戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

2015年06月09日
XML
カテゴリ: 旅日記(近畿)
現在では「お大師さん」といえば弘法大師・空海を指すのが一般的だけど、

いずれブログで紹介すると思いますが、少し前に行ったとある古寺にも
良源さんグッズがあった。

そこは有名な仏像がある寺で、歴史もあるから観に行ったのですが
仏像のおわす内陣に手のひらサイズのちっこい祠がちょこんと置いてあって、
なにげにそれを覗いたら元三大師の土鈴だというのでびっくりした。

なんでわたくしがたまげたのかとゆーと、そこ天台宗じゃないんですよ。
現在は真言律宗のお寺なの。

良源さんを愛してやまないわたくしですもの、当然でしょう。

監視役にご住職が付いていたのでなんで元三大師の土鈴があるのか聞いてみたら、
確かご住職のお父さんだかが「宗派を超えて」作って配っていたとかいう話で、
良源さんグッズのコレクターとしてはもちろん欲しいと思ったんだけど、
現在はもう作ってないってことだったんだな。

真言律宗はもちろん真言宗系の宗派で、
天台宗とは空海たん以来永遠のライバルともいうべき宗派なのに、
良源さんグッズを作っていたなんて驚きましたね。
まあ、ご住職はかなりの高齢で耳が遠いうえに病気をされたのか滑舌が相当イマイチで
詳しいことは聞けなかったんだけどね。
でも、民間に根強い元三大師信仰があったことの証でもあると思う。



叡山3・横川36・四季講堂


↑これは確か、四季講堂の門にあった額だったかな。
良源さんの大師号についてはこの後で書きます。
では、門をくぐって中へ。


叡山3・横川37・四季講堂




叡山第三の塔・横川(よかわ)は中世までの文献にはほかの二塔、東塔と西塔にならってか
「北塔」と書かれていると 以前の記事 でも紹介してますが、
『源氏物語』で源信がモデルとされる高僧は「横川の僧都」と呼ばれているので、
「横川」と「北塔」の呼称が共存していたのかもしれない。

横川を独立させたのは天台座主となったあとの良源さんで、
三塔のうちでは新米であり、しかも横川は延暦寺北限の山深い場所にある。
それでも、卓越した才能と手腕で天台座主にのし上がり、
大規模な堂宇の復興などを手掛けた良源さんはその一方で綱紀の粛正に乗り出し、
広学竪義の設置などで勉学を奨励して源信や覚運などの優秀な学僧を横川から輩出した。
( 「138)」 ~ 「(139)」 あたり参照)

そういう良源さんの本拠地ともいうべきこの場所は、
横川の中堂よりも実質的な叡山の中心だったと言えるだろう。


天禄3年(973)5月に病にかかった時、
良源さんはいつか来る死のことを考えて遺言を書いた(『慈恵大僧正御遺告』)。
それには自分の所管する堂宇や藤原師輔から禅師の君へ譲られた所領などが
こまごまと書かれている。

それによると、良源さん当時の定心房は
檜皮葺で孫庇に孫々庇まで付けた五間の母屋がメインの建物で、
そのほか西に一宇、東に二宇の板屋があったという。

良源さんのシンボルともいうべき僧坊だから、
当然死後の管理は禅師の君に委ねるとしており、
決してこれには背くな、もし背く者があれば一門から永く追放すると厳命している。
ただ、もしかしたら定心房はドンピシャこの場所ではないかもしれない。

師輔の子・藤原兼通と兼家の泥仕合については 「(145)」 で書いてますが、
兼通が最後の病気になった時、良源さんは兼通の病気平癒の祈祷をしているそうな。

しかし、それもむなしく兼通は死去。
梵照の『拾遺伝』によると、兼通の子は横川に仏堂を建立し、
そこで兼通の一周忌の法要が営まれたという。

さらに兼通の妻も横川に堂宇の建立を発願したので、
妻の堂宇の建立にあたって良源さんは定心房を一部移動して場所を提供したというのだ。

2万5千分の1地形図を見ると、四季講堂のある場所は
等高線の空いた地形が東西の横長に広がっていて、
現在の四季講堂はその場所の東側半分に広がる格好になっているので、
あるいは移動した後の場所が現在の位置なのかもしれないけど、
詳しいことはわからない。
いずれにせよ、定心房はこの付近にあった。


ところで、「定心房」はある食べ物の呼び名にもなっている。
江戸期、麓の坂本では

 山の坊さん何食うてくらす 油葉の附焼定心房

という子守唄が唄われたそうな。

これね、叡山では売ってるというので東塔の売店で探してみたんだけど、
そこにはなかった。
横川にならあるかなと思ったけど、横川には売店はなかった。
いや、駐車場あたりにはあったのかもしれないけど、わからなかった。

まあ、わざわざ叡山に行かなくたって近所のスーパーで買えます。
だって「たくあん漬け」のことだから。

「たくあん」の考案者は 紫衣事件 で有名な大徳寺の沢庵宗彭というのが一般的な説ですが、
叡山では良源さんを考案者としており、ゆえにたくあんを「定心房」と呼ぶそうな。

最近ちょっと漬物にハマっているので、千年以上の時を越えて
良源さんと同じものを食べているカモと妄想するのは実に楽しいこと・・・
が、『人物叢書 良源』では

 【いずれも根拠のないものであるが、便利なものは何事も信奉する慈恵大師の創始と
  すれば納得されるほど強い大師信仰から生じた俗説であろう。】

と身もフタもない言い方で乙女心をズタズタに切り裂く。
ちなみに、ウィキペディアによると

 【日本の刑務所では、沢庵の量は一人当たり二十五グラム前後である。】

だそうな



それにしても、結構雪が積もってるな・・・
写真には写ってませんが、わたくしが入った時もお坊さんが雪かきをしていた。
横川は叡山の奥座敷だからな・・・
積雪の多い年なんかは大変だろうな。

両脇の建物もなかなか素敵で、


叡山3・横川42・四季講堂



叡山3・横川44・四季講堂


上が鶏足院灌室、下が旧恵雲院。
2つのお堂が仲良く向かい合っているため、「向い堂」とも呼ばれるらしい。

定心院には東西に板屋があったというから、
全体の構造としてはこんな感じだったのかもしれないな。
ただ、現在の向い堂は東西ではなく南北に建っているので、
まるっきりこのまんまとも言えないと思うけど。

敷石を進んで四季講堂の前まで来ると、お堂の外には数枚の大津絵が懸けられていた。


叡山3・横川38・四季講堂



叡山3・横川39・四季講堂



叡山3・横川40・四季講堂



叡山3・横川41・四季講堂


あと、豆大師と角大師の解説もあったな。
豆大師の方は 「上野第二編(10)」 の田んぼのエピソードと同じ内容で、
角大師の方は前回と同じ文章なのでここでは割愛します。

四季講堂の戸は閉まっていた。
が、「ご自由にお参りください」という貼り紙がある。

旅の記録を記事にまとめていると、どこの旅でも
「あれ見とけばよかった~」とか悔やまれることはある。
しかし、横川におけるわたくしの行動というのは後から考えると
我ながら実に不可解で、悔やむというより「おかしい」ってカンジ。

横川へ来た大きな目的は2つあり、堂宇でいえば中堂よりも四季講堂の方が
わたくしにとっては重要。
四季講堂のあとでもう1つのお目当てに向かいますが、
第1のお目当てである四季講堂に来たのだから
この日のメイン中のメインがもう始まっているというのに、
同時におかしな行動もここから始まっていた。

閉まっている戸の外には賽銭箱があったので、
寸志を納めてなむなむしてからわたくしはそのまま四季講堂に背を向けて出口へ向かった。

堂内に上がらなかった理由は色々ある。
まず第1に、溜まった疲労と寝不足と中尾坂での暑くてキツイ行程で
体力的にかなり来ていたこと。
第2に、お目当てはお目当てとしてあっても、「観る」より「来る」ことの方が
メインにすり替わっていたこと。
第3に、時間が押していたこと。
第4・・・登山靴を脱ぐのがめんどくさかったこと

いやもう、冗談じゃなく寒くて疲れてる時に山靴なんか脱ぎたくないですよ。
運動靴みたいにスポンと脱げないんだからね。

でもぶっちゃけ現地では疲れて頭がボーッとしてただけで、
上の理由を色々考えてお堂に上がるのをやめた訳じゃないです。
ここに来るためにつらい山道を孤独に歩いてきたとゆーのに、
なんで中に入らず帰ろうとするか?
我ながらおかしいとしか言いようがないですが、
それが現実だったのでこれはもう仕方ありません。


にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2015年06月09日 23時56分54秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ] 価格:2916円(税込、送料無料)






PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: