戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年03月22日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
え~、前回はうっかり天暦9年(955)まで行ってしまいましたが、
大事なことを書き忘れたので天暦8年(954)の師輔の横川入りに戻ります。

本シリーズがこれだけ長くなっているのは、予定外の勢いで書いた
歴バナ・仏バナによるものですが、良源さんについてはしっかり書くつもりでいたので
前々からそれなりに準備はしておりました。

で、師輔が横川に行ったのは新堂宇の完成記念に立ち会うためかと思ってたんだけど、
よくよく読んでみるとまだ堂宇は未完成の時期。
大スポンサーを迎えるにはいいタイミングとも思えないんだけど、
『女人成仏への開眼』によるとこの日程である必要性があったらしい。

師輔周辺


「皇女殺し」藤原師輔が妻にした内親王の順番は、
勤子(いそこ)、雅子、康子。
勤子は子を儲けないまま若くして亡くなったが、雅子は三男一女を産んだ。

その雅子が亡くなったのが 天暦8年8月29日。
師輔が京を発って叡山へ向かったのが10月16日。
が、師輔の日記によると10月15日から19日までの5日間、
良源さんに不断念仏を依頼していたそうな。

横川での4日め、阿弥陀経の講説と10組の問答が行われた10月19日は
雅子内親王の49日にあたる。

 【この日にあわせて結願するように焦点をあわせて、かれの比叡登山の予定と、
  そのための各種の法要が組まれたと理解するのが妥当である。だとすれば、史上

  生んだという、経済社会的視点だけでは証明されないものがのこる。(中略)

  雅子の追善供養旅行であったとすれば、五日間にわたる忙中の休暇もそう永い
  ものではなかった。まして今後の師輔の身の振り方と後生について、ゆっくりと
  かんがえてみる一つの機会ともなったものであろう。】
  (前掲書より)


注目もされて様々な推測が飛び交う訳だけど、雅子内親王の49日を弔うためと
考える方が、未完成の堂宇へわざわざ行ったという理由も納得がいく・・・

が、雅子内親王の次に娶ることになる康子内親王へのラブレターは
冬に詠まれたことがうかがわれ、となると康子への求婚が始まった時期は
どうしても天暦8年の暮れになる、と角田文衛氏は考証しておられるそうな。

雅子内親王の死からまだ半年も経っていない時期でもあり、
師輔の行動はかなり批判を浴びたらしい。
師輔この時45歳。
まだまだ愛に生きようと頑張る中年だったが、横川から帰った翌年には
出家したら横川で隠棲したいので、そのつもりで適当な地を探してくれるよう
良源さんに依頼もしている。

師輔の横川行までの間にどうやってそこまで親密な関係を築くようになったのか
具体的なことはわかっていないみたいだけど、妻の追善法要から自分の老後まで
任されるような、師輔家の菩提寺ならぬ菩提僧という立場をゲットするまでに
なっていたと言えるだろう。


で、天暦9年(955)。
最澄の命日を中心として行われる六月会が横川で行われ、
冴えわたる良源さんの講釈は評判になった。
師輔も例年以上の供物を7日の間送り続け、さらにイベントを派手にしようと
先輩僧を参加させようとしたらしいが、これは良源さんが断った。
平林盛得氏は【横川を良源の意思通りに固めようとしたものであろう】とする。

天徳元年(957)4月、師輔の娘で村上天皇の女御・安子は父の50歳の祝いを
内裏で行い、あわせて5つの寺に父の長寿を願う祈祷をさせる。
5つの寺はすなわち、

 ・興福寺 藤原氏の氏寺
 ・法性寺 師輔の父・忠平が創建
 ・極楽寺 師輔の祖父・基経が創建

あと叡山と横川。
横川は叡山の一部で、まだこの時は三塔の一として独立してはいないのに、
あたかも独立した寺のようにカウントしているところが興味深い。
師輔家の中で横川と良源さんの存在感が次第に重きをなしていったことの表れと思われる。

前回『人物叢書 良源』から紹介したように、師輔も最初は良源さんのことを
パシリのように思っていたかもしれない。
が、この展開は単なるパシリという枠には収まらない。
父・忠平の存命中から付き合いを重ねるうちに、師輔は良源さんの
人間としての人柄と僧侶としての資質・実力を認めるようになり、
良源さんの方でも自分自身の目的を堅持しながらもそうした師輔の厚意にこたえて
師輔の死後も彼の遺志を尊重し、師輔家を大切に扱った・・・
そんな気がします。

きっと2人はウマが合ったんだろうな。
才能だけじゃ世の中うまく渡っていくことはできない。
結局は人間、相性だもんね。


さて、康子内親王を妻に迎えた師輔は彼女との間に子をもうけ、
さらに2人めができた。
その2人目の懐妊中、37歳の康子内親王は今度の出産は危ないかもしれないと
弱気発言をしたので、同年5月に良源さんを自邸に招き、安産の祈祷を依頼した。

この依頼に良源さんの方でも気合いを入れたものとみえ、
6人の僧侶とともに師輔邸において「七仏薬師法」を修した。
これは本邦初と言われるものの、『女人成仏への開眼』によると日本で初めて
これを行ったのは実は慈覚大師・円仁さんらしい。

円仁さんは仁明天皇が病気の際にその回復を願って七仏薬師法を修したものの、
残念ながら仁明天皇は薨去。
結果がはかばかしくなかったためか、円仁さんが一度だけ行った
嘉祥3年(850)以降はずっと絶えていたこの秘法を、
107年の時を経て良源さんが復活させた。

あいにく良源さんの時もおよろしい結果は得られず、
康子内親王は師輔の12男を産んだあと産褥のため6月に還らぬ人となる。
この修法、効果ないんじゃ・・・と思わずツッコミを入れたくなるものの、
七仏薬師法は 天台五箇大法、かつ四箇法 のひとつとして現在の叡山に引き継がれている。

康子内親王が

「もう長くは生きられないかもしれません・・・」

と夫に漏らした時、夫は


もしお前が死んだらワシもソッコー後を追うから!
もしも死ねなかったとしたら、出家して
もう2度と妻は迎えないから~!!
それよりいい子を産んで、生きながらえてくれよ。
愛してるよ」


・・・最後の方はちょいと脚色入ってますが

結局、師輔は死ななかった。
ただ、その後新しい妻を迎えることはしていない。
妻との誓いを守ったのか、あるいはそんな気力も湧かないほど
ガックリきたのか・・・

どちらにせよ、師輔にとって「出家」が現実味を帯びてきたかもしれない。
これより少し後のことになると思うけど、横川では良源さんが師輔を迎えるための
準備を始めたらしいのだ。

そして、この年から翌天徳2年(958)の初め頃と思われる期間に
師輔は自分の子を良源さんの弟子として送り出した。
師輔の意図について『人物叢書 良源』では、

 【現在は良源という名僧を一門の祈祷師として持っているが、その後継者がどのような
  者であるかは判らない。極論すれば、現在資財をつぎ込んで整備している横川も、
  明日は政敵の祈祷師の拠点となるかもしれないのである。こうした杞憂をなくす
  ためには、一門の中から直接一門のための祈祷師を作り出せばよいのである。】

とする。
良源さんの下に付いた師輔の子を大切にすることがひいては師輔の信頼を
増すことになり、師輔としても良源さんの後援を続けることで子の将来を
約束させることになる。

そうしてその子が成人して僧侶としての充分な実力と実績を身に付ける頃には、
良源さんの後を継いで師輔の子が横川の主となり、
横川はどこの馬の骨とも知れぬ他人に奪われることなく
師輔家を支える祈祷所として存続させることができる・・・

そういうことらしいんだけど、それにしてもここまで師輔の信頼を勝ち得た
良源さんという人はすごい人だな~と思う。

なにせ、ここまでの良源さんは実家の後ろ盾もない、金もない、
後釜を狙えるような有力な師に付いていた訳でもない。
横川も円仁さんに始まる由緒ある地といえど、円珍派の台頭の期間に堂宇は荒れ、
東塔の前唐院(円仁さんの旧房)に管理されていたりする小規模で辺鄙なエリア。

現在の三塔は観光地化され、車や公共交通機関で簡単に行かれるけど、
それでも横川は三塔のうちではマイナーで観光客は少なく、
山深いひっそりとした静かなエリアで他の二塔、特に東塔などとは
ずいぶん雰囲気が違う。

師輔は実際に横川へ入って自分の目で見てるんだから、
横川の雰囲気が気に入ったのかな、とも思った。
そしてそれ以上に良源さん個人に強く惹かれてもいたのだろう。

藤原北家の嫡流は長子の実頼が継いで、この方は氏長者でもあり
関白・太政大臣まで務めたが、師輔はその兄をもしのぐ実力者だったという。
良源さんはそういう師輔に気に入られた。

あるいは師輔は良源さんの向上心(悪く言えば野心)を的確に読み取り、
そこにも惹かれたかもしれない。
英雄は英雄を知る、みたいな。

まだ従属する立場でしかなかった横川だったけど、
良源さんがそこを率いていることで将来性アリ、と踏んだかもね。

ともかくこれで、次なるステップアップへの準備は整った。
良源さんの歴バナはこれで一旦止めますが、次の「飛躍の章」は
現地の紹介を交えながらお届けします。



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最終更新日  2015年03月22日 22時21分08秒


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