戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年02月11日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
平安期、何百人といた貴族のすべてが
前回と前々回で紹介したような暴行・傷害事件のエピソードを
持っている訳ではない。

でも、法興院摂政家の子弟たちだけが暴力をふるっていた訳でもない。
平安中期頃は暴力的な出来事が身近にあった、
意外にワイルドな時期だったと申せましょう。

ここで一瞬、 檀那院付近で藤原道長一行が石を投げられた話 に戻りますが、
道長さんも『御堂関白記』なる日記を遺しているものの、

あっさりとした記述になっている。

これについて、たとえば『僧兵=祈りと暴力の力』(衣川仁/講談社)では

 【機嫌をそこねたためか、あえてとりあわない態度を示したとも感じられる。】

としているけど、個人的にはこーゆーことに慣れっこだったからという
気がしないでもない
ただ、当時の道長は最高権力者であり、賀茂祭で異母兄の道綱と一緒に石を投げられた
左少将の時とは立場が違う。

が、『小右記』は道綱・道長の投石事件のほかにも
当時似たようなことがあったことを教えてくれる。


その頃の京には、数か所の「難所」があったという。
前回と前々回の記事で花山院が何度か登場してますが、


そもそも即位の当日から変だった。
16歳で即位した花山天皇は、儀式の前に
正式にはまだ自分のものではない玉座において、
なんと1人の女官とエッチしていたという。

その後の即位式の最中には

「この王冠、重くてのぼせちゃうよ~。
えい、脱いじゃえ」



このわずか2年後には法興院摂政兼家の策にはまって退位することになるが、
自由奔放な彼にとっては院の立場の方がのびのびと過ごせたかもしれない。

ま、のびのびと言っても奇人変人ののびのびだから、
時には周囲を困らせたり耳目を集める出来事も数々あった。
そのひとつが花山院邸の門前での通行妨害で、
ゆえに花山院さんちは京での難所のひとつとなった。

具体的には、門前を牛車に乗って通過しようとすると、
ばらばらと石を投げつけられたらしい。

牛車だけでなく、騎馬での通行も妨害された。
花山院邸前が名だたる難所であることを知らなかった東国人が
騎馬のまま門前を通過しようとした時、邸内からわらわらと従者が出てきて
東国人を捕らえ、持っていた弓を取り上げてしまったことが
『今昔物語集』に書かれている。


お茶目な花山院は、前々回紹介した中関白家の隆家に
挑戦状を叩きつけたことがあるそうな。

「いかにお前でも、我が門前を
無事に通過することはできないだろ?」


「この隆家、な~んで御門前を通れないことが
ありましょうか!
ええ、通ってみせましょうとも!!」


これが史実だとしたら、隆家はある意味そのやんちゃぶりを
花山院に認められていたってことにもなると思うけど、
負けん気の強い隆家は牛も車も強いものを選んで5~60人の従者を引き連れ、
彼らに先払いの大声を上げさせながら勇ましく花山院邸へと向かった。

ところが、こーゆー騒動が大好きで、しかも普段から
牛車や騎馬での門前の通行を許さなかった院のことだから、
迎え撃つ側でも万全の準備をしていたことは言うまでもない。

難所へ向かった隆家一行が見たものは、手に杖や石を握りしめて
屋敷の周囲に居並ぶ見るからに屈強な法師たち、侍、童子たち
7~80人の姿だった。
結局、門前へ差しかかる前に隆家は白旗を挙げてしまったそうな。


『小右記』には別の難所を牛車に乗ったまま通過しようとした貴族が
石を投げられたというエピソードも綴られており、そこから読み取れるのは

 【(前略)「たとえ大臣の地位にある者であっても、他の大臣の居宅の門前を
  通ってはならない」というのが、王朝貴族社会における門前の礼儀であった。
  そして、この場合の「通ってはならない」というのは、厳密には「牛車に
  乗ったままで通ってはならない」ということであったわけだが、おそらく、
  そこには「馬に乗ったままで通ってはならない」という意味も含まれて
  いたのであろう。】
  (『殴り合う貴族たち』より)

という当時の慣習。

ただ、原則は「門前」でも時と場合によっては禁止範囲が拡大されたんじゃなかろうか。
賀茂祭の際、道綱・道長の兄弟が牛車から下りて右大臣の牛車の前を通過したならば、
あるいは2人は石を投げられず、大勢のギャラリーの前で恥をかくことも
なかったかもしれない。

こういう慣習があったから、檀那院付近で法師たちから石を投げられた道長は
門前ルールを拡大適用して、実際はそれほど腹を立てなかったんじゃないかって気もする。
そりゃ、いい気分はしなかったでしょうけどね。


『小右記』のここまでの話には、いろいろ示唆に富む内容も多い。
まず、「石」がずいぶんと活用されていること。

石を投げ合う「印地打ち」(いんじうち:雪合戦の石バージョンみたいなもの)が
室町頃盛んだったのは知ってたけど、
実は鎌倉期にも印地打ちが流行ったんだそうな。

けど、二手に分かれて石を投げ合うゲームではなくても、
少なくとも平安中期頃には石がポピュラーな攻撃のアイテムだった訳だよな。

それから、上流社会も意外にワイルドな生活をしていたこと。
花山院から中関白家隆家への挑戦状のエピソードからは、
院が武装した法師やら侍を抱えていたこともわかる。

現在だったらVIPの警護には身元調査が欠かせないと思うけど、
院はかなりの無頼漢をもボディーガードにしていたらしい。

ある時、花山院邸の北門の前を牛車に乗って2人の参議が通り過ぎようとした。
が、この時もわらわらと邸内から兵杖をたずさえた数十人が出てきて、
一斉に牛車に石を投げ始めた。
参議の牛車に随行していた牛飼は邸内に拉致・監禁され、
ほかの従者もなんらかの暴行を受けたらしい。

それで、実行犯たちは検非違使に追われることになったんだけど、
その事件の翌日、院はそやつらを率いて賀茂祭の祭使が還る行列の
見物に出かけた。

この時、異様ないでたちをしていた従者たちも周囲の目を引いたらしいが、
院はといえばミカンをつないで数珠に仕立てたものを牛車にぶら下げていたというから、
どんだけ院が奇人だったかこれだけでもうかがえるでしょう

さて、そういう悪目立ちの一行の情報は、検非違使の耳にも入った。
おたずね者がいるとみた検非違使たちが前日の事件の犯人を捕らえようと
やって来るという噂を聞いて、院の従者たちは一目散に逃げ出してしまった。

ぽつねんと牛車ごと残されてしまった院はあぜんとしただろう。
さらに恥ずかしいことに、牛車を引いてくれる従者がいなくなってしまったので
院はよりにもよって従者たちを追い散らした検非違使たちに送られて
家まで戻ったんだそうな。

院が帰宅したあと、犯人たちを邸内にかくまっている花山院邸は、
院のいとこにあたる一条天皇の命によって検非違使たちに包囲された・・・


花山院だけでなく、法興院摂政家の子孫たちも気の荒い従者が多かったし、
主人も従者もキレやすいアブない奴らが多かったようです。

院が抱えるアラクレ者たちの中には、武力を行使する「法師ばら」もいた。
隆家との門前の対決の時は、法師らは石と杖は持っていたけど、
刀とか弓とかの本気で人を殺そうとするような武器は持っていなかった。
ここはちょっと興味深い点です。


さて、再び叡山で道長さん一行が石を投げられた話に戻りますが、
おそらくそれまでも道長は馬で本坂を登ってきただろうに、
なぜ本坂もかなり終点に近い檀那院の付近で石を投げられたのか。
これは最澄が定めた結界とはまた別の結界によるもののようです。

 【慈恵大師良源は、延暦寺僧が果たすべき十二年の籠山修行中に、大原や小野の
  地にまで外出する者がいることを憂慮していた。彼は、「二十六箇条起請」を
  制定することで寺院統制上の引き締めを行ったが、その際この問題にも配慮し、
  「籠山僧、内界地の際(きわ)を出づべからざる事」という一項を定めた。
  その中で彼は、延暦寺の結界を次のように規定している。

東は悲田(ひでん)を限る。南は般若寺を限る。西は水飲を限る。北は楞厳院
  (りょうごんいん)を限る。この外これを出づべからず。
】
  (『僧兵=祈りと暴力の力』より。青字は『平安遺文』からの引用)

最澄が定めた結界は、良源さんのそれよりもっと範囲が広い。
東に限っていうなら、最澄は日吉神社や本坂入口付近を結界としたのに対し、
良源さんの定めた12年籠山修行僧の外出禁止の境界は悲田院。

悲田院はかつて東塔東谷にあったもので、檀那院の近くにあったという。
つまりは檀那院から先は内地中の内地という訳で、
ゆえにそこが下馬所とされたのだろう。

円仁派と円珍派の争いが激化した頃、宣旨を持って京側から叡山を登った勅使は
西の結界にあたる水飲付近で追い返されたという。

ので、籠山僧が出ることのできない聖域に騎馬のまま踏み込もうとした道長に対し、
法師たちは石を投げるという手段を取った。
道長が石を投げられたのは、良源さんの死後のこと。
「門前ルール」もさることながら、そういう叡山側の事情を汲んで
道長は『御堂関白記』に格別怒ったような記述を残さなかったんじゃないのかとも思った。



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最終更新日  2015年03月20日 23時33分09秒


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