元・天津駐在員が送る中国ビジネス・エッセイ

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カテゴリ: 日本社会
以前から疑問をもっている <征韓論>
なかなか納得できる答えがでない。

どうも、水戸の国学。
吉田松陰、西郷隆盛と思想的なつながりがあるようなのであるが、その内容が釈然としない。

古代日本が朝鮮半島に支配権を持っていたと『古事記』・『日本書紀』に記述されていると唱えられており、こうしたことを論拠として朝鮮進出を唱え、尊王攘夷運動の政治的主張にも取り入れられた。

と説明されている事が多いが、出兵する理由が「古事記や日本書紀に朝鮮支配していた記述がある」だけとは思えない。
また、こういう説明しかないのが、不思議で仕方がない。

それに、西郷隆盛が辞任する「明治六年政変」。
これがまたよく分からない。

それまでの西郷隆盛の態度を見ていると、西郷自身は、ほとんど自己主張をしていないようである。
なぜ、征韓論(西郷は、遣韓論であったとも言われる)に固執したのであろう。
なにか、他に理由があるように思えるのである。

最近読んだ「征韓論政変の謎」には、大久保利通が西郷隆盛を政権中枢から引きずりおろす陰謀で有った可能性があると書かれている。そう考えると多少辻褄はあってくるのであるが、それでもまだまだ謎の部分が多すぎる。

征韓論政変の謎

その後に西南戦争が起こるのであるが、征韓論論争で下野するまでの西郷とそれ以後の西郷の人格がなんとなく一致しないのは、なぜなのだろう。私には、全くの別人格としか思えないのである。

その本の中に下記のような記述がある。



中略

それから20年たった明治44年5月に、ようやく文部省内に維新史料編纂会が開設された。

中略

史料編纂所の前身の修史局は明治8年に開設され、明治13年以降は、伊地知貞馨が副総裁として修史編集の責任者となった。

このことに関してお茶の水女子大学名誉教授で、幕末維新史について造詣が深い勝部真長氏は、次のような見方をされている。
「伊地知貞馨は大久保利通の腹臣であり、(略) 明治20年頃までに時の薩長政府に都合のよいように史料が書き換えられた形跡は皆無ではないのである。明治政府に都合のよい資料を、今日そのまま鵜呑みにする必要がどこに有ろう。「復古記」などについても明治以来資料批判が行われていないと言うことは、日本史学会の怠慢を示すものであろう。」


勝部真長氏は、先日読んだ「山岡鉄舟の武士道」 の編纂者である。





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Last updated  2008.12.22 22:21:15
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