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退職をして半月が過ぎた。 最初の2週間はやることが色々とあって、わりと忙しくしていたのだけれど、 今週に入り、これと言った用事が途切れてしまった。 一応求職中で、自分自身の手術なども控えているので子どもは保育園に預けており、 日中は掃除をしたり、ずっとやろうと思っていて出来ずにいた包丁研ぎをしたりしてみては いるものの・・・。 ぬぐいきれない罪悪感・・・。 働かないことに対して、こんな気持ちになるとは思ってもみなかった。 そういえば高校を卒業して以来、働かなかった時期はほとんどなく、働いていない時も、 毎日のように面接に出かけたり、産休育休だったりで、こんなふうにのんびり過ごすことは なかったな、と。 きっと生まれついての貧乏性なんだねぇ。 やっぱりなにか仕事をしていたい、と切に願う昨日今日。 働いていた時には、あんなに「いやっていうほど本を読みふけりたい」なぁ~んて思って いたのに。 ・・・と我ながら苦笑。
2012.04.17
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開いてみてびっくり。 こんなに長いことここに来てなかったのか、と。 それに、妊娠中、そんなこと思ってたのか、と。 この1年ちょっとに、私の生活は劇的に変化した。 子どもは無事産まれ、夫の両親と同居し、産休育休を経て復帰し、退職しようとしている。 そういえばすっかり忘れていたけど、私、30代の半ばくらいまで、人生40年でいい、 って、本気でずっと思ってたんだよね・・・。 40歳、超えてしまいましたけど。 そして、子どもができたので、そしてまだ小さいので、もうちょっと生きていたいな、 と思いますけど。 でも、いくつくらい、ときかれると困る。 段々大きくなっていけば、成人式がみたい、とか、花嫁姿がみたい、とか、もっといって 孫がみたい、とかね。 欲を出さずに、元気に生きられるところまでいってみようと思う。
2012.01.22
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まさか自分が母になるとは思っていなかったので、これまで妊娠ということについてくる様々なことにあまり興味がなかったというか、話を聞いていても、ふぅ~ん、位にしか思っていなかったのだけれど、実際に自分がいろいろ変化しだすと、くだらないことに面白がっている自分がいたりする。 たとえば・・・ いま、私は哺乳類の証、臍がない。いや、あるんだけど、限りなくないに近い状態で、しかも臍をひっくり返して、底を見ることができる。 へぇ~、ちゃんとふさがってるんだ。なんか、筒をきゅきゅっとつまんだみたいにねじってとめてあるんだねぇ・・・とか。 しきりに胎動があり、どうもうちの子は右側ばっかりにいるらしいけど、それにしてもこんな脇のほうまで実が(?)はいってるんだ、とか。 あんまりぐるぐる動き回っているときには、いったい中で何をしてるんだろう。いっそお腹がスケルトンだったら面白いのに、とか。 子どもを産むって、本当に不思議だなぁ、と改めて思ったり。 産休も、なんだか不思議な感じで、まだ普通の公休くらいの感覚でいるけれど、仕事をしているのが当たり前、の生活から慣れていけるのかな・・・、とか。 でも、とりあえずはこの状態を楽しみながら過ごしていこうと思う。 今の私は、この子から始まった大きな変化の途中にいる。 まだまだ色んなことが変わっていくんだろうな。 でも、一人だったときより、二人になったときより、想像のつかない未来が楽しみでもあり、ふしぎでもあり。 来年、5年後、10年後、私たちはどんな風になっていくんだろう。 毎日笑いころげていたいな。
2010.07.02
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よいしょ。よっこらしょ。 1日に何度言っているだろう・・・。 妊娠も7ヶ月目に入って、ただ座ったり立ち上がったりするだけのたびに掛け声なしでは動けなくなっている。 なんともおばさんくさい・・と 思いつつ、でも掛け声は自分を励まし勢いづけてくれているような気もして、ま、いっか と。 まだしばらく続く我が子と一心同体の生活を、掛け声とともに頑張っていこうかと思う。 どっこいしょ。
2010.05.16
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ホワイトデーに頂いた桜の盆栽(!!)が咲きました。 そめいよしのよりも、もう少し濃いピンク色で、固かったつぼみが膨らみ始めたと思ったら、あっという間にみるみる咲き始めました。 ここのところ急激にいろいろあったのだけれど、 なんだか幸せな気分。 今 待っていることも、きっといい結果に落ち着きそうな、そんな予感がしています。 春はやっぱり幸せな気分だ。 そんな季節なんだな、きっと。
2010.03.22
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めちゃめちゃ久しぶりに書いています。 ここのところ、将に日々の生活に埋もれていました。 世界が狭くなった、と思うのと 物を考えていない気がする という不安はあるのですが、 それ以外は幸せに暮らしていました。 大きな生活の変化を迎え、「考える」作業はさぼっているものの、 いろいろと感じることは多いものです。 仕事は年度末を迎え、移行準備に大童なのです。 来年度はどんな風になっていくのかなぁ。 少し先が少し楽しみな今日この頃です。 でも、願わくば、もう少し世界を広げておきたいな。
2010.03.07
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大好きな 東君平さんの詩の中に 自分のこいでいるブランコがきしんでたてる音が 「不平不満不自由、不平不満不自由」といっているように聞こえる といった内容のものがあって、 その当時も あぁ、まるで私自身のことのようだ、と思ったものだったが、 最近またとみに不自由で狭量な自分が堂々巡りして出口が見つからず、 それを整理整頓すべく、手をうった。 一緒に整理を手伝ってくれるコーチと自分の中を見直してみると、 もつれた糸は少しづつほぐれて、端っこがみつかった。 まだいっぱいからまっているんだけれど、整理整頓して自由に近づいていこうと思う。 部屋や持ち物とおんなじで、時に整理整頓が大切なんだ。 ひっくり返って手を着けるのも嫌になってしまう前に。 部屋の整理も持ち物の整頓も苦手な私、自分の整理整頓も、えいやっ という気合が要る(苦笑)
2009.11.22
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小さくて、とても大きなものを失くした。 そのこと自体はとてもつらかったのだけれど、その出来事のおかげで、すごくたくさんのことに気付かさせてもらった。 ああ、私は幸せなんだな、と改めて思い、感謝した。 ああ、まだ頑張っていけるな、そう思った。
2009.10.16
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今さら・・・と思う向きもあるかもしれないけれど・・・。 つい最近まで私が使っていたフライパンは、一人暮らしをはじめた20年前に、親が持たせてくれた鉄のフライパンで、縁もちょっと外側に向いて立ち上がっているものだったのだ。 なまじ物持ちが良いものだから、そのまま使い続けていたのだが、今回の引越しを機にテフロンのフライパンに買い換えたのだ。 そして、ブラボー! なんたって、こげつかないのがいい。 火にかけたままちょっと忘れていた目玉焼きだって、するりとすくえる。 きんぴらだって、炒めたそのままで煮られるし、あやうく煮汁がなくなっても大丈夫。 縁もまっすぐ立ち上がっているから、チャーハンや野菜炒めも鍋振りできるし、あぁ、なんて素敵なんだろう~。 (でも、最初はホントに油なしで卵を焼いて、ぱさぱさにしてしまったけれど。苦笑) すっかりテフロンのフライパンのとりこになって、稼動回数もうなぎのぼりに。 あぁ、もっと早く買い換えておけばよかったな。 でも、やっぱり毎日のご飯作りはメンドクサイ。笑
2009.08.22
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ここのところ何もかもがバタバタしていて、本当に久しぶりの更新。 1ヶ月半くらい前に引越しをした。 2週間前に苗字が変わった。 どんな感じがするものなんだろう・・・と、ずっと思っていたのだけれど。 2週間たった今でも全く実感がわかない。 仕事先でも未だに40年近く使ってきた苗字を自分も周りも使っている。 そして、来週(いや、もう今週だ)は御披露目も。 そちらもまるで人事みたいに実感がない。 昨年の友人の式の時の方がよっぽど楽しみにしていた。 う~ん。 こんなものなのかな。
2009.07.20
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なんだか懐かしくて、ちょっぴり切なくて、ほんのり暖かくて、まぁるい幸福感。 いしいしんじ の「ポーの話」はそんな物語だった。 たまたまちらりと見かけた書評の記事で、この作家さんを知り、なんとなしに手に取った1冊だった。 うなぎ女の息子、ポーの一生がつづられたこの物語は、丁度私や、私よりもう少し年上の人が子どもだった時代を連想させる。 今の人が忘れてしまっているとは言わないけれど、あまり見かけなくなった、「ゆるやかな時間」が描かれているように思う。 ポーは、成長と共に色々な場所で色々な人と出会い(産まれた川を下っていくのだ)、色々なことを知り、感じ、考えていく。 ポーは、出会った人たちのことばをフィルターにかけず、ストレートに自分の中に取り込んでいく。そして、その時には分からなくても、様々な経験をつむうちに、自分の血肉として「自分のもの」にしていく。 ポーの出会う人たちは、みんなどこかちょっぴり淋しいけれど、それを色んな形で引き受けている。そういう人たちと出会い、ポーは自分の生き方を決めていくのだ。 人として生きていくのに大切なことは、そんなにたくさんあるわけじゃなくて、それさえ大切にし続けるならば、「幸せ」に行き終えられるものなのだ、きっと。ということをきれいに放物線を描く軌跡で放られたような、そんな話だった。 私はまだ自分が子どもだが、母になった妹や友人ならば、きっと私よりずっとこの物語を深く読むのではないかと感じた。 切ないけれど、とても幸せなラストシーンがなんともふんわりと素敵な読後感だ。
2009.05.05
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かつて核を使用した国の道義的責任として、今後核兵器のない世界を目指したい。 アメリカ合衆国の大統領と言う立場で、この発言をするのには、どれほどの勇気と覚悟がいったことだろうか。 彼が大統領になったときにも、私は静かに、そしてすごく感動したのだけれど、今回のこの発言に、やはり凄く感動している。かっこいい!! 言うだけでなく、その為にどういう手立てをまずとろうとしているのか、また、困難なことだけれど、これはやっていかなければならない事柄なのだから、強い意志で小さな一歩からはじめていく必要があるのだ、ということも合わせて説明していて、実現に向けての姿勢の深さを感じさせられた。また、彼の真摯な人柄に心が動いた。 アメリカはどんな風に変わっていくんだろう。 日本だって変われるはずだ。勇気と覚悟さえあれば。 同じことが自分自身にも言える。 私だって変われるはずだ。勇気と覚悟さえあれば。 勇気と覚悟と人としての思いやりのある心さえあれば。
2009.04.06
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人生の節目を迎え、大きなものを手放す決意をした。 手に入れるときも一大決心したし、大切にしてきたのだけれど・・・。 手放すことにした決意そのものに後悔はないのだけれど、やはり時折切ない。 そんな私に、友人がくれた一言 「大きなものを手放すと、また、大きなものが入ってくるって言うからね」 に、励まされている。 人生って、地道な作業の積み重ねなんだなぁ・・・、と、改めて実感。笑 友人のことばにちからをもらい、未来を見て、思い出はおいていこう。
2009.03.29
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年が明けて、なんだかあっという間にもう2ヶ月過ぎてしまったのか・・・と、ちょっぴり唖然。 何と言うわけでもないのに、慌ただしく過ぎてしまったなぁ、と。 この2ヶ月の間に、大きな生活の変化の兆しを迎えて、様々考えることがあった。 主には自分の周りの人たちの事を。 自分とたくさんの人の距離感とか、関係性とか、その変化などなど。 そして、たくさんの人たちに助けられ、生かされているんだな、と実感。 そう思うと、自分だって、誰かを生かせる自分であれたらいいなぁ、なんて思ったりして。 人生の転機って、色々なものに対する自分のスタンスを見直すいい機会なんだな。 まじめに見直してみようと思う。
2009.02.28
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同僚のお父さんが亡くなられた。 私よりいくつか年上の方で、お父さんも、私の父よりは年上ではあったけれど、 改めて、「親」という存在の事を考えた。 生まれたときから常に居て、いつまでも元気でずっと側に(心理的に)いてくれるもの、というような気でいるけれども、私が歳をとった分、父も母も同じだけ年月を経て歳をとっているのだと、順番でいえば、子どもである私が父母を見送るのが普通のことなのだ、と、改めて思わされた。 それは、私が生まれてこの歳になるまでの年月より先のことではきっとないのだ、と思い、なんだかうまくいえない気持ちになった。 正月に帰ったら、少し孝行してこようかな、と思った。
2008.12.23
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リチャード・パワーズの「われらが歌う時」をようやく読み終えた。 人は、自分と異なるものを恐れれるものだ、と、ずっと以前に何かで読んだような気がする。 自分と同じものに安心し、異なるものを排除しようとする行動は、異なるものに対する恐れから来るのだと。 奴隷制時代からの長い差別の中、黒人たちは黒人のコミュニティを作り、黒人の「社会」を作ってきた。 そんな時代の流れの中で、結ばれた白人男性と黒人女性の家族の歴史を軸に物語は進んでいく(この本の中では、第二次世界大戦の終わる頃から、21世紀間近の90年代まで)。その家庭に生まれたいわゆる「混血」の子どもたち。 アメリカの社会の中では「一滴でも黒人の血が混じれば黒人」とみなされ、もちろん白人の社会には入れてもらえず、しかし、黒人としては白い肌を持ち、真っ白い肌の父親を持ったその子どもたちは、(いや、その家族そのものが)黒人のコミュニティにも入れてもらうことが叶わない。 そういえば、「MISS SAIGON」の中でも、現地の女性とアメリカ兵との間に生まれた子どもの事を、「they called BUI-DOI The dust of life Conceived in hell And born in strife・・・」と歌うナンバーがあった、と思い出したが、どのコミュニティでもそういう傾向があるのだろう。 白人とはいえ、ユダヤ人でドイツから亡命し、差別と迫害を知る父親、黒人としてアメリカの差別を常に感じながら成長してきた母親、そして、結ばれたことでどの社会、コミュニティからもはじき出されてしまうことになった5人の家族。 どうにもうまくまとめられないが、上下巻読みきるのに1ヶ月を要したこの本を読みながら、人の強さ、弱さ、想い、恐れ、信念・・・と、様々考えさせられた。民族、文化、人種、人は結局のところ、意識せずに、本当に多くのものに縛られている。(有吉佐和子の「非色」にも、似たような苦しみが描かれていた。) 初の黒人大統領、と言われているオバマ氏も、「一滴でも~」のルール(?)によって「黒人」となっているが、そういえば、実際はいわゆる「混血」だ。 彼があそこに上り詰めるまでには、一体どれほどの才能と努力が必要だったのだろうか。 アメリカ社会の中で、いや、どの社会にもある差別の現実。 「イマジン」の世界はまだまだ訪れない。 人々が一人ずつ、もう少し勇気を持ったなら世界は変われるのだろうか。 私も変われるだろうか。「イマジン」をめざして。
2008.12.17
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昨日の朝、ニュースを見ていて驚いた。 筑紫哲也さんが亡くなった、と。 夜間の大学に入学し、一人暮らしをし始めて間もなく始まった「NEWS23」を続けてずっと見てきた。(授業を終えて帰宅し、銭湯から戻って丁度見られる時間帯だった) 筑紫さんの出来事に対する見方のスタンスや考え方、伝え方が凄く好きで、多事争論を興味深く聞きながら、納得したり、なるほどなぁと思ったり、高校時代に種を蒔いてもらった社会に対する興味関心を(私の通った高校では比較的自由に社会に対する考えを話すことが出来た)育ててもらった番組だった。 肺がんを告白され、番組に毎日は出演されなくなってからも、鳥越さんのように復活して来られるもの、と、どこかで思い込んでいただけに、突然の訃報に本当に驚かされた。 大学に入学してから、かれこれ20年。 地震、戦争、経済問題、政治の中での出来事、とにかくたくさんのことがあったなぁ、と思う。 中でも、終戦記念日や慰霊の日に筑紫さんが出されるコメントには、いつも深く考えさせられた。 もう、彼の考えを聞きながら、自分の考えを見返す作業は出来ないのだな、と思う。 たくさんの事を考えさせてもらった。 感謝を胸に、心からのご冥福をお祈りしたい。 ありがとうございました。
2008.11.09
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アメリカの大統領選挙の結果がでた。 バラク=オバマ氏の当選が確実になり、ついに初のアフリカ系アメリカ人の大統領が生まれることになった。 すごい。 なんだか静かに感動している。 昔から、なぜかヒエラルキーに物凄く興味があった。 人が、歴史が、社会が、そのヒエラルキーを乗り越えていく様を見たり感じたりするのが好きだった。(自分がその底部に限りなく近いところにいる、と思うからなのだろうか) ほんの1世紀前には奴隷制度の中、人としてのなんの権利も持たなかった人たちが、60年代には公民権運動で、投票する権利を勝ち取り、そして、ついに大統領になったのだ。 時代の流れももちろんあるのだろうけれど、やはり「勝ち取った」というべき結果なのだと思う。 事なかれ主義では物事は何も変わっていかない。 多くの人々が変わろう、変えよう、と行動して開かれた、歴史の新しい1ページ。 アメリカはこれからどんな風に「チェンジ」していくのだろう。 わたしにだって必要だ。 チェンジ。
2008.11.05
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仕事と家庭を両立させるコツは? と聞かれて、 出来ないものは出来ない、と言うこと、そして周りの人に甘えること。 と、ある人が答えていた。 どちらも苦手な私。 なるほどな。 自分をちゃんと知って、出来ることと出来ないことの線引きをしっかりすること、、甘え上手でいることで、(もちろんそれだけではないけれど)キラキラして仕事も家庭での役割も楽しみながら暮らしていけるんだな、と。 でも・・・。 ずっとしたことのないことって、やり方がよく分からなかったりしますね・・・。 出来ないことを出来ないという方はともかく、誰かに甘える、というのは自信がないなぁ。 甘える う~ん・・・。
2008.10.10
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両替をしたくて某都市大銀行へ行った。 両替の機械が以前はあったのだけれど、見当たらず、聞いてみたら「窓口で」といわれる。 その時は急いでいたので、他の用事を済ませてからもう一度訪れると、「両替は、当行とお取引のある方に限らせていただきます」と・・・。 そこの銀行は取引のあるところではあったけれど、その時私はそこの通帳もカードも持っていなかった。 本来銀行とは両替が基本の業務だったのではないの? ・・・と、思いながら、結局少し歩いたところの郵便局で両替をした。 確かに両替には手数料なども発生せず、「業務の効率」ということを考えると省いていきたい業務内容なのかもしれない、とは思う。 だけれども、直接の利益を生まないサービスも、結果的には利益につながっていく事もあるだろうと思うし、なによりもともとの成り立ちの仕事だろうに・・・。 基本、という言葉をちょっと思い浮かべてしまった。 それは自分にもいえる。 基本をないがしろにしてはいないか。 点検しなさい、という合図かもしれない。
2008.09.19
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先週末、寝坊して起きたら実家から電話がかかってきた跡があった。 かけなおすと、「生栗を送ったから」と、母。 週のあたまに届いた生栗、収穫から時間が経つといたんでしまうし・・・。 一晩水につけた生の栗を、少し熱湯に通して剥くのだけれど、包丁を持つ手はだんだん痛くなるし、鍋の栗はなかなか減っていかないし・・・。 決してたくさんではなかった栗を、途中ちょっと嫌になりながらもようやく剥き、甘露煮もどきに。(いちばん保存がききそうだったので) あぁ、栗を食べるのって、美味しいけどたいへん。 栗のお菓子や栗のごはん、いつも何気なく食べてたけど、これからはたくさん感謝していただきます。
2008.09.18
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以前も書いたが、ここのところ「小野不由美」の作品を続けて読んでいる。 今日「屍鬼」という作品をようやく読み終えた。 2段組で700ページ超、上下巻、という長編の舞台は、昔からの土葬の風習の残る、小さな閉塞した感のある村なのだが、そこで思いも寄らぬ出来事が起こり始める。 村の中には様々な人が住んでいて、それぞれの営みがあり、色々な思いがゆきかっている。 それらの人々が、出来事をきっかけにその人その人の生き様を顕していくようになる。 物語そのものは、怖い話なのだけれど、それとは別に、ひとの怖さや哀しさ、生きていく、ということの意味やそれを確固として持ち続けることの困難さなど、多くのことを語りかけられているように思う話だった。 この作家の物語は、いつも「生きていくということの在り方」を読者に問いかけているように感じる。 あなたの望む生き様に、今の生き方は適っているのか・・・というような。 今回の物語には、たくさんの人物が登場し、それぞれの生き方をしている。 こんな風に生きたい、と思わせられる人もいるし、その人の心情は痛いほど分かるけれど、その人のようにはありたくない、という人もいる。 (たくさんの登場人物の中で、誰に一番自分が近いかと考え、そうありたくはないけれど、「恵」という登場人物に自分がとても似ているような気がした。) 「何か」があったときに、人はひととしての尊厳を持ち続けられるのか、という点でも色々と考えさせられた。 全てはその人の「在り方」につながっているような気がする。 在り方。自分の生きている意味のゆくえ、ようなもの。 永い永い日々の中では、人の一生は刹那なのかもしれないけれど、生きている私たちとしては一生はそれなりの時間で、だから、自分が生きる意味を解りたいと思うし、意味はあるのだ、と信じたいのだ。多分。 物語の終盤、異種の二人が交わす会話がとても印象的だった。 言い訳ばかりで何一つ自分で切り拓くことをしなかった恵。 出来るならば、そうではなく、自分の生きる意味を見つけようと足掻いて生きてゆきたい。 生きる意味をたとえ解れなくとも、それはある、と信じて生きていられる自分でありたい。 ・・・と思う。 私の望む生き様に、適う生き方をしたい、と思う。
2008.09.07
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昨日、誕生日を迎えた。 もう、こんな歳になったのか・・・と、自分の事ながらちょっとびっくり。 昔、小さな子どもだったころ、自分がそんな歳になるなんて事は想像ができなかった。 すごくすごく 遠い先のことのような気がしていたのだけれど。 気がついたこの歳だった・・・ようなかんじ。 歳をとるというのは、確かにある年齢を過ぎると嬉しいことばかりではなくて(それは周囲の目だったり、自分の寄る年波に勝てない身体や体力だったり)、がっくり来ることもあるのだけれど(笑)、出来ることならば素敵な歳のとり方をしていきたいし、「歳をとるのも悪くない」と思い続けられる生き方をしていきたいと思う。 たくさんの友人たちに祝ってもらって、本当に幸せな誕生日を迎えさせてもらった。 感謝の気持ちを忘れずに、私からもたくさん発信して行こうと思う。 幸せな気持ちはバトンのようにしてつぎつぎ手渡していけるものだから。 ありがとう。
2008.08.28
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高校の時に剣道部に居た。 その時の顧問でもあり、3年の時に担任もしていただいた先生が、この3月に定年退職され、昨日はその記念パーティーに出席してきた。 まず、当時まだ40代だった先生が定年、という事実になんだかびっくり。 ・・・でも考えてみたら、卒業してもう20年経っているんだ、と複雑な気分に。 久しぶりにお会いした先生は、白髪が多くなったくらいで大きなお変わりはなく、昔そのままの豪放磊落なところと、そうでいて意外に細やかに気遣いをされる、懐かしくて思い出深いキャラクターそのままだった。 そして、先輩や後輩たち!!(今回私の代は私の他に出席がなかったので) 実は、高校在籍の時代、私は剣道部の特に男子部員がとにかく苦手だった。 最初に持った苦手意識が次々重なって、悪循環もあったのだと思うけれど、本当に「一緒に練習するだけ」の相手だった。 けれども昨日、20年ぶりに会ってみて、みんなそれぞれの20年を積み重ねてきたんだなぁ、となんだか暖かい気分になった。 見た目も中身も丸くなって、昔は思っていただけでなかなか言えなかったような事もぽんぽん言いやすくなった後輩や、雰囲気も話し方も昔そのままの先輩や・・・。 良くも悪くも、みんなおじさんになっていて、なんだかおかしい。 昔話に盛り上がり、現在の話しをし合い、・・・たまにはこんな風に昔を懐かしむのもいい、と思える会だった。 昔を懐かしむばかりでは、前には進んでいけないものだけれど。 それでもやっぱり、ほっこり気持ちが暖かくなった。 どんな今であれ、今の私はあの時の私の上に積み重なっている。 20年。 決して短くはない。 この先の20年、私はどんな風に生きていくだろう。 20年前を振り返ったときに、素直に納得できるように生きていきたい。
2008.08.17
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ここのところずっとはまり込んで読んでいた、小野不由美の「十二国記」シリーズを、ついに読み終わってしまった。 いわゆる「ファンタジー物」に分類されてしまってはいるのだが、この物語の中に描かれる人物たちは本当に深くて、そして、いつも必ず「自分の在りかた」というものについて考えさせられる。 自分がどう生きたいと思っているのか、どんな自分でいたいのか、その為にどう動けばいいのか・・・、常に問われているような気持ちにさせられる。 この十二国記の話は、以前にNHKでアニメーションで放送していたことがあり、その時にたまに見かけて、面白い話だな、と思ってはいた。見られるときは見る、くらいのスタンスで見ていたのだけれど、今回改めて通して読んでみて、この本を自分のものにして手元においておきたいきもちになっている。 私は断然、凛とした慶国国王の陽子びいきだが、登場人物のそれぞれが「人には人それぞれの魅力があるのだ」と訴えかけているようで、私もそんな魅力ある人でありたい、と思わせられる。 この本を続けて読むようになってから、何かをしようとする前に、あるいは考える時に、「それは自分が在りたいと思う自分の姿と照らし合わせてみて、納得のいく選択だろうか」というようなことを常に思うようになった。 自分の在り方、自分がこう在りたいと思う自分の姿。 常に理想どおりであるのは大変だし、難しい。だけれども、その理想に寄り添っていこうとする想いこそが日々の自分を創っていくのだろう、と思う。 私は、私が思う自分に日々寄り添っていこうと思う。 最後に、この物語の終盤に出てきたことば 「責難は成事にあらず」 責めるのは容易い。非難することは誰にでも出来るが、ただ責めるだけで正しい道を教えられないのなら、それは何も生まない。正すことは、何かを成すことだけれど、非難することは何かを成すことではない。 私はもっと大きな自分になりたい。
2008.08.16
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昨年から準備してきた、全国から人の集まる研修会。 3日間の全日程を、昨日(8月4日)終えた。 ずっと参加するだけだった側から、迎える側に回ってみて、初めて「ああ、こんな風にいつもたくさんの人に支えられて、学ばせてもらっていたんだなぁ。」と実感。 笑ったり悩んだり、時にはイライラしたり、色々な事があったのだけれど、色々な人たちと知り合い、一緒に頑張った同士として共感しあい、たくさんの人とつながることが出来、本当にいい経験をさせてもらえた。 もっと頑張れたんじゃないだろうか・・・、と思う部分もたくさんあり、その辺りが自分の弱さなのかとも思い、そうありながらも、その場にみんなと一緒に居られた幸せを感じている。 まだもう少し、その後の作業があるのだけれど、この時間を宝物にして次の日々を過ごしていきたい。
2008.08.05
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昨日、一番の友人が嫁に行った。 いつも少し前を歩いているような彼女は、たくさんの友人達に祝われて、ご両親や妹、旦那さんのご家族たちに祝われて、本当に素敵な式を挙げた。 私も久しぶりにお祝いの席、というものに参加させてもらい、幸せ気分をおすそ分けしてもらった。 大好きな人が幸せになるというのは、幸せなことだ。 おめでとう。 また、その背中を追いかけていくから!!
2008.07.27
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「自分自身が人を信じることと、人が自分を裏切ることは何の関係もないはずだ。自分自身が優しいことと他者が自分に優しいことは、何の関係もないはずなのに。」 「おいらはおまえに信じてもらいたかった。だから信じてもらえりゃ嬉しいし、信じてもらえなかったら寂しい。それはおいらの問題。おいらを信じるのも信じないのもおまえの勝手だ。おいらを信じておまえは得をするかもしれないし、損をするかも知れねえ。けどそれはおまえの問題だな。」 昨日読み終えた本の中に出てきた。 読みながら、泣いた。 ここのところ、自分の体調がしっくりしないからなのか、やけにとげとげしている自分に気づいていた。そんな自分を苦々しい思いで違う自分が見ていて、でも、抑えられずにいた。 言ってしまった後、してしまった後に、いつも苦い気持ちが残った。 私は忘れていたんだな。 人のある姿と、自分がある姿、ありたいと望む姿には何の関係もないこと。 自分のある状況と、自分のありたい姿には何の関係もないこと。 私は本当に、いたらない・・・。 と、主人公は言ったが、私はもっともっとだ。 私はもっと強くなりたい。
2008.06.29
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帰りの電車に乗ったら、まだ若いサラリーマンらしき3人組が私の斜め前に立っていた。 早番帰りの眠くてボーっとした頭で、「なんだかこのグループヘンだなぁ」と思うのだけれど、何がヘンなんだろう・・・。 ぼんやり考えていて、はたと思い当たった。 一人はただひたすらにゲームをしていて 一人は黙々と携帯メールを打っていて 残りの一人はゲームの出来を時々覗き込みながらぼ~っとしていて。 会話もゲームのことくらい。 ただ「一緒にいる」っていうだけ。 せっかく3人でいるのに。 なんかバラバラなかんじ。 人と一緒にいることの素敵さとか、楽しさとか。 感じないのかなぁ。 人と一緒にいるあったかい感じのこと、 思わないのかなぁ。 ・・・なんて思っている間に睡魔に襲われ、気がついたら降りる駅だった。
2008.06.18
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今よりももっと若くて、 訳のわからない、ただただ痛いほどの淋しさをいつも身にまとっていた頃、 1冊の詩集に出会って、私の本棚にそれはまだある。 今でも好きで、時々開くその詩集だけれど、 ここ最近、ふと思い出したその中の1篇の詩の中のワンフレーズが、私の中でおまじないのように繰り返され、その度に波立ちそうな心が落ち着いてゆく。 きっとあなたは そっと私の 心をわかってくださって ほそい水のような文字で 「すべてはうまくゆきますよ」 たったひとこと くださるでしょう (途中抜粋) 「すべてはうまくゆきますよ」 心の中で唱えては、なんだか穏やかな気持ちになってゆく。 いろいろあっても 「すべてはうまくゆきますよ」 きっとそうだ。
2008.05.26
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人がどれだけ強くあれるか、というのは その人が、どれだけのものを、どれほど自分の力と意思とで乗り越えてきたのか、 ということなのかもしれない、 と、思った。 怒りや不安や、あるいはそういうものたちに捕まってしまう自分自身のこころなどなど・・・。 そういうものと、どんな風に対峙してきたのか、どれだけ自分自身で斗い、乗り越えたのか。 人に相談は出来ても、人にアドバイスはもらえても、かわって貰うことは出来ない。 私の大切な友人は、一歩一歩しなやかに強くなっていく。 私も、リスクを恐れず、乗り越えながら強くなっていくぞ。 そう思った。
2008.05.04
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ようやく 昨年のお札を返し、お礼参りをしてきた。 久しぶりの深川不動尊にお参りしたりおみくじ引いたり・・していたら、護摩をたく時間になったので、外から見学させてもらった。 友人は以前これを、まるでショーを見ているようだ、と表現していて、なるほど、それも一理ある、と思いながら見ていたのだけれどー。 ほら貝を吹いたり、大きな太鼓を叩いたり、鐘を鳴らしたり・・・、どうしてするんだろうと思い、ふと、「お願いです!仏様!」と、呼んでいるのかしらと思った。 時代物といわれる本を読むと、深川はよく登場する。 今よりもっと、色々な事が大変だった時代に、人々は願をかけたりお参りをして、上手くいくことを祈ったのだけれど、お願いを叶えてくれる人に届かなければ意味がないから、そこで、「聞いてください、私は今、こんなお願い事をしています。」というのをアピールしなければならなかったんだろうな、と。 そう思うと、太鼓も鐘も焚かれている護摩ですらも、昔々からの人々の内なる叫びのような気がしてきて、なんだかひとり、ヘンにじんとしてしまったりしたのだった。 末吉のおみくじをかばんに大事にしまって、深川をあとにした。
2008.04.29
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先日帰り道、駐車場からタクシーを出すために若い男性が誘導していた。 どうやら上司らしく、タクシーが車道に出て行くときにお辞儀をしたのだが、それがちょこんと頭が下がったのかしら~くらいのおざなりな、投げやりな感じのもので、もちろん見送ることもなく即座にきびすを返して他の人たちと一緒に(多分同僚)建物の中へ消えていった。 こんなお辞儀をされて、こんな見送り方をされたら、私なら哀しいなぁ むしろそんな風なら、見送ってもらわない方が心安らかかもしれないよなぁ と思いながらその様子を見ていたのだけれど、 逆を返すと、そんなお辞儀や見送り方しかしてもらえない その人、ということになるのかなぁ・・・。 などなどと、あれこれ考えてしまった。 人と人との関係はお互い様。 関係がいいのもよくないのも、双方に原因があるのだと思う。 私は私の周りの人たちと、想いのしっかり詰まった関係を作っていきたいと思う。 自分が想いを先に込めて、心を開いていこう、と思った。
2008.04.26
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有栖川有栖、という作家さんの本が好きだ。 この人の本はいつもほのかにあたたかい。 今回は「女王国の城」という本を読んだ。 新興宗教の本部を舞台にしたミステリーなのだが、 その中で、作者と同名の登場人物がこんなことを言う。 「(人は)いつも淋しい。淋しくないのはそれを忘れている間だけだ」 その部分を読んだ時、ああきっと、私がこんなにこの人の本を好きなのは、こういう、自分の根っこにあるけれどうまく言い表せないでいた想い を、さらりと言葉にして著してくれるからなのか、と思った。 本の中で、アリスと話をしていた女の子は、そうではなくて、親しい人や大切な人を失った時に人は淋しいと感じるのではないか、と反論していた。 どちらがその人のこころに近いのか、人それぞれなのだと思うけれど。 私は断然アリスに近かった。 なるべく淋しさを忘れていたい と思う。 それでも人はいつも淋しい と思う。
2008.04.13
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昨日、実家から届いた荷物。 家で採れたキウイや母の作った切り干し大根、そして、大きな筍。 今日は朝から家中の鍋総動員で、筍を茹でている。 毎年届く春の便り。 ありがとう。 そうですね、春なのです。 何を作ろうかな。
2008.04.13
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新年度が始まって一週間、新しいクラスの子どもたちとの生活がスタートしたが、廊下や帰りがけの庭から部屋を覗いて、手を振ってくれたり「せんせ~」と呼んでくれる昨年度のクラスの子どもたち。 この子達も、新しい保育者の下できっと彼らなりに頑張っているんだなぁ・・・と思い、いじらしいような、愛おしいような気持ちになる。小さくても、心いっぱい状況を受け入れて馴染んでいこうとしている。 がんばれ~、と、心の中で応援する。そして、彼らの頑張っている姿を見ながら、自分も励まされている。 自分が持ったクラスの子どもは、やはり特別だ。どの子もかわいい。どの子にも、新しい環境の新しいクラスで、のびのびと大きくなっていって欲しいと思う。 その一方で、それを近くで見守れないことを淋しく思う。 ちょっとセンチになりそうだけど、ま、3センチくらいにしておいて、私も今年の子どもたちに馴染んでいかなくては。 きっと今年の子どもたちとも、同じように近寄っていくのだろうな。 昔見たドラマの中で、先生が自分のクラスの子どもたちのことを、他の人との会話の中で「わたしの子どもたち」というシーンがあって、子供心に「そういうものなのかなぁ」と思ったのを覚えているのだけれど、本当に、そういう心境になっていく。 フレーフレー、私の子どもたち。 フレーフレー、わたし。
2008.04.05
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桜がほぼ満開だ。 駅から家までの通りの並木もきれいに咲きそろっている。 でも・・・。 私は東京生まれ、千葉育ちで、ずっと関東だったのだけれど、 むかし 桜といったら入学式頃にきれいに咲く花だった。 かわいいスーツと大きいランドセルの、入学式のこどもの頭や肩に降るように散る花弁が印象的だったものだけれど。 真新しいぶかぶかの制服の紺色のブレザーに薄いピンクはとても素敵だと思ったものだったけれど。 そして、かれこれ20年位前のこと、千葉から名古屋の大学に行った年、千葉ではまだ蕾だった桜が、名古屋ではもう散っていて、「ああ、桜は本当に西から(南から)順に咲いていくものなんだ」と、実感したのを覚えている。 その年はとうとう桜の花を見られなかった。 温暖化の結果の現象なのだろうか。 自分の小学校入学の頃と同じような入学式の景色は、もはや東京近辺ではのぞめない。 なんだか、うっすら淋しい気持ちになる。 それでも毎年桜は咲くけれど。
2008.03.29
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むか~しむかし、高校の時だったかしら・・・。 国語の教科書の中の読み物に、草木染などで桜を使って桜色に染める時、使うのは桜の花、ではなくて、木なのだ、というのがあった。(根だったかも)。 桜の木はとてもそこからピンク色を想像出来はしないけれど、桜の樹木は 木 全体で桜色をつくっているのだ、とか・・・そんな内容だったように思うのだけれど、はっきりは覚えていない。でも、その内容は凄く意外で、へぇ~、なるほどね、と思って記憶に刻まれた。 さて、通勤の時に、市ヶ谷から飯田橋の駅の間は電車はお堀沿いを走っていくのだけれど、そのお堀の向こう側に桜の並木があって、どの季節も、そこからの眺めが私は大好きだ。 もちろん春が一番きれいで華やかだけれど、新緑も紅葉も、そして冴え冴えとした冬の空気の中の葉の落ちた木も、それぞれにきれいだと思う。 そして、この季節になると、なんとなく枝全体がうっすら桃色がかって見えてくるのだ。 まだ蕾がついたりしているのではないのだろうに、3月の声を聞くといつもそんな風に見え出す。 そして、毎年昔の国語の教科書の話をふんわりと思い出している。 あぁ、春だなあ。 って思いながら、毎年めぐってくる新しい1年(仕事柄、年度はじめの4月は「始まる」という感じがとてもするのです)をおもって うれしいような、なにか物悲しいような、なんだかちょっと複雑な気持ちになるのです・・。 木 全体でピンク色になろうとする桜の木。 私は私全部でどんな風になっていこうとしているんだろうか。
2008.03.18
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卒園式だった。 あまり直接に関わることのないクラスだったのだけれど、 卒園児のお母さんに二十歳をいくつか過ぎただけの若い若いお母さんがいた。 母子家庭で、母一人子一人、ミニスカートにへそだし、ヘッドフォンの本当に今時の若い女の子のいでたちで、時々は言葉遣いやお行儀のことなど、ちょっぴり気になることもなくはなかったけれど、でも、毎日仕事に出かけ、送り迎えもしっかりして、何より子どもに向いているそのお母さんのまっすぐさが、その子を見ていても、持ち物や親子のやり取りを見ていても、すごくよく伝わってきた。 若くて遊びたい盛りの年頃だと思うのだが、いつでもしっかりしたこころで子どもに向いているお母さんだった。 本当に、頭の下がる思いで彼女を見てきた5年間だった。 今日の式は私は保育担当で参加できなかったのだけれど、謝恩会の父母の出し物で、思い切りいい顔して踊っていたお母さんを見ていて、なんだかすごくじ~んときて、泣けてきてしまった。 お母さん という人は本当に偉大だ。 私たちは勤務時間の間だけだし、休みの日だってあるけれど、お母さんはたとえ外で違う仕事をしていたって、24時間365日、いつだって「お母さん」だ。 その子が産まれてから6年ちょっと、二人で生きてきた彼女のひと区切り、心からおめでとうという気持ちでいっぱいになった。 彼女を見ながら、きっともう少し頑張れる、と自分を励ましてきた私。 彼女はもう園にはこなくなるけれど、 きっと もう少し 頑張れる。
2008.03.15
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ここのところ、ずっと脚が痛くて弱気になっている。 仕事の帰りは容易に歩けないほど痛みが来て、元気な時は10分で歩ける距離に30分もかかってしまったり、ひどい時は朝から歩けなかったり。 一昨年くらいに急激に痛みがひどくなり、だましだまし仕事をしているが、立ったり座ったり、重い子どもを抱いたりおんぶしたり、更に基本的に床での生活で(まず滅多に椅子に座らない)この仕事が自分の今の状態にいい訳ないことは百も承知なのだが、だからといって他に出来ることもない・・・。 その辺のジレンマにつかまったまま堂々巡りしている。 数年前、仕事をするために、ライフワークとも思っていた踊ること を諦めたのだったが、そろそろ次の選択の時期なのだろうか・・・。 体が思うように行かない時は、なんだか弱気だ・・・。
2008.03.09
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昨日電車に乗っていて、何気なくドア上の画面を見ていたら、出てきたことば 人生はドロップの缶を振るようなもの、いつも好みの味が出てくるとは限りません なぁ~るほど、うまいいい例えだなぁ、と思って。 早速昨日の夜アクシデント発生で、あ~もうめんどくさい!なんて思ってみたけど、うっちゃっておけない問題と立場・・・。 ま、そんなこともあるか・・・。 今日ははっかの飴じゃなかったんだな。
2008.02.17
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おとついの朝、休みということもあってのんびりと寝坊をして起きて来てみてア然・・・。 なんで!? どうして!? これはほんとうのこと??? なんと、冷凍にして使っていた、冷蔵庫の引き出しがあけっぱなし!! たしかにその前の夜、寝る前にアイスを出して食べたのを覚えていた。 だけど、なんであけっぱなし!? しかも、我が家の冷蔵庫は長時間扉や引き出しを開けっ放しにするとブザーが鳴るタイプ。 本当に、どうしてあけたままになったのか、さっぱりわからない。(とはいえ、もちろん犯人は私以外にはないのですが) 抜いたのか分からないコーヒーサーバーのコンセントや、止めたのか思い出せないスクランブルエッグを作ったガスレンジのガス。 人は意外と習慣で後始末をしているものなんだな、なんてこれまで思っていたのだけれど・・・。 これはトシのせいか!? すっかりどろどろに溶けたアイスクリームを見て、ちょっとちゃんとしなきゃ、と思った。 溶けたアイスはアメーバみたいな形になって固まっている・・・。 あぁ。
2008.02.04
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何気なくニュースを見ていたら、何十年も続いていたあるお寺での豆まきが今年から中止になった、と言っていた。 理由は押し合いへし合いになって危ないから。 ここ数年、「責任の所在」ということをあちらこちらで物凄く言及する傾向にあるように思う。 今回のこの豆まきの中止も、何か事故が起こったときの責任問題を苦慮しての結果、ということのようだった。 確かに何か物事を行う時の「責任者」と言うのは必要だろう。 だけれど、それはひとりひとり、その場所や物事に参加したり関わったりする人たちのそれぞれの責任の上にのっているものであって、責任者以外には責任ががないと言うことには決してならないのではないだろうか。 例えばこの豆まきであれば、そこに参加しようと決めた自分の責任というものが発生してくるだろうと思うし、無茶な参加の仕方をすれば多少のけがは起きるだろう。 そこに参加するひとりひとりが、自分の欲だけでなく、その場や雰囲気を、そこにいるみんなで楽しむ、味わう気持ちを持っていれば、無茶ななことは少なくなるだろうし、もしも何かがあっても主催者にねじ込むようなことはそうそうしないと思うのだけれど。 自分のあり方の責任、というものを忘れてしまっている人が多いような気がする。 そうやって、今回の豆まきのようにいろいろなことが失われていってしまって、歴史の中で、あるいは生活の中で、本当はあった方が素敵なものや、守っていきたかったものを「社会」は手放してしまうことになるのではないだろうか。 我先にと、己の欲ばかりを飼い肥やしていって、結局何もかもを無くしてしまう、そんな気がする。
2008.01.31
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日曜日に出かける直前まで、大阪国際マラソンを見ていた。 颯爽と走る福士選手は素敵で、「やっぱり下馬評どおり、彼女が北京でマラソンに出るのかしら・・・」などなどと思っていたのだけれど、 30キロ過ぎから苦しくなってきて、後続の選手たちに抜かれた辺りで出かける時間になってしまい、ちょっぴり後ろ髪を惹かれるようにしてテレビを消した。 家に戻って夜のニュースを見て、驚いた。 けれど、転んでも転んでも、ゴールを目指して笑顔で立ち上がる彼女が本当にカッコよくて、しびれた。 さぞかし苦しく、しんどかったことだろうし、不本意な気持ちでいっぱいだったろうと思うのだけれど、起き上がるときの彼女は、決して苦しそうな顔でも悲壮な顔でもなくて、いつも笑顔だった。 途中で走るのをやめる事だって、しようと思えばいくらでも出来たのだろうに。 ゴールの時も笑顔だった。 あのガッツと笑顔、やはりカッコイイ。じんときた。
2008.01.29
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お正月、実家にも帰らず、年明けは暇だったこともあって本を読み漁っていた。 その中で、山本周五郎の「さぶ」に何故かてこずって先日ようやく読み終えた。 題名は「さぶ」だけれど、主人公は英二という若者で、無実の罪で石川島の寄せ場送りになってしまう。信じていたものや人からの仕打ちに、世の中をすね、荒れに荒れて寄せ場での生活をスタートさせるが、その中で、多くの人々の思いやりや真心に触れながら、少しずつ人の持つ様々な面や、世の中捨てたものじゃないこと、そして、どんな境遇の時にも寄り添ってくれる人々の存在に気づいてゆき、新たなスタートを切って行く。・・・というような物語なのだけれど。 英二の寄せ場に入ったばかりの頃の高慢な、自分の価値しか認められないような狭量な感じや、さぶのこれといったような特技もなく切れ味の鈍い感じ、が自分にだぶって、なんだか切なく、なかなか読み進められなかったのだ。(多分) さぶがそのまっすぐな心でいつも英二のためを思い、「北風と太陽」の太陽のように英二の心を溶かしていく過程を読みながら、何度も涙した。 私にも、私の事を思って泣いてくれる友達がいるのだ。確かに。 私には英二のような切れ味はないけれども、私の為に泣いてくれる人たちの為に、さぶの真っ直ぐさで応えることはできるだろうか。 そんなふうに思いながら、ようやく読み終えた。 今年私は、少しずつでも、人の思いに応えてゆける人になりたい。
2008.01.14
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絵本の読み聞かせをするようになってから、以前よりも本屋さんの絵本コーナーに足を運ぶことが多くなった。 もちろん知っている絵本も多いのだが、それでもついつい立ち読みしてしまう絵本たち。 内田鱗太郎、という人の「おれたちともだち」というシリーズの絵本が好きで、パラパラめくってしまう。 おおかみとキツネの二人(二匹)が最初に仲良くなって、それからだんだんに森の動物たちと友達の輪をひろげていくシリーズなのだけれど、照れ屋のおおかみがすごくいい。 もちろんキツネもかわいい。 友達って、こういうものだよな。 あるいは、自分は自分の友人たちとこういう友達関係であり続けたい。 と思わせてくれる話なのだ。 手元にはないのだけれど、今年は「自分のもの」にしようかな。
2008.01.09
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今回の年末年始は、色々と忙しくなることが予想されていたので、実家に帰らないことに決めて、東京で年を越した。 正月に帰省をするときは実家で食べることにしているのだけれど、帰らない時には形だけ、おせちを作ることにしている。 今回も年末にあれこれ買出しをして、およそ半日。 詰めただけのものもいっぱいだし、おせちならではのものもあんまりなくて、おせちならぬ、単なる三段重ねの弁当のような体裁になっているが(笑)、重箱に詰めればなんとなくおせちかな、みたいなね。 妹とおせちの出来栄えの写真交換したりしながら、楽しんだ。 (それにしても、おせちひとつとっても性格って出るものなのね~。妹のおせちの煮しめは、人参が梅の花の形に飾り切りしてあった!!) なにはともあれ、 あけましておめでとうございます。 今年もきっと素敵な一年になりますね。
2008.01.01
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今年は大丈夫かしら、と一時心配になったりしたけれど、 (なかなかやる気になれなくって・・・) 今年も無事に大掃除が終わりました。 ・・・って言っても、ちいさな部屋のこと、いつもの部屋の掃除と窓拭き。 大変なところは、台所と風呂場くらいです。 換気扇や冷蔵庫の中、お風呂も前面のカバーをはずして中側まで。 ふだん手を着けないところの掃除をすると、今年も一年暮らしたんだなぁ、なんて。 あまり家事が好きではないのだけれど、やっぱりきれいになってくるとうれしくて、どんどんエンジンがかかってくる。 あ~ さっぱり!! 今日のお風呂は気分よさそう。 年賀状も無事出せたし、 明日、おせちを作ったら、ようやく新しい年の準備が完了です・・・。 ん!? いやいや、それよりも。 来年の自分の進む道筋を見定める作業を。 あたらしい年の準備はまだまだ続く。
2007.12.30
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今日は保育園のクリスマス会。 園から歩いて3分の消防署から(!!)サンタさんが(トナカイさんも)来てくれて、バタバタしながらも無事終わりました。 今年は何故か色々な係りをやることになってしまい、ここ1~2ヶ月、あれやこれやで次々と気の休まる暇がなかったのだけれど、今日のクリスマス会が終わってようやくひと段落。 年が明けるとまた色々とあるのだけれど、とりあえずは年賀状書きに取り掛かれそう。 ふぅ。 それにしても、1年の早いこと。 昔もこんなに早かったっけ? 国語で「光陰矢の如し」な~んて習った時には絶対解ってなかったよな・・・。 今、身にしみて実感する古典に語られている真実。 わはは・・・。 年末は少し、自分の事を考える時間を自分にとってやりたいな。
2007.12.25
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かなり小さい頃から、「素のままの自分の価値」というものに自信が持てなかった。 その状態はずっと続いていて、今も自分が存在していることに対する価値を認められないでいる。 自分に自信がないので、様々な付加価値に頼ろうとする。 仕事が出来て役に立つ人間なら、 優しい人なら、 責任を持って何かをやり遂げる人なら、 約束や時間をきちんと守る人なら、 少しは「わたし」の価値をみとめてもらえるだろうか、と。 「あなたが必要だ」と思ってもらえるだろうか、と。 でも、もともとがそんなにいろいろ出来るタイプではない上に、努力嫌いで、到底それで勝負できるようなところに到達できず、そこでまたジレンマに陥る。 自分の存在の価値が信じられないから、人と比べることもよくする。 私にはどうして○○が出来ないのか、 私はどうしていつまでたってもこんななのか・・・。 そうしてまたもっと「自分には価値がない」気持ちに捉われる。 昔、バイブルのようにして読んでいた漫画の中に、 「生きる意味の有無など問うな、意味はある、それが何なのか考えろ」 というような台詞があり、当時随分と励まされたのだが、 それと同様に、自分の存在価値も有無を問うのではなく、中身を自分自身で探る姿勢が必要なのかもしれない、と思う。 自分を認めてやれたら、もっと変われそうな気がする・・・んだけどなぁ。
2007.12.17
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