戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年06月17日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
結果的に以仁王の挙兵は失敗に終わり、その後の処理では


が、興福寺と園城寺が再び不穏な動きを見せたため
12月11日、史上初となる仏教寺院への武力攻撃が園城寺に対して行われた。

この攻撃により、800人が殺害され、金堂以外の伽藍637宇に火を放たれ、
一切経7000巻、仏像2000体が焼失したという。

が、これは「平家物語」や「吾妻鏡」などの記述によるもので、
「玉葉」などの日記系史料にはそのような記述はなく、
堂宇などの宗教的な色合いの濃い建造物などについては手を付けないという


実際、金堂などに火が移った際には一旦戦闘を中止してまで
鎮火に努めた(笑)なんて妙にリアルな記述もあるくらいだし。

まあ、こうした被害状況などについては、立場によって
全く違う発表になるのは往々にしてあることだからね。
信長様の叡山焼き討ちなんかもそうだし。

その後行われた興福寺への攻撃、いわゆる南都焼討では、
結果論としてあの大仏様まで燃えちゃったけど。

平重衝、大仏を焼く
        (高松・平家物語歴史館)

ただ、興福寺に対しても、とりあえず穏便に済まそうとして、
まずは妹尾兼康さんを小部隊かつ軽装で送りだしたそうなんだよね。
「撫川城(1)」 も見てね)


とはいっても、ここ三井寺で初めての本格的な武力攻撃が行われたのは史実。

現在では静かで荘厳な空間だから、あまりここを古戦場と認識して
来る人も、平家萌え~する人もいないと思うけど・・・


さて、平安末期についてはひとまずこのくらいにして、今度は

有名どころだけね。



今さらですが、三井寺の正式名称は
「長等山園城寺(ながらさん・おんじょうじ)」。

7世紀に大友氏の氏寺として開創されたが、
天智・天武・持統の3代にわたる天皇がこの地に湧く霊泉を
産湯として育ったことから、「御井(みい)の寺」と呼ばれ、
さらに三井寺に転じたとされる。

できれば「三井寺」で統一して表記した方がわかりやすいんでしょうけど、
昔の話をする時は「園城寺」の方がふさわしいかな~って
思う時もあるし、ここまでですでに両方使っちゃってますので、
あしからず。


1338年  足利直義は北畠顕家対策として、園城寺に瀬田の唐橋の警固を依頼する。
       これ以降、唐橋の警護をたびたび任される。

1340年  足利直義の命により、唐橋の警備にあたる。

1343年  また唐橋の警固を申しつけられる。この時の、康永2年8月10日付 足利直義の
       書状が現在も山梨県都留市に残っている。

1352年~ しばらくの間、足利義詮の寄進が続く。
       伊勢丹波・石見・安芸・越前・近江・美作国青柳庄など。  
       足利尊氏は経蔵のほか、京都・等持院から一切経を移して奉納。

1468年  なんのためかよくわからないけど、足利義視が園城寺に入ったという
       記録が残っている。

1487年  第一次六角攻めで細川政元が陣を敷く。

1491年  第二次六角攻めで足利義材が陣を置く。

1568年  織田信長、上洛戦で園城寺光浄院に陣を置く。翌日、足利義昭も入る。
       あるいは信長様が極楽院に着陣し、義昭は光浄院に宿泊したとも。

1570年  足利義昭、二条義晴らとともに園城寺にお泊り。
       信長様は浅井・朝倉勢と交渉の真っ最中。

1582年  羽柴秀吉、明智光秀との交戦の際、園城寺に陣を置く。

1600年  豊臣秀頼、毛利輝元を奉行に勧学院客殿の建立を始める。狩野光信が
       襖絵を描く。
       毛利輝元、経蔵を再建。
       北政所は閼伽井屋を寄進。

1601年  徳川家康、伏見城の楼門(仁王門、旧常楽寺楼門)、
       三重塔(旧比蘇寺三重塔)を移して寄進。
       山岡宮内郷法印道阿弥、光浄院客殿を再建。

1602年  毛利輝元、周防から国清寺の経蔵を移して、高麗版一切経蔵を寄進。

1623年  後水尾天皇、三重塔の本尊として禁中御八講本尊・釈迦如来を寄進。
       清涼殿の一部を食堂(じきどう)として移築。



一部、あえて抜いている部分もありますが、後で触れるかと思います。

・・・てな感じで、実に色んな有名人が三井寺と関わりをもってます。
それでは山内へ。


長等神社の脇を進んでいくと、拝観受付がある。
ここより有料。

「三井寺、初めてなんですう~」

って言ったら、受付のおばちゃんは順路とか特別公開中の場所とか
色々教えてくれた。

ついでに三尾神社のことも聞いてみたら、ちょっとここから
歩いていくらしい。
う~ん、帰りに寄れるかなあ・・・


石段を頑張って上がっていくと、正面に大きな観音堂がある。

大津・三井寺・観音堂


この向かいの売店に、早速三井寺名物「力餅」が売ってた。

名物だし、ぜひ食べたいと思ってたけど、
なんか見てるだけで胸が詰まりそう・・・
夏にモチってのは、私はちょっとな・・・


観音堂を拝観する前に、まず第一のお目当てへ。

観音堂の広場の隅には、上に行かれる石段があって、
その上には展望台がある。

上がると色んな石碑が建ってるけど、
ひときわ目を引くのがこのデカイの。


大津・三井寺・大津そろばん顕彰碑

「大津そろばん顕彰碑」です。

なんでも、大津はそろばんの名産地だったそうなんですね~。
「東海道名所図絵」などにも、大津の特産物として
大津そろばんが紹介されてるんだって。

ま、わたくし、珠算1級は保持しておりますけど
(1級を取るまでそろばん塾をやめさせてもらえなかった)、
これを見に来た訳じゃありませんよ。

この記事の上の方で、三井寺の正式名称を書いたけど、
「長等山」と聞いて「お~、長等山!」と思った方もおられるのではないでしょうか。



慶長5年(1600)9月4日、大津城主・京極高次は籠城の準備に入った。
西軍の本格的な総攻撃は、9月6日から。

毛利元康(元就の8男)を総大将とする西軍が陣を置いたのが、
大津城をよ~く見渡せる、ここ長等山。

だけど、「長等山の中腹に陣を置いた」とするだけで、
三井寺に入ったという話は聞いたことがない。

まあ、長等山っていっても広いし、もう少し南の方にいたのかな。
それとも、三井寺よりもう少し上の方かな・・・

けど、あまり上まで行くと城から遠くなるし、
それだったら途中にある三井寺にも入ったとかいう噂を
聞いてもよさそうなもんだけど・・・

直接攻撃を念頭に置くなら、ちょうど三井寺のあたりが
位置的にベストかと思うんだけどな・・・


ともかく、西軍は長等山から大津城へ、ばんばん大砲を打ち込んだ。

砲撃のすさまじい音は洛中にまで届き、
弁当と水筒を持って観戦にやってきた物見高い京の連中がいたなんて
エピソードも残っている。

どっから見てたんだよ、オイ・・・

て感じだけど、つまりは私はここで大津城萌え~するのが目的だったのだ(笑)。
大津城っていうよりは、西軍って言った方がいいかもしれないな。


大津城攻めにあたったのは、約1万5千。
もちろん、立花宗茂も、小早川秀包(ひでかね)もこの辺にいた。

小早川秀包様は、毛利元就の9男。
異母兄である小早川隆景に実子がいなかったため、
小早川家の養子となる。

養子になったのは、金吾(小早川秀秋)を養子に迎える前の話で、
秀秋が来てからは廃嫡されて別家を立てた。

うう・・・関ヶ原の上に毛利家の話まで持ち出すと
記事が進まなくなるから、ここまでにしておこう。


で、大砲を撃ち込んだのはこの場所じゃなくっても、
秀包様や立花宗茂が見たような景色が見られると思って
楽しみにしてたのに、大津城方面は木がボーボー生い茂ってて、
展望がまるできかなかった

もちろん、見えてたところで、今は大津城があるわけでなし、
全く同じ景色が見られた訳じゃないけどさ。

ただ、城との距離感とか、雰囲気を味わいたかったんだよね。


私にとって肝心なところは全然見えなかったけど、
他の方面はそれなりに見えた。
仕方ない、見えるとこだけ写真に撮っておくか・・・

で、こちらは比叡山方面。

大津・三井寺・観音堂上の展望台から

う~ん、この近い距離でかつて叡山と園城寺の激しいバトルが
繰り拡げられたのかあ・・・

ちょっとカメラを右に振ると、琵琶湖が見える。

大津・三井寺・観音堂上の展望台から2


お目当ての景色は見えないけど、ちょうど誰もいないし、
ベンチに座って根性で妄想スイッチをオンにして、
しばし慶長年間(大津城攻め)に浸る・・・

と、しばらくして人がやって来たので、
意識を慶長から平成に戻して、展望台を下りた。

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最終更新日  2012年06月17日 17時38分25秒


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