さまよいの記

さまよいの記

ちょっとまじめなハナシ2



あと十年
 どんなことであれ、私はそういうふうに思うようにしている。30歳になった時も、小説を書き始めた時も、今の職場に就職した時も同じように「あと十年、頑張ってみよう」「この十年頑張るしかない」と思い、続けている。それを毎日、毎時間持続させ続けるのは非常に難しいのだが、事に触れる度にそう思い、ウンウン唸っている。

 母が腎臓を患い、人工透析を始めたのは十五年前のことだ。
当時、私は右も左もわからぬ若造で、母の病気に対する認識も甘すぎた。そんな中で母が医者に宣告されたのは「透析を始めたら五年持てばいい」という言葉であった。母はそれを聞いてああ、五年しか持たないのか。そういうものなんだな。と思ったと言っていた。祖母もそれを聞いて自分より早く死ぬかもしれぬ娘の体に愕然とした思いであったはずだ。
「そんなもの医者は少なく見積もって言うに決まってるじゃないか。もっともっと長生きするんだよ。オレのコドモ見るまで死ぬわけがない」
 当時母が弱気な事をいう度に私はそうたしなめた。
 何度も死線をさまよい、その度に生還してきた母は気がつけば透析をして五年以上持った。五年を過ぎた時に母はもうあと十年以上は頑張れるかもしれないとある日ぽつりと話した。
 十年経ったとき、あと十年は生きていたい。母の願いはそうなっていた。 三年前に祖母を亡くし、そんな体で看病を続けた母は無理がたたり、今年亡くなった。十年前、必ず母を幸せに出来る一人前の男になるのだ。そう決意した私は結局、その間母の傍にいながらも、なんの役にも立たない励ましの言葉だけをかけていたように思う。
 医学の進歩があって母は十五年透析をしながらも生きながらえたのかもしれない。そう説明することはたやすいことだ。しかし、そこに私たちに見えない、母の決意と努力、そしてそれに縁した全てがそうさせていたのだと間近で見ていた私は強く感じる。

 あと十年。
 そういって五年で亡くなった母はそれでも他人の十年、否それ以上の人生を凝縮して生きたのかもしれない。
 そして今生きている私は三十歳に決意してもうすぐ三年。未だ何も築き上げていない自分に焦燥しながらも口の中で呟いてみせるのである。



© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: