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2012年06月05日
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一ヶ月ほど前に入門された方に、素朴な質問を投げかけられた。

「○○さんは、自分より大きな人に襲ってこられても大丈夫なんですか?」

白帯からすれば、稽古中の有段者は万能に見えるのだろう。

「ん~・・・その場になってみなければわかりません」

とぼくは正直に答えた。

夢を壊したくないので苦笑するのみであった。

思い返せば、5級だったか3級だったかをいただいた頃に、学生によるバスジャック事件が起きたのだが、そのニュースを観て、「自分がその場にいたら何かできたかもしれない」なんて考えたものだ。

なんとも恥ずかしいが。

さらに黒帯をいただいた頃には、大型スーパー内で凶器による乳児殺傷事件が起きたが、やはり「自分がその場にいたら・・・」と何らかの対応ができたのではないかと思った。

そんな自分に苦笑する。

では三段を允可された今ならどうか?

今がもっとも自信がない。

二段、三段と進むうち、そういう「もしもの時」の対応の自信はどんどん無くなっていった。

本当に「その場になってみなければわからない」のだ。

むしろ武道というのは、そういう場面に遭遇しないための修行ではないのかという思いが強くなっている。

人には「ちょっと嫌な予感がする」という場面がある。

その「嫌な予感」を受け取る精度を高める稽古をしているのではないか。

それがやがて「嫌な予感」さえもなくなり、無意識に安全な道を選ぶようになる、そのための修行。

選択肢が二つ以上あるとき、意識的に安全な方を選択するという段階から、選択肢そのものが一つしかない状態、つまり安全(最善)な道一つしか見えない状態になることが究極ではないか?

それともこれは武道とは関係ないのか??






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最終更新日  2012年06月05日 23時14分19秒
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