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神秘家の庵

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2009.01.18
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カテゴリ: 歴史・人物
写真の花は「紅梅」
紅梅

20世紀の実業家の言葉
「他人の利益を図らずして、自らの繁栄はありえない(吉田忠雄)」
 現在は、自分の利益ばかり追求している人だらけなので、世の中が壊れかけている。相手があるからこそ仕事が回るのであって、お互いの利益がなければ回らなくなる。周囲に与えた分だけ、自分に還ってくる。


直江兼続 3

 兼続は少年時代、上杉謙信の姉である綾に非凡な才能を見出され、景勝の小姓として取り立てられた。
 景勝の父長尾政影が不慮の事故で死んだ後、景勝は謙信に引き立てられて春日山へ移った。
 兼続も随従し、謙信から戦術を学び、精神的な薫陶を受けた。兼続がその生涯で貫き通した「義」と「愛」の心である。

 謙信には実子がなく、景勝派と影虎派の内乱が勃発した。
 翌年、影虎が自刃し、景勝は勝利し、越後最大の危機は去った。
 この御館の乱の時に軍事作戦を立案、指導したのが兼続だった。この時、兼続は弱冠二十歳だったが、それ以後、上杉家の政務、軍務、財務の全てを実質的に宰領する景勝を支えることになった。
 乱に勝利したとはいえ、景勝と兼続の前途は多難だった。論功行賞のもつれから、景勝の後見、直江信綱が城内で殺されるという事件が起こり、樋口姓を名乗っていた兼続は、信綱の未亡人と結婚して、直江姓を継ぐように君命を受けた。
 だが凶事は続発し、天下統一を目指す信長が、北陸への侵攻を再開し、その上、御館の乱の論功行賞に不満を持っていた新発田重家に謀反を起こさせた。
 信長の万全な上杉家包囲網の前に、上杉家は絶体絶命の窮地に陥ったが、天運は景勝、兼続に味方し、信長が本能寺で横死した。
 その後、兼続の勧めで景勝は羽柴秀吉の家臣として、従三位・参議となり、兼続は従五位下・山城守になった。
 その間、兼続は石田三成と親交を深めた。

 小田原の陣、文禄の役を経て、景勝が越後から会津へ移封された後、慶長の役の最中に秀吉が死んだ。
 秀吉亡き後、徳川家康が天下の覇権に策動し始めた。
 兼続は、家康の野望を粉砕すべく、石田三成と共謀して、家康討滅の策を練り上げた。

 その隙を狙った三成は、豊臣恩顧の大名たちを集めて、大阪城で兵を挙げたため、家康は急遽軍勢を西へ向けた。
つづく

フユアヤメ
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最終更新日  2009.01.18 10:19:47
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