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2010年06月08日
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テーマ: 心の病(7246)
カテゴリ: カテゴリ未分類
久しぶりにパソコンから更新。

点滅するが、30分くらいで収まる。

今日はなんとか診察に行けた。
とりあえず現況を話し、また転職かも・・・、
最悪、東京に出なくちゃならないかも、という話をした。
「あなたのせいじゃないからねぇ・・・」と主治医は言っていた。
自立支援の証明書を忘れていっちゃったので、
保留により無料である。

とりあえずほっとする。

4週に1度のペースが6週に1度になってしまい。
まあ、ウツが軽症ならば、そゆことにもなるわいな~・・・
とか思いつつも・・・。

大学の頃、風邪ひいて38度熱があっても軽症扱いされ
(40度突破でようやく点滴)
ブヨの沢山いる学校だったので(畜産学部だもんで、大学の面積の過半は農地)
それにさされて足首が無くなるくらいぼんぼこぼんに腫れても軽症扱いで
保健管理センターの先生にこのくらいでくるなと諭され、
自分はつらくて医者に行っても、患者扱いされないんだと思ったり、
親にばれるのがいやだったので(当時は一人暮らし)


本当に自分的にどうしようもなくなるまで
精神科には意地でも行かなかった(やはり金もなかったし)

唯一、大学のある市のとある精神科の病院が主催していた
無料の自助グループには2年ほど参加して、
自分にはカウンセリング的な治療(とゆーか、愚痴吐き)が必要なんだと


大学にいて、クラスメイトとの差に、自分はこの仕事向いていないと思った。
思ったけれど、努力すればなんとかなるかもしれないと、一縷の望みをかけて
就職先に赴いたわけだけど、
内科も外科も眼科も皮膚科も歯科も
犬も猫も鳥もウサギもハムスターも診なくてはならない
というプレッシャーに、勉強しなければならないことのあまりの多さに
おしつぶされた。
大学にいる時点から文献が読めなくなってきていたが、
職場でもやはり読めず。覚えられず。
技術の方も、大学では臨床系の動物病院所属だったので、
後半3年間(獣医は6年制)他の研究室に所属していた人よりも
余計にやってきているのだけど、それでもまるでうまくいかなかった。
3年余計にやってるだけに、「まだこれから」と思うことができなかった。
自分は努力してもこの程度から進めないと思った。
(それは今も同じ)
院長(大学OB)が大変勉強熱心な方だったので、ついていくのが精一杯、
っていうかついていけたら辞めずにすんだんだけどね^^;
(患者さん的には心強い先生です。こうあらねばならないと思う)
そんなわけで、精神がいっぱいいっぱいになっていた。

家庭的には、両親の仲違いが最悪の状況になっていて、
母が(たぶん最初で最後なんだけど)出奔した。
それも落ち込みに拍車をかけた。
(2ヶ月しないで帰ってきたけど)

最初の職場を辞職する直前に、
カウンセリングを電話帳で探して行ってみたら、
専門外な感じのオバサンが先生だったし。
一度今と違う病院の門はたたいて、
先生の前でぼろぼろ泣きながら症状を訴えたら、
「とにかくあなたは疲れている」
といわれて薬を出された。たしかアナフラニールだった。

結局、薬を飲みきる前に爆発して
(わざと泥酔して手首切っただけですが。まだしらふでは手首切れなかった)
親兄弟と祖母に泣きながら症状を訴え
(そうでもしなければ、がんばりが足りないと一笑にふされるだけだと思ったから)
職場を辞めて、精神科に通う許可を得た。

手首切っても、特に精神科に回されないんだなあというのは
そのとき初めて知ったことですが。
初回だったからかなあ?
普通に外科でした。

やっぱり軽症扱いだなあと思ったので、
病院に初めて行ったとき(辞めた翌日である)は、やたらテンションが高く、
大学病院でもあったため、ずらりと見学の学生が居並ぶ中、
べらべらとしゃべりまくって、どこが病人だという感じ
(しかも、最初の最初に問診に当たったのが、高校時代の同期だったらしいが、
お互いよく知らない人だった)
辞めたばかりで軽躁だったのかも。
大学病院にしたのは、当時住んでいた家から一番近い病院だったからで、他意は全然ない。
紹介状ももたずに行きました。

その次の診察で主治医に初対面し、そのときにはボロ泣きだった。
しばらく週に1度の診察で、そのたびに
主治医の前に座るだけで噴水のように涙が出てきた。
もう獣医は辞めちゃったし、何もやりたいこともできることもなく、
抜け殻だった(ま、ニート時代の抜け殻よりはマシだったのだが)
やることなくなってしまい、早寝だったせいか、人生で初めて早起きになり、
朝5時に犬の散歩とかに行っていた(この頃のわんこはコロ)

1ヶ月ほどして心理検査を受けたら、
「自殺指数(?)が10中9です。今にも死にそうです」
と臨床心理士さんがあわてふためいて、
臨時で週1でカウンセリングを始めた。
それが9年だったか?続くとは思わなかった(主治医も)
同時に、作業療法もはじめ、週に2回から、そのうち毎日行くようになった。
作業療法の先生は少々変わっていて、作業というよりはおしゃべりに行く感じで
終わったあともよく相談に乗ってもらっていた。
そうすることで、主治医の前で噴水のように沸いていた涙が
ぴたりと止まったのは、興味深いことだった。

この頃の薬はセルシンか何かだったような。
職場で患者さんにも処方していた薬だったのだが、
気がつかなかったというトボケっぷりである。

そのうち、盲導犬協会の先輩からのお誘いで、
老犬ホームにボランティアに行くようになった。
当然、行ってるだけという感じ^^;
すんごいしんどかったなあと思うのは最近になってからで、
明らかに早まったようだ。
(周りはそうは見なかったですけどね)
体が全然動かず、少しでも嫌なことはできないようになったのを
知るのはこの頃。
セルシンがあまりに眠くなり、診察時に待合室で寝こけてしまい^^;
主治医が薬を変えたのも、この頃。
トフラニールだったように思うが、あまり薬で治ると思ってなかったので
薬を重要視してなくて、何飲んでたのか正確じゃない。
何しろ、先のこと考える気力はなかったので、
ホントに身の回りのことがどうでもよく、
死ぬことすらどうでもよかったのである。
でも、主治医の診察は4週に1回になっていた。

しばらくして、我が家にもようやくインターネットが開通し、
没入していくと同時に朝型だった生活が簡単に夜型に変わり、
犬の散歩も行かなくなって、生活が乱れ始める。

精神科通院を隠してバイトへの応募を初めてしたのはそのくらいだっただろうか?
看護予備校の事務バイトだったが、面接官が学歴に惹かれたらしく
3次面接まで行き、講師をやってくれ、毎日来てくれといわれたが
ウツあけでもあったし、人前でしゃべることが苦手だったし、
何しろ自分の無能ぶりに落胆していたので、とても人に教えることなどできないと
思っていた(実際。看護予備校なら高校レベルなので、私にはできないけど)
ため、なんとか事務で週2~3回の採用をと
主張したがどうしても通らず。
良い人材が来たとばかりに喜んでいる面接官に申し訳なさもきわまって、
ついに鬱病があるのだと言ってしまったら、
あれほど有頂天だった面接官の顔が、急にしぼんでしまったのが忘れられない。
当然、不採用だった。

それがウンのつき始めだったろうか。
以後、事務系のバイトにはどうしても通らず
臨床心理士さんに勧められ、親にお金出してもらって
専門学校に通い、医療事務の資格を取ったが、
経験がないので断られる日々。
(学校通うのは全然苦痛じゃなかった)
面接の人は皆、獣医師ほどの資格を持っていながらその道に行かない理由を不思議がり、
(そらそうだ)
根掘り葉掘り聞こうとし、苦し紛れの答えしか出せずにしどろもどろになり、
結局ウツを告白しなければならなくなった私に
「(国立大学だから)國にまでお金を出してもらっておきながら
バイトしかできないなんて事は許されない」
などと説教して追い返すのだった。
困り果てて、派遣会社に登録にも行ったが、
「3ヶ月でも経験があれば違ったんですけどね」
と言われてすげなくボツ。

今考えれば、最初から事務バイトを目指さず、
コンビニ店員くらいから始めれば良かったんですけどね^^;
そういう感覚が全然なくて。

薬はパキシル40mgに変わっていた・・・と思う。

唯一、何も聞かずに採用を決めてくれたのは、小中学生向けの教材会社で、
(アルバイト雑誌の募集には、仕事内容が書かれてなかったけどね)
そこで、子どもに勉強を教えることに目覚めた。
学生時代にも家庭教師のバイトはしていたし、楽しかった。

ちなみに、作業療法通いは、療法士さんの突然の退職によって、
急遽取りやめになってしまった。
ぢが工藤病院でもそんなことはあるのだ。

そのままそこに居座っても良かったのだが、上司と対立したり、
仕事のセクションを変えられたことで、
老衰したコロの介護もあって、
3年ほどで家庭教師と簡単な月1回の通信を発行するだけの仕事に代わり、
徐々に離れていった。






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最終更新日  2010年06月08日 16時46分51秒
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