気ままなデジカメ片手の散歩路

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勝又富美子さんのエッセイ





「今でもよく見る」と言ったのは、こういう夢の遠因が、あの三十余年前の引揚げの体験に外ならないからなのである。・・・

・・・(略)・・・

 奉天にいた私達の引揚は、終戦の翌る年の、五月末から六月にかけてはじまった。
 男達のいる家族は殆どなかった。その年の正月亡くなった長女の遺骨と、生まれてまだ二た月になったばかりの男の子を負うと、私は何ほどのものも持つことはが出来なかった。何もかも捨てた。・・・(略)・・・

 いよいよの段になると、赤ん坊は背に負う訳にはいかないのだった。そこにはリュックサックを担がなければならない。赤ん坊は負う紐で胸に結わえつけた。その紐には白い布で包んだ小さな箱の長女の遺骨を括らなければならなかった。それで、三才の次女の手を引く手が私にはもう残っていなかった。
 小さいリュックサックを負うと、三才の子はよろけた。親切な人がたまにこの子の手を引いてくれたが、併し皆自分のことで精一杯であった。
・・・・(略)・・・

 引揚げて一年一カ月経った。私の胸に括られていた赤ん坊の貞樹も、黙々と歩いていた次女の茅(かや)子も、同居していた兄の家の子が、かりそめに学校から貰って来た百日咳と痲疹に感染し、惣ちひどくなり、一と月たたないうちに相次いで夭折して了つた。・・・・・(略)・・・・


 あのレールを黙々と跨いだ健気な茅子の姿を思い起こすたび、その子らのむざむざ死なせて了つたことが、私には不憫で不憫でならぬ。


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この文を書かれたのは、終戦後30年経ってからだそうです。

ほとんど引揚げ当時のことは、語らずに思い出すのもいやだ。とおっしゃっていたが、
或る時に ふっきれたのか この執筆をされたそうです。



実は 実は わたしの ばあさま(母)と
きわめて近い体験と 同じような境遇であったんです。


これも 昨年末に 突然わかったことなんです。


それで ご紹介した文章が ファックスで入手しましたので、公開しました。


さて
これから ある明治生まれの 女性の人生の一部を
静かに じっくりと 熱く ほんの少し振り返ってみよう。。。っと。

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