描きなさい」
といった具合。
さすが美大。KNIFEという文字が書けることより、わかる絵が描けることが必要なことなのだろうと思った。

社会は日本史を選択したので、書院造がどうのこうのというところは大丈夫だったが、山川の用語集で頻度1というような、狩野派の画家の名前を書けというのが出たりして、わからないものが多く、こりゃダメかもと思った。

最後の小論文。
この年の入試担当はどうしたものか。
出てきた作品は、前衛的なモノではなく、レオナルドダヴィンチの「自画像」であった。
作家の生まれ育った背景とか、画材はどうだとか、ダレソレいう批評家はこれをどうこう言っているとか、しっかり勉強した人なら、もっともらしいことを書けるんだろうけど、これには困った。

試験開始と同時に、教室中にしゃくしゃくと鉛筆の音が、まるで桑の葉を食む蚕の音のように響く。って、養蚕の現場に行ったことはないのだが、そんな修辞が頭をぐるぐる回ってしまったくらい、表現に困ってしまっていた。
10分くらい腕組みをして考え、カラー印刷された自画像をパタパタともてあそぶ。目のところにあわせ、谷折・山折をして、笑うダヴィンチ、悲しむダヴィンチなどとやったり、ネタをひねり出そうとねばった。

ダヴィンチといえば、モナリザの微笑、自画像もはいってるよ、というような話はきいたことがあるが、そんな手垢にまみれた内容は、好まれるわけなかろう、ということは、高校生の頭でもわかっていた。
ふと、前日NHKで「麗子像」の番組をみたのを思い出した。
みた、というより、テレビを映した鏡をみていた。
鏡の中の麗子は、デッサンの狂いが際立っていて、いつも以上に薄気味悪い笑顔で微笑んでいた。

裏側から透かしてみたら、ダヴィンチの赤チョークのデッサンには、狂いがほとんどみられなかった。
すげー人だなぁと思って、それから何かひらめいて、デッサンの正確さに関連したことを書いた。実際書いた内容は、内容はまったく覚えていない。

しばらくして、不合格通知が来た。
すでに別の大学(芸術学科)が受かっていたし、日本史も小論文もろくなできではないとわかっていたので、あまり落胆はしなかった。
その後、もう1つ合格した大学があったので、芸術学科ではなかったけれど、なんとなくそっちのほうが庶民的でいいかなぁと思って、入学する手続きをとった。

そんな中、補欠のお知らせ電話がかかってきた。
電話口で、5分くらい迷って、結局「どうぞ次の方に」とお断りした。

「行きたかったら行ってもよかったのに」と親には言われたが、複数の理由で行く必要がないと判断した。

(1)2つの大学の手続き料で、すでに数十万円を払っているのに、それを全部無駄にして、さらに払ってもらうということに抵抗があった。

(2)受験したのは都内の校舎だったが、学部4年間の校舎は、入試パンフレットの航空写真にあるように、学校の建物以外は民家やアパートの一つなく、ただただ緑しかない強烈な場所にあった。他にも選択肢もできるようになったのだし、何も田舎からさらに田舎に行かなくても、という気になった。

(3)ひょっとすると、knifeを「NAIFU」と綴るような同級生もいるようなところに行って、話が合うだろうか、という心配があった。

(4)ここなら大学卒業して4年後にもう一度受験して合格できるかもしれないが、他の学校は学力的にたぶん無理だろうと予測した。

(5)勉強で落ちこぼれるのは、慣れているので、学力試験で入った学校で成績が悪くてもダメージがないが、好きでやっていることが「おまえはダメだ」とされたら、ダメージがでかい、だろうと怖気づいた。

というわけで、入学した大学では、4年間悪い成績ももらいながら、美術部に入ってのんびり遊んだりして、卒業後はまた学校を受験して、親から支援を受けながら、緑の少ない田舎にすみ、「おまえはダメだ」と何度も言われながら長い時間をすごし、現在はknifeを「ナイフ」と綴れないような人を相手にしている生活となった。
芸術からは遠く離れた日々であるが、だいたい予想どおりである。


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