天碧の果て

天碧の果て

レイテ沖海戦(下)


24日の14時39分、相次ぐ栗田艦隊の被害報告に小沢中将は艦隊の存在をアメリカ軍第38任務部隊に明らかにするため、航空戦艦日向、伊勢からなる松田千秋少将指揮の第四航空戦隊を基幹に前衛隊を編成して第38任務部隊に砲撃戦を試みるべく南下をはじめた。16時過ぎ、栗田艦隊のシブヤン海での反転が知らされてから間もなく第3群の偵察機に発見された。ハルゼー大将は栗田艦隊への攻撃を中止、日没から深夜にかけてサンベルナルジノ海峡、レイテ島沖から集結して全速力で北上をはじめ、ハルゼー大将自ら第34任務部隊(高速戦艦6隻)を率いて先行し、空からだけでなく砲戦を挑んで徹底した攻撃を目指した。一方小沢中将は24日にアメリカ軍の偵察機に発見されたことから、25日は空襲を受けると判断していた。そのため、翌朝の7時12分に第38任務部隊の偵察機を発見後、錬度不十分なため戦力とならない艦載機を直衛用の戦闘機18機を除き残存機を陸上へ退避させ、小沢本隊と松田支隊の2隊に分かれ、さらに囮任務を果たすため北上した。

8時15分、第1次攻撃隊180機が来襲した。空母千歳と駆逐艦秋月が被爆沈没。軽巡洋艦多摩は魚雷1本が命中、大破。空母瑞鶴も被雷して速度が低下し、通信機が損傷したため囮成功を知らせる電報が打てなかった。さらに、10時ごろ第2次攻撃隊36機が来襲した。この攻撃で空母千代田が被爆、大破炎上して航行不能になった。10時51分、小沢中将は旗艦を軽巡洋艦大淀に移し、連合艦隊司令部と栗田中将宛てに、「大淀に移乗して作戦を続行」と打電した。12時31分にも空襲を受けて被害が出ていることを大淀から知らせた。

ハワイの太平洋艦隊長官ニミッツ大将とキンケイド中将から第34任務部隊の所在の問い合わせから1時間後の11時15分、ハルゼー大将は小沢機動部隊の残存艦に迫っていた第34任務部隊と第38任務部隊の第2群を率いて、レイテ島沖に引き返した。残った2個群にミッチャー中将指揮下で攻撃を続けさせ、第34任務部隊からローレンス・デュボーズ少将指揮の重巡洋艦2隻と軽巡洋艦2隻、その護衛の駆逐艦を引き抜いて巡洋艦部隊を編成して同様に追撃を続行させた。

13時過ぎ、ミッチャー中将指揮の2個群から発進した第3次攻撃隊約200機が来襲、空母瑞鶴と瑞鳳が被爆被雷し、14時14分に瑞鶴は沈没した。15時過ぎになると第4波の約30機が小沢本隊を攻撃し、15時27分、瑞鳳が沈没した。航行不能になっていた千代田も第38任務部隊から分派された巡洋艦部隊の攻撃で16時55分に撃沈され、小沢機動部隊は空母4隻全てを失った。17時過ぎには第5波と第6波の第4次攻撃隊約150機が来襲、伊勢に攻撃が集中されたが大きな損傷はまぬがれた。ハルゼー大将の反転命令によって多摩を含む損傷艦は復旧と救助活動ための時間を獲得し、千代田の曳航を任されていた軽巡洋艦五十鈴は空襲のため曳航を中止していて、駆逐艦槇と退避していたので難を逃れた。

18時半ごろ、小沢本隊と松田支隊は合同、千歳と瑞鳳の生存者救助はほぼ完了していたが、瑞鶴の護衛についていた駆逐艦若月と駆逐艦初月は続けていた。日没にあわせて若月が艦隊を追ったため初月のみ現場に留まっていたが、五十鈴が千代田の安否を気遣って引き返してきたので2艦は遭遇し、初月に千代田の消息を尋ねたが判明しなかったので燃料不足を理由に捜索と所在確認を依頼した。そこに追撃してきた巡洋艦部隊の砲撃を受け、小沢中将に敵艦隊の発見と千代田の捜索中止を知らせた。五十鈴は撤退したが、初月は約2時間の交戦の後、撃沈された。小沢中将は知らせを受けて、艦隊に南下を命じたがほとんどの艦が損傷していたので時間がかかった。また、急行途上に若月より戦艦2隻を含む艦隊と報告を受けたのでハルゼー大将指揮の高速水上砲撃部隊と誤認、南下を続けた。しかし、巡洋艦部隊がミッチャー中将指揮の2個群と合流するため撤退したので遭遇できず、燃料も残り少なく、再び北へ反転、撤退した。大破した多摩は単艦で退避中に米潜水艦ジャラオの雷撃を受け23時5分に沈没した。

翌日の26日の夕方、五十鈴、沖縄南東部の中城湾に、29日の深夜、日向、伊勢、大淀、霜月、若月、槇、呉に帰港。

日米双方の絶妙な時期の行動によって当初の計画通り、奇跡的にアメリカ軍第38任務部隊の引きつけに成功し、戦艦部隊による敵輸送船団攻撃のチャンスを得た。しかし、25日22時10分、栗田中将から夜戦の見込みがないと作戦失敗を知らされた。



10月25日 サマール沖海戦
反転後、再びレイテ湾を目指していた栗田艦隊は、アメリカ軍第38任務部隊による妨害を受けずに、25日0時30分サンベルナルジノ海峡を通過、サマール島沖に差し掛かっていた。この時点での栗田艦隊の勢力は戦艦4隻、重巡洋艦6隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦11隻であった。6時48分、大和が35km先にマストを発見した。それはサマール島沖で上陸部隊支援を行っていたクリフトン・スプレイグ少将指揮の第77任務部隊第4群第3集団の護衛空母群であり、護衛空母ホワイトプレーンズ、ファンショウベイ、ガンビアベイ、カリニンベイ、セントロー、キトカンベイ、駆逐艦3隻、護衛駆逐艦4隻で編成されていた。栗田艦隊はこれを正規空母中心の機動部隊、すなわちアメリカ軍の主力と誤認、6時59分これへの攻撃を開始した。

スプレイグ少将は救援を求めたがハルゼー大将の部隊もキンケイド中将の部隊もすぐに救援にいける状態ではなかった。ハルゼー大将は休養と補給中の第38任務部隊第1群を救援に向かわせ、北方の小沢機動部隊へ攻撃を続けたが、キンケイド中将はスリガオ海峡のオルデンドルフ艦隊と志摩艦隊を追っていた巡洋艦部隊を集結して補給を急いだ。

栗田艦隊は攻撃を行うものの、煙幕を展開し必死の防戦を行う駆逐艦部隊や空襲のため、約2時間の海戦で護衛空母ガンビアベイと駆逐艦ジョンストン、ホエール、護衛駆逐艦サミュエル・B・ロバーツを撃沈したに留まった。一方、栗田艦隊では他の護衛空母群からの攻撃機などにより重巡洋艦が攻撃を受け、鈴谷は至近弾で航行不能となった後、再度爆撃を受け魚雷が誘爆して沈没、鳥海は爆弾が1発命中し航行不能となり、筑摩も魚雷が1本命中して舵を損傷、航行不能に陥った。熊野は駆逐艦ジョンストンの雷撃により落伍し、羽黒も爆撃により第二主砲搭を失ったが、誘爆と火災は防げた。 9時11分、栗田中将は艦隊に集合を命じた。11時、栗田艦隊はレイテ湾への進撃を再開したが、11時20分に南西方面艦隊から栗田艦隊の北100kmに機動部隊が存在するという電文が届いた。護衛空母群の空襲を受けて利根が落伍し、12時26分、栗田艦隊は反転し敵機動部隊を求めて北上を開始した。

9時20分ごろ、ハルゼー大将にキンケイド中将から二度目の高速戦艦と機動部隊の派遣と攻撃の要請と合わせて栗田艦隊の兵力とオルデンドルフ艦隊の弾薬欠乏を知らされたが、第1群を送ったことと第34任務部隊は北方の小沢機動部隊を追って前進中であると返事を送ったが、後に反転。ハルゼー大将直率第34任務部隊と第38任務部隊第2群は16時ごろ、全速の北上と南下で小型艦の燃料に支障をきたしたため、減速して補給を急いだ。しかし、ハルゼー大将は補給を待ちきれずに高速戦艦2隻と少数の護衛を率いて、撤退しつつある栗田艦隊を追ってサンベルナルジノ海峡へ急行したが、間に合わず、落伍した駆逐艦野分を撃沈したのみに終わった。

反転後から栗田艦隊はようやく戦場に到着した第1群の攻撃隊など数度にわたる空襲を受けて駆逐艦早霜が損傷し、結局レイテ湾への突入は断念し、北上を続けてサンベルナルジノ海峡へ向かった。利根は艦隊に復帰したものの、19時15分に栗田中将は落伍した艦とその護衛の駆逐艦に、自力航行できない艦は処分してコロン湾に向かうように指示を出し、航行不能な筑摩と鳥海は修理が完了せず、筑摩は自沈、鳥海は駆逐艦藤波の魚雷で処分された。0時54分には野分が海峡入り口にて第34任務部隊の砲撃を受け、1時35分に沈没。

夜間にサンベルナルジノ海峡沖へ集結した第1群と第2群から、夜が明ける前に発進した偵察機に栗田艦隊は発見され、日の出と同時に攻撃隊が発進。空襲で軽巡洋艦能代が沈没、熊野、早霜が損傷、早霜の救援に向かった藤波も撃沈され、無人島で仮泊した早霜は続く空襲で擱座した。

栗田艦隊は28日21時30分、ブルネイに帰投した。




謎の反転問題
もし栗田艦隊がレイテ湾に突入していたならば、アメリカ軍は大損害を被ったとも言われている。キンケイド中将指揮下のオルデンドルフ艦隊は約5日間の陸地への艦砲射撃と前夜の海戦において弾薬を消耗し、同中将指揮下の3個護衛空母群は即座に戦艦を落伍させるほどの機数を持ち合わせていなかったため、レイテ湾には輸送船団を防御できる有効な戦力は無かったとされる。一方でオルデンドルフ艦隊は一般的に言われるほど弾薬を消耗していたわけではなく、栗田艦隊の消耗(各艦大小の損傷を受け、重巡洋艦は2隻に減り、駆逐艦は燃料不足、長時間にわたる戦闘で兵士のみならず将校も疲労)も激しかったことから、レイテ湾に突入したところで大きな戦果を挙げることなく全滅する結果になっていたとする意見もある。いずれにせよ栗田艦隊が突入すれば、史上最後の戦艦同士の艦隊決戦が生起した可能性が極めて高い。栗田中将がなぜこの反転行動をとったかは現在も謎とされ、戦史研究家などの間では「謎の反転問題」などと呼ばれている。



風特別攻撃隊の攻撃
レイテ沖海戦から「統率の外道」と呼ばれた、神風特別攻撃隊通称「特攻隊」とよばれる、航空機による体当たり戦法が実施された。

25日朝、神風特別攻撃隊は各地から出撃した。8時ごろダバオを出撃した部隊はレイテ湾の南で第77任務部隊第4群第1集団の護衛空母群を発見しこれに突入した。護衛空母サンティーとスワニーに特攻機が命中し損傷した。10時45分第77任務部隊第4群第3集団の護衛空母群にマバラカットを出撃した部隊が突入した。護衛空母セントローに特攻機が命中し、爆弾、魚雷の誘爆でセントローは沈没した。1時間後、同じ護衛空母群にセブを出撃した部隊が突入、護衛空母カリニンベイに特攻機が命中した。



結果とその後
日本軍はアメリカ軍に一矢報いる最後のチャンスを逃した。これにより、アメリカ軍はレイテ島に足場を築くことに成功し、フィリピン奪回を進めていくこととなった。また、日本軍は空母4隻、戦艦3隻他多数の艦艇を失い、組織的抵抗能力を失った。

アメリカ軍のレイテ島上陸阻止に失敗した日本軍はマニラを拠点に多号作戦と呼ばれるレイテ島への輸送作戦を行った。9次にわたるこの輸送作戦で日本軍は多くの艦艇を喪失した。

レイテ島を制圧したアメリカ軍は12月15日にミンドロ島に上陸、そして1945年1月9日ルソン島リンガエン湾へ上陸した。この後戦いの舞台は硫黄島、沖縄へと移っていった。



参加した艦船
日本側


第二艦隊
第一遊撃部隊第一部隊

戦艦 大和 武蔵 長門
重巡洋艦 愛宕 高雄 摩耶 鳥海 妙高 羽黒
軽巡洋艦 能代
駆逐艦 早霜 秋霜 朝霜 長波 岸波 沖波 浜波 藤波 島風
第一遊撃部隊第二部隊

戦艦 金剛 榛名
重巡洋艦 鈴谷 熊野 利根 筑摩
軽巡洋艦 矢矧
駆逐艦 浦風 磯風 雪風 浜風 清霜 野分
  第一遊撃部隊第三部隊(西村艦隊)

戦艦 山城 扶桑
重巡洋艦 最上
駆逐艦 山雲 満潮 朝雲 時雨

南西方面艦隊
第二遊撃部隊(志摩艦隊)

重巡洋艦 那智 足柄
軽重洋艦 阿武隈
駆逐艦 曙 潮 不知火 霞

第三艦隊
機動部隊本隊(小沢機動部隊)

空母 瑞鶴 千代田 千歳 瑞鳳
戦艦 伊勢 日向
軽巡洋艦 多摩 五十鈴 大淀
駆逐艦 桑 槇 杉 桐 初月 若月 秋月 霜月

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