戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年09月24日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
勢至堂へまっつぐ延びる参道を歩いていく途中、右を見上げると


叡山5・知恩院28


ああ、あれが廟堂だな・・・
下から見ると、ガケのような場所に建っているのがよくわかる。 


叡山5・知恩院29


あれが本殿か。
ウワサの意匠をなんとか見られんもんかといじましくカメラをズームしてみると


叡山5・知恩院30


叡山5・知恩院31



保護のためかアクリル板のような覆いがあるので、よく見えない。
が、シールドのおかげで保存状態はいいらしく、
時代を反映して東照宮と同じ系統の彫刻のように見える。
桃山っつーか思いっきり江戸だよな、あれは。

あいにく写真がないのですが、廟堂エリアかあるいは勢至堂エリアのどちらかで
下界を望んだ時、高いだけあってすこぶる見晴らしがよかった。
この高台から下界を見ていて、叡山にある墓がどれも低い場所にあったと
ここで初めて気が付きました( 「(82)」 も参照)。
ただ、叡山にも一部例外はあるんだけどね。



たぶん、お堂の裏手あたりじゃないかと思いますが(←覚えてない)、

叡山5・知恩院32

墓地ざます。
入ってすぐ目につく大きなこのお墓は

叡山5・知恩院33




  二代将軍 徳川秀忠の長女(1598~1664)、幼くして豊臣秀吉の息子 秀頼に
  嫁ぎますが、後に大阪夏の陣により徳川家の元へ保護されました。その後、姫路城主
  本田忠政の嫡男 忠刻のもとへ再婚しますが、忠刻の病死により、弟の三代将軍
  徳川家光の元へ戻るという波乱の人生を送った女性。そして千姫は出家し天樹院と号し、
  江戸の竹田御殿で余生を過ごしたといわれています。大きな墓石には葵の御紋が刻まれて
  います。また、お位牌は勢至堂に御祀りされています。享年70歳。】  

え~、千姫は有名人なので経歴などについては割愛しますが、
別に於大や督姫のように京で亡くなったからここに葬られたという訳ではなく、
江戸で亡くなって小石川傳通院に葬られている。
葬儀は知恩院の住職が務めたという。

ならなんで千姫のお墓がここにあるのかとゆーと、
「御菩提所の定例」によって分骨がされたというんだけど、
その「定例」がどの範囲にまで及んでいたのかが気になるな。

もちろん、将軍はその中には入ってないハズだけどね。
15人の将軍のうち、ほとんどは土葬だからね。

勢至堂にある位牌は千姫だけではなく、崇源院(江)や桂昌院(綱吉の母)の
位牌もあるそうな。

で墓石ですが

叡山5・知恩院34

とても変わった形をしている。
正面にはデン、デン、と葵の紋。
その下には文字が刻まれていて、線が細くて読みにくい部分もあるのですが

   其佛本願力
   聞名欲往生
   皆悉至彼國
   自致不退轉

とまあ、浄土宗らしい文が刻まれている。
墓石の裏側にも同じように五言の漢文が刻まれているものの、
こちらは相当キビしくて半分ぐらいしか読めない。
のでカットします。

墓石の台座には日付が刻まれている。
確か左右の側面にあったと思うけど、2つつなげると

  寛文六年丙午二月六日

と千姫の命日になる。


後から知ったところによると、この墓所には将軍の御台所となるハズだった方も
埋葬されているそうな。
それが霊元法皇の第13皇女・吉子内親王で、
この方は生後1ヶ月にしてフィアンセを持った。
お相手は徳川7代将軍・家継(5歳)。

幼すぎるカップルが誕生するのには政治的事情も関係しているようだけど、
婚約からわずか2年後には家継が夭折。
吉子内親王は2歳にして将来の夫を亡くすという悲劇に遭う。
物心つく前に全てが終わっていたという不運に見舞われた彼女は
18歳という花の盛りで出家し、44歳で亡くなったという。

嫁入りが実現しなかったとはいえ、正式な縁組は成立していたんだし、
勢至堂は徳川の女性を祀る常念仏堂でもあったそうだから、
それで吉子内親王もここに葬られたのかもな。

現地ではそのことは知らなかったし、墓所にも特段の案内や解説はなかったと思うので
わたくしはお参りはしませんでしたが、皇女なら立派なお墓だろうから、
これから墓所に行く方がいたら探してみてください。


で、千姫のお墓の後方になにやらあったので行ってみると

叡山5・知恩院36


 【濡髪(ぬれがみ)大明神

  千姫の墓を奥へ進んだ所に、「濡髪大明神」の祠があります。ここには、知恩院を
  火災から守る濡髪童子をお祀りしています。また「濡髪」という名のため、昔から
  祇園町の綺麗どころの信仰を集め、縁結びの明神様として参詣者が後を絶ちません。
  ここに置かれている、護摩木に願い事を書いておくと、毎年11月25日午後2時から
  行われる濡髪大祭(お火焚き)で、願い事が叶うよう焚き上げてくれるそうです。】
  (境内の解説文より。漢数字は戦国ジジイが変換)

てことで特段のお願い事もありませんがパンパンしてからお宮を見ると

叡山5・知恩院41


叡山5・知恩院40



叡山5・知恩院38

ここにも「置き引きにご注意ください」とか書いてあるし。
どこの墓地にも不心得者がおるんじゃなあ~。
注意を払わねばならんのは置き引きだけではないらしく、

叡山5・知恩院39

賽銭箱はがっちり厳重の構えだった。


墓地から勢至堂の表へ戻ろうとした所だったと思うけど、


叡山5・知恩院42


 【影向石(ようごうせき)

  法然上人がご臨終の時、加茂大明神(一説に韋提希婦人:いだいけふじん)が
  降臨したという伝えがあります。】
  (境内の解説文より)

「(221)」 で『観無量寿経』が世に現れる経緯をちょ~お簡単に書きましたが、
悪人の息子を持ってお釈迦様に泣きついたのが韋提希夫人。
(韋提希さんの場合は「婦人」より「夫人」の表記の方が一般的だと思う。)

韋提希さんはお釈迦様在世当時の大国・マガダ国の王妃という人だった。      
影向石は出てこないけど、『絵伝』では法然の死期が迫った時に韋提希さんが登場する。

ある時、どこからともなく牛車が現われて見るからに高貴な女性が法然に会いに来た。
弟子の源智が障子越しに話を聞いてると、

「法然さまが往生されたら、一体どなたを
頼ったらよいものでしょう」


「ワシの考えはすべて『選択集』に書いておいた。
これを実践する者こそ、ワシの教えを伝える者である」


源智はこの女のことが気になったので、女が帰る時に後をつけていった。
と、賀茂の川原に出て北へ急いだと思ったら牛車は消えてしまった。
戻ってから源智が法然に、

「さきほどのお方は、いったい・・・?」

と聞くと、

「かのお方こそ、韋提希夫人じゃ。
賀茂のあたりにおわするぞよ」


と言うので、法然の没後源智は法然の旧跡でもある賀茂の近くへ移り住み、
そこで往生した。
それが 「(231)」 でも書いた、百万遍知恩寺のことです。


その先、御廟のガケ直下にあるのがこれ↓。


叡山5・知恩院43


 【紫雲水

  法然上人ご入滅の時、聖衆がご来迎し紫雲が水面に現れ、芳香が漂ったと言う
  伝えがある崖下の小さな池。毎年5~6月頃には、モリアオガエルが産卵に訪れます。】
  (境内の解説文より)

下を覗き込むと、


叡山5・知恩院44


相当小さいけど、確かにいちおう池。
この池にあのうにょんうにょんしたカエルの卵が浮かぶのか・・・

これでお目当てはゲットした。
最重要エリアを出て上の段の虎口へ戻って石段の正面の方を見ると


叡山5・知恩院46


実はまだ山の斜面の方へと石段は続いている。
が、この道は


叡山5・知恩院45


知恩院や青蓮院の住持を務めた宮様、それから知恩院のお坊さんなどが眠る
墓地のようです。

督姫様の墓は裏山の中腹にあるということしかわからないんだけど、
押しも押されぬ徳川の女性だから、勢至堂の墓所の方にあるのかなあ・・・
いやでも、慶長年間のことだから、まだ女性の墓所ルールができる前かもしれない。
だったら、ここを上がった中に督姫の墓もあるのかもしれないな。
酒井忠次夫妻の墓もこの上なんだろうか。




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最終更新日  2015年09月24日 21時51分57秒


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