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戦場の薔薇
第十七話「休息」
後に、Xデーの惨劇と称される戦いを生き抜き、幾度ものRW軍の追撃を乗り切ったホーリークロスは、本国へと帰還を果たしていた。
しかし、現状は大きく様変わりしており、その政治形態まで大きく変わっていた事に、艦のクルーを始め、タクマ達も動揺を隠せなかった。
と、いうのも、その背景には元中央軍部総統アルマンダインの大総統就任という大きなイベントが存在したからだ。
軍上層部の御歴々は、皆彼によって排除され、残ったのは全てアルマンダインお抱えの部下ばかりで構成された、新たな議会。
今や、その国の実権を握るのは、彼のアルマンダインに他ならなかった…。
【0021/01/01/08:15】
アルテミス/大総統執務室
広々とした赤絨毯の敷き詰められた一室。
高級家具や調度品の数々で飾られた飾り棚。
そして、壁に掛けられた有名画家の絵画と歴代の大総統の肖像画。
メイスの国旗と公国軍旗を側に、そこに新たに加えられた自身の顔を眺めるアルマンダイン。
背後には、マクシミリアンの姿も在った…。
「随分なクリスマスプレゼントだったようだね。…だが、それでも君達の帰還を心から嬉しく思うよ。マクシミリアン」
「有難う御座います。ですが、それが彼等を失脚させる要因となったのも事実。皮肉な話しです…」
マクシミリアンは鉄の仮面に影を落とし、そう呟くようにアルマンダインの言葉に答えた。
「腐った老人達に、この国を任せてはおけないからな。…とはいえ、その犠牲は余りに大き過ぎた…」
振り向いてそう語ったアルマンダインは、窓際に据えられた天然物の木製デスクを前に、大きな革張りのプレジデントチェアーへと腰を落ち着かせる。
そして、机の上に肘を着き、指を組んだ手の陰から見上げるような視線で、正面に立ったままのマクシミリアンに続けた。
「…君の予想通り、ヤツ等は火星を根城に選んだらしい」
「では、やはりラピスは…?」
「あぁ、カムフラージュであったと同時に、ゲートの情報収集がその目的だったのだろう…。相当な切れ者だよ、彼は」
疲れた表情でそう言い、組んでいた手を解いて、フゥ~っと溜め息を吐きながら背凭れに倒れ込むアルマンダイン。
「今の火星は、既に公国の手を離れていると考えるべきでしょうな…」
「そうだね。彼等は火星の民を蔑ろにし過ぎた。先の戦闘のゴタゴタからも、それは窺い知る事が出来るよ…」
火星の開拓民は元々公国の市民から選ばれた者達で構成されていた。
しかし、長年の間、政治からも引き離され、只働きを続けさせられて来た彼等には、もう忠義の心など微塵も残されていなかったのだろう。
その為、火星へと入り込んだドレインの打倒公国という思想に共感を抱き、その傘下に加わる事で、復讐を考えたに違いない。
そして、その情報操作にも手を貸し、公国軍諜報部は自体を見誤ったのだ。
「…と、なれば、次に我々が向かう先は…?」
「アレクタリアになるだろうね。…だが、知っての通り、現状ヤツ等の討伐に割ける戦力は多くない。君達だけでの特別任務という事になるだろうが…」
「承知しています。その為の、ホーリークロスですから」
マクシミリアンの答えに安堵したのか、アルマンダインは小さく微笑んだ。
「…ところで、彼はどしている?」
「やはり、彼女の件もあり、流石に動揺は抑えきれないようです。…しかし、良くやってくれています」
そう聞き、何処か嬉しそうにアルマンダインは続けた。
「このまま彼が、私の剣となってくれたなら、どれほど幸福だろうか…」
「では…遂に?」
「あぁ、そうなるだろうね…。だが、彼は頑張り過ぎる所があるからね。少しばかり、計画を早める必要がありそうだ」
そう言って、ジッとマクシミリアンの仮面の奥を見つめるアルマンダイン。
「了解しました。では、早々に…」
「あぁ、頼むよ」
敬礼し、部屋を出て行くマクシミリアン。
そして、閉められたそのドアを見つめ、彼が去った後の虚空に小さく語る。
「…そう。君だけが頼りだ。エド…」
マクシミリアンはそう呟き、口端を微かに吊り上げて笑んだ…。
【0021/01/01/10:25】
月面都市セレス/28番街
外では今も尚、熾烈なテロリストとの戦いが繰り広げられているというのに、ここはそう言った空気とは縁遠い雰囲気を醸し出していた。
立ち並ぶ商店街。行き交う人々の賑やかな笑い声。食べ物屋から溢れ、流れ出して来る食欲をそそる香り。
ここに暮らす人々の心は、満たされた生活に豊かな物なのだろう。
だが、その中に、ポツンと浮いた服装の少年と少女の姿は在った…。
「な、なぁ…、お前等さ、私服とか持ってないわけ?」
…と、苦笑を浮べてタクマとティリアに尋ねるベリオ。
「ティリア、アンタくらいの年頃なら、スカートの一つくらい用意しておいて損はないと思うよ?」
同様に、ヴァネッサも苦笑しながらティリアの服装に目をやっていた。
「そ、そんな常識は、オレには無いっ」
「…右に同じ…」
タクマとティリアは、二人揃って軍服に身を包んだまま通りを歩いていた。
そもそも、戦う事だけが存在意義だという彼等にとって、私服の着用など考え至る事さえなかったのだ。
「よし!帰ったら、アタシが何着かお気に入りを貸してやろうっ」
「いっ!?」
ヴァネッサは酷く嬉しそうに笑いながら、ティリアの肩を包むように抱いて言った。
しかし、それに驚いて引き攣った表情を浮べたベリオが、タクマに耳打ちする。
「(な、なんとかヴァネッサを引き離すんだ…。さもないと、ティリアがゴスロリ一色に包まれる事になるぞ!?)」
「ご、ゴ…スロリ…?なんだ?それは??」
キョトンとした顔でそう聞き返すタクマに、ベリオは声が大きいと腕をバタバタさせながらジェスチャーで答える。
しかし、ふと気がついて振り返ったベリオに、引き攣った笑顔のヴァネッサが睨みを効かせていた。
「…アタシがゴスロリ好きだと、何か不満でもあるのかい?ベリオ…」
「い、いや…別にそういうワケじゃ…っ」
「アタシにゃフリルなんぞ似合わんとでも言いたいのかっ!?ぁあんっ?どの口だ?どの口がそういう事をほざきやがるんですかっ!?」
「ま、まて!俺はそんな事、ひとっ言も言ってないぞっ!?」
ヴァネッサの額に浮き上がる筋。こうなっては、もう誰も彼女を止める術など持ち合わせていなかった。
「…処刑する…」
「お、俺は無実だっ!やめっ、ちょっとヴァネッサさん!?ひ、人前で何をっ!?いやぁぁぁぁーーーーーーっ!!」
商店街に響き渡る悲痛な叫び。
あんな事やこんな事を公衆の面前で惜し気も無く繰り返されたベリオは、そのまま機能を停止して真っ白に燃え尽きてしまっていた。
「…しかし、なんだねぇ…。休暇なんて、何年ぶりだろう」
商店街の一角。散々買い物を楽しんだ挙句に、四人はそのカフェテラスで、一時の休息を感受していた…。
「…で、ヴァネッサは、ホーリークロスに来るまで、何処に居たんだ?」
「火星のアレクタリアさ。そこで、警備の任務に着いていた。…まぁ、その実は、暴動を抑える為の抑止力だったんだろうな」
火星の実状を知らないタクマは、暴動という言葉に小首を傾げた。
「暴動…?」
「あそこはね、公国に見放された、ある種の牢獄みたいな場所なのさ。議会によって民間から抜擢された開拓民達は、新たな人民の安息の場所を切り開く為の尖兵だと甘い言葉に踊らされ、あの場所に放り込まれた。…けどね、ゲートなどなかった開拓当初は、悲惨なもんでね…。食料さえまともに与えられずに苦しい生活を強いられたんだよ。そのせいで、開拓作業も一向に進まず、遂には公国の議会も見捨てるような状況に陥った。…だが、最近になってゲートが普及し始めた事で、再び焦点を当てられるようになり、議会側も相当な額の援助を再開するようになった…。でも、そんな過去を持つ開拓民が、今更公国の為にと働く気になると思うかい?」
ヴァネッサは、四人で囲むように座った真っ白なテーブルに肘を掛け、その手に顎を乗せて、遠くを見つめるように話した。
「その上、アレクタリアからの出入りまで制限されちまった今じゃ、何時連中の気持ちが爆発したっておかしくない」
「…だから、暴動か…。身から出た錆だな」
「そうさね…」
それまでの明るい雰囲気は消え失せ、気付けば静けさの中に取り残されるヴァネッサとタクマ。
続く沈黙…。その中で、空気に似つかわしい静かな声が自然に割り込んだ。
「…ベリオ…、窒息…?」
「へ?」・「ん?」
二人同時にティリアの示す視線の先を覗き見た。
すると、そこには真っ白に燃え尽き、荷物の山に埋もれたベリオの姿だけがあった。
「ベ、ベリオッ!?」
「フッ…。死んだわね」
「人を勝手に殺すなっ!!」
がばっと荷物の山を押し崩し、飛び出すように立ち上がったベリオが額に青筋を浮べ、今にも爆発しそうな赤ら顔で怒鳴り散らした。
そんな彼を見て、チッと舌打ちをするヴァネッサと苦笑いを浮べるタクマ。
そして、静かな驚きから、ティリアは呟く。
「…生き返った…」
「だ・か・ら、死んでねぇーって!」
【0021/01/01/09:25】
火星開拓都市アレクタリア/地下工場群
嘗ての夢の跡…。
地下資源の採掘を目的に削り取られた大空洞は、その後の火星開拓民の命を繋ぐ為の食品生産ラインへと姿を変え、時の流れと共に無用の物となり果てて、今となってはゴミの集積場のような見る影も無い形へと変貌を遂げていた。
その奥深く。人気の無い静かなゴミ溜めに埋もれるように建つ、真新しい人工建造物が在った…。
ビルと呼ぶには背が低く、工場と呼ぶには広大過ぎる面積と背丈を持つそここそが、今の彼等の本拠地であった。
「どうかね?諸君。ここは、我々にとって打って付けの根城だとは思わないか?」
薄暗い、その建物の部屋の中。
三人の少年と、二人の少女を目の前に、二段ほど階段を登った少し高い床に立って語り掛けるドレイン。
「パパが言いたい事は良くわかるよ」
「あぁ、僕達ローゼンメイデンの新たな門出に相応しい場所だね、父さん」
「地獄の底に建つ万魔殿。終わりと新生を告げる神なる者の使徒…確かにね。マリスも、そう思うだろう?」
「…うん…」
同じ顔の三人の少年。それは、リィオとクルシェ、そして、更に弟のルインだった。そして、そのルインに寄り添うそっくりな顔の少女はマリスというらしい。
「ジメジメして気持ち悪い…。でも、人の革新を願うお父様なら、これも必然なのかしら…」
長い前髪の先をクルクルと指に巻き付けるように捻り、そう呟く少女はセツナ。
「でも、良かったの?守人の連中を切り捨てるようなマネまでして。兵力の差は否めないわよ?お父様」
「なぁに、心配はいらないさ。パパには、ちゃんと考えがあっての事なんだから」
「そうそう。捨て駒なんて、掃いて捨てる程いるんだから。…僕等の頭上にね」
そう言って、クルシェは天井を指差した。
「その通り。捨て駒など、腐るほど在るんです。それに、ルインとマリスのアスモデウスが調整も終わろうとしているこの状況下、今更捨て置いた所で、彼には何も出来やしませんからね…クッククク」
ドレインの言う「彼」とは、おそらく守人軍の将軍ラージェフの事だろう。
Xデーの惨劇で戦力の大半を失った彼は、もはやRW軍改め、RM(ローゼンメイデン)軍の中でも発言力を失ってしまっていた。
そして、遂にはこの地下基地「パンデモニゥム」内で、実質監禁状態にあった。
「おのれ、グレイス・ドレイン…。この私をこんな地下の黴臭い部屋に閉じ込めおって…」
ラージェフは数名の部下と共に、湿気が多く黴の臭いが充満した狭い一室に閉じ込められていた。
扉に鍵は掛けられていないが、部屋の外には数人の強化兵。並の人間に彼等の相手など務まる筈もなく、策も無しに出ようとすれば、瞬く間に取り押さえられてしまうに違いない。
これでは、監禁されているのと大差なかった。
「連中は、どうやらアスモデウスの最終調整に入った様子…。このままでは、公国所か、地球人類全てが危機に…」
「ヤツめ…まさか、ここまでやるとはな…」
「如何なさいますか?将軍」
取り巻きの部下に尋ねられ、ラージェフは頭を抱えた。
「…ええぃっ、私を謀り追って!決してこのままでは済まさぬぞっ」
その叫びが響く先で、静かに鼓動を打つ機械仕掛けの巨体。
まるで、生きているかのようなそれは、人の上半身と台座のような物体を取って着けたような、奇妙な形をしていた。
しかも、これまでの機械兵器とは違い、装甲は昆虫の甲殻にも似た材質で出来ており、関節には筋肉の組織のような、繊維状の物まで見え隠れしている。
これはもはや、機械ではなく生物といった方が正しいのかも知れない。
だが、その肩に記された刻印には、この兵器の名として「アスモデウス」と記されていた…。
【0021/01/03/10:30】
月面都市セレス/公国軍本部アルテミス/大総統執務室
休暇の終わりと同時に、執務室へと出頭を命じられたタクマとティリア等ホーリークロスの面々。
アルマンダインを目の前に、少し緊張した様子のクレイブは、エンデュミオンのクルー代表としてそこに立っていた。
同様に、ヴァネッサとベリオ。そして、マクシミリアンの姿もある。
全員が横一列に並び、一斉に敬礼すると、マクシミリアンが第一声を発した。
「特別遊撃部隊ホーリークロス。隊長マクシミリアン、及び、以下主要隊員、出頭致しました」
「ご苦労、楽にしてくれ」
「ハッ」
アルマンダインの一言で敬礼から開放された面々は、思い思いに楽な姿勢を取って立ち、次の言葉を待った。
「休暇明けで早々に済まないのだが、君達に次の任務を言い渡さなければならない」
そう言って、大総統の椅子から立ち上がるアルマンダイン。その雰囲気から、重要な話しである事は一目瞭然だった。
「これは、まだ公にされていないのだが、RW軍は名を新たにローゼンメイデンと変え、火星のアレクタリアに潜伏しているとの情報が確認された。…しかも、事態は最悪な方向に向かいつつある」
神妙な面持ちでそう語る彼の表情が、更に険しい物になる。
「先に潜伏と言ったが…、おそらく、既に火星圏は、彼等の手の内にあると見て間違いない」
…と、そこまで話したアルマンダインのセリフを遮り、突然ヴァネッサが声を上げた。
「ちょ…っ、お待ち下さい、閣下っ」
「ん…?」
ヴァネッサは酷く動揺した様子で、言葉を選ぶのにも苦労しているようだった。
「火星には、火星方面軍の第24TP小隊が駐留していた筈です。そう容易くテロリストなどにアレクタリアを明け渡すような事は…っ」
「君は………そうか。元同僚が、アレクタリアの駐留部隊に所属していたのだったな…」
そう言ったアルマンダインの表情が曇る。
「…第24TP小隊は…全滅したとの報告が入っている…」
「っ!?」
「済まない…。これは、私の責任でもあるな…」
「そんな…、まさかっ!あのエリオンが、そう簡単に死ぬワケがないっ!!」
アルマンダインへと詰め寄り、バンッとその机を両手で叩いて訴えるヴァネッサ。
その何時もの冷静な彼女からは想像も出来ない姿に、タクマ達も驚きを隠せなかった。
「ヴァネッサッ!」
「っ!………申し訳…ありません…」
マクシミリアンの一喝に驚き、自分の行為を再確認する彼女。だが、引き下がる足取りは重く、納得がいかない様子だった。
「…いや、もっと早く、彼等の行動に気付いていれば、君の同僚達を救う事が出来たかもしれん…。これは、私の責任だ。君の気が晴れるまで、どんな叱責も罵倒も、甘受しよう…」
「…ゥクッ、エリオン…ッ」
その場で泣き崩れるヴァネッサ。それは、彼女にとっての大切な人が戦死したという事の表れでもあった。
「…すんません…。コイツは、俺が…」
「頼む…」
指の隙間から流れ落ちる涙を拭い、ヴァネッサの肩を抱いて優しく抱き起こしたベリオがアルマンダインに目配りをすると、それにマクシミリアンが小さく答えた。
「…歩けるな?ヴァネッサ」
「…ぅ…うぅぅっ……………っ」
泣きながらも気丈に首を縦に振ったヴァネッサ。その彼女を連れ、ベリオはゆっくりと歩幅を併せ、執務室を出ていった。
「…言葉の配慮が足りなかった…。済まない、マクシミリアン…」
「いえ…。彼女に関しては、後で私の方から…」
「あぁ…」
そこで一度深呼吸し、再び厳しい表情で言葉を連ねるアルマンダイン。
「…知っている者もいるかも知れんが、現在の火星は、もはや公国の領土とは言い難い。…と、いうのが実状だ。前大総統と議会の杜撰な措置により、火星の開拓民達は公国に対して強い反感を抱いている。そして、そこを彼のグレイス・ドレインに利用されてしまった…」
「開拓民は、ドレイン側に就いたと…?」
「うむ。十中八九間違いない」
クレイブの言葉にそう答えて頷くアルマンダイン。
「先の一件も、火星の開拓民達が協力したからこそ可能な行動だった筈だ。…つまり、今や火星圏は、その全てが公国の敵だと見ていいだろう」
「…では、今回の任務は…」
「うむ。火星開拓都市アレクタリアの奪還だ」
ティリアは、やはり…といった感じで納得したように首を縦に振る。
「…望む所だ…っ」
突然、今まで静観し続けていたタクマが口走ったのは、そんな言葉だった。
鋭く怒りに満ち溢れた彼の目に、まるでアルマンダインまでも貫かれたような気分になる。
「真っ直ぐで淀みの無い目だ…心強いよ。イオリ特尉」
「酬いを…受けさせてやります」
目を見合わせるタクマ達。
だが、その決意の裏で、涙に暮れるヴァネッサは、一人で深い闇の中を彷徨っているような気分だった。
「どうして…独りで逝ってしまったんだ…。エリオン…ぅうっ…」
医務室の前で座り込み、もう動けなくなってしまったヴァネッサ。彼女が受けた衝撃は、気丈な彼女でさえも立ち上がれなくする程ものだった。
「ヴァネッサ…」
初めて見た彼女の涙。そんな彼女に何も出来ない自分が歯痒くて仕方が無かった。
ベリオは、ヴァネッサの傍らに立ち、どうにも出来ない二人の間の壁を前に、もがき苦しんでいるようだった。
「その…なんつうかさ…、今、俺が何言ったって、どうにもならないんだろうけど…」
慰めようと搾り出した言葉。しかし、ヴァネッサは思いも掛けない言葉でそれを遮った。
「…そう思うなら、放っておいてくれ…」
「け、けどよ…、その…お前には、そういう態度とか…似合わねぇっていうか…」
突き放そうとするヴァネッサに、押し負けまいと必死な思いで返した言葉だった。だが、今の彼女には、それさえも雑音にしか聞こえていなかった。
それまで俯いていた顔をガバッとあげ、キツイ目付きでベリオを睨み返すヴァネッサ。
「お前に何がわかるっ!?」
パンッ、と、廊下に響き渡るベリオの頬を打ったヴァネッサの平手の音。
「…つぅ…っ」
叩かれた衝撃で口の中を切ったのか、ベリオは口端から顎へと伝う血を親指の先で軽く拭った。
「アタシとエリオンは、お前なんかに理解出来る仲じゃ…っ」
再び手を上げ、ベリオを殴ろうと構えたヴァネッサ。しかし、次の瞬間、その手は彼によってつかみ止められて動かせなくなっていた。
「わからねぇよっ!」
「っ!?」
驚いたのは、ヴァネッサの方だった。
彼女の手を握ったまま、突然大声で怒鳴るベリオ。だが、その言葉とは裏腹に、彼の顔は深い寂しさに満ちていた。
「お前が好きだった男の事なんて、わからねぇっ!つぅか、わかりたくもねぇよっ!」
「………………………」
唖然とした様子のヴァネッサに、ベリオは言葉を続ける。
「どうして、俺じゃ支えてやれねぇっ!?どうして俺じゃ、お前を守ってやれねぇっ!?」
「…ベリオ…」
悔しそうに歯を食い縛り、ヴァネッサ以上に涙を溢れさせて、ベリオはそう言った。
「卑怯なのかも知れねェ…。こんな事言おうとしてる自分も許せねぇっ。けどよ…」
そこで一度言葉を飲み込み、ヴァネッサの見開かれた涙に溢れる瞳を見つめるベリオ。
「お前が辛い時…、誰よりも側に居て、誰よりも支えてやれる。そんな男になりてぇんだよ、俺はっ!!」
「っ!」
覆い被さるようにヴァネッサを抱き締めるベリオ。
その全てを包み、許してくれるような暖かな胸板に抱かれ、彼女は弱さを曝け出して行く。
「…ゴメン…なさい…」
再び溢れ出す涙を抑えきれず、ヴァネッサはベリオの軍服を濡らした。
「…いいんだ…。ほんの一瞬でもいい。お前の支えになってやれるなら…俺は…」
「ぅ…うぅぅ…、うああああああああぁーーーーーっ」
塞き止めていた感情のタガが外れ、悲しさや寂しさ、そして虚しさが一気に溢れ出した。
だが、それさえも全て抱き止め、ベリオは彼女の心に空いた大きな風穴を優しさで満たして行く。
そのまま過ぎ行く時間を無為な物としないように…。
【0021/01/10:00】
月面都市レイス/軍港発着場
短い休暇を終え、再び停泊するエンデュミオンの搭乗口に集結する面々。
その中には、何時もと変わらない、毅然とした表情のヴァネッサの姿があった。
「…いけるのか?ヴァネッサ」
そう尋ねるマクシミリアンに、彼女は平然とした顔で答えた。
「…自分には、まだ頼れる男が居るんだと、気付かされましたから…」
そう言って、振り向いた彼女の視線の先を目で追うと、そこには作業員に混じって補給品の搬送を手伝うベリオの姿が在った。
「フッ、そうか…」
敬礼をし、少し嬉しそうに頷き、その場を後にしたヴァネッサに、マクシミリアンは続けた。
「若さか…。いいものだな」
表情は仮面の下に隠れ、目にする事は出来ない。だが、何時も通りにベリオの尻を蹴り飛ばすヴァネッサと、それを見て苦笑するタクマやティリアを見ていると、何故か彼が微笑んでいるような気がしてならない。
…そして、再びエンデュミオンは飛び立つ。新たなる彼等の戦場。火星の開拓都市、アレクタリアへ…。
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