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仙台の達人/仙台TOP10・仙台ベスト10
史跡等
名称/仙台城跡
所在地/仙台市青葉区川内
電話/022-222-0218(駐車場等/青葉城本丸会館)022-225-7211(公園管理/仙台市青葉区建設部管理課)
交通/仙台駅西口バスプール9番乗り場より工学部経由青葉城址循環、愛宕大橋経由青葉城趾循環、青葉城址下車(約20分)、徒歩5分。
交通費/市バス¥250
駐車場/有料・150台(大型バス30台駐車可能)
その他情報/障害者用(ひろびろ)トイレ(仙台市敷地内にあり)
おススメ情報/青葉城資料展示館では幻の仙台城をCGで復元、152席の大シアターデ上映中。また仙台城と城下町の一部を50インチプラズマテレビ画面上で自由に散策できる新CGコンテンツ「バーチャル仙台」が新しく導入された。
概要/ 伊達政宗が築いた仙台藩62万石の居城で、明治維新まで約270年間政治の中心地であった。天守台と呼ばれる本丸、東北大学教養部敷地となっている二ノ丸、仙台市博物館のある三ノ丸等からなる。慶長5(1600)年、徳川家康の許可を得て着工し、同8年に一部完成した。仙台城は標高131.6メートルの山城で、天然の要害をなす広瀬川と、深さ65メートルの竜ノ口渓谷が自然のとりでになっていたため、最初から天守閣がなく(政宗が家康に遠慮して築かなかったという説もある)、難攻不落の名城とされている。430畳敷の大広間や懸造等、桃山文化の粋を集めた建築群があった。しかし、明治初めに本丸は取り壊され、明治15年には火災で二ノ丸が焼失、昭和20年の戦災で国宝の大手門も焼失したため、現在では城壁や昭和40年に再建された大手門隅櫓等が、わずかに往時の面影をとどめている。城跡一帯は青葉山公園となっており、天守台跡からは仙台市内・太平洋を一望することができる。本丸跡には伊達政宗騎馬像の他、護国神社、仙台市出身の詩人・土井晩翠の「荒城の月」詩碑、島村藤村の「草枕」詩碑等が建っている。
近隣観光施設/瑞鳳殿・徒歩30分(P2) 仙台博物館・徒歩5分(P54)
名称/瑞鳳殿(経ヶ峯伊達家墓所)
所在地/仙台市青葉区霊屋下23-2 〒980-0814
電話/022-262-6250
交通/仙台駅西口バスプール市営バス11番乗り場、宮城交通バス12番乗り場から霊屋橋下車。るーぷる仙台御利用の場合瑞鳳殿前下車すぐ。
交通費/市バス¥180 るーぷる仙台バス¥250(1日券¥600)
駐車場/無料・30台(大型バス駐車可能)
開館時間/午前9時~午後4時30分(ただし12月~1月は午後4時まで)
休館日/無休
入館料/個人:一般550円、高校生400円、小・中学生200円
団体(20名以上):一般450円、高校生350円、小・中学生150円
(50名以上):一般350円、高校生300円、小・中学生100円
ホームページ/www.zuihoden.com
おすすめ情報/経ヶ峯と呼ばれる丘岳地に建つ、仙台藩祖伊達正宗の霊屋(おたまや)。ホトトギスの初音を聞きに訪れた正宗公がここを墓所とするよう自ら指示したと言われている。霊屋は華麗な桃山様式で老杉に包まれた境内は静寂が支配しています。二代藩主忠宗公、三代藩主綱宗公もこの地に眠っている。
概要/ 市街地の西部、広瀬川をはさんで青葉山と向かい合った丘陵地を経ヶ峯という。この地は、古く満海上人が万部経を納めたので経ヶ峯といわれるようになったと伝えられる。経ヶ峯には仙台藩祖伊達政宗の霊屋・瑞鳳殿をはじめ、二代藩主忠宗の霊屋・感仙殿、三代藩主綱宗の霊屋・善応殿などがおかれ、藩政時代から伊達家の霊域となっていた。なお、4代藩主以降の墓石は大年寺山にある。瑞鳳殿は政宗の没した寛永13年(1636)に着工し、翌年完成した華麗な桃山風の建物で、国宝に指定されていたが昭和20年の仙台空襲で焼失、現在の建物は、8億円の費用と5年の歳月をかけて昭和54年秋に再建したものである。工事に先立って墓所の学術調査が行われ、政宗の遺骨をはじめ、多くの副葬品が発掘され、話題となった。これらの一部は併設されている資料館で見学できる。なお、一帯は仙台市の指定史跡となっている。(所要40分)
仙台市博物館 (P54)
名称/大年寺伊達家墓所
所在地/仙台市太白区茂ヶ崎1丁目
交通/仙台駅前西口バスプール11番乗り場から野草園行き終点下車(約15分)、徒歩5分
概要/ 大年寺(黄檗宗)は、4代藩主綱村が元禄8(1695)年に建立を発願した寺。2年後に堂塔が完成し、禅僧普応鉄牛を招いて開山した。のちに惣門、仏殿等が建てられ、大伽藍が完備し、黄檗宗日本三叢林の第一と称された。伊達氏は代々、臨済宗の信者だったが、綱村が黄檗宗に深く帰依したために、以後各藩主の菩堤寺となった。現在残る墓所はこの大年寺の奥の院に当たる場所で、無尽灯廟(奥の霊屋)に4代綱村・5代吉村・同夫人・10代斉宗・同夫人・122代斉邦・同夫人の墓が、また、宝華林廟(中の霊屋)に6代宗村・同夫人・7代重村・同夫人・8代斉村・同夫人・13代慶邦・同夫人などの墓がある。
名称/伝支倉常長墓
所在地/仙台市青葉区青葉町3-1 〒981
電話/022-234-6660
交通/地下鉄北仙台駅から徒歩5分
交通費/仙台駅から仙山線(JR)で180円
仙台駅から地下鉄線で240円
ホームページ/なし
その他情報/なし
ポイント/
おススメ情報/
概要/ 光明寺は臨済宗の名刹で、初世伊達念西夫人の菩堤寺である。遣欧使節として歴史的偉業を成し遂げた伝支倉常長の墓は、境内奥深い林の中にあり、行動をともにした宣教師ソテロの記念碑もその傍らに建っている。支倉常長は慶長18年(1613)、宣教師ソテロを案内人として、牡鹿半島の月ノ浦を出航した。2年余りの長い航海を経てローマに着いた一行は、華やかなローマ入府式を行って法王に謁見、奥州王政宗の国書を提出して無事大任を果たし、元和6年(1620)、8ヶ月の歳月を費やして月ノ浦に帰港した。しかし、その頃日本はキリシタン禁圧下にあった。常長は長い航海の苦難と不遇で命を縮め、元和8年(1622)7月、52歳で永眠した。常長を追って元和8年に再来日したソテロは長崎で捕らえられ、寛永元年(1624)、火あぶりの刑に処せられた。
なお、この墓は明治26年に大槻文彦博士により発見されたもので、この他にも県内には川崎町の円福寺と大郷町東成田西光寺の森の中に墓といわれるものがある。
近隣観光施設/国指定天然記念物「まるみかや」(東昌寺)徒歩3分
青葉神社、徒歩5分
名称/三沢初子の墓
所在地/仙台市宮城野区榴岡5-4-59
駐車場/なし
交通/仙石線榴ヶ岡駅下車、徒歩3分
概要/ 伊達騒動を脚色した芝居狂言「伽羅先代萩」のモデルとされる三沢初子の墓で、元来は孝勝寺の奥の院にあったが、現在では区画整理の結果分離されている。伊達騒動(寛文事件)とは、21歳の3代藩主綱宗が引退して、2歳の亀千代(綱村)が跡を継いだことが発端となり、以後10数年に及ぶ一連の重臣同士の内紛のことで、奉行の原田甲斐が幕府大老の敷地内で伊達家一門の伊達安芸を斬殺するという衝撃的な結末で、当時の話題を集めた事件である。この事件を脚色した「伽羅先代萩」の見せ場は、亀千代毒殺未遂事件の場面で、自分の子を犠牲にする政岡の烈女ぶりが際立っている。墓の脇には、辞世の句を刻んだ句碑もある。
名称/林小平の墓[史跡]
所在地/仙台市青葉区子平町19-5
電話/022-234-2647
交通/仙台ホテル前24番乗り場北山・子平町線 龍雲院前下車、すぐ。
概要/ 林子平は、蒲生君平・高山彦九郎とともに、寛政3奇人の一人と言われた江戸中期の経世家。宝暦6年(1756)、兄が仙台藩に召し抱えられたのに従って仙台に移り、藩に殖産興業の必要性や学制についての上書をしばしば提出した。その後、江戸や長崎の遊学して、仙台藩医丈庵の養子工藤平助と親交を結び、さらにオランダ商館長から海外事情を聞き及んで国防の必要性を痛感し、地理学・兵学の研究に没頭した。著書に、朝鮮・琉球・蝦夷・小笠原島の地理風俗をまとめた「三国通覧図説」、沿岸防備の必要性を説いた「海国兵談」などがある。子平は、「海国兵談」で大胆に幕府の国防策を批判したが、それが幕府の忌諱に触れ、翌年すべて没収の上蟄居幽囚を申し渡された。“親もなし妻なし子なし板木なし 金もなければ死にたくもなし”という悶々の情を狂歌に託しているが、“救うべき力の甲斐も長年の恵みにもれて死ぬぞ惜しき”という辞世歌とともに、寛政5(1793)年、56歳で世を去った。墓の建立が許されたのは、約50年後の天保12(1841)年である。
名称/谷風の墓
所在地/仙台市若林区霞の目西17
交通/仙台駅西口バスプール5番乗り場から霞の目行き・6番乗り場から霞の目・七郷小行き 霞の目下車、徒歩5分。
概要/ 霞の目飛行場の近くにある。“谷風の前に谷風なく、谷風の後に谷風なし”と讃えられた寛永の名力士2代目谷風梶之助は、寛延3年(1750)8月8日、この近くの金子弥右衛門の三男として生まれ、白石城主片倉氏の抱え力士になった。身長197センチ、体重180キロという恵まれた体で連戦連勝、寛政元年(1789)には4代目横綱となった。優勝22回、63連勝の大記録を残し、明和3年(1766)、大関になってから寛政7年(1796)46歳で横綱のまま世を去るまで、負けたのはわずか3回と言われ、一説には2764回の相撲で、たった4回の負けを記録しただけとも言われている。「釈姓谷響了風正定位」と墓碑に刻まれている。かつては、荒廃したままうち棄てられていたが、自衛隊員の手によって墓域が整えられ、鳴子山石や松が配され、渓流を形どって白い玉石を敷き詰めた見事な石庭ができている。
名称/志賀潔の墓
所在地/仙台市青葉区北山1-14-1
電話/022-234-5327
交通/仙台駅バスプール14番乗り場から山手町経由西中山行、輪王寺前下車
仙台ホテル前24番乗り場から北山・子平町線 輪王寺下車
概要/ 赤痢菌の発見者であり(明治30年に発見)、昭和24年に仙台市の名誉市民に推挙された志賀潔(1870~1957)の墓は、有名人の墓が多いことで知られる輪王寺の裏手にある。輪王寺には他にも、江巌寺殿(政宗の第8子)とその殉死者11人の墓、白虎隊唯一の生き残りである飯沼貞雄(昭和6年没)高潔な武人、今村均大将の墓などもある。
名称/土井晩翠の墓
所在地/仙台市若林区新寺4-7-6 〒984
電話番号/022-256-0911
交通/仙台駅前西口バスプール4番乗り場から東部工業団地・卸町・中野・高柳・鶴巻小学校行き、新寺四丁目下車
概要/ 土井晩翠は明治4年、仙台生まれ。父林七のおびただしい蔵書に囲まれて育ち、文学の心を養ったと言われている。第二高等中学校(旧二高)を経て東大に学び、卒業後は母校である二高教授として赴任した。二高の校歌「天は東北山高く、水清き郷七州の…」は、晩翠の作である。晩翠の処女詩集「天地有情」は「荒城の月」によって不朽のものとなり、その後も数々の詩集、随筆集、翻訳などを刊行した。晩年、子供・夫人に先立たれ、戦災で蔵書をすべて失った晩翠は、晩翠会によって贈られた晩翠草堂で静かに余生を過ごした。昭和27年、82歳で生涯を閉じたが、ロマンチックで詩情あふれる独自の新体詩は、明治近代詩の先駆として、高く評価されている。
名称/蒙古の碑
所在地/仙台市宮城野区燕沢2-3-1 善応寺内
電話/022-251-0393
駐車場/あり、無料
交通/仙台ビブレ前36番より東仙台営業所行き他子鶴住宅入口下車徒歩5分
概要/ 原町から岩切に向かう途中、比丘尼坂を越える手前で北にまっすぐ参道を行くと、3代藩主綱宗の位碑所である善応寺(臨済宗)がある。「蒙古の碑」は、善応寺本堂の山門入って左手にあり、弘安5(1282)年、元の帰化僧無学祖元が弟子に命じて作らせた、弘安の役で標没した蒙古軍兵士の供養碑として伝えられている。享保8(1723)年に安養寺跡から発見され、その後善応寺に移されたが、その際、経文を移した小石が多数発見されたことから、この碑の裏面に「大乗妙典一字一石之塔」と刻まれている。
名称/釈迦堂建立碑
所在地/仙台市宮城野区榴岡5 宮城県立図書館構内 〒983
交通/仙石線榴岡駅から徒歩7分。
概要/ 釈迦堂は元禄8(1695)年、四代藩主綱村が岡を開いて桜を植えて有楽の地とした榴岡に、生母三沢初子供養のため、生前初子が護持した釈迦像を安置し、その功徳をあまねく及ぼすことを願って建立されたものである。大きさは三間。縁をはり、一間の向拝をつけている。三沢初子の墓にある孝勝寺が管理に当たり、二十人町つきあたりに安祥院をつくって堂を守っていたが、昭和43(1968)年、この地に宮城県図書館を新築するため、釈迦堂は孝勝寺に移された。堂の側にあった綱村建立の碑は、そのまま宮城県立図書館の構内に残されている。
名称/芭蕉句碑
所在地/仙台市宮城野区榴ヶ岡23 〒983
電話/022-256-3878
交通/仙石線榴ヶ岡駅から徒歩2分。
概要/ つつじが岡は、古来歌枕で名高く、「あせび花さく」と言われた。「奥の細道天満宮」の碑を左に見て石段を昇り、赤い大鳥居をくぐって境内に入ると、句碑19・歌碑2・筆塚6・その他の碑17が、社殿のまがきをとりまき、しだれ桜の下に並んでいる。この芭蕉句碑は寛保3年(1743)に建立されたもので、碑の正面に「芭蕉翁 あかあかと日はつれなくも秋の風 蓮二翁 十三夜の月見やそらにかへり花」とある。芭蕉の50回忌に当たり、仙台俳諧を指導した伊勢桑名の雲裡房が、芭蕉と彼の師匠であった蓮二翁を追慕して建てたものである。
名称/芭蕉句碑
所在地/仙台市若林区木ノ下2-4 〒984
電話/022-256-1883(陸奥国分寺)
駐車場/あり・無料
交通/仙台駅前西口バスプール5番乗り場から霞の目行き 薬師堂聖和学園前下車(約10分)、徒歩2分。
概要/ 元禄2(1689)年5月4日(新暦6月20日)夕刻に仙台へ到着した芭蕉一行は、仙台の俳人北野加之(加右衛門)の案内で、6日に「亀岡八幡宮」を参拝し、7日には「東照宮」や「榴岡天満宮」、そして古来より萩の名所として名高い宮城野の廃寺「陸奥国分寺薬師堂」まで足をのばした。
准胝観音堂脇には、「あやめ草足に結ばん草鞋の緒」という句が刻まれた句碑があるが、これは、8日の出発に先立ち、加右衛門が餞別にまむしよけの草履等を贈ったが、この草履の緒が、ちょうど端午の節句の折から、あやめの花のような鮮やかな紺色に染められたものであったことに、感激した芭蕉が残した句で、静岡の俳人山南官鼠が来仙の折りに建立したものである。
名称/大淀三千風供養碑
所在地/仙台市若林区木ノ下2-4 〒984
電話/022-256-1883(陸奥国分寺)
駐車場/あり・無料
交通/仙台駅前西口バスプール5番乗り場から霞の目行き 薬師堂聖和学園前下車(約10分)、徒歩2分。
概要/ 大淀三千風(1638~1707)は、伊勢国(三重県)の俳人で、前後二回にわたって仙台を訪れている。もともとは松島探勝が目的だったが、仙台が気に入って住みつき、仙台を去る(1683)までの10年間、精力的に仙台藩内の俳諧指導にあたった。門弟は藩内はもちろん、奥羽地方全域にわたるが、中でも木村一水・松枝朱角・和風軒加之など、藩内の弟子の活躍がめざましい。この供養碑は、三千風の訃報に接した松枝朱角が、享保7(1722)年に師匠の供養のために建立したもので、朱角の句「名の風や水想観の花かほる」が刻まれている。
名称/遠見塚古墳[史跡]
所在地/仙台市若林区遠見塚1丁目・2丁目
駐車場/なし
交通/仙台駅前バスプール6番乗り場から霞の目営業所行き 遠見塚一丁目下車、すぐ。
概要/ 仙台市街の南東部、国道4号線の仙台バイパス近くにある。全長約110メートルの大型前方後円墳で、東北で第4位の規模を誇る。4世紀から5世紀初頭の築造と見られている。昭和50~62年にかけて環境整備が行われた史跡公園である。昭和43年(1968)年、国史跡指定。
名称/陸奥国分寺跡[史跡]
所在地/仙台市若林区木ノ下2丁目・3丁目
電話/022-214-8892(仙台市教育委員会文化財課)
駐車場/有り・無料
交通/仙台駅西口バスプール5番乗り場から霞の目行き 薬師堂聖和学園前下車(約10分)、徒歩2分。
概要/ 天平13年(741)、聖武天皇の発願により、全国に建立された国分寺のうち、最北端に位置する。大正11(1922)年、国史跡指定。東西約240メートル、南北は約240メートル以上の築地塀で囲まれた大規模な寺院で、中軸線上に南大門・中門・金堂・講堂・僧坊を備え、中門と金堂を回廊で結び、金堂と講堂の間には東に鐘楼・西に経楼を、金堂の東には回廊の巡る七重を配置する壮大なものであった。礎石・基壇が復元された境内は、史跡公園として整備されている。
古代国家の保護のもとに栄えた大寺院も、律令制の衰えとともに衰退したが、近世になると伊達政宗により復興され、薬師堂(重要文化財)が講堂跡に、仁王門(県指定文化財)が南大門跡に建てられ、今日に至っている。
名称/陸奥国分尼寺[史跡]
所在地/仙台市若林区白萩町
駐車場/なし
交通/仙台駅前西口バスプール4番乗り場から霞の目・鶴巻小学校・西部工業団地・新浜行き 白萩町下車、徒歩3分。
概要/ 国分寺の東方約500メートルにところにあり、天平13(741)年、聖武天皇の勅願で建立された寺。昭和23(1948)年国史跡指定、寺域は明らかでなく、金堂跡と考えられる5間×4間の建物跡のみが整備されている。
名称/岩切城跡[史跡]
所在地/仙台市宮城野区岩切字入山ほか
駐車場/なし
交通/仙台ビブレ前36番乗り場より岩切駅前行き 今市橋下車 徒歩30分
概要/ 標高106メートルの高森山上にある典型的な中世の山城で、東西1.1キロメートル・南北1キロメートルの規模を持つ。鎌倉時代、伊沢左近将監家景によって築かれたといわれる城で、石巻・塩釜両街道の分岐点を押さえる戦略上重要な地点を占める。南北朝時代の岩切城の合戦(1351)の舞台として知られる。昭和57(1982)年、国指定史跡。多賀城は文治5(1189)年、頼朝の奥州遠征により、東北の政治の中心地として再築された城だが、伊沢氏はその留守職に任ぜられ、留守氏を名乗った。家景は京都の文官の出だが、多賀国国府付近を領有し、元亀年間(1570~73)、留守氏は伊達氏の勢力下に入るまで、この地方の有力武将の一人であった。岩切城は、鴻の館・高館とも呼ばれていた。
名称/芭蕉の辻
所在地/仙台市青葉区大町1丁目
交通/仙台駅から徒歩15分。
概要/ 仙台駅の西1.2キロメートル、仙台城大手門の正面に当たる四つ辻で、城下町仙台の中心地であり、南北に奥州街道、東西に塩釜街道が走る。ここはかつて制札を掲げる場所であったため、札の辻とも呼ばれていた。当時、辻の四隅には、屋根に龍を載せた2階建ての豪壮な櫓が建てられ、仙台名所として全国に知られていた。現在は、日本銀行東北支店等が建ち並び、金融の中心地となっている。なお、芭蕉の辻のいわれについては、政宗が重用した虚無僧の名に因むとする説や、芭蕉が植えてあったからとする説などがあるが、松尾芭蕉とは関係がない。
名称/青柳文庫跡
所在地/仙台市青葉区一番町四丁目1-25(現仙台中央警察署)
交通/地下鉄広瀬通駅下車
概要/ 青柳文庫は、天保2(1831)年、仙台藩出身の青柳文蔵(1761~1839)が、所蔵する書籍と維持資金を藩に献じて設立したもの。金澤文庫や足利学校の蔵書寄託方法に倣って、保存や利用の方法を図った。文庫の蔵書は、和漢の良書2,885部2万50巻9,937本だが、その他、聖像・硯・琴・笙・古銭・御衣片等も所蔵していた。
設立者青柳文蔵は、仙台領磐井郡松川村に生まれ。幼少の頃から書に親しみ、12、3歳で詩の才能にめざめた文蔵は、18歳で上京し、当時の碩学井上金峨の門に入った。やがて学を成すには学費を必要とすると、師のもとを去ってさまざまな事業を行ったが、最後には法律を研究して公事師となり、貧困者のためには無報酬で懇切な弁護をして、大いに名声をあげた。十余年で巨額の財産を蓄え、多くの書籍を所蔵する身になった文蔵は、「貧しくて志を達成できないでいる若者に自分の蔵書を読ませたら、早く成功することができるだろう」と考え、71歳の時に、藩の承諾を得て仙台城下の中央部百騎丁にあった医学館の地内に書庫を建設し、これを「青柳文庫」と名付けて一般公開した。
医学館は明治維新の際に廃止され、文庫の図書も散逸して463部・3,039冊を残すのみとなった。これが宮城県図書館の蔵書の基礎となったのであるから、青柳文庫は宮城県図書館の前身の1つと言うことができる。
跡地である仙台中央警察署前には、本を開いた形をした記念碑が建っている。
名称/養賢堂跡
所在地/仙台市青葉区本町三丁目(現宮城県庁)
交通/地下鉄勾当台公園駅
概要/ 旧仙台藩の藩校として明治維新まで続いた全国有数の学問所の跡で、宮城県庁議会棟の前に碑がある。養賢堂は、享保21(1736)年、5代藩主吉村のとき、高橋与右衛門玉斉の建議によって(仙台城内に創設され)、宝暦10(1760)年この地に移され、養賢堂では、孝経・大学・中庸・論語・孟子・小学・近思録・易経・書経・童蒙須知・春秋左氏伝などをテキストとして教え、また新陰流・一刀流の剣技、鏡智流・種田流の槍術、八条流の馬術などを教授した。また、他藩では百姓町人の学ぶものとして避けた加算を正課に加えている点に注目される。
中心となる講堂は25の区画に分かれ、中庭を4持つ正方形の建物で、一辺が50メートル近くある巨大なものであった。この講堂は、明治4年から大正4年にかけて、県庁として利用され、国の史跡指定を受けていたが、昭和20年の仙台空襲により焼失した。
名称/解剖供養碑
所在地/仙台市若林区荒町35 仏眼寺 〒984
交通/地下鉄五橋下車、徒歩10分
概要/ 仙台における解剖始源を記した石碑。仙台藩において初めての人体解剖は、寛政10(1798)年、藩医木村壽禎によって行われた。木村はその解剖に附した屍体のために供養碑を建てたが、明治23(1890)年の洪水で所在が不明となってしまった。この欧文で記された珍しい供養碑がなくなったことを惜んむ声が多かったため、碑銘拓本にものづいて複製し、壽禎の菩堤寺・仏眼寺に再建したのが、現在の「木村壽禎解剖事蹟之碑」である。
名称/奇縁二天石
所在地/仙台市若林区荒町206 毘沙門堂 〒984
交通/地下鉄五橋駅下車、徒歩15分
概要/ 荒町毘沙門堂鳥居の西脇に建立されている石標で、江戸時代に求人広告塔の役割を果たしていたもの。高さ5尺6寸、幅8寸5分の笠をのせた方柱状のもので、東九番丁街路に面して「奇縁二天石 三方庵」と記されている。その左面に“たずぬる方”の方にたとえば「乳母を求む」「女中入用」「里子やりたし」などと張り紙をすれば、“をしゆる方”にその答えが寄せられるようになっていた。
建立者は、仙台藩の侍医をしていた棟方玄栄。玄栄は天保13(1842)年、京阪・長崎に遊学の際、迷子の知らせや縁談に活用されていた「奇縁氷人石」を見て、この便利なシステムを仙台藩に広めようと、発案した。
塩谷温博士は、「二天には、『他人の恩を天になぞらえて特別のおかげによって助かる』という意味を持つ」と説いているが、「奇縁二天石」も同様に、「他人の思わぬ情によって求めが満たされる奇縁を得る石標である」という意味から命名されたものであろうと言われている。
名称/名取の御湯碑
所在地/仙台市太白区秋保町湯元字薬師
交通/仙台駅前西口バスターミナル8番乗り場から秋保行き秋保温泉湯元下車
概要/ 古くは「名取の御湯」と呼ばれた秋保温泉の由来を記した石碑で、湯神社の傍らの道路沿いにある。元治元年(1864)年、仙台の国学者保田光則の選文によるもの。高さ1.3メートル、幅0.7メートル、厚さ0.5メートルの自然石で、風化摩滅のため判読が困難になっているが、ホテル佐勘にある石刷りと選者自筆と思われる掛軸により、判読することができる。石には、「神代の昔、出雲国の大巳貴命(おおなむちのみ)と小彦名命(すくなびこなのかみ)が協力して国土経営を始め、浮世に落ち種々の病気で苦しんでいる民衆を救うため、禁厭(まじない)や医療(くすし)の道を始められた時から温泉に入るという習慣が始まったのである。また、素盞鳴尊(すさのおのみこと)の御字に、清の湯山主三名挟漏彦八島篠の神が、出雲国に湯神を勧請して以来、諸国の温泉ではこの神を祭祓するようになった」と書かれている。
古来この温泉の効験を聞いて遠方から入りにくる人々が耐えなかったが、安政2(1855)年8月3日に大地震が起こり、湯の湧出が止まってしまった。湯守寿右ェ門は、これを憂いて神仏に祈り、翌年の2月8日から再び元のように湧き出すようになったと言う。寿右ェ門の先祖は、小松重盛公の次男資盛の祖孫基盛公が戦乱を避けて秋保郷に下った時、これに供奉してきた7人の侍の1人として伝えられている。
なお、「古事記」には多くの温泉が記されているが、陸奥国では名取御湯・佐婆古御湯(飯坂)・玉造(鳴子)の御湯の3つが挙げられている。
名称/道しるべ石
所在地/仙台市宮城野区原町三丁目5-10地先
交通/ 碑高165センチメートル。旧宿場通の東端、塩釜街道と八幡街道の十字路にあり、「南、長町宮城野いてふ道一里」「北、塩かま松島三里十九丁」「東、八幡八まん、七はま二里十六丁四里廿四丁」、正面に西御城下「二十六丁嘉永六年七月日」(1853)と、クリ彫りで刻まれている。仙台市内の代表的道しるべ石。
名称/魯迅下宿跡
所在地/仙台市青葉区片平一丁目
交通/西口バスプール11番乗り場から緑ヶ丘行き他 片平丁小学校前下車。
概要/ 「阿Q正伝」「藤野先生」等の著者として知られる中国の文豪・魯迅は明治35年、医学の勉強のために日本に留学、明治37年に仙台医学専門学校(現東北大学医学部)に入学した。15ヶ月の在仙中に文学の道に転向することを決意し、故国の民衆に精神改革を起こすべく、仙台をあとにした。医専時代の魯迅は、太宰治の小説「惜別」のモデルにもなっている。魯迅の最初の下宿跡には、郭洙若の書による碑が建っている。
名称/晩翠草堂(土井晩翠旧宅)
所在地/仙台市青葉区大町1丁目2-2 〒980
電話/022-224-3541
開館時間/午前10時~午後5時
駐車場/なし
休館日/1~3月:木曜日、4~12月:月曜日
入館料/無料
交通/西口バスプール11番乗り場から緑ヶ丘行き他 晩翠草堂前下車
概要/ 詩人、英文学者として有名な土井晩翠の旧邸跡。晩翠は第二高等学校(現在の東北大学教養学部)教授を退官して、晩年までここで過ごした。生前の居宅の有様をそのまま残し、見回り品なども展示されている。青葉通りに面した入口には、「天地有情」と刻まれた自然石が立っている。
土井晩翠は、明治4(1871)年仙台市北鍛冶町に生まれ、本名を土井林吉(つちい・りんきち)という。28歳の時、作詞した「荒城の月」は不朽の名作として知られている。昭和25年初めての仙台市名誉市民に、また詩人として初めて文化勲章を受け、昭和27(1952)年、82歳で死亡した。
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