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2005年05月26日
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テーマ: 吐息(401)
カテゴリ: Essay


 その蕨を手にして、わたしは遠く母との光景を思い浮かべていた。

 この季節は、母も近所に住んでいた叔母も山菜取りに余念がなかった。
 ワラビだのゼンマイだの蕗(フキ)だのが、山から消えるまで採り続けた。
 収穫したそれらは、田舎を思い続ける都会の親戚や知人に送るために、保存食用に干したり、せっせと佃煮にするのだった。
 当時のわたしは山の麓まで車で送り届けて、約束した時間に迎えに行くのが日課だった。
 あまりの収穫に我を忘れ、約束の時間になっても山から下りて来ないということはしょっちゅうで、わたしは何度となくやきもきさせられたものである。
 大きな袋を背中に背負った母と叔母は、いっこうに疲れを見せないばかりか、本当に嬉しそうな顔をして暮れかけた山から下りて来た。
 顔を見てほっと安堵するわたしの気持ちなど、二人は全く意に介していないようだった。


 わたしも何度か誘われて山に入ったことがあるけれど、道なき道を歩くので中々の強行軍であった。
 時には斜面を登る我々の目の前を、蛇も恐れて逃げ惑い、挙句の果てにはぴゅーっと頭上を飛んで行くというハプニングにも遭遇し、蛇が大の苦手なわたしなどは、それを機に送迎だけに思いとどまった。

 でも、どんなにぼろ布のように疲れ果てても、母は家に帰るやその収穫品を丁寧に手間隙かけて処理するのだった。
 重労働であったにもかかわらず、人に喜んでもらえるという母の無償の行為は、実はとてつもなく贅沢な無常の喜びだったのかもしれない、と今思う。
 誰かを喜ばせるため、喜んでもらうために一生懸命だった母の姿が、
 時々ふり向いてはにっこりと笑う母の少し曲がった背中が、手にした蕨の向こうに一瞬垣間見えた気がした。

 今夜は、蕨の卵とじだ。
 今度は娘達の嬉しそうな顔が浮かんだ。







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最終更新日  2005年05月26日 16時01分34秒 コメント(4) | コメントを書く
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