戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年02月15日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
朝鮮通信使の上陸記念碑があるのは、赤間神宮の駐車場の右奥。

正面の奥は小さな坂になっていて、海へ降りられる・・・
けど、浜辺って訳じゃないから、どぷんどぷんと波が打ち寄せてきて、
近づくと危ない(笑)

赤間ヶ関(関門海峡)は潮の干満により、1日に4回潮流の向きが変わる。
この日は大潮を翌日に控えた中潮にあたり、時間的に言ってちょうど
流れが変わり始める頃だったのかな。

それでも、相当流れは速い。
海って言うより、川の流れみたいだ。


風は冷たかったけどここに座ってしばし萌え~

PAP_0025

写真の橋のあたりが関で一番狭くなっている、
「早鞆の瀬戸(はやとものせと)」と呼ばれる場所。
狭い分、流れも速い。

赤間ヶ関の流速は、鳴門海峡・来島海峡に続き国内で3番目の速さ。
流れの速さもさることながら、船舶の通航量の多さ・航路の複雑さなどから、
ここを通る船は水先案内人の同乗が義務付けられているそうな。

殿下もここで座礁してるしね。
その話はまた後の記事で書きますね。

しっかし、こんな速い流れのところで海戦があったなんてね。

最後に寄ってくところがあるので、重い腰を上げる。


坂の手前には大きな碇(いかり)がある。
場所的に、平知盛に関連してのオブジェかな~と思ったら、
こんな立札があった。

 【海峡守護「碇」の由来


  今を去る800年の昔、源平壇ノ浦の戦いに平家の大将知盛は全てを見収め、
  碇を背にして海中深く身を投げました。
  その後「碇知盛」の名で能や歌舞伎に演じられ、勇将振りがたたえられています。
  このいわれをもとに、海参道の入口を選び現代の碇を奉納し、ご祭神の御霊を鎮め、
  海峡の平安を祈るものです。】

源平800年祭を記念して、下関海洋少年団が寄進したとある。

いちおう、最後の総帥は知盛じゃなくて、宗盛だけどね(笑)。
知盛も宗盛も、どちらも清盛さんの子。

知盛さんは、「見るべきほどのことは見つ・・・」というセリフで有名な方。
ホントにそう言ったかどうかはわからないけど。
総大将の宗盛さんに比べて、知盛さんの方が知名度が高いのは、
やっぱりその最期の違いでしょうかねえ・・・

でも、宗盛さんの人間っぽさは、私は嫌いじゃないけどね。

そして、さらにこの立札。

 【謡曲「碇潜(いかりかづき)」と壇の浦

  謡曲「碇潜」は、平家一門の修羅の合戦の模様とその悲壮な最後を描いた曲である。
  壇の浦の古戦場を弔いに来た旅僧が乗り合わせた渡し舟の漁翁に軍(いくさ)物語を
  所望する。
  漁翁(実は平知盛の幽霊)は能登守教経の奮戦と壮烈な最期を詳しく語り
  跡の弔いを願う。
  旅僧の回向に導かれるように勇将知盛の姿が現れ、安徳天皇を始め
  一門悉く入水するまでの経過と、自らの修羅の戦いの有様や碇を頭上に戴いて
  海中に飛び込んだ知盛の幻影を旅僧は見たのであった。という構成を持つ
  「舟弁慶」の類曲である。

  壇の浦は急流で知られる関門海峡の早鞆の瀬戸に面した一帯をいう。
  平家滅亡の悲哀やその最後を美しくした総帥の面目と情趣に想いの馳せる
  海岸である。】(謡曲史跡保存会の解説板より)

そう、解説にあるように、知盛さんは碇を体に巻き付けて
海に身を投げたと言われておるのです。

ここにあるのは、下関海洋少年団の解説にもあるように、現代の碇。
当時の碇ってのは、どんなもんだったんでしょうねえ・・・


国道へ出て、赤間神宮のお隣、春帆楼へ。
春帆楼の入り口は急な坂になってて、その脇には駐車場みたいのがあった。
駐車場の奥に、「本陣 伊藤邸跡」って大きな看板があるのは
見たんだけどね、この近くにあるのかな~とか思ってた。

ところが、後でパンフレットとか見てたら、
この伊藤邸ってのは、まさに看板のあった場所で、
龍馬さんがお龍と新婚生活を送った場だった。

いちおう私、龍馬ファンなんだけど~!

てゆーか、ここまで地道にブログを読んで下さった方はわかると思うけど、
下関ってのはホントに色んな歴史を抱えてるところだからさ、
ここに幕末の史跡まで含めるととんでもない事になるので、
幕末関係のは全然調べてなかったんだよね~。

ので、ファンであるにも関わらず、この新婚さんの地を
素通りしてしまった私・・・(笑)


で、 陸奥君の写真を撮った時 に確認しておいた「李鴻章(りこうしょう)通」へ向かう。

余談ですが、この春帆楼は、フグ解禁のきっかけとなった場所でもある。
ここで伊藤博文がフグを食べて絶賛したことに由来するそうな。

さて、明治28年に日清戦争の講和会議がここで開かれたことは
「赤間ヶ関編(8)」にちょろりと書いた通りですが、清国側の全権大使が李鴻章。

李鴻章さんの宿舎は、ここから少し歩いたところにある引接寺(いんじょうじ)。
会議場である春帆楼へと通うにあたって、危険を避けるために通ったと
言われている道が「李鴻章通」。

でも、その配慮も空しく、李鴻章さんは小山豊太郎という人に狙撃されて
ケガしちゃったらしいんだけど。
小山豊太郎はその後、無期徒刑の判決を受けたと。

私がこれから向かう、今日最後のスポットは引接寺なので、
ちょうど会議を終えて引接寺へお帰りになる李鴻章さんと同じ道を
通っていくというワケ。うっふっふ♪


春帆楼の左手には、ちゃんと「李鴻章通」の看板が建ってる。
で、ちょっとワクワクしながら足を踏み入れてみると・・・

最初は小道程度の、まあ普通の道なんだけど、先を曲がると
めちゃくちゃ狭い道になる。

しかも、急な山肌に取り付けられた道で、

ってすぐに不安になって、入口まで戻ってもう一度確認した(←小心者)。

ううむ・・・
確かに「李鴻章通」って書いてあるしなあ・・・
どうしよう・・・

この時点で16:50近く。
引接寺も歴史のあるお寺なんだけど、観光寺院っぽくないし、
冬季だから、17:00には山門を閉めちゃうかもしれない。

迷っているヒマはない。

ええい、ままよ!
と再び細い道を歩き出す。

引接寺の手前には、「藤原義江記念館」てのがあって、
道沿いに「この先引接寺」みたいな案内はないんだけど、
「藤原義江記念館」の看板はあるから、たぶん大丈夫・・・だろう。

しかしこの道、チョー狭い。ホントに狭い。ハンパなく狭い。
向かいから人が歩いてきたら、普通に正面を向いたままじゃ
すれ違えないだろ~ってくらい、狭い。

そのうち民家も出てきて、このまま人んちの庭に入りこんじゃうんじゃないかと
ビクビクしながらしばらく歩くと、藤原義江記念館への道が現れた。

ここで記念館とは反対方向へ向かい、斜面を降りてこの心細い道ともお別れ。
目的地はもうすぐだ~。

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最終更新日  2012年02月15日 22時47分22秒
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