戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年08月29日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
今日はふたたび九州物産展へ・・・
じゃねえ、労働基準監督署へ行ってきました。

労基署へ行くなんてのは生まれて初めて。
前にも確か少し書いたと思いますが、治療費についての申請は済んでます。
今日行ったのは、松葉杖のレンタル料の申請のため。

本来であればあゆみちゃんだって治療・療養の一環なんだから
私が労基署なんか行かなくっていいハズなのに、
病院によって取り扱いに違いがあるようなので、仕方なく行ってきました。

労基署は古い建物で、いかにも役場~って感じのオフィス。

今日応対に出てくれたのは若めのちょいイケメン。

「あの、病院の証明書類などは・・・?」

「この書類のここに証明をもらってますけど」


それでも書類をめくったりして何かを探しているので、

「診断書とかそーゆー書類がいるって聞いてないんですけど」
(↑半分真顔)

「あ、そ、そうですか・・・
ちょっとお待ちください」


お兄ちゃんは書類を持って奥にいるお姉さまがたの方へ確認しに行った。
実はここに至るまでの間、病院と会社の言うことが真逆だったりして、
非常に不愉快な思いをしている。

(も~、ホントに労災やだ。
くそう、この上この書類じゃダメだなんて言われた日にゃあ、
ここで暴れるぞ)


憮然として扇子でぱたぱた煽ぎながら待っていたら、戻ってきて

「この書類で受理します」

と言ったので、私はゴジラばりに労基署で暴れて
警察に取り押さえられるような事にならずに済んだ。

とりあえず受理はしてもらえたけど、まだ申請が許可されるかはわからない。
会社の説明によると、私のようなパターンはお金は下りないそうな。


まずまずの期間で松葉杖は外れたので、何万円とかかった訳じゃないけど、
これでホントに下りなかったら私は情報共有サイトに情報提供するぞ。

本当なら病院が全部やってくれて、労災から全額下りてしかるべき。
が、「労災取扱」をうたう病院や接骨院・整骨院は多いけど、
どうも診療機関によってかかる手間と自分もちの費用が違うらしいのだ。


こういうことは経験してみないとわからないので、
もし申請が認められないようであれば、
次の人のために情報提供をしてあげるのがあれこれ苦労した人間の役目というもの。
別にうっぷん晴らしに病院の悪口を書こうとしてる訳じゃありません。

結果がわかるのは大体1ヵ月後くらい。
手続きはめんどくさいし、電話の際の労基署のおじさんの言い方とか
嫌な思いも結構したし、ホント、従業中にケガなんてするもんじゃないです。
皆様も気をつけて下さいね。



それでは漢訳についてもう少し。

夏休みは「仏教攻め」だけで終わってしまいそうで、
早く話を先に進めたいのはヤマヤマなのですが、
漢訳の歴史というのは意外な事実も多くて大変に面白く、なかなか抜け出せません

本当は『仏典はどう漢訳されたのか』を読んでいただくのが一番いいです。
難しい内容も多いですが、興味を持った方はぜひ読んでみてください。
お経の知識がなくても、興味のある方には大変ためになる一冊です(たぶん)。


え~っと、まずは歴史の流れの続きを簡単に終わらせちゃおうかな。


玄奘の後には義浄(635~713)が出た。
この方は漢人で、法顕や玄奘に憧れていたそうな。

37歳の時、インドへ渡りナーランダ大学へ留学。
玄奘と同じく「ブッダを巡る旅」をしたようで、滞在中の各国訪問と
往復の海路で立ち寄った国などを合わせて30余りもの国を歴訪したという。

ウィキペディアによると、義浄の持ち帰ったものは
【400部、50万頌のサンスクリットの経律論、金剛座、舎利300粒】・・・
やっぱり、 「叡山攻め(15)」 で紹介した「みなし仏舎利」を持ち帰った中国僧は、
玄奘や義浄とかのことを指すんだろうな。

24年もの遊学を経て帰国した祖国は、武則天(則天武后)の時代。
で、前回出てきた道昭が死んだ700年に訳経を開始。
66歳から77歳まで訳経にいそしむ。

玄奘と同じく語学に優れた義浄は訳場で複数の役割をこなし、
分業体制でスピ-ディーに仕事が進められたと思われ、
【漢訳された経典は56部230巻に及んだ。】(ウィキより)

その義浄の成果のひとつが、わたくしのブログでもタイトルだけすっかりおなじみの
「金光明最勝王経」です。
「金光明経」自体は義浄以前から中国にもたらされていたようで、
漢訳もされているんだけど、義浄はこれをインドから持ち帰ってあらたに訳したそうな。

その義浄訳の最勝王経を、道昭のあとに遣唐使の一員として唐に渡った道慈(どうじ)が
日本に持ち帰り、護国の礎として最勝王経を納める塔が建てられたのが国分寺。
アシュランのいた興福寺西金堂もこのお経の一場面を復元した可能性が高い。
( 「春の寛永寺(14)」 「(9)」 あたり参照)

あとの方でも少し触れるつもりですが、
中国ではインド語の原典を漢訳したのに対し、
日本では日本語訳にすることはせず、漢訳のお経をそのまま使った。

なので、独自の仏教文化が花開いた日本にも、
漢訳の歴史というのは非常に深い関わりがあるんです。
訳経の歴史を知ることで日本での出来事がなんとなくわかってきた部分もあるので、
こりゃ面白いわ~と思って、よい本に出会えたことに感謝してます。

ただ、実のところは図書館に史料をコピーしに行って、
何の気なしにのぞいた書架で『仏典はどう漢訳されたのか』を
たまたま見つけただけなんですけどね(笑)。
まあこれもお釈迦様のお導きでござりましょう



義浄と同じ頃にも、外国僧が中国へやって来ている。
また、義浄が外遊を始めた頃、中国では密教経典の翻訳も行われ始めた。
これは7世紀末の特徴なんだそうな。

仏教の変遷の中でも内容的なものについてはこの後で軽く触れますが、
多く漢訳された密教経典には現世利益や滅罪を説くものもあり、
その教えは民間にも多く流行したという。

8世紀から9世紀にかけては外国僧の般若がやってきて訳経を行った。

 【最晩年に訳した『大乗本生心地観経』の一古写本が滋賀県の石山寺にあり、
  その石山寺本の記録によれば。長安における般若の訳場で筆受と訳語の重任には、
  日本人の沙門霊仙が当たった。】
  (『仏典はどう漢訳されたのか』より)

日本人が漢訳に関わってたかもしれないなんて、ちょっとオドロキ。

般若の死後は国家レベルでの訳経は終わりを告げ、下火となる。
全く翻訳がなされなかった訳じゃないらしいけど。

160年以上経ったのち、北宋で訳経が再開。
外国僧や中国僧による訳経が行われたが12世紀初めには衰退。

南宋では翻訳は行われず、元の時代に入って復活。
この時期の特徴としてはチベット語やモンゴル語からの漢訳が多いんだそうな。
明ではほとんど行われなかったようで、清代では密教経典をチベット語から
漢訳したものなどもあるらしいが、元・清にかけては
「ちょぼちょぼ」といった程度のものらしい。



と、ここまで大まかな訳経の歴史を追ってみましたが、
漢訳にあたってそれまでの意味とは別の意味として使うようになった熟語・漢字があり、
さらには新しく作られた熟語・漢字もあるんだそうな。

まず、仏教伝来以後に出来上がった熟語は、
縁起・世界・輪廻・煩悩・羅漢・四苦八苦・言語道断・
金輪際・億劫・滅相・奈落・餓鬼・兎角など。

「奈落」は原語では「ナラカ」で地獄を指す。
意訳で「地獄」という言葉も使われたが、
音訳で「奈落」という漢字をあてた場合もあったらしい。

違う意味として用いられるようになった熟語は、
衆生・精進・居士など。

熟語の方はいかにも仏教用語といったものが多いですが、
四苦八苦・言語道断・金輪際・おっくう・とかく、な~んて
現代日本でもフツーに使われているところがスゴイ。
中国文化・仏教文化がいかに日本にしみついてるかのいい例だと思います。


違う意味として用いられるようになった漢字は、
禅・色(しき)・業(ごう)劫(こう)、それから「寺」(じ)があるという。

 【元来、漢字の「寺」は仏教寺院を意味しない。北宋の賛寧『大宋僧史略』などの
  述べる伝説によれば、後漢時代に西域から僧が到来したとき、彼らは、鴻臚寺
  (こうろじ:政府の外務省に当たる役所)に逗留し、その後、別に建物を建てて
  仏教を布教したことから、彼らの居住した建物を、最初に留まった寺にちなんで
  鴻臚は略して寺のみを残して、「寺(役所、官舎)」と称するようになったという。
  (中略)この説は遅くとも随代にはあったようだ。】
  (前掲書より。語句の例も同じ)  

へえ~・・・
寺の語源については他の説もあるようだけど、「鴻臚館」てのが日本にもあるんだよね。
中国での役割と似たようなもので、7世紀以降に外国使節を接待するための施設として
難波宮、大宰府、平安京などに置かれたらしい。


最後に、新しく作られた漢字。
梵・塔・魔・僧・薩・鉢・伽など。
「刹」や「懺」もその可能性があるという。

 【こうした新字を漢和辞典で調べると、おもしろいことに、しばしば音読みだけが
  存在し、訓読みがない。これは、日本でできた「峠」「辻」などの国字の場合に、
  例外はあるがしばしば訓読みだけが存在し、音読みがないのと対蹠的である。】
  (前掲書より)

へええ~、それはホントに面白い。
漢字は学校では「音読み」と「訓読み」ぐらいしか習わないけど、
音読みの中にも漢音・呉音とか色々あるみたいね。
もう初めから日本語として覚えちゃうから、通常意識することはないけど。

このうち、「魔」については

 【正統の書物に此の字は使われず、仏典翻訳者が意味から作成したのである。(魔は)
  梵語では魔羅(マーラ)と言い、中国では障と訳す。修行するための障碍となる
  からである。】
  (『仏典はどう漢訳されたのか』より。出典は玄応『一切経音義』)

魔羅!!
了翁さんのホトトギス ~~!!(←そーゆーことだけはしっかり覚えている)

なるほどね、確かに若い男性修行者にとっては、
「魔羅」は持ってると障害になるだろうな。
ああ、今も昔もかなりの高齢になっても子作りしちゃうお元気な方はいますけどね(笑)。

なかなかウマい言葉をあてたよな~、と魔羅で1人やけに納得したわたくし・・・

唐代以降は、魔の字を作ったのは梁の武帝だという風に言われたらしい。
が、武帝以前の写本で「魔」の字が出てくることから、
船山氏は俗説の域を出ないとしておられる。



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最終更新日  2014年08月29日 23時05分24秒


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