幸せへの道。

幸せへの道。

「幸せへの道。」


■ 幸せへの道。


”幸せ”って、なんだろう…。 ずっと思っていた。

私は、周りの人から、「幸せそう」 「羨ましい」 と、言われる事がある。
24で結婚して、2人の子供にも恵まれて、マイホームも建てた。
結婚した人は、まあ高収入ではないにしても、毎月安定したお給料をもらえるサラリーマン。
子供達も順調に育っている。
オウチも、小さいけれど注文住宅でほぼ希望通りの家を建てて住んでいる。

そうね、幸せだよね、私って。
でも、待って? 本当に私って幸せな人なの?

だって、パパ(旦那)はパチンコ依存症だし。(今は止めてるけど、だからもう大丈夫、とは思えなかった。)
私はそれを支配する共依存だし。
子供達はこんな両親の元で育ってしまって、将来はアダルトチルドレン!?
(依存症の親の元で育った子供は、自分も依存症になるか、依存症の配偶者を持つ確立が高いそうです。)

普段は穏やかに暮らしていても、ふと考えると、とてもとても不安になる。
…私って、不幸な人なの…?

上を見たらキリがない。でも、下を見てもキリがない。
そう思えば、ウチの状況はまだマシ?
そう思えば、私って幸せ??

…違う。 幸せって、人と比べたりするものじゃない。

私が頑張ればいいのかな?
今の状況でも”幸せ”って、思えるように、欲を持たなければ良いのかな?
パパの依存症が治ったと信じられれば、私は幸せになれる?
本当の幸せって…?

そんな事をぐるぐる考えている時、 勇気づけのページ に出会い、アドラー心理学を知った。
凄い思想だと思った。

アドラー心理学では、幸福の条件として 自己受容・他者信頼・他者貢献 の3つをあげている。
私は最初の”自己受容”がまず出来ていなかった。

初詣の時、お願いする事は毎年同じだった。
願い事はひとつだけ。

”頑張れますように。”

いつでも頑張っていたかった。
何かに向かって頑張っている自分が好きだった。
でも、それが出来ない時の自分は、ダメだと思っていた。
他人から ”あなたはダメな人”と思われるのが怖かった。
だから、逃げてばかりいた。
自分に自信がなかった。
そんな自分は嫌いだった。

”私、頭悪いから。”

私の口癖だった。
本当に自分はバカだと思っていた。
(学校の成績は悪くなかったけれど、要領は悪いし、人の顔は覚えられないし…確かに良い頭とは言えなかった;;)
ある人から指摘されて気付いたのだけれど、私は誰かから期待されないように、自分から線を引いていたのかもしれない。
最初からバカだと思われていたほうが楽だった。
たぶん…。
だから、いつも笑顔でいようと思った。
それなら私にもできそうだったから。
バカにされても笑っていた。
笑っていれば幸せになれるような気がした。
でも、気が付いたら、自分の意見も言えない人になっていた。
いつも他人が羨ましかった。
そんな気がする。


そのような望ましい人間像は虚構のものであって、存在するのは、「今あるがままの自分」だけです。あるがままの私を好きにならずに、幸福になる事はできません。
「醜くても、美しくても、妬んでいても、嫉妬していても、いつもありのままの君でいて、それを理解する。〔しかし〕ありのままでいる事はとても困難です。なぜなら君は、ありのままは卑劣だし、ありのままを高尚なものに変えられさえしたならすばらしい、と考えるからです。〔そうではなくて〕実際のありのままを見つめて理解するなら、まさにその理解の中に変革があるのです。」(クリシュナムルティ)
( アドラー心理学入門~よりよい人間関係のために~ より)


”ありのままの自分を見つめて理解する”

とても心に響いた。

頑張っていなくても、要領が悪くても、いつも笑顔じゃなくても、他人が羨ましくても…それでも良いんだ。
そんな自分でも愛すべき存在なんだ。そう思えた。
とても困難な状況だったのに、開き直って自分の正しいと思う道に進んだら、意外と上手くいった事を思い出した。
そうだった。私はいままでそうやって生きてきた。
私は意外と逆境に強いかもしれない。
それに気づく事が出来た私は、きっと、幸せへの道を進む事が出来ると思う。
もしかしたら、私が1番恐れていた壁にぶつかるかもしれない。
それでも、何とか幸せにやっていける様な気がする。
もちろん、そんな事はきっとない、大丈夫、と、どこかで信じているのかもしれないけれど。

前を向いて歩こう。
ゆっくり、ゆっくり。 自分のペースで…。

(2005.12.17)




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