さしの部屋

さしの部屋

テッラ・ディ・バーリ



プーリア州は大変南北に長い。今回の目的地は、ほぼ中心にあるバーリの周辺
La Terra di Bariと呼ばれる地方に集中している。

何度か来た事があるバーリの小さい空港についたのはお昼頃。
それから、バスに乗って市街に行き、軽くお昼ごはんを食べて早速、
本日第一の目的地、モルフェッタへと向かう。寂れた港町ではっきり言って、
観光客なんて来るはずもないと思われる。

駅前からは新市街を抜け、海の方の旧市街へと歩かなくてはいけない。
この町は建物と言う建物が、ほぼ全てエメラルドグリーンに近い明るい緑の
木製雨戸をつけていて、それが無機色で明るい壁とあいまって、
美しい違和感を感じさせる。まだ、お昼寝の時間帯なのか、旧市街には
ひと気がない。路地で一度だけすれ違った2人の可愛らしい女の子は、
突然のアジア人に釘付けで見入る。他の町の人のように、
「チーナ(中国)」とからかう余裕すらない様子である。

漁船が乱雑に並ぶ港に抜ける頃、サン・コッラード大聖堂が視界に現れる。
東側にそびえる双塔となんとも南国風な石の瓦が印象的な多角形の屋根が
2つ見える。内部はどうやら集中式になっているようであるが、
残念ながら修復中で堅く閉ざされていた。



仕方なくこれからの目的地であるトラーニの方の海を遠く眺める。
駅へ戻る頃、お店は夕方の営業の支度を始める。見慣れない外国人の姿に、
一瞬手を止めるが、何事もなかったのように仕事に戻るお姉さんから
聞こえてきたジングルベルの歌は、歌詞が「ジンジャー・ウェイ~♪」の
繰り返しであった。知っている英語をくっ付けたのであろう。
私も一節「ジンジャー・ウェイ~♪」と歌うと、とても嬉しそうだった。

モルフェッタからトラーニはほんの少しの距離である。
駅を出ると、この町が裕福で上品な事が一目で感じられる。

夕方町に繰り出す人ごみを抜け、地図もないままひたすらに海のほうに歩き、
そろそろかと思い住所を見ると、その広場がまさに、ホテルがある広場であった。

宗教施設かと思うほどにシンプルな客室は、天井が非常に高い。
ホテルを出て、今回の旅行の大事な目的の1つ、カテドラーレに向かう事にする。
途中、この町が夏場、上品な観光地になる理由を知る。
港がこじんまりとした湾になっていて、波が少なく、
個人の船が入ってくるのに最適な条件を満たしているのである。



写真は夜景と翌日の朝の景色である。

このカテドラルは海に近いところに広がる旧市街の最東、
海に飛び出しているかのようである。旧市街には、お店の類もほとんどないので、
暗くなり始めたこの時間、広い教会前広場には人っ子一人いない。
教会の裏側には、強くなり始めた風で荒立った真っ黒のアドリア海が広がる。

海を渡りオリエントに向かう巡礼者の通過点として、また、多くの異邦人を
受け入れてきたその立地条件を実感する。事実、この聖堂は、
巡礼者、聖ニコラ(バーリの聖ニコラとは別人)に捧げられている。

トラーニには多くのユダヤ人が住んでいた。現在でも、
その後、カトリック教会に改装されたシナゴーグなどが残る。

教会の内部は時間的に閉ざされているようなので、有料便所を営業する
おじさんに(そのおじさんぐらいしか人がいない)明日の朝は開くのかを尋ねる。
潮風と太陽にあたって生きてきたのを表すような深い皺いっぱいの顔で、
明日の朝8時に来てみなさいと教えてくれる。

南に来ただけあって夕飯の時間もミラノに比べ1時間は遅いようだ。
食前酒でもとふらりと入った上品なバールのおじさんは、先日まで違う職業を
していたのかと考えさせられるほど、几帳面で、手馴れていない様子で、
ワインと、そして、大皿にいっぱいのカナッペを出してくれる。
暗い照明の店内に流れる有線みたいな不釣合いの音楽が逆に印象を強くさせた。

この日の夕飯は海辺のレストランで取った。客は私たちだけで、
店員のおじさんたちは、テレビに見入っているが、きっと夏は、
栄えているに違いない。ワインを間違えたりするものの、カヴァテッリや
魚のグリルは十分満足するような味であった。
グラッパをご馳走になり、ホテルへと向かう。

翌朝、その質素なホテルの窓の外の中学の体育の授業の様子を
除き見ることになる。海も近い小さな校庭には3人の男の子が先生の指示で
前に出て縄跳びをしている。先生は、いいぞ、とか言って褒めているので、
どんな様子かと思い、見ていると、縄はたわんでいて、3回も飛べない。
本当にみんな飛べないんだろうなぁとある種感動しながらホテルを出、
バールで簡単な朝食を済ませ、昨日のカテドラルに向かう。

側面の入口から入ると、旧教会(地下層)に入ることになる。
時代ごとに、いくつもの教会が重ねられてつくられているのである。
シンプルな3廊式の教会をまた、数段下がった所に、
サン・ニコラ・ペッレグリーノのクリプタが広がる。スペインでみた
モスキータを思い出させる。柱頭の彫刻にはロマネスクらしい人頭が見られる。
階段を登ると、現在のカテドラルの広い空間に抜ける。

結婚式の準備をしている祭壇の所の床にはモザイクが部分的に残る。
アダムとイヴの肌が心なしか浅黒い。ロマネスク教会にはめずらしく
高い天井は木製で、身廊と祭壇の上にある辺がそれぞれ違う向きを持った
組み方をされている。これはその後の旅行でも見かける、
プーリア・ロマネスクの特徴の1つであろう。内部には、また、
ブロンズ製の正面扉のオリジナルが管理されている。

結婚式の準備をするお兄さんに話し掛けられ、軽くお話をしていると、
他の、地元の人ではなさそうなお兄さんがやってくる。
この教会は何世紀のもの?と問い掛けてくるお兄さんに、
答える事ができなかった地元のお兄さんは、何故か私に聞いてくる。
「12世紀ですよ」
そんなことは私に聞くのに、その後、自慢毛に私に教会の様式を質問してくる。
「じゃあ、この教会の様式を知っているかい?」
「ロマネスクでしょ。」
お兄さんは私の答えに不満そうなので
「ロマニコ・プリエーゼ(プーリア・ロマネスク)」
というと、とても満足してもらえる。

外に一歩出ると、強い風が吹き付ける。昨日の海は、真っ青に広がる。



旧市街には他にもいくつかのロマネスク教会が残る。どれをとっても、
規模の小さいものであるが、後陣の窓や、正面玄関の装飾は、
プーリア・ロマネスクにふさわしい、堂々とした動物装飾で覆われる。



旅行2日目。まずは、少し北に登り、バルレッタへと向かう。
こちらの大聖堂は、12時に閉まってしまう。間に合うかどうか。
10分前に到着して、慌てて内部に入る。祭壇の後ろに周歩廊が見られ、
当時、巡礼者が多く訪れた為、改装された事を思わせる。


後陣外部

ファサード側にも興味深い彫刻が残る。薔薇窓は取り外され、
内部に置かれているので、一瞬、大きな車輪か何かと思う。



教会にカメラを向けていると、地元の人たちが、撮ってくれとポーズを始める。
興味ないんだけど、、パチリ。トップの写真がこれである。

バルレッタの町はそうそうに退散し、
アンドレアに向かう。トラーニでバスを乗り換える。

ホテルのおじさんと約束していたとおり、ホテルにつくなり、
プライヴェート・タクシーを手配してもらう。
目的地はカステル・デル・モンテである。

タクシーはオリーブ畑の裏道を豪快に抜けていく。途中、遠めに
堂々と建つ城が視界に入る。丘の上をそしてエリアを支配している様子が
実感される。このお城の主、フェデリーコ2世は土地でも
大事に考えられているらしく、店舗の名前などにも
使われているのを何度か目にする事になる。



全てが八角形の、そして、8と言う数字のシンボルを基に作られている。
全体像が八角形なだけではなく、8本の塔に囲まれ、
中庭の上は八角形の穴が開いている。



正面玄関はこれも、フェデリーコの東方の数学や神秘学への興味を
表すがごとく、忠実な黄金比率によってつくられている。

内部には、囲炉裏や柱頭彫刻の跡が残る。が、それよりも私の心を惹くのは
各面の窓から広がる、テッラ・ディ・バーリの広大な景色である。
アンドレアの町も、コラーノもガルガーノも、手中に収められているよう。
外に出て、城の周りを歩いてみる。雪が少し残っている。他に数人の観光客を
見かけるのは、ユネスコの世界遺産に指定されているからと言うより、
イタリアのユーロの1セントの絵柄として採用された事によるであろう。

アンドリアの町に戻る。町のカテドラルのクリプタには
フェデリーコの第2、第3の妻の墓が残る。

時間になっても、教会は扉を開けようとしない。南の事だから、、と、
気楽に待っていると、隣の建物のおじさんに手招きされる。
今日は、夕方から、園児が劇をするから、教会は一般に開けないのだそうで、
裏から個人的に入れてもらう。おじさんは嬉しそうに細かい説明をしてくれる。

聖堂は祭壇がある東側が少し北向きに“く”の字に折れている。
13世紀のスペイン製の十字架像に向かっているのだそう。その十字架像
(カタローニャのものであろう)は火災の際にも全く焦げる事もなかった。
その十字架がぶら下げてあった天井のところのフックを眺めるが、それを
超えたところの木製天井の天井がには今でもはっきりと焦げた跡が見られる。

私たちの為にクリプタの階段への柵を開けてくれる。どこのクリプタにもよく
ある事であるが、教会の前身である、異教徒の寺院がそこにはあったのである。
彼らが聖獣として生贄にしていた牡牛のレリーフが見られる。そして、祭壇の
前には井戸のように穴があって、そこは牡牛の血を流す場所として使われていた。

その後、キリスト教徒により、穴は深く広くされ、洗礼槽として利用されていた。
当時、洗礼は前身を水に浸すものであったが、ここでは穴から紐でぶら下げ、
浸水していたのである。水が足りない時には貯水池としても利用される。
クリプタの一角には例の墓がひっそりと残る。
近年、DNA鑑定によって、本物である事がはっきりしたのである。

園児が到着してきておじさんは慌しく立ち去っていった。
その後、挨拶をと思うが、もう、どこに言ってしまったのか分からない。
クリスマス劇の為に着替えている子供たちは天使のように可愛らしい。

観光は終わってしまったが、夕飯の時間にはまだまだ早い。
観光局が木曜日の午後に限って開いているのを発見。おじさんと長話。
立派な小冊子や、本来は売っているカステル・デル・モンテの本を
もらってしまう。そして、おじさんは熱く勧める。モッチのコンフェッティの
お店に行ってみろ!買わなくてもいいからいっぱい味見させてくれるから。

コンフェッティとはアーモンドなどを砂糖コーティングした
よく、結婚式などで使われるお菓子であるが、
どうやらここが名産で、モッチという老舗が店舗を出しているんだそう。

勧められるままに、行ってみると、おばさんはこれでもかというほど一個ずつ
ピンセットみたいなもので取り出し、味見をさせてくれる。
アーモンドのものだけでなく、チョコレートコーティングした
へーゼルナッツとか、リキュールのボンボンとか色んな種類があって
とんでもなく美味しい。最近は、日本の人がやってきて、日本市場が開けるか
検討中なので、もしかしたら、今後、日本でも手に入ることになるのかも
しれないが、現在、大手の誘いも断り、限定の材料でひそやかに営業している。
100年以上の歴史を見てもらおうということで、博物館を作っているのだそう。
小さい店内には昔使っていた手動のマシーンが置かれている。

私ももちろん買ってきた。そして今、食べてみたのは、
ストレーガ(リキュール)が入ったものである。

すっかりコンフェッティの歴史に詳しくなって外に出るが、
まだまだ夕飯の時間には早いので、座れるバールを探してさまよう。

ところがである。ないのだ。お昼は、お菓子屋さんを兼ねるバールで
食べたのだが、あの時は本当についていたらしい。1時間近くさまようも、
おじさんたちが集う立ち飲みバールくらいしかない。疲れ果て、やっと見つけた
切り売りピザ屋で座らせてもらう。この辺の人はわざわざ外でお茶をしないのか。
思えば、男の人は男の人、女の人は女の人で集まっている。南らしい現象である。

レストランは先ほど目をつけておいた所に。ちょっと、入りづらい構えで、
高そうだったがメニューも出ていない。でも、バールと一緒で数がないので
選択の余地もないし、ビンポンを鳴らして扉を開けてもらう。品のいい店内。
伝統的な石の天井。客は私たちのみ。脅えてメニューを開ける。なにこれ?
激安。。。 ミラノの半分以下の価格である。

ところがどっこい、激ウマなのである。前菜には、この土地の名産生チーズ、
ブッラータがサービスされる。これは、新鮮な牛乳と生クリームで作ったもので、
水牛のモッツァレラチーズなんて比較にならないほどのお味だ。
ミラノで買ったら、平気で千円くらいする。パスタは、この地方の名産である
ソラマメのピューレを使ったマルタリアーティ。友人は海老などが入った
イカ墨のラビオリ。どちらも、高級店のお味。とっても凝っていて、
きれいで、そして、果てしなく美味しい。

メイン料理は、単純に言うと魚介のフライであるが、選び抜かれたお魚や
烏賊や海老がお上品にカラリと揚がっていて、どれをとっても美味しい。
ナポリあたりで食べるミックスフライとは別物である。小ぶりの舌平目の
フライも去ることながら、私は名前がわからない長さが15cmくらいの魚は、
自分のしっぽを咥える形にされ、カラリと揚がっている。
何にも頼んでないのに、新鮮なサラダもついてきた。

そしてデザートであるが、これがイタリアか!と疑うほどに繊細なお味。
一種のミルフィーユであるが、口でほんわりと広がるクリームが忘れられない。
その名もカステル・デル・モンテという地元のワインを堪能し、
お会計をするも。。。安。

もし万が一、アンドリアに行く事がある方は、ぜひここで食べてください。
Osteria Arco Marchese Via Arco Marchese 1 tel 0883-557826
カテドラルから歩いてすぐです。

さてと、すっかり興奮の夕飯の様子を書きましたが、旅行はまだまだ続きます。

翌日はバーリに帰りがてら、2つの町に寄る。1つ目はルーヴォ。
正式にはルーヴォ・ディ・プーリア。駅から高台の方に向かっていくと、
旧市街が見えてくる。ルーヴォのカテドラルは強い。一段下がった所に建つ
教会は長い歴史を感じさせる。地盤が低いと言う事だけで、ロマネスク期の地面が
今よりも低い事が分かるのだが、そのまた下にはローマの遺跡あったのである。



ファサードに刻まれた彫刻も、繊細ながら力強く、形式的には
共通しているにもかかわらず、他のカテドラルと何かが違う。



残念ながら鐘楼は完全に修復中で、覆われていて見学は不可能だが、
独立した鐘楼が横に建つと言う事自体、独特な気がした。このカテドラルが
他のものより、幾分新しい(と言っても13世紀)のものだからなのだろうか。

この町には、ギリシャの壺などをおさめたヤッタと言う名の博物館がある。
4つの展示室には、それ自体が骨董品みたいな展示ケースに収まった
考古学の品々が所狭しと並べられている。

帰り受付で預けていたリュックを受け取ると、日本語の説明書が
あったはずなんだけど、切れてしまったから、観光局に行ってきてね。
と言われるが疑い心満点。こんな所に???ところが、ばっちりありました。
誰が来るんだろうねぇ。よく出来ているのにも驚きです。

さて、2つ目の町、ビトントも歴史はとても古い。

駅から中心っぽい方面に歩いていくが、途中分からなくなり、おばさんに
聞いてみる。おばさんはいきなり噴出して笑い出し、、
「この町にわざわざカテドラルを見に来るなんて、、
バーリにはサン・ニコラがあるし、他にも色々あるのにぃ。」
画家さんであると言う彼女は、この町の出身ではないようで、
少し、下に見ているのか。それとも、それだけ私たちがめずらしいのか。
でも、とにかく親切に、途中まで一緒に来て道を教えてくれる。

旧市街に足を踏み入れると雰囲気は変わる。路地が続き、店舗がほとんど
見えなくなる。聖マリアと聖ヴァレンテーノの聖堂は、残念ながら昼休みで、
夕方5時に開くとのことで内部見学は出来ませんでしたが、外見だけでも、、
大満足。側面のアーチの所には可愛らしい彫刻が並び、真っ白で美しい。



下から見上げると、ファサードの偉大さが実感できる。



教会の正面の側面には他のより新しい建物がくっ付いている。だから広場が
三角みたいになっていて不思議な空間。事実、建物は密集していて、
後ろから見ると四角くて唐突に生える鐘楼が、民家の隙間に見える。
この形自体もとても変わっていると思うが、その後、
バーリのカテドラルでも同じ様式を取っているのに気付くことになる。



さてと、お昼ごはんをと思いましたが、またしても、何にもない。
やっとの事で、駅の近所でテイクアウトのお店を見つけ、購入。
電車を待ちながら駅のホームのベンチで食べ物を広げると、3匹の駅の犬に
囲まれてしまう。悪いワンちゃんたちではないから、見ているだけだったけど、
仕方ないから背もたれの上に座って、見つめられながらの慌しい昼食。
しばらくすると、駅員がお昼ごはんに呼んだようで、現金にも立ち去っていった。

一晩寝て、翌日は1日バーリ観光。バーリは3度目なので、一通り見た事は
あったが、この地方の建築物を見た後に改めて見るのは印象が違う。

バーリの旧市街は、はっきり言って恐いです。突然、スラム街にでも
入ってきたかのような印象。地上階には民家の台所がカーテン越しに見え、
狭い部屋に何人もの家族が集っている。路地を乱暴に回るスクーター。
すごい音量で響き渡るテレビやステレオの音。大胆にぶら下がる
洗濯物はびちゃびちゃで、ナポリの洗濯物よりも、もっと大胆。
この町で静かな暮らしなんて絶対出来ません。

そんな訳で、バーリの写真はありません。
デジカメなんて間違っても取り出せませんから。

旧市街には、いくつか見所があるが、有名なサン・ニコラ教会と、カテドラルが
すばらしい。サン・ニコラは全てのプーリア・ロマネスクの基本と考えられると
言っていいでしょう。聖堂側面のブースのようになった形式や祭壇に置かれた
小寺のようなチボリウムは他の教会でも見かけてきたもの。北イタリアの
(特にモデナなど)の影響が見られるというのも興味深い話。
カテドラ(司教座)、つまり、司教さんの椅子はとても有名で、
小さい人間が支えているような彫刻で出来ている。

クリプタでは、礼拝が行われていて、音楽的な意味でとてもきれいな声で、
聞き入ってしまう。聖ニコラは正教徒に崇拝される事もあり、ロシアや
ギリシャの信者がここを多く訪れるそう。実際、クリプタの一角には
オーソドックスの為の礼拝堂が、彼らの特徴であるイコンに囲まれ存在している。

カテドラルの内部は修復中だったので、今まで行った事のない附属の博物館に
入ってみる。そこが、、すばらしいのです。

巻物の形で描かれた12世紀の絵(や文字)が2本保存されており、
言葉を失う美しさ。館員さんが私たちの為に、紹介ビデオをつけてくれて、
小冊子もプレゼントしてくれた。博物館自体は近年改装されたらしく、
ビザンチン的なイコンを多く持っている。最終的には、館員さんの他にも、
偉い人らしいおじさんもやってきて、あれも見たかこれも見たか。
最初のお姉さんが、彼女たちはとても注意深くすべて見ていました。
とお返事したので、満足そうに去っていった。

博物館に働いていて、きっと、私たちみたいに、これでもかって言う勢いで、
展示物を眺めて、しかも、イタリア語で質問してくるだなんて、
きっととても嬉しいんでしょう。握手をしてその場を立ち去りました。

ここでこの旅行は終わりません。だって、最後にランチではいった
レストランがまたまた激ウマだったんですから。
実はここ、前日の夜から目をつけていたのです。

手書きのメニューには特産品がいっぱい。席も、予約でいっぱいだったけど、
幸い、ホールの方に、席を作ってもらえました。

名前は忘れちゃったけど、オレッキエッテの上にトマトソースとチーズをかけて、
テラッコッタの容器でオーブン焼きしたお料理と、子羊をとことん柔らかく
なるまでお野菜と煮込んだお料理を頂きました。本格派でしたね。お値段は、
バーリと言う都会にあっても、前のレストランと同じくらい。納得です。

最終日だからお昼からボトルワインをあけてしまいました。
プリミティーヴォという地元のワイン。

ただいまこれを書きながら、開けることにしました。
お土産に買ってきたプリミティーヴォ。。





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