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来年の2月8日に三重県津市でイベントを企画している。今年、ぼくの知り合いが2人、本を出した。一人は、樋口英明さん。原発を止めた裁判長として、全国で講演をしている。退官してゆっくりと暮せる身分だ。しかし、裁判の中で原発の危険性を知り、彼は運転差し止めの判決を出した。これまでだれも出さなかった判決だ。何しろ、原発稼働は国策だから、長い物には巻かれるのが処世術だ。彼は巻かれなかった。自分で調べて判断したことに忠実に生きた。それでも原発再稼働への動きは止まらない。このままでは大変なことになると、全国を回り、現役中よりも多忙な日々を送っているのだ。生涯、正義のために生きていく人。本当に尊敬する。彼の著書『原発を止めた裁判官による 保守のための原発入門』(岩波書店)を、ぜひ読んでいただきた。原発問題を入り口に、自分の国を護るとはどういうことか、今、真剣に考える必要がある。もう一人が、新垣玄龍さん。彼もインパクトのある生き方をしている。今は伊勢市で整体院を開いている。僧侶の資格ももっている。社会にどうしたら役立つ活動ができるか、模索し行動している方だ。彼は沖縄で生まれ、極貧家庭で育った。20代は、道をそれて、極道の世界で名を挙げた。若くして組長まで上り詰めた、やくざのエリートだ。しかし、獄中で不思議な体験をする。自分の無力さに気づく。人生の大きな転換だ。得度し、ミャンマーで修行をし、伊勢の地で地道ながら、真正面から自分の人生に向き合っている。人はだれでも生き直せる!決して簡単なことではないが、彼のようなお手本がいるので、勇気をもらえる。『任侠 愚教に死す 闇社会から光の社会へ』(さくら舎)もご一読いただきたい。日時:2025年2月8日 13時30分受付開始 18時まで (その後、懇親会も予定しています)参加費:2000円(懇親会別)場所:津リージョンプラザ3F 第7会議室(津市役所隣)お申込み・お問合せは下のチラシをご覧ください。
2024年12月01日
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7年前に亡くなった父親はたき火が好きだった。朝起きると、東側にある裏口から出て、竹やぶの前の空き地で、タバコを吸いながら、ゆったりと朝のひと時を楽しんでいた。直火だったので、煙がもくもく上がり、火の粉も飛ぶ。火事の危険もあるし、近所からクレームがあったようだが、そのあたりは、まるで気にする様子はなかった。近所の人もあきらめたみたいで、父のたき火は体が不自由になるまで続いた。ぼくも山梨では庭でのたき火を楽しんだ。さすがに直火ではできないので、最初は、ペール缶の上ぶたを半分だけ切って、残ったところに丸い穴を開け、そこへステンレスの煙突を突っ込んで、ロケットストーブを作った。ロケットストーブだと、煙突に吸い込まれた煙が、そこで二次燃焼を起こすので、ほとんど出なくなる。もっとも、山梨は果樹をせん定したときの枝を燃やしてもいいということになっている。あちこちで煙が上がっているのが日常の光景だ。たき火を禁止すると、せん定枝の処分ができない。だから、庭にドラム缶を置いて、その中でがんがん燃やして、大量の煙が出ようが、余程のことがない限り、文句を言われない。ペール缶のロケットストーブでは、大した量を燃やすことはできない。だから、ぼくもドラム缶で木っ端やら竹やら紙ごみを燃やして、火の温もりや炎に癒されてきた。こっちではそういうわけにはいかない。それで、U字溝を使って、ロケットストーブを作った。燃え始めは煙が出るけれども、火に勢いが出始めたら、煙は気にならなくなる。ドラム缶のように大量に燃やせないが、割って細くした竹や、木の枝を切ってくべたりしているのだ。今日は、水を入れた鍋を煙突の上に乗せてみた。ちょっと火力が弱い。春には、目の前の竹やぶでとれたタケノコを湯がこうと思っているが、今のままでは無理かもしれない。もうワンサイズかツーサイズ大きなU字溝で作らないと。今のサイズでもちょっと構造を工夫すれば可能かもしれない。模索しているところだ。不器用で、知識も技術も乏しいけれども、できる範囲で、へらくそながら何かを作るというのも楽しいものだ。
2024年11月30日
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競馬で300万円儲けた夢を見た。20年くらい前まではよく馬券を買っていた。競馬場へのよく行った。さすがに300万円も儲けたことはない。それでも最高で1万円が30万円くらいになったことはあった。と言っても、ほとんど外している、下手の横好き。久々に気持ちのいい夢だった。ぼくが応援していたのは人気のない逃げ馬。おかしな話だけど、ぼくは騎手でもあった。上手に力をセーブしながら逃げて、ゴール前は全力を振り絞り、ギリギリ逃げ粘っての勝利。よく競馬では、馬7、人3という言い方をする。馬の実力が7割で、騎手や調教師の腕が3割ということ。夢の中の競馬では、ぼくの3割の力が、馬の能力を150パーセント、200パーセント発揮させた気がする。人も、生かされている部分が7割で、自分の意志でどうにかなる部分が3割と考えてみるといいのかなと思ったりする。7割は運。競馬で言えば馬。運と言っても、放っておけば何とかなるのではなく、運の流れを見ながら、ここぞといいうときには、一気にゴーサインを出す。それが3割の自分の意志。そんなことを考えていた。それにしても、たとえ夢の中であっても、300万円がポンと入るというのはうれしいものだ。お金というのは、親のほめ言葉みたいなありがたさがある。安心感をもたらせてくれる。ぼくみたいに、人間的に親離れしていない段階の人には必要なものだ。十分に成熟して、親の支えなく、自分の力で進んでいけるようになれば、大した価値がなくなってくるのだろう。この300万円で何をするか。そんなこと、想像してみよう。
2024年11月27日
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裏ヤブにサルが現れた話をした。近所のおばあちゃんの家では、畑が荒らされて、じゃがいもやタマネギがとられたそうだ。 YouTubeに、長野県の小谷村にある小さな集落(10戸25人)の話が紹介されていた。 イノシシやシカ、クマによる食害があって、畑のまわりには3段の電気柵を設置したりして対応してきた。6年ほど前からサルが出没するようになった。3段の柵では、サルはやすやすと乗り越えてくる。 困った村人は、一人の若い移住者の提案でヤギを飼うことにした。2頭のヤギを畑の近辺に放牧したのだ。 すると、サルだけでなくイノシシやシカ、クマも出没しなくなったと言う。 なぜ、ヤギを飼うとサルが来なくなるか。ヤギの見つめる効果らしい。ヤギは、非常に好奇心が旺盛で、人でも動物でも、何者だろう? とじーっと見つめる。ときには近づいて行って、さらに見つめ続ける。 サルたちにはヤギの視線が気になるのだろう。 実際、我が家でもヤギの目力を感じることはよくある。作業をしていると、背中に氣を感じることがある。振り返ると、ヤギがぼくの方を見つめているのだ。 あるいは、じっと見つめられると、ついついエサをやってしまう。 にらみつけられるというよりも、あいつらの目や表情に飲み込まれてしまうような感覚になったりする。 サル対策として、イヌが使われることがあるが、イヌは、吠えたりして威嚇してサルを追い払う。しかし、ヤギは好奇心をもってじっと見つめることで、サルが恥ずかしがって逃げていく。 政治も人間関係も、ヤギを見習えばいい。敵対する人がいたら、攻撃したり無視したりするのではなく、相手に興味をもってじーっと観察をする。 なんでこんなことをするのだろう?何をしたいのだろう? 好奇心の種はいくらでもある。 どんな人に対してでも、心を寄せるということだ。 そうすると、相手もきちんとした距離をとってくれる。 余計な争いをしなくてすむ。 トルストイの「イワンの馬鹿」がそんな物語だ。 ヤギたちと一緒にいると、ホッとする。彼らは独特の世界をもっている。 学ぶことがいっぱいあって楽しいヤギ飼い生活だ。
2024年11月26日
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一昨日、とても面白いことがあった。朝のこと。テレビから倉本聰さん原作の映画『海の沈黙』のコマーシャルが流れてきた。「たまには映画でも見に行こうか」一緒に見ていた妻に声をかけた。結婚して35年近くなるが、2人で映画を見に行ったのは2~3回か。「いいわね。いつ行くって決めないとなかなか行けないからね」「いつかが実現した試しはないって言うからな。じゃあ行こう。『海の沈黙』を見に行く?」「見たい映画があるの。前に話したでしょう。『侍タイムトリッパー』。お侍さんが江戸時代から現代にタイムスリップする話。監督さんが米農家もしていていて、自腹を切って自主製作して話題になっているって、テレビで紹介していたの」「でも、このへんでやってるの?」自主製作の映画だから、全国の映画館で1ヵ月とか上映されるわけではない。この映画も、最初は池袋の1館だけで上映されただけで、普通なら話題にもならずに消えていくのだが、見た人の口コミが広がって、今では全国で見られる。全国各地と言っても、地方だと限られた映画館で1日とか2日だけ上映される、まだまだマイナーな映画だ。妻はこの映画のことを知ったときに、どこで上映されているか調べたらしい。「あのときは山梨だったから、上映館はなかったし、鈴鹿に引っ越してから三重県でやっていないか調べたら、うちから1時間とか1時間半かかるところだったから、あきらめていたの」「思い出した。東員町の映画館だったよ。桑名に用事があるし、行ってみようか」桑名には大きな苗木屋さんがあって、そこでスモモの苗を買いたいと思っていたのだ。でも、今でもやっているかどうかは定かではない。さっそくネットを開いて、上映館を開いてみた。「見て」「何?」「ほら」奇跡ってやつだ。我が家から15分ほどのところにあるイオンの映画館で、この日だけ、15時半から上映されるのだ。「えーっ!」「行こうか」「行こうよ」という劇的な展開で、この映画を見ることができた。そして、この話にはおまけもある。平日の午後だから、観客は少ないだろうと思っていたが、なんと、ぼくたち以外にはだれもいなかった。2人で貸し切り。「明日はいい夫婦の日だから、前祝いかな」上映する側にとってはうれしくないかもしれないが、ぼくたちにとっては、これも奇跡だ。すごいいい映画だった。まわりにだれもいないから、大声で笑った。泣いたし、胸がジーンとする場面もあったし、話題になるのもわかる。終わったあとも、笑いがこみ上げてきた。映画館を出てしばらく、2人で笑い合っていた。まわりから見たら、「おかしなじいさん、ばあさんがいるぞ」っていう感じだっただろう。実は、映画に行く前、何が原因だったか、つまらないいさかいがあった。行きの車では口数も少なく、重い空気だった。しかし、帰りの軽いこと。すっかりいさかいのことは忘れてしまっている。映画のおかげで、平穏無事、楽しく、いい夫婦の日を迎えることができた。奇跡というのは、日常の中にあふれている。こういう出来事を見せられ、「うわー」「すごい」と感動することで、奇跡はさらに起こるという仕組みだろうと思う。
2024年11月23日
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昨日の朝、裏ヤブでギャーギャーと何かの鳴き声がする。「何がいるの?」「鳥が鳴いてるんじゃないの」「あんな鳴き方する鳥っている?」「さあ、どうかな」一緒にヤギの世話をしていた妻と、こんな会話を交わした。「あれ見て!」妻が小高い木の上の方を指さした。茶色い体に赤い顔。サルだ。1匹じゃないぞ。何匹もが、木の上を伝っている。この夏、同じ村の親戚が、「サルにブドウを全部食べられた」と憤慨していたのを思い出す。あれは西の外れだったが、今日は東側。同じ群れが移動したのか、別の群れか。遠巻きに観察している感じで、襲ってくるという雰囲気はない。「どうしようか」「ヤギがいると逃げて行くって言うよね」ヤギがいると猿が近づかないと聞く。動画でも、猿の害に困っていたある村が、ヤギを飼い始めたら、猿の姿を見なくなったというのがあった。イノシシやクマの出没回数も減ったそうだ。竹ヤブと隣接した畑にヤギを2頭連れて行って、様子を見ることにした。かっくんと元氣という2頭を、畑に打ち付けた杭につないだ。猿たちは、木から降りて、ヤブの中から何が起こるのか見ている。子猿を含めて、6頭か7頭はいる。元氣は平然と畑の草を食べていたが、かっくんは少し警戒している様子。ヤギは、好奇心が旺盛で、見慣れないものがいると、ジーッと見つめる。かっくんは、ヤブの中にいる猿とにらめっこ。威嚇するわけではない。猿も静かにしている。そのうち、猿たちは姿を消した。猿は、ヤギに見詰められるのが嫌で、逃げていくらしい。ホントかなと思うけれども、一応、猿は去った。ヤギ効果だといいな。畑に柵を作ってヤギを放牧し、猿たちの動向を見てみよう!
2024年11月19日
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テレビで、三重県多気町にあるvison(ヴィソン)という施設を紹介していた。この間、わんちゃんのイベントがあって、妻と娘と行ってきたばかりだ。ホテルあり、レストランあり、お風呂ありと、とにかく楽しみいっぱいの大型のリゾート施設なのだ。ぼくたちは、あいにくの雨だったこともあって、2時間ほど足早に回っただけだった。広すぎて、いろいろなものがありすぎて、つかみどころがない印象を受けて帰ってきた。テレビで見て、もう一度、じっくりと行ってみる価値はあるかなと思った次第だ。テレビで、ここを開発した立花さんという方が言っていた、「あえて田舎に作った」という言葉が印象に残っている。多気町は人口1万3000人ほどの小さな町だが、この数年で、visonは350万人もの人を全国から呼び集めているのだ。「あえて田舎」というのがいいな。田舎に引きこもってしまうのではなく、田舎を表に引っ張り出す。引っ張り出さないまでも、その地域の良さを見直すようにする。くすんだ田舎を少しでも輝かせる。そこに住む人が誇りとまではいかなくても、嫌いにならない場所にする。わが村は、20軒ほどの小さな集落。いわゆる限界集落だ。このままだと10年もすれば、消滅寸前という状態だろうと思う。そんな取るに足らない村から、何かの物語が始まらないかと、あれこれ考えている。昨日、隣のおばあちゃんから、「日野菜漬け」をいただいた。どんなものがピンとこなかったが、ぱっと器のふたをあけて、「ああ、これか」と思い出した。母親がよく作ってくれた。おいしい。これだけで、ご飯が何杯も食べられる。決して豪華ではないし、見栄えのする見かけでもない。でも、ごはんののせて食べると、生活がにじみ出てくるような味で、心が満たされる思いがする。こういうものが売りになる時代に向かいつつあると、ぼくは感じている。近所のおばあちゃん方を巻き込んで、昔の味を楽しめるような、仕掛けをしたいと思っている。
2024年11月17日
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ネットニュースにあったが、田舎での生活にあこがれて、都会から移住してきた人たち。薪ストーブは田舎生活のシンボルでもある。しかし、薪ストーブの煙に、近所からクレームが出るのだそうだ。法的にはまったく問題ないが、煙のない時代だから、ちょっと煙かったりすると、くさいだの、洗濯物ににおいがつくだの、文句が出てくる。移住者も言い返して、人間関係が悪くなってしまう。せっかくの田舎暮らしが台無しだ。このニュースを見て、自分が子どものころを思い出した。夕方になると、家々の屋根の煙突から煙が出る。もうすぐ晩ごはんだ。帰らないと。家路につく合図みたいなものだ。煙のにおいが村に充満する。懐かしい夕方の光景だ。都会でも田舎でも、みなさん余裕がなくなってきて、いろいろ粗さがしばかりをするようになる。どこでもたき火が禁止されている。燃やしたいものがたくさんあるけど、なかなかできない。その点、山梨は良かった。庭にドラム缶を置いて、この時期は、毎日、たき火だった。炎を見ながら温まるのは、すてきな癒しの時間だった。山梨は、果樹栽培が多いから、せん定した枝を処分するのに、たき火が許可されているようだ。あちこちで煙が上がっている。においが流れてくることだってある。しかし、ぼくは、煙の上がる景色が、とても心地よかった。人ぞれぞれだけど、何だか、窮屈になった気がするな。
2024年11月16日
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毎月一回、東京へ行く。帯津良一先生とお会いするためだ。先生とのお付き合いは、1988年に上海の気功のシンポジウムが始まりだから36年になる。先生は50代、ぼくは30代だった。以来、一緒に本を作ったり、先生の講演会やセミナーを企画したり、病院を訪ねて夕食をごちそうになったり、今も、東京でラジオの先生の番組を収録して、一杯飲んで帰ってくる。先生は、怒らないし、偉ぶらないし、いつもニコニコしている。それでいて、ホリスティック医学という大きな志は揺らぐことはないが、それ以外のことなら、大らかに笑って受け流す。帯津先生からどれだけのことを学んだか。今、ぼくがこんなにもゆったりと生きられるのは、先生のおかげだと思う。ぼくは、まわりからは、「何がしたいのかわからない」とか「言うことがころころ変わる」とか、そう思われている部分はあるけれども、わかる人にはわかる。帯津先生は、ぼくのつかみどころはないけれども、何か大志を抱いているという、雰囲気を感じ取ってくださっていると思う。先生のおかげなのだが。だから、お忙しい中、月に一度は会ってくださって、お酒も飲めるのだと、ぼくは信じている。20年以上も前だろうか。ぼくは先生にこんなことを言ったのを覚えている。「先生が90歳でぼくが70歳になったころ、一緒に飲みたいですね。どんな話をするんだろう」ずっと先の話だと思っていたが、来年の2月には先生は89歳、3月にはぼくが69歳になる。2026年には、90歳と70歳の飲み会ができるのだ。よもやま話で終わると思うが、話の内容よりも、先生と共有する時間と空間が大事なわけで、あと1年と少し、楽しみにしていたい。飲み会
2024年11月15日
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今のヤギーずの主食は芋のツル。喜んで食べる。去年も一昨年もそうだったが、近所の方からたくさんもらえる。実家の裏に、単管パイプで干場を作った。乾いた芋ツルは、冬場のヤギの保存食になる。芋のツルは、農家にとってはやっかいものだ。かさばるし、重いし、なかなか乾かないし、みなさん、その処分には苦戦している。ぼくが「いただきますよ」と言うと、喜んで、畑の隅に積んでおいてくれる。ぼくも、ヤギたちの冬のエサになるので、うれしい限りだ。ウインウインのいい人間関係が作れる。去年も一昨年も、ずいぶんと芋ツルは集めた。ただ、重たい。畑から軽のワゴンに乗せて、下ろして干場に干す。そのせいか、10日間ほど、坐骨神経痛で痛い思いをした。おかげさまで、痛みはなくなったが、無理はできない。妻や娘たちが力仕事を代わってやってくれて助かった。芋ツル集めはそろそろ終了。ヤギたちも芋ツルだけでは飽きるので、草や木の葉を集めて歩かないと。
2024年11月13日
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土曜日、愛知県の無門福祉会という障がい者施設の収穫祭に行ってきた。自然栽培による農福連携を積極的に進めている施設だ。正直、あまり期待してなかったが、なかなか盛り上がった会だった。34回目ということで、34メートルの巻きずしをみんなで巻いたり、しいたけの詰め放題があったり、もち投げも楽しかった。その中で特に、井上あずさ&ゆーゆのライブはすてきだった。井上さんは、「となりのトトロ」や「天空の城ラピュタ」の主題歌を歌っている、メジャーなアーティスト。ところが、2023年8月のこと、40周年記念コンサートのリハーサル中に脳出血で倒れ、死線をさまよった。ゆーゆさんは愛娘。歌手でもある彼女にサポートしてもらい、左手左足のまひを抱えながらも車いすで復活。2人でコンサート活動を行っている。「集中力は3歳児波です」と笑っていたが、言葉もところどころで舌がもつれたりして、かつての歌声は戻ってない。しかし、彼女の歌への思いはしっかり伝ってきた。脳に障がいを負った人は、子どもみたいに無邪気になる人が多い。あずみさんも同じで、歌えることへの喜びが、ストレートに響くのだ。車いすの上のあずみさんが、「あるこう あるこう・・・」とトトロの主題歌「さんぽ」を笑顔でうれしそうに歌う姿。そこには切なさはない。まだ歩けないからこそ、歩く楽しさがあふれている。母娘ならではの掛け合いもほのぼのとしていて、ほっとするひとときでもあった。50代も後半になり、大病をすると、気持ちが一気に沈んでしまうもの。彼女も、40周年という記念のイベントを目前にして倒れたわけだから、ショックだったはずだ。しかし、気持ちを入れ替え、まだまだやるぞという気迫がある。来年はアジアツアーを企画していると言う。病気であろうと、その状況の中でやれることはある。久々に胸が躍った。
2024年11月12日
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日本では総理大臣が代わり、選挙で与党が過半数割れとなり、アメリカではトランプさんが大統領に返り咲いた。とんでもない激動の中にいるわけだが、ぼくには実感がなくて、今日も、ぼんやりと秋の青空をながめている。政治や経済のことは、ぼくには遠い世界のように思ってきた。「関係ないや」と他人事のように思ってきた。ぼくの関心は、環境問題とかエネルギーや農業や福祉、医療のこと。より良い世の中を作り、自分も家族も幸せに生きるにはどうすればいいかということ。しかし、この興味のある問題は、実は、政治や経済と切り離して考えることはできないわけで、政治や経済のことも知らないといけないなというのが、この数日の心境の変化である。日本の政局、アメリカの大統領選の結果、経済は大きく動くし、それによって、ぼくたちの生活が変わり、原発はどうなるのか、農業は見直されるのかといったことも、影響を受けることになるのだ。大きな部分での世の中の動きを知り、さらには、小さな部分で、自分の暮らし方をどう変えていくかを実践する。この両輪が必要だ。テレビや新聞の報道、訳知り顔で語る人たちに振り回されることなく、自分の道をしっかりと進むには、自分なりに世の中を見るセンスが必要だ。この世の中、何かおかしい。何がおかしいのか。おぼろげでいいので、ぼくなりに答えを出すにはどうしたらいいか、少し、視野を広げて考えてみようと思う。
2024年11月07日
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坐骨神経痛が出て一週間になる。おかげさまで、ずいぶんと楽になってきた。痛いのは、朝起きたときだけ。起きてすぐにトイレへ行く。歩き始めは「今朝はいいな」と安心するのだが、数歩進むと、「うっ」とうなる。不快な痛みが、左腰から左の太もも(裏側)にかけて走り出すのだ。一週間、坐骨神経痛という「病気」を体験した思った。妻も娘も、ずいぶんといたわってくれる。力仕事は免除される。よく「病気には苦痛が伴うけれども、得することもあるよ」と聞かされてきた。そうだなと思う。子どものころ、風邪をひいて熱を出すと、学校は休めるし、母親はやさしいし、普段は食べられないようなおいしいものがもらえてりする。ぼくが小さいころのおいしいものと言えば、バナナだったな。シュークリームでも出てきたら、もう苦痛などどこかへ飛んでいった。病気は悪いものだと決めつけているけれども、別の側面もあるということだ。ある心理療法の先生がおっしゃっていた。男性のがん患者さん。セッションを受けているうち、こんなことを言い出したそうだ。「ぼくはがんになってホッとしてます」「どうしてですか?」「保険がおりますから。これで家族に経済的な苦労をかけずにすみます」彼は、子どものころから、親に「お前は男なのだから、がんばって稼いで家族を養わないといけない」と言われ続けてきた。その言葉がずっと頭から離れなかった。しかし、今の自分は安月給だ。妻はパートに出ている。子どもたちにも不自由な思いをさせている。そのことが、彼の罪悪感だった。ずっと、自分の不甲斐なさを責めてきたのだ。その苦しみから脱したくて仕方なかった。だから、がんになってホッとしている。保険金が入れば、家族に経済的な苦労をかけなくてすむから。切ない。人の心を深く掘り下げていくと、病気にはこういう側面があるということだ。ぼくの病気は大したものではないが、けっこう疲れていたのだと思う。少し休みたいというのがぼくの本心だったのだ。妻も娘たちもがんばっているし、ぼくだけが「疲れた」と言っていられなかった。「男なのだから」という意識がぼくにもある。だから、体はぼくの弱い部分に痛みを出してくれた。腰が痛かったから、堂々と休むことができた。「疲れたから休む」という潔さがあったら、坐骨神経痛にはならなかったかもしれない。今日の中日新聞の占い欄。めったに見ないのだけれども、今朝は気になって読んでみた。さる年 逆運かえって吉運へと転ずる。困難から得る事多し
2024年11月06日
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東京から離れて5年目を迎える。山梨、鈴鹿と移って、けっこう自分のペースで動けるようになった気がする。東京へ出たのは28歳のとき。それまでは、サラリーマンだったりアルバイトだったり、若いこともあったが、まわりに合わせることに意識を集中していた。一生懸命にがんばっている自分を演じて、どんどん疲弊していった。東京へ行ってフリーという立場になって、肩の荷が降りた。締め切りまでに自分の仕事をきちんと仕上げれば良かったので、自分でペースを作れるようにはなった。しかし、それでも周囲の目は気になる。自分を抑えて、人に合わせることで仕事が増えた部分もある。自分はこうだと思っても、まわりにこうした方がいいとアドバイスされると、ついついそちらに流される。そして、結局は中途半端な仕事しかできなくなってしまうのだ。東京を離れて、自分を薄くして生きるのはやめようと思った。自分の意志を優先しようと決めた。やりたいことはやる。やりたくないことはやらない。会いたい人には会うし、会いたくない人には会わない。ただ、やりたいやりたくないとか、会いたい会いたくないないというのも、一歩踏み込んだ感覚が必要だということもわかってきた。大きな流れの中で考えないと、その場限りの楽しさという薄っぺらなものになりかねない。暇つぶしというのもつまらない。面倒くさく感じても、この流れだったらやった方がいいということがある。緊張するし気も使うが、この人とは会ってみた方がいいと直観がささやくこともある。それをキャッチすることかな。そんな感覚で、鈴鹿では暮していこうと思っている。いろいろな経験をして、やっと自分の意志を優先できるようになってきた。
2024年11月05日
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坐骨神経痛で力仕事をセーブしている。朝起きたときは痛みがある。今朝も妻にヒーリングをしてもらって、痛みは消えた。芋ツルをもらいにいかないといけないのだが、もう一日だけ静かにしていることにする。世間は3連休なのだから。今日はゆっくりと原稿書き。東京から山梨へ移って以来、ヤギや桃やスモモのお世話で、パソコンに向かう時間が激減した。午前中、ヤギのエサを集めたり、畑の仕事をすると、午後はぐったりしてしまって、パソコンを立ち上げる気になれない。ここ数日、雨だったり、腰の痛みのため、家の中でじっとしていたおかげで、体の疲れは癒された。あれもやらないといけない、これも片付けようというあせりはある。しかし、ありがたい休養をもらったと、プラスに考えた方がいい。今日は原稿書きの日とする。
2024年11月04日
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引越しがハードだったのか、ここ数日、右の腰から足にかけて坐骨神経痛が出て、あまり動かないようにしてきた。ちょうど、天気も悪かったし、体を休めるのにちょうどいいタイミングだった。朝起きたときが痛む。妻のヒーリングを30分ほど受ける。妻は35年ほど前に、「真氣光」という気功で、ひどいむち打ち症が15分で良くなったのがきっかけで、創始者の中川先生の弟子になり、自分も氣によるヒーリングができるようになった。彼女にはなかなかの才能があって、軽くマッサージをしてもらっていると、どんどん痛みが引いていく。右足に重さはあるが、生活に支障はない。寝る前にヒーリングを受けて、朝は、また痛みが出るので、ヒーリング。その繰り返し。それでじわじわと良くなっていき、今朝は昨日の10分の1の痛みまで軽減した。今日は天気もいいし、いろいろ動きたいのだが、静かにしていることにする。ぼくは、若いころラグビーをやっていたせいか、比較的痛みには強い。大学時代には右手首を骨折した。草ラグビーをやっているときには、右の膝の複雑骨折。手術を受けて、2ヶ月入院した。30代のころ、帯状疱疹になったことがある。左の肋骨のあたり。痛かった。それでも、病院に行かず、薬も飲まず、2ヶ月間、痛みに耐えたことがある。痛いのは嫌だし、早く治したいと思うけれども、痛み止めの薬を飲むのは、一時しのぎでしかなくなる。それよりも、耐えられる限りは、治ると信じて、痛みを味わうことも大切だ。と言っても、痛みが軽くなるとほっとする。ヒーリングをしてくれる妻に感謝。そして、黙々と働いてくれている自然治癒力にも心から「ありがとう」だ。この感覚も大切にしたい。
2024年11月03日
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ぼくの母親は異常なほど心配症だった。小学校のころは、しょっちゅう病院へ行っていた記憶がある。体調が悪かった覚えはないし、最初の子どもだったこともあって、ちょっと咳でもしようものなら、心配で不安になって、病院へ連れて行ったのかもしれない。とにかく、あれに気をつけろ、これには注意しろと口うるさく言われた。ぼくはどんどん臆病になっていった。いろいろなことが怖くて仕方ないのだ。母親から危険だと言われれば、本当に怖いことなのだと思ってしまう。ぼくも親になって30年近くになる。母親の気持ちは多少はわかる。長女が車に乗り始めた。ペーパードライバーで、東京で暮らしていたので、車に乗る気はまったくなかったのだが、田舎生活をするには車は必需品。がんばって練習して、今は初心者マークをつけて、どうにか使いこなしている。今日から40分ほどかけて、ドッグトリミングの学校へ通うことになった。幹線道路を走っていくだけで、大した危険はないのだが、ついつい心配になって、「車線変更をするときはきちんと後方を確認しろよ」と言わなくていいことまで言って送り出した。親が心配すると、子どもは不安を感じる。びくびくしてしまう。どっしり構えている親だと、子どもは安心して行動できる。親は不安をあおるようなことを言わない方がいい。「この子は大丈夫。しっかりと守られている」と子どもの運命を信じることだ。ぼくも偉そうなことは言えない心配症だが、いつも自分に言い聞かせている。
2024年11月01日
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朝のワイドショーを見ていたら、「米が高い」という話をしていた。5キロ3000円を超えているということは、キロ当たり600円以上。安いときには、スーパーではキロ300円くらいで売っていたので、それを基準にすれば確かに高い。しかし、農家からすれば、やればやるほど赤字になる値段だ。経済的な面から言えば、やっている意味がない。「もう機械が故障したらやめだ」ぼくのまわりでは、そういう50代60代がほとんど。親から引き継いだ田んぼがあって、高いお金を出して購入した機械もあるし、とりあえずは続けるかというのが本音。新しい機械を買うとか、修理をしてまではやらない。自分の子どもに継がせる気はまるでない。若い人たちは、田んぼへ足を運ぶこともないので、自分の家の田んぼがどこにあるかも知らない。親が亡くなれば放置され、雑草に覆われている田んぼが増えている。我が家は、去年、半反(500㎡くらい)の田んぼで米を作り、2俵ほど(約120キロ)収穫した。これで我が家で食べる分は十分にまかなえる。大変な思いをして、ほかの人が食べる分まで作らなくていいやとなってしまう。今の農業は骨折り損のくたびれ儲け。やる気がなくなっても仕方がない。このままでは、日本人の食糧はどうなってしまうのかと心配になってくる。生産者と消費者はもちつもたれつの関係だ。今の米作は、生産者にばかり負担がかかっている。米を作って、みんなに「おいしい」と喜んでもらって、経済的にも成り立っていく。そんな仕組みを作らないと、飢餓の時代が当たり前のようにやってくる。
2024年10月31日
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9月10月と、今までにない肉体労働の連続だった。引越しが大変だった。9月からがピークだったが、それまでも今年はよく動いた。甲州市と鈴鹿市を何度も車で行き来した。高級車ではない。軽のバンでの往復。慣れたけれども、けっこう足腰に負担があったと思う。夏の暑さもあって、じわじわと疲れがたまっているときに、引越しの重労働が始まった。これまで何度も引越しをしているが、今回が荷物が一番多い。それでも、妻と2人で、老体にむち打ってがんばったわけだ。10月の初めに鈴鹿に越して、やれやれとは思ったが、片付けが大変だ。実家の方も、倉庫や家の周囲に、両親が残したものがいっぱいある。これを年内にはきれいにしたいと思っている。まだまだ肉体労働は続く。筋肉痛がずっと続くが、引越しをこなしたことで、体力に自信がついた。今日は朝から腰が痛むので、重い物をもつのはお休み。
2024年10月30日
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うちの村に95歳のおじいさんがいる。腰が曲がって、耳も遠いのだが、毎日畑に出ている。血色はすごくいい。 昔の村の話を聞こうと思っているが、「もう忘れてしもたわ」「わしは生きとるだけやから、何にも役に立たん」「面白い話なんか何にもない」とはぐらかされ続けている。 改まって話を聞こうとするからダメなのだとわかった。 だから、畑に寄って、「どう? 今は何を作ってんの?」と声をかけることにしている。 「大根を作っても、あんなものスーパーへ行ったら200円で買えるんや。作るより買うた方がずっとええわ。何のために百姓をやっとるかわからんわ。わしは、暇やからやるけど」 「3時までな、畑で働くのは。うちへ帰って、4時からの『水戸黄門』を見るのが楽しみなんや。6時から晩飯を食って、あとは寝るだけ」 「お前はええのう。まだ若いで。わしはもうあかんわ」 たわいない世間話。 田舎の生活で、村民の人たちとうまくなじむためには、汗を流して働くこと。 ぼくも、今はヤギのために、汗をふきふき芋のツルを集めて歩いている。芋のツルは大量に出るし、重たい。 これまでは山へ捨てていた。それをぼくが始末することになって、みなさん喜んでくれる。 山梨でもそうだった。そうやって働いていると、評価してもらうためにやっているわけではないが、好感をもってもらえるものだ。 95歳のおじいちゃんも、改めて昔話を聞かせてあげようとは、まだ思ってくれてないが、「面白いやつやなあ」と、ぼくに興味をもってくれているのは間違いない。 彼は88歳で亡くなったぼくの父親よりも一つ年上。父親は村のことについていろんなことを調べて知っていた。メモ程度だが、書き残したものを読んで、「もっと聞いておけば良かった」と思ったりもした。しかし、後の祭りだ。 自分が生まれ育った村のこと。何も知らないのは悔しいではないか。 残った人にいろいろ聞いて、少しでも書き残しておけたら、ぼくの50年間のキャリアも役に立つというものだ。 まだぼくの中には、「50年ぶりに故郷へ帰ってきた」という力みのようなものがある。 もっとリラックスして、肩の力が抜けたときに、面白い話が聞けるのではと思っている。 それまで、汗を流して、土にまみれて、素直に謙虚に日々を過ごして行こうと思っている。
2024年10月29日
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選挙の一日だった。ぼくは10月に引っ越しをしているので、選挙権がないのかと思っていたが、旧住所の甲州市民として参加することができた。たかが一票だが、自分の意思を表示する大事な機会だから、きちんと票を投ずることができて良かった。今回、体も動かず、言葉も出ない人が、投票できる道を拓いた人がいる。鳥取の女性だ。どうやって意思表示をするのだと不思議に思うが、彼女は、障がいある人が語り合える指談という手法を自ら学び、地域で広めている人で、その手法を使って投票することができたのだそうだ。彼女の身内に障がい者がいたかどうかは忘れたが、その情熱、行動力には頭が下がる。彼女の知り合いに重度の障がい者がいて、その方が指談で投票することができた。どうやったのか。Facebookで聞いてみた。そしたら、選挙管理委員会の人に、障がい者の人が指で書く〇と×を読み取れるように、レクチャーをしたのだそうだ。指談は、障がい者の指を読み取る人が手に取り、自分の手のひらに、〇か×かで意志表示をしてもらうのが基本。イエスかノーで答えられえる質問をする。「お腹がすいていますか?」イエスなら〇を、ノーなら×を書く。ほんのわずかな動きだが、練習するうちに、わかるようになる。この方法を投票でも使った。〇×よりももっと簡単でいいと思う。立候補者の名前を伝え、投票したい人の名前を言ったときに、指でイエスの意思表示をすればいい。指を動かすだけでもいい。何人かの読み取り手がいて、何度か繰り返せば、正確に意志がわかるはずだ。どうやったのかはよくわからないが、すごいことだと思う。障がい者、特に重度の障害があると、言葉も意志もないと思われてしまう。だれに投票するかという意志決定などできないと決めつけられる。しかし、福祉政策など、彼らは当事者だ。彼らの意志を大切にするのが、本当の民主主義だろう。しかし、彼らの意志を確認する方法がなかった。その道を、彼女は切り拓いたのだ。簡単に「わかりました」と言ってもらったわけではないだろう。何度も何度も説明して、やっとわかってもらって、快挙にこぎつけた。地方に住む無名の主婦が、自分の信念を貫いた結果の、まさにハチドリの一滴であり、アリの一穴だ。ぼくは、彼女にノーベル平和賞を授与したいよ。
2024年10月28日
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鈴鹿に引っ越して20日余りが過ぎた。まだ段ボール箱は片付かない状態だが、それでもやっと落ち着いてきた。山梨で暮らしていたのがずいぶんと前のことのように思える。山梨は山に囲まれていて、安心感があった。富士山も見えて、いかにも守られている場所だった。鈴鹿は山が低い。田んぼが広がり、少し車で走ると海がある。開放的な気分になれる。夕方になると、山梨では見られなかったきれいな夕焼けが広がる。西の空の低い部分がピンクに染まる景色を見ると、「今日もがんばったな」とほっとする。車で10分も走れば、海から上がる朝日が拝める。18歳までこの地で暮らし、大学時代は名古屋での生活。初めての都会。若者にはとても刺激的で、何かをしたわけではないのだが、少しは視野が広がった。卒業してから富山県の黒部市。今振り返ると、北アルプスの山々が望めて、日本海も広がり、いい環境だった。でも、若さというのは、のんびりした生活に満たされないものを感じる。「東京へ行きたい」そう思いながらの2年間だった。会社を辞めて一時的に鈴鹿へ帰り、また名古屋に出ての一人暮らし。悶々とした20代だった。ついに27歳で念願の東京へ。サラリーマン生活から抜け出し、フリーライターという未知の仕事に飛び込んだ。名古屋での刺激どころではない。慣れない仕事には苦戦したが、それでも、次から次へと新しい出会いがあって、エキサイティングだった。自分の本もたくさん出せたし、これで満足のはずだった。東京、埼玉での生活は30年以上。山梨へ移って、すっかり生活が変わった。いいタイミングで東京を離れた気がする。暮した場所もそうだし、結婚、子育てという環境の変化は、ぼくにとっては、感性を高めてくれるいいきっかけになった。50年ぶりの故郷で、どんなことが始まるのか。思い切ったことをやっていきたい。
2024年10月27日
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10月も23日。もう年末間近という時期になってきた。鈴鹿へ越してきて20日がたつ。片付けをしながら、畑の準備をしたりヤギの世話をしたりしている。 それにしても、よく引っ越せたと、いまだに、あの怒涛の日々が忘れられない。 一ヶ月前の9月中旬には、本当に大丈夫だろうかと不安だった。 大量の箱詰めも大変だったし、ヤギの柵をばらさないといけなかったし、材料の単管パイプやワイヤーメッシュも運ばないといけない。借りている畑や敷地内の草の始末も、頭がくらくらするほどの課題だった。あれもしないと、これもしないとと気持ちが急かされる。 やるのは妻と2人。 意外と妻はのん気にしていて、ぼくばかりあせっていた。 「絶対に大丈夫だから」根拠があるとは思えない妻の自信。 これまで5回、大変な引越しを乗り越えてきた。ほとんど彼女の力で、ぎりぎりのところで荷物をまとめた。 その経験が大きいのだろう。頼りになる。 山梨から鈴鹿に荷物が運べたとき、ぼくは、本当にほっとした。 何かをやるときには、必ず不安が伴う。しかし、大抵の場合は、「何とかなる」ものなのだ。 そんなこと、これまでもいっぱい経験したけれども、今回の引越しは違った。引越し当日になって、「一部屋分は無理だな。別の日に業者を頼んで2回目をやるか」本気で考えるほどあせっていたのだから。 それが奇跡のように片付いていく。業者の若者が一緒になって箱詰めしてくれたのが大きかった。 2024年9月のドタバタ劇。 よく乗り越えたと、わがことながら感心する。次は家にうず高く積まれた段ボールをどう片付けるのか。これは締切りがない分、気が楽だが、何年かの後にも、段ボールがあちこちに積まれている部屋を想像すると、気持ちが重くなったりもするわけだ。 しかし、これも妻の力で、徐々に片付いてきた。 ぼくの仕事場も、まだ段ボールはあるが、それでも原稿を書くスペースは十分に確保できた。 「何とかなるものだ」今回も学びとなった。
2024年10月23日
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人にはそれぞれタイプがある。タイプを知った上で動くと、いろいろなことがうまくいく。 タイプを知るには、過去の自分を振り返るといい。 ぼくの場合、ひとつのことを深く探求するタイプではない。特別、こういうことがしたいというこだわりはない広く浅く、さまざまなことに手を出していく。ただ、いわゆる常識という枠の中で動くのは好きではない。どちらかというとアンチの立場の方が居心地がいい。正当な医学ではなく、怪しげな代替療法に関心がある。農薬・肥料を使う慣行栽培よりも、自然栽培にひかれる。原子力発電は好きになれない。 ブームに乗るよりも、ブームになる前にかかわることに心地よさを感じてきた。「これから注目されるぞ」というものをキャッチできるアンテナはけっこう敏感。ずいぶんと昔になるが、多くの人が関心をもつよりも早く、気功やイルカの癒しにぴぴっときたことで、ぼくの人生は好転した。 さらに、自分が興味をもって取り組むことは少ないし、興味をもっても大したことはできないのだが、人が喜んでいるのを見るのは好きだという特徴がある。 たとえば若いころ。草ラグビーのチームを作って、試合を組んだり、メンバーを集めたり、グランドを借りたり、けっこう大変な仕事だったけれども、ラグビー好きが喜んでくれたので10年も続けられた。プレーするよりもマネジメントが好きだった。既成のチームに入るよりも、自分で立ち上げることにわくわくした。 小笠原のドルフィンスイムも10年ほど続いた。ぼくは、イルカの本を何冊も書いているけれども、イルカが好きでたまらないというわけではない。泳げないし、海は見ているだけで十分だった。それでも、一緒に行った人が、小笠原の海に触れたり、イルカと泳ぐことで、人生が大きく変わるほどはしゃいでくれる。あの姿を見ているのは、ぼくにとってはとても幸せなことだった。 もうひとつが、ぼくの誘い水効果。 これは次回にお話ししたい。
2024年10月21日
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テレビの「ガイアの夜明け」。「やっかいものを活かせ」ということで、竹を活用しようという人たちを紹介していた。竹は確かにやっかいもの。実家のまわりも竹やぶがいっぱいあって、放置されているので、とにかく邪魔で仕方ない。春にはタケノコが取れて、そのときだけ喜ばれる。しかし、タケノコは次から次へとにょきにょきと生えてきて、取り切れなくて、そのまま成長して大きな竹になってしまう。昔は竹は有効に使われていた。土壁の骨組みになっていた。物干しざおも竹だったし、キュウリや豆類の支柱にもなっていた。籠になったり、いろいろ用途があった。ところが、プラスチックなどの普及によって、竹の需要は激減する。竹やぶは荒れ放題となった。竹は高くまで伸びるので、ほかの木の成長を妨げる。タケノコを食べに、イノシシやシカがやってくる。根は浅くしか張らないので、がけ崩れが起こりやすい。手入れをしないことで、さまざまなマイナス面が目立ってくるのだ。番組で紹介していたのは2人の強者。一人は京都のラーメン屋さん。彼は、タケノコとしては食べられないが、まだやわらかい状態の幼竹を切って、「メンマ」を作っている。今は中国から輸入しているが、国産メンマの方が安いしおいしいらしい。日本には数え切れないほどのラーメン店がある。そこが国産メンマを使い出せば、今は、切り捨てられるか放置されている、かなりの量の幼竹が有効に使われることになる。ボランティアで竹林整備をしている人(ほとんどが高齢者)も、幼竹が収入源になれば、仕事に力が入るのではないか。もう一人が、竹筋コンクリートを普及させようとがんばっている土木技術者。要するに、コンクリート製品の骨組みを、鉄筋ではなく竹にしようと言うのだ。戦時中、武器を作るために鉄が必要なので、建築には竹が重宝された。橋を作るにも、竹筋コンクリートが使われた。それが今でも壊れることなく残っていて、実際に、その橋を上を車が通っていると言う。とても丈夫で長持ちする。まずはU字溝レベルから、企業、大学が力を合わせて、実用化に向けてがんばっている。ほかにも竹炭や竹チップ。ぼくは魅力を感じる。竹のように、邪魔者にされている素材が、実はすごい優れものだったということは、いくらでもあるはずだ。前ばかり、上ばかりを見るのではなく、後ろを振り返ったり、足もとに目を向けることで、本当に大切なものが見つかることはよくある。SDGsという地球にやさしい生き方。日本の伝統の中にこそ、重大なヒントがあるのではないか。
2024年10月19日
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高校を卒業して、名古屋の大学で4年間、就職は富山県。2年で退社して、名古屋で4年間のアルバイトとサラリーマン生活。縁があって東京へ出てフリーライターに。調布、中野、埼玉県浦和市、川越市で過ごした後、東京の東久留米市。東京近辺で35年くらいを過ごした。そして、山梨県で4年。巡り巡って生まれ育った鈴鹿市に帰ってきたのが10月の初め。故郷に住むのは50年ぶりだ。両親も兄弟もいなくなった。その代わり、妻と3人の娘がそばにいてくれる(三女だけは隣県に住んでいる)。50年というのは長いのか短いのか。いろいろな体験をしたエキサイティングな日々だった。それでも、今振り返ると、まるで一夜の夢の中の出来事だったように思えるから不思議だ。玉手箱を開けた気分。玉手箱の中は白い煙ばかりではなかった。箱を開けた途端に白髪の老人になってしまったが、中をよく見ると、さまざまな宝物が入っていたのではないだろうか。現実世界に帰った、浦島太郎がどう生きたのか興味がある。ぼくも、50年間でたくさんの宝物を手に入れたはずだ。それを玉手箱に入れて帰ってきた。さてさて、それをどう生かすか。これからの10年20年が楽しみでならない。本当の楽しみは、人生の後半にある。どんでん返しがある。高校野球も9回裏の攻防が面白い。競馬だって、ゴール前が一番盛り上がる。
2024年10月18日
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縁のあった編集者が亡くなった。85歳。小さな出版社を経営し、スピリチュアル系の本をコツコツと出していた。最後の一冊が自分の足跡をまとめたもの。ぼく自身の本は一冊も出なかったが、ライターとして何冊かお手伝いした。昔ながらの化石のような編集者。がんこもがんこ。自分の主張は決して曲げない。「こうだ!」と断言しないと気がすまない。だから、ぼくのように、こういう考え方あるし、こうも解釈できるという軟弱な考え方には、「No!」と鉄槌がくだされる。戻ってきた原稿は真っ赤。ほとんど書き直ししないといけない状態で返ってくる。理不尽な指摘も多々あるし、「こんな仕事やってられない」と何度思ったことか。だけど、そこは気の弱いライターのかなしさ。気を取り直して、修正することになる。2回目も真っ赤。こうだああだと、ファミレスで議論した。どれだけストレスをためたことか。やっと仕上がって、「もうあの人の仕事はしない」と決めるのだが、それでも、たまに会うと、また首輪をつけられてしまう。そんな付き合いだった。しかし、何年か前、ぼくは自分の文章がとてもていねいになっていることに気がついた。勢いで書くタイプなので、ずいぶんと乱暴な表現が見受けられる原稿だった。彼と付き合った数年で、あの赤字のオンパレードで、ぼくも鍛えられたのだろう。そう思うと、腹が立ったこともなつかしく思い返せる。85歳まで現役で働いて、出版パーティの朝に救急車で運ばれ、翌日に旅立っていった。大した人生だと思う。山梨へも訪ねてくれた。彼がどんな一生を送ったのか、最後に残した本を読んでみようと思う。道中御無事で!ぼくの恩人の一人だ。ありがとうございました。
2024年10月17日
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鈴鹿へ越しての変化。東京へ行く機会が月に1~2度ある。新幹線を利用するのだが、これまで山梨で使っていたアプリ、えきねっとが使えない。みどりの窓口でチケットを買うしかないかと思っていたら、妻が、EXというアプリがあるよと教えてくれた。それで、登録を始めたのはいいが、ああでもないこうでもないと、手間のかかること。やっと登録して、予約も完了したが、はてさて、どうやって改札を入ったらいいのか?妻が調べてくれて、スイカも一緒に登録するといいのだと教えてくれた。しかし、この登録方法がわからない。説明文を読んでも意味がわからない。これも妻の手助けを借りて登録完了。あとは、きちんと機能するかどうかだ。これで2時間近くかかった。勘弁してほしい。みどりの窓口で現金かクレジットカードで買えばいいのだが、アプリだと何百円か安くなるというので、がんばった次第だ。ぼくのような年代で、こういうシステムをすいすいと使える人はどれくらいいるのだろうか?便利な社会にしようと、企業はがんばってくれているのだが、ぼくには不便で仕方ない。QRコードなんか、見るだけで頭が痛くなる。まあ文句を言っても仕方ない。慣れるしかない。月に一度やっていれば、すぐにできるようになるだろう。
2024年10月16日
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これまで生きたいように生きてきた。というのはウソで、実際は、まわりをキョロキョロ見て、人の顔色をうかがいながら、いかに世間からはみ出さないように気を使ってきた。気乗りしなくても、人に誘われれば、ニコニコしながら出て行った。お酒を飲んでも、相手の話に合わせて相づちを打つ。仕事でも、頼まれたことは引き受けた。「ここを直してほしい」と言われれば、素直に従った。自分をいったいどこに置いてきたのだろう。そう思うこともあった。60歳を過ぎて、山梨に越してから、人間関係はものすごく縮小した。村から一歩も出ずに、ヤギたちの世話をするだけで一日が終わることもあった。たまに東京へ出て、帯津先生とお話をしてお酒を飲むのがとても新鮮でうれしかった。そういう生活、とても快適だった。結局、人に気を使って疲れるのも自分の問題で、相手に非はないわけだが、気を使うような人とは会わないような努力をした方がいい。本来、人間関係が得意ではないタイプだから、自分が会いたいと思う人としか会わないようにしようと思っている。田舎にこもっているのがちょうどいい。幸い、村の人とはうまく距離がとれているから、いい関係でいられる。よく「金持ちではなく人持ちになるといい」と言われるが、人も持ちすぎると負担になってしまう。自分を大切にして、自分が心地いい人間関係を作っていくことだ。人に好かれることに一生懸命になるのはバカバカしい。かと言って、嫌われる必要もない。付かず離れず、人とは上手に付き合いたいものだ。
2024年10月13日
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今、妻は自宅の中の段ボールと格闘中。手際がいいし、集中力があるので、かなりいい感じで進んでいる。ぼくは、実家の倉庫を片付けている。家のまわりにある不用品も始末してこないと。ヤギたちの放牧場も準備しないといけないし、畑の草刈り、野菜や花の種まき、竹やぶの整理。考えるだけで頭がくらくらするほどやることがある。近く農家は、おばあちゃんが一人で住んでいるのに、家のまわりも畑も、きれいになっていたりする。何かコツがあるんだろうな。今度、教えてもらわないと。とにかく、少しずつやっていくしかない。だいたい、ぼくは妻と違って、子どものころから整理整頓は苦手だし、集中力はないし、体力も衰えてきている。あっちをやったりこっちをやったりと、目移りばかりするので、目に見えてきれいに片付かない。「まだまだだ」とため息ばかりが出る。何をやっても、ダラダラ状態で、途中で投げ出してしまう。今回も、ここはきれいになったというところは、まだ現れない。それでも、体を使って働くと、やった、がんばったという気になる。まずは、自己満足から。自分が満足しないと、次に進めない。今日は、長女と次女がワンコたちをトリミングに連れて行く。知り合いがカフェをオープンしたということで、訪ねて行くそうなので、午前中は、ゴールデンのキナコ、ネコのちぃと留守番だ。あいつらはおとなしくしてくれているので、これから、途中で放り投げてある、倉庫の掃除をしようと思う。
2024年10月11日
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山梨での4年の生活は貴重だった。これまでやったことのない作業をやった。だいたい、草を刈るとか、桃を栽培するとか、ヤギたちの柵を作るとか、やろうなんて思わなかった。「そんなことできないよ」最初からあきらめている。ところが、とにかくやらないことには始まらない。もちろん、田舎で隠居生活をしようというならともかく、ぼくの場合は、これまで見聞きしたことを、少しでも実践してみようという、ぼくなりの「志」があった。だから、やってみた。そしたら、上手にとは言わないが、何とかできてしまうことがたくさんあった。「できるじゃん」うれしくなってくる。また別のことをやってみようという意欲が出てくる。鈴鹿へ越しても、あれやろう、これもやってみようと、体が動く。今日は草が生い茂っている畑に、ヤギたちを連れて行こうと思う。一部はぼくが刈って、大部分は、あいつらに食べてもらうことにする。倉庫を片付ける。農具がうまく収納できないので、使っていないパレットやワイヤーメッシュなどを使っての、簡単な日曜大工だ。今までの自分からは考えられない行動だ。よく、人には無限の可能性があると言うけれども、あるいは潜在意識がどうのという話もよく聞くが、「できないと思っていたことが、やってみたらできちゃった」ということではないか。瞑想して、成功している自分をイメージするのもいいが、小さなできないことをやってみて、できるじゃんという体験を積み重ねていく。その先に、面白いことがあるのだ。無限の可能性の扉が開くし、潜在意識が書き換えられる。そんな気がする。ぼくは、その方が好きだ。
2024年10月10日
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山ほどの段ボールに埋もれた部屋。どうなることやらと途方に暮れていたが、ここ数日でかなりすっきりしてきた。ぼくも力仕事をがんばっているのだが、妻の能力には驚かされた。もともと、宅配便の箱にはいろいろな形、大きさの物を、見事なくらいすき間なくびっしりと詰め込む。すき間を見ると、そこにぴったりと入るものを見つけては収納するのが好きなのだ。まるでジグソーパズルのように、ぴたっぴたっつと物が納まっていく。「あなたの頭の中をのぞいたらコーンビーフのようになってるんじゃないの」特殊な脳の構造だと思えるようなスペシャルスキルなのだ。たぶん、これだけのことができる人はそうはいないだろうと思う。まあ、断捨離とは反対方向にあって、ぼくとしては荷物のない空間だらけの部屋がいいのだが、我が家は妻優先の生活なので、この大荷物がどう片付いていくのかを楽しみに見ているしかない。ぼくは、今、実家にある倉庫を整理している。ネットも参考にしながら、クワや鎌などの農具をどう片付けるか考えている。昨夜、いい方法を思いついた。少しだけ大工仕事が入るが、難しくはない。だいたい、頭で思いついた通りにはいかないものだが、まずはやってみて、ダメなら次を考えればいい。あとはヤギたちのために、裏の広い畑を借りたので、そこに柵を作らないと。そんなことで2024年は終わりそうだ。
2024年10月09日
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山梨でお借りしていた家は、古くて大きな農家。1階には8畳和室が2つ、8畳洋室が1つ、6畳和室が1つ、6畳キッチン、お風呂とトイレ(男女別)。2階には、6畳洋室2つ、8畳和室。6畳ほどの物置が2つ。さらに倉庫もあって、いくらでも物が入った。知らないうちに物が増えていった。広い庭では、ヤギたちが遊んでいた。玄関を開けると、正面に富士山が見えるという、最高のロケーションだった。鈴鹿での住居は、実家から車で3分ほどのところに借りた4LDKの一戸建て。山梨の家に比べるとかなり狭くなる。引越しのときにかなり不用品を捨てたが、それでもどの部屋も段ボール箱が積み上がっている状態だ。ヤギとヤギ関連の道具、農機具などは、実家の倉庫に入れた。それでも、住いがすっきりするのは厳しいかもしれない。物を捨てるにはいい機会。使わずにしまい込まれている物は死んでいるに等しい。生まれ変わるチャンスを与えないと。今年いっぱいかけて、整理しようと思う。
2024年10月08日
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日本でも大変だけれども、世界中のあちこちで洪水の被害が起こっている、というニュースがネットで流れてくる。ヨーロッパもアジアも水びたし。2025年7月にはフィリピン沖に隕石が落ちて、人類は滅亡するという話があるが、隕石が落ちなくても、こんな異常気象が続けば、天災も増え、病気が広がったり、食糧が不足したり、原発も危ないし、住むところもなくなり、経済もガタガタ、治安が悪くなり、各地で紛争が起こって、核戦争の脅威もあり、地球は人類が住めない環境になってしまう。汚れ切った地球をきれいにするため、洗濯機に放り込んだようなもので、ぐるぐるガラガラ、ぼくたちは目が回る程度ではすまない激動に見舞われつつある。そうなったら、個人の努力ではどうしようもない。国でも、世界中が力を合わせても、厳しいところまできているのではないか。あきらめるしかないのか。人がいつか死ぬのと同じくらいのレベルであきらめる必要はある。たとえば、がんで余命1年と診断されたとして、「もう死ぬのだから」とやけくそになったり、無気力になっていいのかということだ。現実にそうなったら、想像できないような衝撃があって、ひどく落ち込んでしまうと思うが、でも、生まれてきた限り、いつまでも生きていることはできない。長生きにも限界があるということを知って、今、できることを一生懸命にやるしかない。それ以外に何ができる?政治家が悪いと文句を言ってもどうしようもないし、権力者の陰謀だと憤っても仕方ない。残された時間にこれだけのことをやろうと、自分で決めて、自分で動くしかない。それと同じで、人類滅亡が避けられないこととしても、ぼくたちは、今できることをやる。限界はあるけれども、ぼくたちに与えられた権利でもある。来年かもしれないし、もっと先延ばしされるかもしれないが、このままだと人類は滅亡する。それを前提に、自分の人生を振り返り、今、何をするか、考えるいいチャンスだと思うことできる。ぼくは、高校卒業と同時に故郷を離れて、50年ぶりに戻ってきた。何をするつもりだと言われたら、いくつか答えはもっている。ただ、それを強固な意志で成し遂げるということではなく、「よくやった」という思いを、あの世にもっていければいいと思っている。世界がどうなるかは、天が決めてくれるから、ぼくはぼくで、自己満足できるレベルまで動けばいい。50年間、鈴鹿から、名古屋、富山県黒部市、名古屋、東京、埼玉県浦和市、埼玉県川越市、東京、山梨県甲州市とめぐって鈴鹿へ帰ってくる中で、さまざまな体験もしたし、自分なりの価値観も育ててきた。たくさんのすてきな人とも出会った。最後に、故郷という晴れ舞台で、思いっ切りはじけたい。そうそう、今回の引越しも、一生懸命やった。自分をほめてあげたい。
2024年10月05日
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ほっとしている。昨日、引っ越し荷物を新しい家に運び込んだ。山梨では、ヤギを飼って、果樹を少しだけやって、さらにはもともと大量の荷物があって、広い敷地に大きな家、それに作業小屋もあった。まあ、都会では考えられないような敷地と住居。気も大きくなって、あれもいる、これもいると、けっこう農具やらを買い込んだ。鈴鹿の実家も大きくて古い家があるが、そこは次女が使っている。犬が4頭、ネコが1匹、ヤギが6頭、ニワトリが4羽いて、ここに住むわけにはいかない。使えるとしたら、隣にある農機具用の倉庫。われわれが住むのは、近くの団地に借りた一戸建て。山梨の家に半分とは言わないが、かなり狭くなる。この2ヵ所に、入れないといけない。まずは、大量の荷物の荷造り。かなり処分したが、それでもうわーって感じだ。さらに、どう新しい住居に納めるか。正直、大きなストレスだった。山梨では、最後は徹夜。引越し業者が来て、荷物を運び出しているときにも、ずっと荷造り。肉体的にもダウン寸前。何日も夜遅くまで荷物の整理をしていた妻は、あと一息で終わるという段階になって、腰がへなへなと崩れて床に座り込んでしまった。その様子を見た、スタッフの若者が、「お手伝いします」と手伝ってくれて、何とか間に合ったという有様だった。断捨離ができなかった自分たちが悪いのだし、もっと早くから準備をしていれば良かったのだが、それでも、「何とかなる」は今回も実証された。ホント、まわりに迷惑をかけながら、綱渡りで生きているなと、ありがたいやら情けないやら。ここでは「ありがとう」を連呼して、今度は、自分が助ける側にならないと。今日は腰が痛かったので妻にヒーリングしてもらった。大した腕だと思う。すぐに楽になった。もっとこの腕前を宣伝すれば、いい商売になると思うのだが、彼女はしたくないと言う。まあ、家族と仲間の数人が享受できればいいか。ということで、ビッグイベントがひとつ終わった。
2024年10月04日
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「昔はもっとしっかりしていたのに」妻がため息をついている。引越しの掃除の真っ最中。何年も開けていない引き出し3ヵ所から、合計10万円以上の現金が出てきたようだ。イベントをやった際のお釣り用に、小銭が用意してあった。それをしまったままにしていたのだ。ぼくの本を販売したときに、代金を封筒に入れてもらった。大事に引き出しにしまったはいいけれども、すっかり忘れていたのも何万円かあった。10万円は大金。ちょっとしたボーナスだな。とにかく引っ越しは大仕事。こんな楽しみがあると、元気が出る。もうひと息だ。がんばろう!
2024年10月01日
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山梨での暮らしもあと数日。暮らしと言っても、今はひたすら引越しの準備だ。けっこうな肉体労働。筋肉痛で何度も寝返りを打って眠りにつけないときには、東京から山梨へ来て、やったことのないことに取り組んできた日々を思い出している。東京にいたころ、60代も半ばになって、このままライター業を続けていくのだろうかと揺れていた。ライター業は、ぼくにとっては天職だと思う。天職というのは言い過ぎか。自分を表現する唯一の手段。しかし、自分を表現したのは最初のうちだけで、いつの間にやら「便利屋ライター」になっていた。そこそこ書けるから、やっかいな仕事を頼まれることも多く、ぼくはニコニコしながら引き受けてきた。いわゆるゴーストライターという仕事。よく知っている人や考え方に共鳴できる人の代筆ならいいが、その人のこともよく知らず、数回の取材で一冊にまとめることも多かった。いろいろな情報が仕入れられたし、人間関係も広がったが、基本には「生活のため」というのがあった。手慣れた仕事でお金を稼ぐのは一番楽だ。たぶん、ぼくのような意志薄弱な人間は、東京にいたら、そのまま便利屋ライターを続けていただろうと思う。山梨へ越して、踏ん切りがついた。「もう便利屋はやめよう」不安はいっぱいあった。ずっと生活の手段だった仕事を手放すのだから。ぼくは、自分を文章で表現していくと決めた。ぼくが抱える不安だって、いいネタになる。しかし、出版社が興味をもってくれるような話は書けない。だから、電子出版を始めた。書きたいテーマがあったら、とにかく一冊の本にしてみる。文章とはずっとかかわっていきたい。読んでくれる人は少なくても世に出す。そう決めて4年目。今度は鈴鹿での生活が始まる。ネタになりそうなことは仕込んである。面白おかしく生きていけるとうれしいな。
2024年09月30日
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引越しでもしないと、物は減らない。ホント思うね。借りている家なのだから、いつかは引っ越さないといけない。なのに、いつまでも住んでいるつもりで物が増えていく。もっと言うなら、いつか死ぬのに、たとえば、30年も50年も使えるほどの量のポロシャツやTシャツが出てくる。ぼくの場合は本だ。一生かかっても読めないだけの本が段ボールに入っている。今回、かなり始末したが、それでも何箱もの段ボールを鈴鹿にもっていく。きちんと整理して、本箱に並べたいが、果たしてできるのだろうか?妻の場合、スーパーへ行けば、安売りしている消耗品を次々と買ってくる。トイレットペーパーもティッシュ。どうせ使うから安いときに買いだめておこうという合理的な考え方なのだが、孫が大人になっても使えるほど買わなくていいと思うが。引越しでは、荷物を車に積んだり、箱に詰めるときの緩衝材として、えらく役に立っている。親せきに桃を送ったときも、「おいしそうな桃とティッシュをありがとう」とのお礼メールがきた。物は使いようだ。引越し日は決まっている。今日から、ひたすら段ボール詰め。今回は、借りていた畑の草を刈って返すとか、ヤギの柵に使おうとしていた木製のパレットを捨てにくとか、柵にしていた鉄製のパイプを外したり、けっこう肉体労働をした。腰や肩が痛むけれども、「できるじゃん」と自信もついた。客観的に見て、これだけの荷物を老齢(?)の2人でまとめるというのは、なかなかできないことだと思う。数日後、「良かった良かった」とおいしいお酒を飲んでいるのをイメージして、今日もがんばろう!
2024年09月29日
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毎週木曜日19時半。真氣光の中川会長とライブ配信をしている。等身大の氣の話。氣と仲良くする生き方というもので、難しいことは一切ない。昨日は、電磁波に恐怖を感じている人の話。携帯が5Gになって、電磁波が体や心に悪影響を与えるというのは、かなり前から言われている。たぶん、何らかの影響を及ぼしているだろう。病気の原因にもなっているかもしれない。良くないと思う。しかし、どうすればいいかとなると、だれも答えを出してくれない。怖い、危ないと言っていても、何も解決しないし、逆に、怖いと思うストレスが心身に悪影響を与えることもある。自分で考えて、自分の身を守らないといけないのだ。中川会長は、「氣を高めておくこと」と言う。氣と言っても、その正体は解明されていないし、あるのかないのか、はっきりしないわけで、そんなものに頼っていられないと言う人もいるだろう。しかし、中川会長もぼくも、自ら氣を体験し、たくさんのびっくりするような効果も目にしてきた。妻も、1年間苦しんできたむち打ち症が、ほんの15分ほどの施術で完治した。いつの間にか、スマホは生活必需品になっている。パソコンもあるし、電気製品に囲まれた生活を余儀なくされてるわけで、電磁波からは逃れられない状況にある。そんな中で、自分を守るひとつの手段として、ぼくは氣を重視している。スマホやパソコン、その他の電化製品には、真氣光のシールを貼っている。音氣というヒーリングミュージックを流し、氣に満ちた空間を作っている。自らの氣を高めるべく、氣を受け、日々の生活でも、なるべく怒らず、イライラせず、愚痴や不平不満を言わず、感謝の気持ちをもつようにしている。それでさまざまな害を防げる保証などないが、自分の信じたことをやり続けるしかないのではないか。それに加えて、ぼくが使っているのは、森修焼という特殊なセラミック、北海道の建築士の方が開発した抗酸化製品。何が一番なんてわからないから、縁のあったものを、体験したり実験したりしながら、自分ならではの防衛法を見つけ出すことだ。世の中、本当に危険がまん延している。少しでも害を少なくするよう、努力していただきたい。
2024年09月27日
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ひとつのことを徹底的にやり進める人がいる。ぼくはすごいと思う。ぼくは、その逆で、あれもこれもと手をつけて、とっ散らかすタイプだ。種だけまいて放ったらかしだから、芽が出ない、芽が出ても大きくならない、実らない。そんなことを繰り返してきた。でも、それで70年弱生きてきたのだから、このままでいくと決めた。10月には故郷の鈴鹿に帰る。せっかく山梨で桃やスモモを栽培したのだから、鈴鹿でもやるつもりだ。だが、今、気持ちはパパイヤに動いている。放置された畑を開墾して、来春にはパパイヤの苗を植えようと思う。桃やスモモも一緒に植えてもいいかもしれない。「なんでパパイヤ?」「今度はパパイヤかい?」お前は何をやりたいのかわからん。天上から父の声が聞こえてきそうな気がする。仕方がない。そういう性格なのだから。ただ、ぼくの根底にあるのは、今の世の中、おかしいんじゃないのという思い。パパイヤを作っても、売り先があるわけではなく、お金にはならない。でも、やってみたいと思うからやってみるではどうなのだという考え方。計算ばかりして合理的に生きようとする現代人。便利さばかりを求めて生きる。それって、疲れるし、人間関係は悪くなるし、経済的に豊かになるわけではない。もっと違う生き方があってもいいんじゃない。そんなことをいつからか思っている。やりたいことをやって、ダメなら仕方ない。そういう潔さはかっこいいと、ぼくは思っている。東京を離れて山梨へ来て、ずいぶんと、世間という殻が薄くなった。鈴鹿ではもう一歩前へ進もう。パパイヤはその切り込み隊長だ。
2024年09月26日
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あと1週間で鈴鹿へ引っ越す。鈴鹿で何をするか。山梨での体験を生かして、スモモや桃の栽培をしたいと思っていた。しかし、新聞記事に出ていたパパイヤにピンときた。近くで栽培している人がいたので見学に行った。パパイヤの栽培を始めて5年目。48本を育てているようだ。くねくねと狭い農道を軽トラで入っていく。まわりは、山梨ならではの桃とブドウの畑。見慣れた光景だ。しばらく走ると異質な景色が広がる。南国の風情だ。パパイヤ畑。天狗がもっているような大きな葉っぱが茂っている。高さにして2メートルくらいの木。幹に、パパイヤの青い実がしがみつくように実っている。春、小さな苗を植えたのが、こんなにも大きくなったのだそうだ。何年もかかって収穫できると思っていたのだが、半年で実がとれるとはうれしいではないか。大して手をかける必要もないと言う。スモモや桃はけっこう手間がかかる。鈴鹿の気候と合うかどうかわからない。その点、パパイヤは山梨より温暖な鈴鹿の方が合っているだろう。もう少し情報を集めて、パパイヤ作りにチャレンジしようと思う。パパイヤ酵素が有名だが、健康にもいい食材だそうだ。
2024年09月25日
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10歳ほど年上のいとこが、2週間ほど前に脳梗塞で入院した。8月には米の収穫でお世話になった。脳梗塞も心筋梗塞も、はっきりした前兆がないので、倒れたと聞いてびっくりした。幸い大事には至らなかったが、言葉が聞きとりにくい、左の手足がしびれるという症状が残っているようだ。リハビリでどこまで回復できるか。働き者で、ゴルフ好きで、週に一度はコースに行っていた。自作のゴルフ練習場があって、畑仕事とゴルフと、老後を楽しんでいた。息子がアメリカにいるので、年に一度は夫婦で出かけて行った。ちょうど、旅行を準備しているときで、元気だったら、今ごろアメリカで楽しんでいるはずだった。いつごろからか海外旅行が趣味となり、英会話を勉強して、日常会話には不自由しないくらいに上達したみたいだ。海外へ行けば、レンタカーを借りて、あちこち走り回っていた。小さな村に生れ育ったが、行動的で、新しいことを体験したり見たりするのが好きな人だ。80歳を前に、脳梗塞という、ひとつ間違えば生死にかかわる病気をしたことは、大きな彼の節目になると思う。70代80代で大病をすれば、ほとんどの人が、前へ進むのをやめてしまう。現状維持に意識が向かうのだが、そこからもうひと伸びする人もいる。ちょうど、ぼくも故郷へ帰り、これからいろいろ活動しようと思っていたころだ。退院してきたら、もうひとつ、深い話ができるかもしれない。
2024年09月22日
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バタバタと日が過ぎていく。引っ越しまであと10日ほど。こんな68歳とは思わなかった。どんな想像をしていたのだろうか。あまり先のことは考えてなかったな。その場しのぎの人生。行き当たりばったり。23歳のときに、ジョージ秋山さんの『浮浪雲』というマンガを読んで衝撃を受けた。こんな生き方がしたいと思った。流れる雲のごとく生きる。風まかせ。あの主人公のようにはいかないけれども、けっこう流れてきたと思う。よくぞここまできたものだ。60代が終わって70代になって、はてさて、どんな日々が待っているのだろうか。何も考えてないようで、上手に立ち回っているのではないかと、このごろ思っている。流れていると、いいタイミングでチャンスが訪れる。「こんなことしたい」ぱっとひらめくことがある。それまでの考えを捨てて、ひらめきの方向に進む。これがポイントだ。たぶん、このあたりにかけてはなかなかの才能だ。いわゆる成功する人というのは、ぼくのひらめき行動にプラスして、この世的な計算も働く人だ。ぼくは、お金持ちになろうとか、有名になろうとか、もう考えなくなった。困らない程度のお金があって、好きなことをやって、10人くらいの人に喜ばれたらいいと思っている。それくらいのことなら、ひらめきに従って生きていればいい。引っ越しは大変だけど、このあとは、これまで以上に気楽に生きようと思っている。気楽と言っても、隠居生活をする気はない。現役で働き続ける。適度にお金も稼ぐ。働き方、稼ぎ方は変わるけれども。いい70代に向かっていると思う。
2024年09月20日
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鈴鹿へ帰って、さてさてなにをやるか。山梨ではヤギに加えて、スモモや桃の栽培をした。鈴鹿でも果樹をやるのがいいかも。放置してあった田んぼを開墾するという案も出ている。知り合いがやってくれるのだ。土を入れて畑にする。そこに果樹というのはいいかも。そんなことを考えていたら、妻が新聞記事を見せてくれた。山梨でパパイヤを育てている人がいるという記事だった。ぴぴっときた。パパイヤがどんな実で、木の大きさがどれくらで、どうやって育てるのか、さっぱり知らないが、「やってみたい」と思ったのだ。新聞記事をていねいに読んで、ネットでも調べてみた。すると、新聞に出ていた人が、かつてぼくが会いたいと思っていた人だということがわかった。共通の知り合いがいる。さっそくメッセージを送って紹介してもらった。ぼくが彼に会いたいと思ったのは、パパイヤとはまったく別の話。いわゆるスピリチュアルな世界のことだった。彼の研究していることにすごく興味があったが、行動にはつながらなかった。それがパパイヤでピピッときたわけだ。こういうのも縁だろう。鈴鹿へ帰ったら、パパイヤ畑を作ろう。数日前までパパイヤのパの字も出てなかったのに、こんな展開になるとは。こういう調子だから、ぼくと一緒に何かをやろうとする人は振り回されてしまう。ただ、しっかりした根っ子は間違いある。ぼくの表現がへたくそなのもあって、まわりが理解できないだけ。でも、根っこは見えないもので、理解されなくても仕方ない。根っ子が大事なわけで、赤い花が咲こうが、黄色だろうが、実がなろうがなるまいが、ぼくはあまり気にしないというところか。簡単に言うなら、自分が楽しくできて、少しでも世の中の役に立つこと。堅苦しく生きている人が、こんな風に生きてもいいんだと思えること。そんなアピールができればいい。
2024年09月19日
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断捨離とよく言われるが、定期的に不用品を処分していくのは大切なことだ。ぼくは掃除が苦手で、いらないものがどんどん増えていく。なぜ処分ができないのか。どこに捨てればいいかわからないのが大きいことに気づいた。たとえば、ヤギを飼うための柵に使っていた木製のパレット。使わないので、借りた畑に積んでおいた。使わないのだから処分すればいいのだが、どうすればいいかわからない。だから、ずるずるとそのままにしておいたのだ。今回、引っ越しをするのでどうしても処分しないといけなくなった。いろいろ調べた結果、車で10分くらいのところに処分してくれる(有料だが)会社があるのを知った。妻と10数枚のパレットを、2回にわけて軽バンに積みこみ、処分場に運んだ。4000円ほどかかったが、気持ちもすっきりした。鉄製の柵が何枚かあった。鉄は買ってくれるよと教えられて、別の会社へ持ち込んだ。そしたら、1300円くらいで買ってくれた。車で40分ほどのところには、地域の処分場がある。本はブックオフに売りに行った。いらないものはどうしたらいいかを知っていれば、動こうという気になれる。断捨離しなければと思っているだけでは、片付けは進まない。まずは、処分してくれる場所を探すこと。そこが見つかると、次に進める。ぼくの場合は、そこがポイントだった気がする。
2024年09月18日
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今夜は仲秋の名月。子どものころ、団子やススキを前に、月を愛でた記憶はないが、仲秋の名月は意識していて、きちんと夜空を見上げたような気がする。田舎だったから、月もきれいだったと思う。宇宙の神秘へのあこがれもあった。大人になってからは、満月だろうが、三日月だろうが、別にどうでも良くなった。目の前のことに夢中で、遠いかぐや姫の世界とは無縁だった。年を取って、月へのリスペクトが戻ってきた。ぼくは月は遠くから見ているだけで満足だ。でも、行ってみたい、月面に立ってみたいという人もいる。面白いものだ。富士山も、山梨へ越してからは毎日のように見ている。朝起きて、玄関を出ると正面に富士山が見える。思わず「ありがとうございます」という言葉が出る。この富士山とも、半月もすればお別れだ。ぼくは見ているだけで満足。だけど、登ってみたいという人がたくさんいて、夏の富士山は大混雑のようだ。今夜はお月様に手を合わせて、感謝をしよう。
2024年09月17日
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大相撲。この間は、大関琴桜と平幕の王鵬との対戦があった。琴桜は祖父が横綱琴桜、父親が関脇の琴ノ若。王鵬は、祖父が横綱大鵬、父が関脇貴闘力。力士としては超一流のDNA。大関の豊昇龍も叔父が横綱朝青龍だ。ほかにも、若元春、若隆景の祖父、父も力士だった。幕下には、黒姫山という懐かしいしこ名もある(元関脇黒姫山の孫)。プロ野球では、長島茂雄さんの息子の一茂さん。最近では、清原和博さんの息子がプロ志願届を出したということでニュースになっている。しかし、相撲にしろ野球にしろ、スポーツの場合は、いくら親がすごくても、自分に実力がなければ大成できない。親の七光りが通用しない世界なのだ。そう言えば、政治の世界も世襲議員がたくさんいるが、彼らの実力はどう計ればいいのか。昔の政治家がすばらしかったのかどうかは疑問だが、何だか、総理大臣になる人が小粒になった。新しい総理大臣になる自民党総裁候補も、世襲議員を含めて、数だけは多いが、さてさてどこまでやれるのか。天災が頻発し、戦争、紛争も絶えない。感染症の恐怖も消えない。経済もガタガタきている。もうあとがない。日本のため、世界のためにがんばれる人が出てこないと。政治家のDNAというのは、本来、国民を幸せにするためというもののはず。全開にしてほしいものだ。琴桜や王鵬が横綱になる前に、政治家の本当の実力を見せておくれ。
2024年09月16日
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ある人に言われてハッとした。どんな人でも、自分の人生においては主役であるべきだと言うのだ。その通りだ。しかし、自分の人生であるにもかかわらず、脇役でいようとする人がけっこういる。自分がどう生きるかは自分で決めればいい。なのに、大人になっても親のいいなりだったり、やりたいことを我慢する。できないことを人のせいにする。みんながやっているからという理由で行動を決める。それでは気持ちがどんどん窮屈になってしまう。いい人生が送れるはずがない。ただ、今の自分の考え方や生き方は、親の影響を大いに受けている。社会の影響もあるということを念頭に置かないといけない。人間が社会的な生物である限り、仕方のないこと。まわりの影響はどうしようもない。よく「本当の自分」という言い方をするが、本当の自分がなにかはわからなくて当たり前。「これが本当の自分だ」と自信をもって生きている人がいてもいいが、そういう人とは、ぼくは話が合わないと思う。ぼくが大切にしているのは、自分の思考のパターンとか、行動の決め方とか、ひょっとしたら何かの影響でこうなったのではと考えてみること。たとえば、ぼくはこれから生まれ故郷である鈴鹿で暮らそうとしている。この判断には、ひとつには流れがそうなっているという自分の判断があり、もうひとつには小原田家の長男として、両親から言われ続けたことも影響している。もっと言うなら、ご先祖様の思いも関係しているだろうと思う。舞台は同じ小さな村であっても、ご先祖様、両親と同じことがぼくにできるわけではない。しかし、ぼくにしかできないこともあるはずだ。それを最後の仕事にしたいと思っている。ぼくにとっての、自分が主役の人生となるはずだ。
2024年09月14日
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面白い夢を見た。お米の夢。ある人と特殊なお米のお店へ行った。お米を加工しているお店。何が特殊かというと、あるものをお米に混ぜるのだ。何を混ぜるのか。これがすごい。生れて間もない赤ちゃんのウンチ。赤ちゃんの腸内細菌は、とてもバランスが良くて、いいウンチが作られている。それを混ぜることで、食べた人の腸内環境も良くなるのかも。お米の味はどうなのか。娘たちが赤ん坊のときに思ったことがある。こいつらのウンチを牛乳に入れればいいヨーグルトができるのでは。実際にはやらなかったが、いいアイデア? だったかもしれない。ただ、今の妊婦さんは、羊水が汚れているという話もある。胎児は、汚れた羊水を飲んでいるので、腸内細菌も乱れているかもしれない。ウンチは汚いと嫌われているが、見えないから平気でいられるけれども、ずっとお腹の中にあるわけで、出なかったら大変なことになる。本当はウンチに愛しさを感じないといけないんじゃないか。ウンチだけでなく、体をいたわらないといけない。しばらく前まで、胃が痛かった。食事時間が不規則だったり、空腹でもないのにお腹に詰め込んだり、間食したりと、胃に負担をかけたと思う。ここ1ヵ月、注意していたら痛みは消えた。体は、24時間365日、黙々と働いてくれている。ありがたいことではないか。それも大病することもなく、68歳の後半までがんばってくれた。起きたとき寝るときくらい、「ありがとう」を言わないと。食べるお米と出すウンチ。「体をいたわりなさい」というメッセージかな。
2024年09月12日
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「お前の言うてること、だれが聞いても大笑いするわ。夢みたいなことばっかや。近所の人には言わんといてな。私が住めんようになるから」実家へ帰るたびに、晩年の母によく言われた。自分としては、たいそうなことを言っている自覚はなかった。たとえば、「農薬や肥料を使わなくても米や野菜はできる」「お金第一の世の中はそのうち終わる」「食べるものや電気は自分で作らないと生きていけなくなる」「若者たちが田舎志向になる」「薬で治らない病気がどんどん増える」「大病をして人生が変わり、病気に感謝している人がいる」「氣のような目に見えない世界がますます大切になってくる」「100歳まで生きたいという気持ちはあってもいいけれども、いつ死んでもいいという覚悟を決めて生きる方がもっと大切や」「平穏無事ばかりを願うのは心配や不安を生み出す。とにかく、平穏無事なんて人生はどこにもないのだから」80数年、狭い世界で生きてきた母親にしてみれば、ぼくの言っていることは、危険思想に思えたのかもしれない。母に限らず、ぼくがあれこれ言うと、「そうは言うけど・・・」「理屈はそうかもしれんけど・・・」そんな反応が多い。ぼくは思っている。あと何年生きるかわからないが、残された人生、口先だけで生きるのはむなしいではないか。はったりなど時間の無駄だ。お金のためだけというのも寂しい。人を疑うのももういい。ていねいに、誠実に生きたいと思う。そして、自分の心に、魂に、これでいいのかと問いかけながら、理想を忘れず、現実に流されず、まっすぐに進んで行きたいものだ。
2024年09月09日
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