FPの生命保険診療室
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
2004
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
この仕事をしているといろんな方との出会いがあります。先日お客さまからの紹介である方に電話をしました。お話をしていると、実は2年程前に資料だけを作ってお送りした事があるという。でも名前に記憶がない。よくよく話を聞いてみると、実は昨年離婚したばかりだそうだ。なるほど旧姓に戻られていたので名前に記憶がないはずだ。後日ご自宅を訪問し玄関に入ると2歳になったばかりの可愛らしい女の子と、お電話でお話したお母様がいらっしゃいました。このシチュエーションってどこかで・・・今から40年ほど間の僕の置かれたシチュエーションとそっくりです。但し僕の場合には2歳の時は既に母親はいませんでした。なぜなら僕が生まれた直後に母親が喉頭がんを患っていることが発覚しました。その当時の沖縄では満足ながん治療が受けられない事もあって母親は一人親戚を頼って東京の大学病院に入院することになりました。勤め人だった母親は幾らかの貯えがあったので入院費用についてはなんとか賄えたようでした。でもガンの進行が早く、結局は1歳になったばかりの僕を残してこの世を去りました。その後の僕は亡くなった母親の妹夫婦に引き取られ、高校までは不自由を感じることなく過ごす事ができました。でも高校3年の2学期に養父から「高校を卒業したら地元で就職してくれんか」と言われました。漠然と進学することを考えていた僕にショックな一言でした。確かに養父は定年まであと数ヶ月を残すばかりで、進学した際の学費などを賄える状況ではなかったようです。考え抜いた末に、新聞配達をしながら学校に通える制度(新聞奨学生制度)を見つけ出し、飛行機代だけを援助してもらい上京してきました。でも新聞配達の厳しさに耐え切れず、結局は予備校に通った1年間だけの新聞奨学生でした。結局大学入学が決まったので、入学金と全期の授業料だけど援助してもらいました。でも入学後はひたすらアルバイト。なにせ半期毎に納付する授業料と生活費を稼ぐために必死でアルバイトに励みました。勿論土日も関係なし。そうなってくると友人達との付き合いも疎遠になりがちで、離れていった友達も少なくありません。本当にお金が無い時には往復の電車賃が勿体ないので、翌日のバイトに備えてバイト先の車の中で寝かせてもらった事もあります。今にして思えば、生命保険の恩恵があればそこまでの苦労もなかったと思います。話しは戻りますが、玄関先のお子様を見たときに40年前の自分がそこにいるような錯覚に陥りました。無邪気に楽しそうに遊んでいる姿は小さい頃の自分を見ているようでした。でも僕と違ってお母様はまだいらっしゃいます。でも、もしもお母様に万一の事が起きてしまったら・・・そのお子様には僕と同じような苦労はして欲しくない・・そう考えると今の仕事の本来の意義を改めて意識させられます。このご家庭とは少なくとも後18年間はお付き合いをさせて頂くことになります。全身全霊を掛けてサポートさせて頂きます。
2007.01.24
コメント(5)