田舎のシルビアさんへ

自殺者の多数が60代以上で、しかも男性と言います。
きっと当人にとっては、この1年間生きてきたこと、それ自体が大変なことだったんでしょうねぇ。
何かシグナルはなかったんでしょうかねぇ。
仮設住宅での老人の孤独死が問題になっていますが、多くのことを喪失して精神的な空洞化した方々を支える精神的なケアを、もっと本格的にやっていかなければいけないのでしょう。 (2012年05月31日 06時50分08秒)

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2012年05月28日
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カテゴリ: 里山での読書

自死に追い込まれた人たち

今朝、浪江から避難していた人が一時帰宅して自宅の倉庫で自殺したという報道をきいた。福島県下だけで地震と原発事故による何人目の犠牲者だろう。

今、「いのちの電話 福島」主催の公開講座に参加している。電話相談員養成の前置き的な講座だが、自殺を思う人の余りに重たい心の揺らぎを考えたとき、自分がそうした相談に正面から向かい合うことはとてもできるとは思えない。全国で年間3万人を超える自殺者がいると新聞で読んだことがある。何とも痛ましい。何故、人は死を選択するのだろう。それを知りたいと思った。

江藤淳の『妻と私』を読んだ。江藤淳については村上龍が『限りなき透明に近いブルー』(1976年)で芥川賞を受賞した時に確か「トータルカルチャーとサブカルチャー」という切り口で受賞作はサブカルチャーでしかないという解りやすい、スカッとした酷評に共感したことを憶えている。ところが、それから二十何年後だろうか、江藤淳が自死したということをニュースで知った。あれだけしっかりとモノいう人、世論に安く迎合しない文言批評家でも自死を選ぶのかと何か鮮烈な印象が残った。

img319.jpg

今回の公開講座を聴講するにあたって江藤淳の自死について思い出し、晩年の作品『妻と私』を読んでみたいと思った。同じような辛い体験をし、苦しみ、悶えた人、その中で、ある人は自死の淵に追い込まれ、ある人はとどまる。この違いは何なのだろう。

『妻と私』の中の 「いったん死の時間に深く浸り、そこに一人残されてまだ生きている人間ほど、絶望的なものはない。家内の生命が尽きていない限りは、命の尽きるそのときまで一緒にいる、決して家内を一人ぼっちにはしない、という明瞭な目標があったのに、家内が逝ってしまった今となっては、そんな目標などどこにもありはしない。ただ私だけの死の時間が、私の心身を捕え、意味のない死に向かって刻一刻と私を追い込んでいくのである」 という一節に、江藤にとって長年連れ添った最愛の人の喪失感がいかばかりであったかを知ることができる。正直、体験してみないと窺い知ることができないくらい、何とも大きいなことであったに相違ないと思う。

だが、この喪失感だけで人は自死に追い込まれるものだろうか。それプラス何かがあって、複合的な要因が自死にいざなうのだろうか。その辺りを知りたい。手がかりになるかどうかわからないが、『江藤淳という人』(新潮社 福田和也) 『江藤淳』(慶応義塾大学出版会 田中和生) を読み始めた。『幼年時代』(文芸春秋 江藤淳)を図書館に予約した。これが一番が核心に触れているような気がする。次回4回目の公開講座は、高齢者と日々、接している特別養護老人ホームの施設長が講師だ。何かヒントを得ることができるかもしれない。






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最終更新日  2012年05月29日 05時54分50秒
コメント(11) | コメントを書く
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Re:また犠牲者が(05/28)  
mini2007  さん
やはり、先の見えない生活に絶望してしまうのでしょうか?
奥様もいるのですから頑張って欲しかったです。
やるべき仕事があれば、気がまぎれたのではとは思いますが。当事者でないと解らない事もあるのでしょうが、残念です。 (2012年05月29日 16時48分45秒)

Re:また犠牲者が(05/28)  
震災から1年以上が過ぎても、犠牲者が増えていくことが辛いですね。

よく“死ぬ勇気があったら生きられるんじゃないか”と言う事が話しの中で出てきますが、やはりコレは人事だから簡単に口に出来るんでしょうね。
いざ自分がその立場に立った時、生きる事と死ぬことどちらを選択するんでしょうか・・・。
絶望や悲しみが大きければ大きい程、生きて行くのが辛いのでしょう。

まだまだ終わりの見えない戦いが続く事が悲しいですね。 (2012年05月29日 20時10分31秒)

Re:また犠牲者が(05/28)  
秋田は自殺率全国一とずっとなっています。
ここ数年、あれこれの対策が講じられていますが、いくらかでも結果に結びついてきている、という報道があります。

生きたくても生きられない人、死にたくても死ねない人、それでも確実に最後にはだれもが行きつく死の問題。
年齢を重ねていくうちにつらいことが多くなってくると突然そこから逃げたくなることがあります。
希望も何も見出せなくなってしまった時、ふと襲われてしまう闇にも思えることがあります。

こちらの新聞にも載っておりました。 (2012年05月29日 21時04分19秒)

Re:また犠牲者が(05/28)  
一年が経ち、どうにも希望を見出せなかったのでしょうか・・
悲しい、重い問題ですね。 (2012年05月30日 06時03分51秒)

Re[1]:また犠牲者が(05/28)  
donjoyo  さん
mini2007さんへ

生きる支えと言うか、張りというか、それによって、これまで自然に流れていた日々が急激に変化して、それに気持ちが付いていけなかったのでしょうか。
先が見えない、見通しがたたない、それも大きかったでしょうね。
一年間、生きてきたこと、それ自体が当人にはスゴイ頑張りだったんではないでしょうか。
解るような気がします。
(2012年05月31日 06時05分27秒)

Re[1]:また犠牲者が(05/28)  
donjoyo  さん
なべちゃん88さんへ

この一年何だったんでしょうねぇ。
原発の再稼働がまことしやかな理屈をつけて行われようとしています。
実際に被害を受けた人間でないと分からないとすれば人間はなんて浅はかなんでしょうねぇ。

おっしゃる通りかもしれません。死ぬときにはきっと勇気を入らないくらいに追い込まれているんじゃないでしょうか。
でも最後の最後に、ふと生きるということについて、つらいこともあるけれど楽しい
こともあったんだと、もう一度考えることができるといいですね。
でも、きっと気持ちは死ぬことに占領されているんでしょうかねぇ。 (2012年05月31日 06時17分05秒)

Re[1]:また犠牲者が(05/28)  
donjoyo  さん
もっちんママさんへ

講演会で頂いた全国統計を見ましたら確かに秋田は3番目と高いですが、22,23年度は山梨がトップでした。
きっと自殺予防の対策が功を奏したのかもしれませんね。

志望の動機や原因としては圧倒的に健康問題が多く、しかも
男性が女性の倍以上と言うのも興味がそそられます。
男って弱いんですねぇ。
女性は最後の踏ん張りがありますね。それは男性以上に子どもへの母親としての強い愛情が根底にあるんでしょうかねぇ。
最近の顕著な特徴として就活に失敗して自殺する若者が4年で2.5倍というのも現代社のゆがみを反映しているんですね。
生きたくても生きられない人の存在を考えると自死というのは何ともやるせない気がしますが、追い込まれた人には理屈では越えられないことなのかもしれません。 (2012年05月31日 06時42分43秒)

Re[1]:また犠牲者が(05/28)  
donjoyo  さん

Re:また犠牲者が(05/28)  
デンエン さん
私が今、学習している歎異抄講座の中村先生(同朋大学院の教授で養連寺住職)の長女の方が、子供一人を残して30歳前に大量のうつ病薬を飲んで自死されているんですね。中村先生は、親として、なぜ、子供が自殺に追い込まれたのか、どうして自分たちが、手を差し伸べることができなかったのか、日々悶々とされる心の状態を中村先生から講演で直接聞く機会もあって、「歎異抄講座」に通っている次第です。
 自死家族を支援する会が名古屋にあって2回程参加したことがあります。率直に言って、雰囲気は非常に重たいですね。グループ討論で、ある方は、両親共自殺されている話を聞いて大変複雑な気持ちになりました。
 自死問題では、若者・働き盛りと併せて、老人の自殺者もかなり高いですね。体がだんだんと弱り、出来たことができなくなる、病気への不安・苦痛、伴侶や近親者が亡くなり、孤立感の深まり、自分のしたいことがなくなる等、年を重ねる程、命を絶ちたい気持ちは何となく理解できるような気がします。
 そうした気持ちに支配されないようにするには、「歌って、踊って、笑って、祈って生きる」ことは、一つの処方箋のような気がします。
歌っては、7月に歌声のつどいがあり参加予定。踊っては、子供が、ダンスをやっているので、今度戻った時には、少し簡単なものを教えてもらおうかなと思ったりしています。 
(2012年06月20日 20時34分27秒)

Re[1]:また犠牲者が(05/28)  
donjoyo  さん
デンエンさんへ 

「歎異抄講座」ですかぁ。そういう機会があるなんてなんて素敵なんでしょう。
この歳になると宗教がとても身近に感じるようになりました。
といって何々宗教と言う具体的なモノではないのですが…

今、江藤淳の最後の評論『漱石とその時代 第五部』を読んでいます。以前、デンエンさんが漱石を読み返していたのを思い出しだしました。この歳になっての漱石の作品を読み返したい気持ちが解るような気がします。
さて後1冊で江藤淳に関しての一連の作品を読み終えます。若くして亡くした母親の喪失感を抱き続けてきた彼にとって、配偶者の存在は母的な存在だったのかもしれないなぁと思いました。しかも子どもがいない夫婦だけの身近と言う以上に一体的な関係、仕事への一番の理解者でありパートナー的な存在であった妻を失った喪失感の大きさは測り知れないものであったと思われます。私も今年は母親の7回忌です。母親の存在って大きかった。連れ合いを大切にしたいと思います。

(2012年06月22日 06時47分35秒)

Re:また犠牲者が(05/28)  
デンエン さん
江藤淳に関してもまとめて読んでいるんですね。僕はこの頃は暑さが体に応えて中々読書は進みません。江藤淳は漱石に関してはどんな評価しているのですか。一言ではむずかしいでしょうが。漱石が、現在生きていたらどんな活動するのか、どんな発言するのか、創造を巡らせることもいいかなと思います。
この頃、知識人(専門家)の役割について時々考えます。
内田樹の話を聞いた時には、塾を開いて参加者と対話を重ねているとの事。鷲田清一の話を聞いた時には、この秋から高校生を対象とした塾を開催するとの話でした。
今の時代、すべての年代の人たちがとても生きにくい時代になっている中で、各地で対話・コミニュケーションの場が求められているような気がしています。
話は変わりますが、映画「一枚のはがき」(新藤兼人監督)はみましたか。この8月25日に、自主上映会をやります。
僕は、今回は、実行委員のメンバーに入っていませんが、町内会へ、映画上映の案内をつくり、回覧準備の手配を整えました。
新藤兼人監督は反戦・平和の人というイメージが強いのですが、僕は、せりふなしの「裸の島」がとても印象に残っています。 (2012年07月10日 20時52分19秒)

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