戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年04月08日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
「個人的日暮らしの門」唐門をくぐると、宗祖大師殿の立派な建物がある↓。


坂本・西教寺18


ここでは御朱印を受け付けてるみたいです。
わたくしは御朱印集めに興味はありませんので内部を拝観してから
左にある門へ向かう↓。


坂本・西教寺21


が、確か門の手前にこの方がいらした↓。


坂本・西教寺35


 【宝珠丸(宗祖真盛上人幼形象)


  母が地蔵菩薩から宝珠を授かったと夢みて上人をみごもったので、かく名づけたと
  伝えられている。7歳のとき伊勢の川口郷の光明寺の盛源律師の弟子となってその寺に
  移り、14歳で剃髪出家して名を真盛と改めた。この幼少の像は上人出家の時の幼形で、
  晩年の真盛上人像から骨格を調査し京都教育大学山崎正義名誉教授が制作したもの。】

へえ、骨格からね・・・
確かに、アゴのラインなんか真盛さんの絵姿に似てるな。
お祖師の銅像はこれまでの旅でもいくつか見てきたけど、
やはり若いほど清潔感があってよいですな

あと、大師堂の近くだったと思うけど、こんな看板もあった。

 【記念植樹 橘の木


  宗祖真盛上人の父は小泉左近尉藤能(ふじよし)と云い、小泉家は紀氏の末裔で
  上人は紀貫之から数えて17世あるいは21世と言われている。その小泉家は
  丸に橘の家紋であるところから橘の木が愛木とされている。今回真盛上人500遠忌
  を記念して植樹された。】





坂本・西教寺37


門を出て勅使門の脇にある石段を上がると西教寺の中心部。
緑と石垣が美しい↓。


坂本・西教寺38


これを上がるとまず水屋↓。


坂本・西教寺39


ここには西教寺の「西」が載る↓。


坂本・西教寺40


水屋の奥に写ってるのが本堂なんだけど、全体を写した写真がない・・・
本堂は普段誰でも参拝できるようではあるんだけど、
この時は中で何かやっていて入らなかった。

水屋の写真の左奥に小さくパイプ椅子が並べられてるのが写ってますが、
この後本堂から大勢の人が出てきてパイプ椅子に座って本堂の前で記念撮影など
始めたので、全景を撮れる雰囲気じゃなかったからな。 
まあ、この時は別に参拝しに来た訳じゃなかったし。

じゃ、何しに来たのかとゆーと、水屋の前を進んだ奥、
本堂の前にはこれがあります↓。


坂本・西教寺・明智一族の墓


 【坂本城主明智日向守光秀とその一族の墓

  織田信長が元亀2年(1571)9月、坂本、比叡山を中心に近江の国の寺院を始め
  大半を焼き討ちした。西教寺も全山類焼の厄に遭った。すなわち元亀の平乱である。
  その後、再興に尽力したのは信長の将、明智光秀で、浜坂本に坂本城を築城、坂本城主
  として坂本一帯の復興に当たり、西教寺の大本坊(庫裡)を造築、刻名入りの棟木も
  現存している。また天正2年(1574)仮本堂を完成し、現在の本尊(重文丈六の
  阿弥陀如来)を迎えている。

  それ以来、光秀の由縁はふかく、元亀4年(1573)2月、光秀が堅田城に拠った
  本願寺光佐を討った時、戦死者18名の菩提のため、武者、中間のへだてなく供養米を
  寄進したと言われている。また早逝した内室(煕子:ひろこ)の供養もされ、墓が
  安置されている。

  天正10年(1582)本能寺の変のあと、山崎の合戦に破れて非業の最後をとげた時、
  光秀一族とともに当寺に葬られたと言われている。のちに坂本城の城門の一つも当寺に
  移されたと伝えられている。爾来、当寺としては光秀の菩提為毎年6月14日に光秀忌を
  営んでいる、この供養塔は左のように記されている。

  秀岳宗光大禅定門
  南無阿弥陀佛
  天正十壬午年六月十三日】
  (「煕子」の漢字以外は原文のまま)

うん、移築門のことも書いてあるな。
そうでしょうよ、山崎の合戦の後の移築って方が自然でしょうよ。
さらにこれ↓。


坂本・西教寺46


 【坂本城主・明智光秀の妻 煕子の墓(光秀の子女、玉子嬢、細川ガラシャの母)
  天正4年(1567)11月7日寂
  戒名 福月真祐大姉

  作家の中島道子氏の「明智光秀の妻・煕子」という小説序文に次のように煕子夫人の
  ことが書かれている。
  人生を旅と心得、旅を求めてやまなかった芭蕉は軍旅に敗死した武将への限りない哀惜を
  詠んでいる。その中で唯一女性に対する句が異彩を放っている。明智光秀の妻である。
  比較的近年まで光秀は逆臣、叛将とのみ言われてきたにもかかわらず封建体制下の江戸時代
  にあって、光秀の妻を顕彰したのはまさに自由人芭蕉その人であった。明智が妻の句は
  「奥の細道」の旅の途次、越前(福井県)は丸岡に足を止めた折耳にしたことを後、伊勢の
  門弟山田又玄(ゆうげん)の妻に贈ったものである。

  月さびよ 明智が妻の 咄せむ
                芭蕉

  まさにこの一句に人生感があらわれていると云えよう。】
   (「煕子」は「煕」にさんずいが正しい字だけど楽天ブログでは使えず)

そしてこれ↓。


坂本・西教寺44


供養碑には

  濃州妻木十二代城主
  妻木藤右衛門廣忠(明智光秀公妻 煕子の父)
  濃州妻木(明智)一族供養塔

と刻まれており、近くにある解説版には

 【濃州妻木(明智)一族と西教寺

  本能寺の変・山崎の合戦、坂本城の攻防等続く戦乱の中で、妻木城12代城主
  妻木藤右衞門廣忠の兄弟3人が討死した。また、一族郎党も多数討死していると
  言われている。
  廣忠は天正10年(1582)6月14日坂本城落城後明智一族に殉死した人々を
  西教寺に埋葬し供養した後、天正10年6月18日に煕子(廣忠の娘)墓前で自刃した
  と伝えられている。(寛政重修諾家譜巻第三百一)

  當山、塔頭實成坊(じつじょうぼう)の過去帳によると、

  天正2年5月15日  梅岩廣秀禅定門(濃州明智三郎四郎)
  天正3年6月18日  圓光宗梅禅定門(明智殿幕下)
  天正7年2月10日  宗普法師
  天正7年11月12日 盛賢禅定門(濃州妻木)
  天正7年11月12日 盛厳禅定門
  天正10年6月14日 秀岳宗光大禅定門(明智十兵衛尉日向守光秀)
  天正10年6月18日 一友宗心居士(濃州明智藤右衛門)

  以上の方々が過去帳に記載されている。
  山崎合戦後、明智(妻木)一族が坂本城を守る為に多数の兵士を引き連れ、琵琶湖畔
  坂本城を守り続けたが、秀吉の軍勢と戦い、ついに坂本城炎上と共に一門は自害したと
  言われている。
  ここに妻木一族供養の為に岐阜県土岐市小島一晃氏が供養塔を寄進された。】


ということで明智一族の墓がここにあったから来た訳なんですが、
逃げる光秀が殺された、あるいは自刃した場所も諸説あり、
一般的には小栗栖(おぐるす)がメジャーだよな。

で、首実検の後で首と胴をつないで粟田口にさらされたというけど、
暑い時期のことでもあり顔の判別が難しかったなどという話もあり、
だからこそ実は生き延びて「天海」となったなんて伝承もあるワケで、
さらされた首は本人のものだったとしても、遺骸を引き取ることが
できたのだろうかという気もする。

まあ、敗者の遺骸を引き取って丁重に寺で供養しているという例は他にもあるから、
絶対ないだろ~!とまでは言えませんが、光秀の決断は世の中を一変させたからな。

史跡めぐりを始めた最初の頃に光秀の死にからむスポットへも行ってまして、
「叡山攻め」の旅でもそこの近くを通ったので、のちほどその写真を掲載します。

ともあれ、明智一族および本能寺の変から山崎の戦いまでに亡くなった多くの人に合掌。
清水宗治は別に死ななくてもよかったんじゃないかという思いもよぎるけど、
ともかく合掌。

最後に光秀の辞世の句でお別れです。

 【明智光秀公辞世句

  順逆無二門  大道徹心源
  五十五年夢  覚来帰一元

  これは江戸時代の元禄6年(1693)に書かれた「明智軍記」に因るもので、
  山崎の合戦で敗れた光秀公が、この偈を従士の溝尾庄兵衛に托して自刃したと
  伝えられている。歴史上の論議はありましょうが、公の「顕彰会」20周年を
  卜(ぼく)して、菩提寺である当山の墓所に碑を建立するものであります。
  大意は、修行の道には順縁と逆縁の二つがある。しかしこれは二つに非ず、
  実は一つの門である。即ち、順境も逆境も実は一つで、窮極のところ、人間の
  心の源に達する大道である。而してわが五十五年の人生の夢も醒めてみれば、
  全て一元に帰するものだ。という意に解せられ、光秀公の深い教養と人生哲学を
  表しています。】
  (ここまで【】内はすべて現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)



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最終更新日  2015年06月27日 20時21分45秒


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