戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年06月07日
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カテゴリ: 城(近畿)
大津・膳所神社5

膳所神社は古いだけあって、立派な神社。

・・・が、もう16:00回ってるし、
ウルトラマンの体内電池ももう残り少ないので、
お目当てだけさらっと見た。

で、こちらが膳所城からの移築門で、現在は神社の南門としてある門。

大津・膳所神社6(城門移築の南門)

表側からの写真がないけど、まあいいか。

前回「膳所城(2)」の表門と比較してみて下さい。


こちらは高麗門形式といいます。

薬医門は屋根が大きい分、死角もあって
敵に盾として利用されてしまうなどの欠点があった。

その欠点を改良してできたのが、高麗門。
内側の控柱の上に、本体とは別の小さい屋根をかけて、
その分本体の屋根を小さくした。

これにより見通しが格段によくなり、
敵兵が門の中に隠れることができなくなった。

文禄・慶長の役の頃に開発され、その後急速に普及していったという。


あとは、北門も移築門なんだけど・・・
アラ、ここも写真がないわ~


格について説明するのにちょうどよかったのにな~。
ま、ないものは仕方ない(←開き直り)。


表門は初め、本丸と出丸の間の門として使われ、
膳所城の改築後には二の丸の入り口の門としてあったそうな。
北門は、本丸土橋の門。


膳所城築城の際には、大津城から門などを移築したといわれているので、
そのうちのどれかが大津城の遺構だったらいいな~とか思うけど、
移築の際に棟札とか見つかっていないのなら、
現存する移築門たちは膳所のオリジナルブランドってことで
確定なのかな・・・

ちなみに、ここの南門は近年建て替えられたとのこと。


膳所神社を出て、いよいよ膳所城跡へ。
現在は城跡公園となってるんだけど、その手前には
また現代城郭が建っていた(写真、撮らなかったみたい・・・)


大津・膳所城


ここの交差点は「本丸町」。
正面には大手門と堀が復元されている。


大津・膳所城4


大津・膳所城2



復元っていっても色々あるけど、この門は模擬らしい。
けど、なかなかどうして、本瓦葺の立派な高麗門ですよ。

細かな意匠などで格を高めてて、表門としてはグッド

大津・膳所城3(復元)


大津・膳所城10


この門には、あちこちに本多立葵がいっぱい。

大津・膳所城5

立葵っつっても、ちょうど今の時期咲きだすタチアオイとは別物だからね(笑)。
膳所城主を長く務めた本多氏の紋です。


さて、膳所城は関ヶ原の合戦の翌年、大津城を廃して
いわゆる天下普請の第1号として築かせた城。

縄張りは藤堂高虎。
築城には8人の奉行があたったといわれる。


大津城の戦いで大津城は落ちなかったけど、守りの弱さを露呈した。
新たな城の選定にあたっては、

「ねえねえ、正信う~。ここの押さえはどうしよっか・・・
逢坂の関を復活させる?それとも、大津城を建て直す~?」

って家康の下問に対して、参謀の本多正信は

「ちょ・・・そりゃマズイっしょ~!
ちょっと待ってください、ワタシが考えますから」

と答え、まずは瀬田の城跡・大江の窪江城跡・膳所崎(ぜぜがさき)の
3ヶ所をピックアップ。

これらの候補地にのぼりを立てて、地勢を判断した結果、
膳所崎が最適であると進言したという話があるそうな。


そうしてできた膳所城は、二の丸と本丸が湖上に突き出し、
天守は4層4階。

天守石垣が常に琵琶湖の小波に洗われる美しい景観は、
東海道の名勝として屏風や絵図などにも描かれ、

瀬田の唐橋 唐金擬宝珠(からかねぎぼし) 水に映るは膳所の城

と謳われたという。



最初の城主は大津城最後の城主・戸田一西(かずあき)。
ここまでで何度か名前だけは出てきてます。

戸田っつっても、関ヶ原の本戦で大谷隊に属して散った
戸田重政(勝成)君とは全く別口で(当たり前か)、
一西さんの方は三河の譜代。

一西さんは関ヶ原では秀忠に従って、上田城攻めに参加した。
参加はしたけど、上田城に固執する秀忠に対して唯一反対を唱えたという。

結果的に秀忠は家康に怒られ、一西さんは家康に褒められた。
そしてその後、3万石を与えられ、膳所藩を立藩。


初代膳所藩主となった一西さんが乗り出した事業のひとつが、しじみ。
ええ、貝のしじみです。

膳所城からもう少し南に行くと、琵琶湖から唯一流れ出る河川である
瀬田川がある。

この瀬田川にも元々しじみはいるにはいたんだけど、
殻が黒くて時雨煮向き。
お吸い物には向かなかったという。

現代で売ってるしじみって、黒くなかったっけ?
普通に味噌汁にして食べてるけど・・・

とか思っちゃうんだけど、昔は色的に好まれなかったのかもしれない。


ともかく一西さんは、しじみを使って村おこし・・・
いえ、藩の経済基盤のひとつにしようと頑張った。

まずは、一西さんの前任地・武蔵からベニシジミの種シジミを運んで・・・
と思ったら、のっけからつまづいた。

今と違って、陸路でしじみを運ぶってのは、
当時は相当大変なことだったらしい。

種となるしじみですからね、当然生きててくれないと役に立たない。
輸送の途中でほとんどが死に絶えるといったトラブルを繰り返しながら、
ついに一西さんはその困難を乗り越え、種を瀬田川へと放流した。

これが成長して膳所はしじみの宝庫となり、
新しい膳所の名物は一西さんの通称である「左門」の名を取って
「左門しじみ」と呼ばれたそうな。

なんでも、戦前までは京都に一泊すると
朝食には必ずしじみ汁が出るということで「左門しじみ」が有名になったんだって。


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最終更新日  2012年06月07日 20時52分50秒
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