不倫日記

不倫日記

2008.05.07
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 小学校に行かなあかん年頃には、西成にはおらんかった。もう少し南の東住吉区っていうところにおった。ここは西成に比べたら、全然、普通の上品な街やった。住宅地やな。そこでどう知り合ったか知らんけど、建設会社を興した社長の手伝いしとった。一応、安いけど給料はもらってたみたいや。せやけど、他の健康で屈強な男達とは扱いが違う。なんせ足が悪いから、まともには扱ってくれへん。
 ダンプもユンボも運転でけへんし、屋根にも上られへん重いもんも運ばれへん。
 もっぱら、ゴミの片付けや、賄い係やった。鶏を捌くのだけはうまかったから、大きな仕事をやりとげた後とかは、鶏を何羽も捌いてパーティーや。酒を飲んだら、酔っ払うのはみんな一緒で、けんかもするし、性質も悪かった。
 お父ちゃんはコブつきやったし、安い給料で雇われて、みんなからは蔑まれてた。
(片チンバ)って呼ばれてた。
 それが差別用語やって知ったのは道徳の時間やったけどな。
 東住吉区には一番南に大和川っちゅう汚い川が流れてた。大きいけど、汚い川やった。まあ、大阪の川なんて、そんな濁った色してるのが当たり前やったから汚いとは思ってなかったし、夏は平気で泳いでたけど、富山の川とは全然違うわ。
 今はどうか知らんけど、ずっと日本一汚い川のレッテルを貼られてたんとちゃうかな。
 その大和川沿いに養鶏所があって、どういうわけか鶏を買いに行くときは一緒に連れて行かされた。車の運転なんかでけへんから、当然、自転車に二人乗りや。あんまり覚えてないけど、この頃はもう、自分の自転車乗ってたかもしらへん。大量の鶏、自転車の前の籠には入らへんからな。

 薄暗くて、臭くて。生みたての卵を見るのは面白かったけど、お父ちゃんが鶏を選んで、養鶏所のおっちゃんがそれを首切り場に連れて行く。
 なんでか俺はその前に立たされて、それを見せられる。
 井戸のような四角い穴に、鉄の格子が嵌ってて、その上には水道の蛇口と何かをひっかける薄汚れた棒がある。
 暴れて、羽を巻き散らかして、甲高い声で泣き叫ぶ鶏は、麻のような紐で足を縛られ、逆さまに吊り上げられ、もう一端が棒に縛られる。
 逆さまになったところで、おっちゃんが鎌で鶏の首を切る。
 一瞬、大きな断末魔の悲鳴を上げ、血が飛び散るけど、うまいこと井戸の中に血飛沫が吸い込まれていく。
 丸々と肥った身体から血がどんどん抜かれていくと、なんだか身体がしぼんでいくようにも見えた。最初はまだ、小刻みに動いてるけど、だんだん、動きも鈍くなってきて、最後は動かへんようになる。
 首も、全部切り落としてくれればいいのに、半分くらいしか切らへんから、余計に残酷に思える。
 それが血抜きのシステムなんか、ただたんにお父ちゃんの料理は首も頭も食べるから、特別につながったままなんか知らんけど、二重にも三重にも見える鶏の瞼はとろんとしたまま、閉じてしまって、命が無くなってしまう。
 何でお父ちゃんはそういうものを俺に見せたがるんやろ、何で俺は逃げずにそういうものを直視するんやろ。
 怖いものと解っていながら。

 目を瞑れば逃げられるのに、映像は記憶と一緒に焼き付けられる。
 あの頃、お父ちゃんは俺に将来、調理師になって欲しかったみたいやから、そういうものに慣れさせたかったんかもしらん。
 けど、逆効果やったな。それがトラウマになってしもうて、今では、自分の切り傷の血を見るだけでも嫌やもん。それが、人の血やったら、倒れてしまうくらいやから、調理師なんてなられへん。
 さっき、小学生にあがる歳の頃ってゆうたんは。実は俺は小学校は一年の終りくらいから初めて行ったんや。
 それまで忘れてたんか、わざとかわからんけど、俺は小学校には行ってへんかった。義務教育やけど、一応、お金かかるからな。何か言われるまで無視しとこうと思ったんかも知らへんな。とにかく、時期が来ても小学校には行かんまま、俺はお父ちゃんの手伝いをしてた。

 その夏の日、大阪のずっと北にある田舎に、星田っていう場所があって。そこに処理場っていうか、その建設会社のごみ捨て場みたいなもんがあったんや。
 建設会社って言うても、家を建てたりするんじゃなくて、解体して資材を処理する専門のような会社やったみたいで、俺はお父ちゃんとその処理場に連れて行かれて、二週間くらい放置されたことがあった。
 かなり広い場所で、鉄板の柵で囲まれていて、ほとんどはごみの山やったけど、その端には小さなプレハブの小屋があって、そこに寝てた。
 今考えると、何で脱出でけへんかったんやろと思うけど、考えるには、お金が一銭もなかったか、最寄の駅までとてつもなく遠くて、足の悪いお父ちゃんには遠くて歩けへんかったか。
 二週間後に迎えに来てもらうまで、ほんまに動くことがでけへんかった。
 ほんまやったら小学一年生の夏休みや。
 けど、そこはお父ちゃんと二人ぼっちやったけど結構、楽しかったんや。
 何を食ってたんかはよう思い出されへんけど、周りは田んぼか畑ばっかりやったから、トマトとか胡瓜、あとは西瓜なんか盗んで食べてたような気がする。
 昼間はそこに住み着いてた野良犬と遊んだり、ちょっと歩けば、沼みたいなんがあって、ざりがにとかひっかけ釣りができた。
 ちょっとした軟禁状態やな。
 携帯電話なんかあらへんし、公衆電話もそんなになかった時代や。
 どこにも連絡とられへんで、お父ちゃんと俺はそこに捨てられとった。時折、ダンプがごみを捨てに来るけれど、それはお父ちゃんの会社とは関係のない会社のようで、ただ、お金を払って、ごみを捨てに来てたみたいや。
 そういう運転手に食いもんとかわけてもらってたんかもしらんな。
 トイレも風呂もあらへんかった。風呂は多分、ずっと入らへんかったんやろうし、トイレは大も小もかかわらず、そのへんでしとった。
 夜は裸電球一個。
 もう、田舎やったから。
 蚊だけやなく、蛾もカナブンもムカデも一緒になって、集まって来とった。
 蚊取り線香だけは何でかあったみたいで、そんなに苦しまずに寝れたけど、クーラーなんてないからな、暑くてたまらんかった。もちろんテレビもないし。
 せやけど何でか漫画はいっぱい置いてあって、ゲゲゲの鬼太郎とかが揃ってて、そこで全部読んだなあ。
 詳しい話は忘れたけど、鬼太郎の親が死んで、目ん玉が腐って落ちて、それが目玉親父になってしまうのが、幼心に強烈な話やった。
 ゲゲゲの鬼太郎だけやなく、他にも妖怪とかお化けの漫画ばっかりそこにはあって、お父ちゃんはわざとそれらを俺に読ませてるみたいやった。大人になってからわかったんやけど、それらの本はゲゲゲの鬼太郎やなくて、貸本専用に描かれた、墓場の鬼太郎っちゅうやつやったらしい。
 西成におるときは、まだまだ古本屋っちゅうより、貸本屋のほうが多かった。お父ちゃんに五円か十円か忘れたけど、小さなお金をもらって、借りに行った本も、お父ちゃんがそれにしろって言ったんか、自分で選んだのかしらんけど、怖い漫画ばっかりやったような気がする。
 せやから今でも妖怪のなんか、記事とかみたら、ふと思い出すんが星田での軟禁生活か、貸本屋で本を借りるシーンなんや。なんで欠貸本屋に行ったら、カレードッグみたいな食べ物が十円くらいで売っっとって、いつもそれが晩飯になってた。
 そんな暮らしもずっと続くわけもなく、人生はめまぐるしく変わって行った。
 近所の人もおかしいと思ったんか、誰が言ったんかしらんけど、役所から人がやってきて、義務教育やから俺を小学校に通わせなさいみたいなことを言いにきた。
 お父ちゃんは一年間違えとった、みたいなこと言ってごまかしてたけど、たぶん、わざとやろ。
 一年ももう終わりそうな頃に、俺は小学校に入った。
 周りは転校生と思ってくれたみたいで、結構、人気者やった。けど、(どこから来たん?)って言われてもうまく答えられへんかった。
 最初からおったし、そもそも転校とか学校とかよくわかれへんかった。
 友達も一気にできたし、住んでたのは文化住宅の二階。一階が会社の事務所で、二階が住み込みの部屋やった。本当は別々なんやけど、大家さんに言って、特別につなげたみたいやった。
 同じ並びにはけっこう子供達がいて、集団登校の班に入れられたら、学年関係なく、近所の子供付き合いが始まった。
 おかしなもんで、それまでもずっと住んでたのに、学校に行き始めたら友達になれるもんやった。ご飯も食わせてもらったし、海とか旅行も一緒に行くことができた。昔の近所付き合いってそんなもんやった。





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Last updated  2008.05.07 13:06:20
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