ポプリローズフィールド From 真名 耀子

ポプリローズフィールド From 真名 耀子

目的地までのプラン





 肉か魚か、いつもこれで迷う。

自分が何を食べたいムードなのかさえも分からない。

 基本的に、さっぱりを好むのならばサカナ、と答えるのだろう。がっつり食

べたいときはニク、と答えるのだろう。

がっつりと、さっぱり食べたいときは、どうしたらいいのだろう。大した悩み

ではないのだが、少しずつ迫り来る決断の時にいつも口が勝手に答えてくれる

ことを期待してしまう。脳より口が先に動く。これは一つの特技だろうか。災

いとなるときもあるが。

 お腹が空いているわけでもないのに、配れるもんだから、食事の時間という

わけだ。

 フライトアテンダントが、乗客の好みを聞いてはトレーを配る。

ギャレーが段々近づいてきた。私はエコノミーシートの窓際の席でブランケッ

トに包まり、目一杯リクライニングしていたシートをファーストポジションに

戻した。

「どっちにします?」

 聞いてきたのはフライトアテンダントではない、隣に座った男だ。

「え? なんで」

 思ったことをそのまま返してしまった。

 なんであなたが、私にそんなこと聞くの? 関係ある? のニュアンスがた

っぷり染み込んだレスポンスだった。

「奥にいるから、言いづらいかな、と思って。一緒に言ってあげますよ」

 私はエコノミーシートの3席並んだ一番奥の窓際に座っている。確かに通路

からは遠い。私の警戒心たっぷりなレスポンスに臆することなく、隣の男はに

こやかだった。

「結構です。自分で言えます」

 自分の大人気ない態度に恥じたが、じゃあお願いします、と切り替えるほど

の度量はなく、構わないでよ的な態度を貫いた。

「遠慮しないで。あ、そうだ飲み物は何にします?」

 私の冷ややかな態度と言葉にも頑として揺るがず、やはりにこやかに言っ

た。

 どうせなら、通路側の席にもう一人いるんだから、その人に3人分頼んじゃ

えばいいじゃん! 私は隣の男の向こう側に座っている乗客を見た。そういえ

ば、離陸してから首をがたんと前に倒し、熟睡している。

「あ、こっちはボクの同僚。出張なんですよ。しょっちゅう乗るもんだから、

狭いところで寝るのも慣れちゃってね。普段睡眠が取れない分、こいつはいつ

もこう。気にしないで」

 そう言うと「あなたは? あなたはお一人でどちらへなんの御用で?」と聞

きた気な視線を感じたが、私は気が付かないフリをした。

 ギャレーが私たちの席の横に着き、前列の乗客が食事のチョイスを聞かれて

いる。隣の男は、「さあ!」と言わんばかりの笑顔を私に向ける。そもそもそ

の「さあ!」というような笑顔を向けるはずべき人物はフライトアテンダント

じゃないのか? が、その乗務員は事務的にガシャガシャと業務を行うのみで

笑顔などはなかった。

「じゃあ、おニクを」

「え?」

「ですから、おニクを。それからコーラ」

 私はがっつり系にする、と心に決めた。せっかく答えているのに隣の男は要

領を得ない顔だった。

「ミートソーススパゲッティと、かじきのグリルらしいんですけど、おニクに

近いのはスパゲッティかな? それとも・・・魚? これも一応魚のおニクと

言えるのかな」

 脱力感が襲った。やはり好意に乗るべきではなかった。恥ずかしさでいっぱ

いになったところで、食欲は失せた。残すところ10時間のフライト時間。電

車だったら、違う車両にでも何食わぬ顔して移りたいが、そうはいかない。

 私は大人しく、スパゲッティを食べ、コーラを飲んだ。そして、寝ることに

努めた。

 一人でいることには慣れているはずだが、一人旅増してや国際線に十何時間

も乗って旅をするなんてことは初めてだった。

この旅は応募したことも忘れていた懸賞の見事1等でもらったペア旅行券だっ

た。だが、ペアと言っても行く人がいない。家族は温泉だったら行くといい、

女友達もタダだっていうのに、仕事だ、デートだ、とことごとく振られてしま

った。

 辞退しようかと思ったが、映画の試写会すら当たったことがない私が、ヨー

ロッパ3都市を巡る8日間の旅だ。行かない手はない。ペアで行くはずのもの

に、一人で行く、というのはなんとも侘しいものだ。空席になるはずだった席

に人がいる、というのを吉ととるか凶と取るか。

 隣に乗客がいても、私の侘しさはそのままに、煩わしさまでもが募った。

一緒に旅行してくれる恋人がいればどんなにいいだろう、と思う。こんな侘し

さ煩わしさなど感じることなどなかったのに。


 ちゃんと付き合った男は一人しかいない。二十歳の時だ。遅いスタートだっ

たと思う。その人は青少年という言葉がぴったりの一つ年上の先輩だった。

私の“初めての日”は彼が学生ローンで買った中古車が入庫された日だった。

彼は得意気に「きみを最初に乗せる約束だったよね」と言い、助手席のドアを

開けて私を乗せた。

「そうだったけ? 約束したっけ?」助手席に身を落としたときそう言った

が、彼はその言葉を聞く前に運転席に回ったから、運よく聞かなかったと思

う。

「目的地は着いてからのお楽しみ」自慢げな彼の横顔だった。青少年が運転す

る車は予定調和のごとく海辺のホテルに着いた。

「きみが好きだよ」という青少年らしい言葉を皮切りに、私たちはベッドに倒

れこんだ。

 シナリオのように進んだ一日で、彼がどのくらい前からこの晩をプロデュー

スしたんだろう、と思うと私は今行っている行為が自分に起きていることとは

別物で、セックスの間中自分を俯瞰から眺めているようにしか感じることが出

来なかった。  

 こんなもんなんだ・・・

それが正直な感想だ。青少年の締めの言葉はこれまた青少年らしく「ありがと

う」だった。「ありがとう」と言われるようなことを私はしたんだ。返す言葉

に私は困った。でも何か返さなくてはいけない。私は「どういたしまして」と

返した。

 その答えは青少年は期待していなかっただろう。恥らう私を期待していたの

か、それとも「私こそありがとう」だろうか。いや、違う。きっとこういうの

が良かったのだ。

「私、今日のこと忘れないわ」

 確かに私はこの日を忘れてはいない。青少年は、ホテルのチェックアウトの

時もスマートにしたかったらしく、私にお金を払うところを見せようとしなか

った。

「先に車乗って待ってて」と言ってキーを渡した。私は地下駐車場へ行き、ド

アを開け、助手席に座った。

実際はほんの短い待ち時間のはずなのだが、ただ黙って乗って待っているので

は脳がないようにも感じられ、音楽でも聞きながら、待つことにでもします

か、とエンジンを掛けた。

 CDを掛けようと、あちこちいじっていたら、なぜだか車がゆっくりと動き始

めた。

「え? え?」

 どうしてだか分からない。目の前にはコンクリートの柱がある。あと1cm

でぶつかる!と思ってブレーキを踏もうとしても助手席にいるもんだからどう

しようもない。車は静かに柱にぶつかった。カシャン小さな音がした。

 サイドミラーに青少年が戻って来たのが見えた。まだ惨事に気が付いていな

いようだ。私から何か弁解の言葉を、とドアを思い切りよく開けて外に出た。

助手席のドアが隣の車にぶつかった。

 青少年は駐車があまり上手くなかったせいにしてはいけない。所有した次の

日に愛車のヘッドランプが割れたのも、助手席のドアを傷つけたのも、隣の車

の修理代を被ったのも、保険料が高くなったのも、私のせいだ。

青少年は会話ベタでドジで疫病神のような私を愛してくれた。

なのに、私は彼が何故私を愛してくれているのか分からない。どこがいいのか

聞いてみたことがある。青少年はこう返した。

「彼女なんだから、好きなのは当たり前じゃないか」

 じゃあ、私はこう返すべきだったのだろうか。

「私ったらバカなことを聞いたわ。彼氏のあなたを私が愛するのも当たり前よ

ね」

 これは一体何が出来上がる鋳造なんだ。型に流せば出来上がり? 私は彼女

と名乗っていれば、彼のシナリオを崩そうとも、彼の車をへこませようとも、

穏やかな反応しか返さない彼に本音を聞きたかった。

「彼女だったら誰でもいいの? もう一度聞くけど私のどこが好き?」

 私は青少年に問いかけた。

「あははは。困ったな。どうしたの? ぼくがきみを好きだ、というだけじゃ

だめなの?」

 彼のシナリオは用意されてなかったようで、彼は困っていた。


きっとこうしたかったのだろう。「ばかだな~、心配して。好きだって言って

るじゃないか」と言いながら頭を軽くコツン、とか。私はだんだん寒くなって

きた。

「だめなの。あなたのこと私、もうだめなの。お決まりのセリフしか言わない

サイボーグみたいでバカみたい」

 ちなみに彼は秀才の類だ。バカだなんて言われたことないだろう。彼は黙っ

てしまった。黙って泣いてしまった。私は悪いことをしたと思い、心から詫び

た。

「ごめんなさい。期待通りの彼女になれなくて。でもあなたにはもっともっと

相応しい人がいるはずだし、私たち合わないんじゃないかしら」


「きみが言っていることは正しい」

 私は彼から正解をもらい、別れた。

私は青少年と別れて、これからはもっと刺激的な恋するぞー、と意気込んでみ

たものの、ときめきを感じるような出会いには巡り合えなかった。

しんと寝静まった異性関係の始まりだった。寝静まったまま、あっという間に

8年が経ってしまった。8年が経っても、私の人生で唯一の彼氏は青少年であ

る。普通は8年なんてそう簡単に過ぎるものじゃない。

 友達の紹介も受けた。社会人サークルなんてものにも顔を出した。ネットで

知り合った人とも交流を広げた。職場の独身仲間と合コンだってした。同窓会

だって、着飾って出かけたし、ご祝儀貧乏になっても披露宴の出席率は10

0%を保っている。

 私は始めて気づいた。出会う、ということが特別であることを、増してや人

に愛されるということは当たり前でもなんでもないことを。

 なんでこんな当たり前に気付かなかったんだろう。愛し合う相手がいること

はまるで奇跡に近いことなのに。

 彼女だから愛するのは当たり前だ、と言った青少年の言ってくれたシナリオ

にあるセリフなど今や異次元の話だ。


あれはありがたい言葉だったのだろうか。私は聞き終わると同時にフタをして

二度と見ようとしなかった。


 出会いなんてどこに転がっているというのだろう。出会いを求めているうち

に、だんだん理想が高くなる。

自分のことを棚に上げて、高望みしてしまう。紹介を受けるたび、合コンに行

くたび、今回こそは、今回こそは、を繰り返す。結果、今回も違った、を迎え

る。

 それなのに、私は中々認めることが出来なかった。いや、どこかにいるはず

だ。どこかに必ずぴったりの刺激的さんが待ってるに違いない。


 唯一、人生で付き合った青少年の夢をうなされる様に見た。

 目が覚めると機内は暗く、ウィンドウのスクリーンはいつの間にか閉められ

ていた。隣の男を見ると、アイマスクとネックピローをしてブランケットを口

元まで上げて寝ていた。隣の男のさらにお隣を見るとまったく同じ格好をして

寝ている。私は通路側の男の寝ている姿しか見ていない。よく寝る男だ。

尿意をもよおしたので、二人のブランケットに包まれた足を跨いでなんとか通

路に出た。

 体が随分なまってしまった。周りの乗客を見事に全員寝ているようだ。


私は首をぐるんと4往復回し、両足のアキレス腱をよく伸ばし、屈伸を数回

た。手を組んでぐーんと上のほうまで伸びをし、それが終わると、手を腰に当

て大きく反った。そして両肩をあごの位置まで上げ首をすくめるようにして、

しばらくしてから肩をストンと下ろす、という動作をしながら、トイレまで歩

いた。トイレから出ると、右手を前方方向へ大きく回し、同時に左手を後方へ

大きく回すという運動をしながら、通路を戻った。

 また二人を跨がなきゃいけないのは嫌気が差すが、起きているときに詫びて

通路に出るよりもいいだろう、と席まで来ると私の隣の男、つまり3列に並ん

だ席の真ん中の男が、小さなモニターで映画を見ていた。

「ひっ」

 思わず小さく悲鳴を上げた。熟睡してたんじゃなかったの? 

「あ、戻りましたね」

 男はそういうと、足を膝に抱え込んだ。私は会釈して、相変わらず寝ている

通路側の男の足を跨いでから隣の男の空けてくれたスペースに足を踏み込み、

元いた窓際の席に落ち着いた。

「映画おもしろいですよ。ヘッドフォン前のシートのポケットに入ってます

よ」

 言われなくても分かる。さっきまで寝ていた癖に、映画がおもしろいなどと

いい加減なやつだ。私は、隣の男を心の中で<お節介且ついい加減>と名づけ

た。通路側の男はいつ見ても寝ているから眠り姫といいたいところだが、男な

ので<眠り王子>とした。

 私は<お節介且ついい加減>に結構ですので、というようなやわらなか会釈

を何とか返し、寝ます!の宣言の明かしとして、アイマスクをつけ、寄せられ

るだけ窓際に体を寄せた。そしてほんの数秒後に「寝ごと言ってたよ」という

言葉を背中で聞きとった。

「え?!」

<お節介且ついい加減>のその言葉に私はアイマスクを引っ剥がし、振り返っ

て反応した。

 振り返った先に4つのまん丸な目があった。<お節介且ついい加減>と<眠

り王子>の目だった。

「寝ごと言ってたよ」は<お節介且ついい加減>が<眠り王子>に言った言葉

で、青少年の夢を見ていた私に向けられていたのではなかったことがまん丸な

4つの目を見てすぐに分かった。

 私は二つのことに動揺した。

明らかに勘違いのオーバーリアクションをしたこと。

それから、初めて見た<眠り王子>の開いた目に吸い込まれそうになったこと

に。

「うるさかったですか?」

<眠り王子>の問いに、首をブンブンと振った。

「あーよかった」

 この8年間私が男に合格点を与えたことはなかった。だが、私の中の非常ベ

ルが鳴っている。そう、これは非常事態だ。一目惚れだ。

私は次になんと言おうか、脳を絞ったが、うまい言葉が見つからない。弾む会

話が見当たらない。

 どんな夢見ていたのか聞いてみようかな、と<眠り王子>に視線を投げる

と、<お節介且ついい加減>が自分を見たのかと思ったのか「この映画ね、実

は別のフライトで見てたんですよ。なんせ出張が多いものでして。大方のあら

すじ教えてあげましょうか?」といらないことを言い始めた。

<眠り王子>と近づくためには、<お節介且ついい加減>と仲良くするプラン

Aにするか、眠らせて黙らせるプランBにすべきか、悩んだ。目的地にはまだ遠

い。




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