戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年05月19日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
さて・・・
一般にはあまり名を知られていないと思うけど、
勧学会の学生側の主要メンバーの1人であり、日本浄土教の歴史において
重要な存在でもある1人の男を紹介します。
その男の名は、慶滋保胤(よししげのやすたね)。

保胤は陰陽家の賀茂忠行の子として生まれた。
この父はあの安倍晴明の師とされる方だけど、保胤は陰陽師とはならず
紀伝道(大学寮における歴史学科みたいなもの)に入った。
保胤の名字である「慶滋」は実家の「賀茂」を読みかえたものだという。


若い頃から仏教への関心が高く、念仏にも熱心だったそうな。
保胤の生年ははっきりしていないようだけど、勧学会が結成されたのは
保胤が30歳の手前頃のことと思われる。

保胤の話が『今昔物語集』に載っているので、まずはどういう人だったのか
出家して以降のエピソードを紹介しましょう。

今は昔、内記(ないき)慶滋保胤という人がおった。この人は慈悲深く、学問にも
  優れていたが博士の養子となり、若い頃から朝廷に博士として仕えていたが、老年に
  なって剃髪して寂心と名乗った。世間で内記の聖人というのはこの人のことである。

  寂心は空也聖人の弟子となったが、元々仏道にも通じた人であったので、功徳となる
  行いで何が最も尊いか考えた結果、仏像を造り堂を建てることがベストだとした。
  しかし、自分の力だけではできないので、まず人々の喜捨を仰ぐことにして方々で
  カンパを求めたところ、いくぶんかの資金が集まったのでこれで資材を手に入れようと
  播磨へ向かうと、そこでも資金が集まった。

  そうして寄進を募って歩いているうち、川原で紙の宝冠をかぶった僧体の者が陰陽師風に
  お祓いをしているのを見た。寂心は急いで馬から降りて、陰陽師に言った。
  「何してるんですか?」
  「お祓いですよ」
  「そりゃわかりますが、なんで紙の宝冠なんかかぶってるんですか?」
  「お祓いの神たちは僧侶がお嫌いなんですよ。だから、祓いの時はこうしてかぶるんです」
  これを聞いた寂心はキレた。

  「○△×□?☆÷~~~!!!」
  寂心は大声でわめきながら陰陽師につかみかかった。陰陽師は掴まれてわけがわからず
  祓いの手も止めてしまい、
  「ちょ!なにするんですか~!なんなんですか、アナタ!?
  やめてやめて、やめてってばさ~!!」
  これを見ていた者たちもただ呆気に取られるばかり。寂心は泣きながら紙の宝冠を取り上げて
  びりびりに引き裂き、
  「あなたはみ仏の弟子でありながら、なんで神に遠慮してこんな冠なんかかぶるんですか!
  無間地獄に落ちる罪を作るだけじゃないですか!仏弟子ともあろう者が、なんと情けない。
  もういっそのこと私を殺しちゃってください!!」
  と言っておいおい泣いた。

  「なんと気違いじみた方だ。まあまあ、泣かないでください。
  私には妻も子もあり、僧だけでは養っていけません。だからこうして陰陽道を習って生計の
  足しにもしているのですよ。もともと道心がある訳でもないし、修行だけに生きる聖人には
  私にはなれません。僧のナリはしていても俗人と何ら変わることのない生活をしているので
  悲しくなる時もありますが、これも世の習いですからやむを得ません」

  「だからと言って、現在・過去・未来の三世の諸仏の頭に紙の冠をかぶせるなんて
  あんまりです。貧しさのゆえにこんなことをしているというのであれば、私が募った喜捨の
  品々をあなたにすべて差し上げます。たった1人に菩提を勧める功徳も塔や寺を建てる功徳に
  劣ることはないはずです」
  と言ってこれまで集めた物をすべて取り寄せてこの陰陽師に施してやった。


ああもう、貴方には寄附による堂塔建設は永遠にムリ。
現在だったら、ことによったら「寂心、寄付金横領!」ってスクープされちゃうよ。
ま、先を続けましょう。

 寂心が東山の如意輪寺に住んでいた頃のこと。六条院から急ぎのお召しがあったので、知人の
  馬を借りて朝早く出かけていった。普通の人なら当然急いで行くところを寂心はのんびりと
  馬にまかせて進んでいき、馬が立ち止まって草を食えばいつまでも馬が食べ終わるのを
  待っている。そんな道行きなのでまったく進まず、馬の口取りがしびれを切らして馬の尻を
  叩くと、寂心は馬から飛び降りて馬の口取りにつかみかかり、

  「なにするんだ!この馬は前世以来何度もお前の父母になっていたのだと思わないか?何度も
  お前の父母となってお前をいとおしみ、その恩愛の執着の咎によってこうして獣の身となり、
  多くの地獄道や餓鬼道にも堕ちて苦しみを受けたんじゃないのか?今、こうして馬となって
  いるのも子をいとおしむゆえの報いなのだ。そして、どうにも何か食べたくなったので
  美味しそうな草を見てむしり食べようとしていなさるのを、どうしてお前は打つのだ。
  それに、この馬は前世で数えきれぬほど私の父母となっておられたと思うと実にもったいない
  ことではあるが、私も年老いて遠い道は早く歩くことができないので、畏れ多いと思いながら
  乗らせていただいているのだ。その上、草を食べなさろうとするのを妨げることなど私には
  できぬ。なんとお前は慈悲のない男なのか」

  と大声で泣いた。男は内心笑ったものの、寂心があまりに泣くので気の毒にもなり、
  「おっしゃることはごもっともです。乱心してつい叩いてしまいましたが、下郎ゆえ
  そのような事情とは知らずにおりました。今後はこの馬を父母ともお頼みして大切にします」
  と言ったので寂心はしゃくり上げながら
  「あ~、もったいない、もったいない!」
  と言ってまた馬に乗った。


ああもう、根性出して六条まで歩いたら?

まだ話は続きます。

寂心が石蔵(いわくら)に住んでいた頃、腹を冷やして下痢をした。隣の僧坊にいる僧が
  聞いていると、厠からたらいの水をぶちまけるような音がする。年寄りがこんなひどい下痢を
  しているのを聞いて僧が気の毒に思っていると、聖人の話し声が聞こえた。誰かが厠の中に
  いるのだと思って壁の穴からそっと覗いてみると、年老いた犬が聖人と向かい合っていた。
  聖人が立ち上がったらその便を食おうと思って待っているのだろう。その犬に向かって
  話しているのだった。

  「あなたは前世で人に汚いものを食わせ、欲張りで、偉ぶっては人を軽蔑し、父母には孝行
  せず、もろもろの悪いことを行って善心を持つことがなかったのでこうして獣に生まれ
  変わり、どうしようもなく汚いものを狙って食べるようになったのです。でも、遠い前世で
  何度も私の父母となったその身にこんな汚いものを食べさせるのは畏れ多いし、しかも
  風邪をひいてこんな水のような便しか出ませんので、とても食べられたものじゃありません。
  代わりといってはなんですが、明日美味しいものをこしらえてあげましょう。
  それを思う存分召しあがってください」

  と繰り返し言ってはさめざめと泣いていたが、やがて立ちあがった。
  僧はこのことを誰にも言わず、翌日になって聖人の様子をうかがっていると、聖人は
  「お客様にお食事を出そう」
  と言って庭にむしろを敷き、その上に山盛りの飯を入れた土器と3、4種のおかずを置いて
  その前に座り、
  「お食事の用意ができましたよ~!早くおいでなさい!!」
  と声をかけると、昨日の犬がやって来て食べ始めたので、それを見て聖人は手をすり合わせて
  「おいしいですか?あ~、よかった。こしらえた甲斐があった」
  と泣いて喜ぶ。
  すると脇から若い大きな犬がやって来て、飯を横取りする前にまず老犬を突き倒して食べ物を
  めちゃめちゃにしてしまった。聖人はあわてて立ちあがり、

  「そんな乱暴しないで。あなたの分も用意しますから、仲良くおあがりなさい。そういう心を
  お持ちだから、あなたは情けない獣の身にお生まれになったのですよ」
  と止めに入ったが、もちろん聞き分けるはずもない。大声で噛みあっては食べ物を踏み
  散らし、何もかも泥だらけになって大騒ぎしているところへ他の犬たちも集まってケンカ
  するやら食べるやらの大混乱になってしまった。聖人は、
  「な、なんてことを・・・!こんなあさましい心を持つ方たちの振る舞いは
  見ない方がよい!」
  と言って縁側に逃げてしまった。
  一部始終を見ていた隣の僧は思わず吹き出した。仏道に達した人なので前世のことだけを
  考えて敬ったものの、犬の方ではどうしてそんなことを知るだろうか。
  内記の聖人は仏道に深く達し、道心が盛んでやむことのない尊い人であったということだ。
  (『今昔物語集』巻19の3)

汚物ネタが大好きなわたくしですので、

「平安時代の犬は人糞を食っておったのか!
うちの娘さんたちがもし平安時代に生まれていたら・・・」


と結構衝撃も受けて食いつきましたが、もちろんそこが主題でもありません。
これらの寂心のエピソードについて、

「馬鹿じゃねーの!?」


こういうものであったのかとうならせる話だと思います。

これはあくまで出家して以降の話で、しかも事実かどうかはわかりませんが、
たぶん似たような出来事は色々あったのでしょう。

ウィキペディアには出家が遅くなったのは子が成人するのを待っていたためだとあるけど、
上の話にも元々仏道に通じていたという風に書かれており、
出家する前から仏道に関してかなりの知識を持っていたことがうかがえる。

勧学会は途中で途絶えたりしながらも結構長く続いたようで、
その最初の主要メンバーに保胤が入っていることからしても、
勧学会設立の時点でそれなりの仏教的知識とかなりの関心・信心を持っていたものと思われる。
こういう人が空也に影響を受け、浄土信仰に食いついた。
慶滋保胤、覚えておいてね。



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最終更新日  2015年05月19日 23時01分15秒


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