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ポプリローズフィールド From 真名 耀子
だめな理由
「だめな理由」
昨日デートに誘われた。
私が好きだといつもアピールしている外国人タレントの日本公演チケットが
2枚あるから興味あったら行こう、と言う。
このコンサートチケットは私も取ろうとしていたけど、取れなかったものだ
ったので、デートじゃなくても行きたかった。
あろうことか私の口から瞬時に出た言葉が「いくらですか?」だった。
そんなことより、「いいんですか?」とか「ぜひ!」とか、万が一だめな場
合でも「残念だけど・・・」とか「でもまた誘ってくださいね」とか次につな
がる適当な言葉はいくらでもありそうなのに、現実的かつ実用的かつ事務的な
言葉を返してしまった。
そんな私に彼は笑って「お金はいいよ。こっちが誘っているんだから」とあ
くまでにこやかにオファーを続けた。
私はどういう切り替えしをしたらいいか迷いつつ、候補に浮かんだことばは
短く「じゃあ、行きます」だった。
この「じゃあ」はまずかった。同じ短くでも、「行きます!」と元気よく言
った方が良かっただろう。「じゃあ」はなかったことにしたかったのに、もう
言ってしまった。ボリュームも「行きます」と同じくらいだったから、そんな
こと言ってませんよ、とごまかせるものではなかった。
「もうだめかな・・・」
私は親友の明美に相談した。私は誘ってくれた三宅さんに好意を寄せてい
た。好意を寄せていてさらにコンサートに誘われたのだ。実は浮かれてしまう
ところだが、このいきさつで、胸中穏やかではない。
もしかして三宅さんは、私がその外タレが好きなのを知っていて、わざわざ取
ってくれたのかもしれない。そんな妄想も膨らんだ。それは幸せバージョンの
妄想で、不幸バージョンの妄想は一緒にいくはずの本命の相手に断られたか、
予定が合わなくなったかで、チケットが一枚余り、近くにいるその外タレが好
きだと豪語している恋愛対象外の私に白羽の矢を立てた。ただそれだけってい
うバージョン。
どちらにしても、そのコンサートは行きたかったものなんだから、失うもの
はない!物質を取れ! というのが結果的に私が取った楽観的結論だった。
「惜しいことしたね」
親友の明美が、ハイチェアーに座らせた1歳になる悠太ちゃんにベビーフー
ドを与えながら、言う。
「えーーー!やっぱそうかな」
そろそろ運命の相手に出会えておかしくないはずなのに、誤算ばかりの人生
になんとか終止符を打ちたかった。ここのところは、私は一生結婚しないんじ
ゃないか、という不安が過ぎる。
目の前の明美をはじめ、女友達は無事に女の子から華麗なるおばさんへと転
身を遂げている。どうやったらそんな華麗なる転身ができるのかが私には分か
らない。私は一人取り残されたような気持ちになる。私はあと10年たっても、
20年たっても女の子のまんまなのだろう。私は四捨五入すれば40歳だ。
おばさんになりたい・・・。年齢に見合ったおばさんに私もいつかなりたい。
そんなことは、口に出しはしないが、若作りするのはもう嫌だ。同世代の男も
独身が少数派になり、年上なんてちょっといいな、と思うと皆当然のように既
婚者だ。
合コンに参加しても年齢を聞かれるのが怖くなった。引かれたらどうしよう
と思ってしまう。そして、慰めるように「年上には見えないですね~」なんて
男性陣から言われてしまったら、もう今日のこの合コンへの意気込みがピエロ
だったかのように感じる。年齢なんて関係なく、精神年齢だけが通用する世の
中だったら良かったのに。
だとしたら私はいつまでたっても、地のままでいける。
三宅さんは40過ぎの独身であった。年上で独身。私は、三宅さんの魅力に取
り付かれそうになった。
「冗談だよ。で、その三宅さんいい線いってるんじゃない? ここのところで
いうと」
明美は私の恋愛遍歴をよく知っている唯一の友達だ。〈ここのところ〉とい
うのは私が、恋愛音痴でありながら、何人かとデートをしてきたその相手のこ
とだ。
どの人とも長続きはしなかった。それもそのはず、みんなだめな理由があっ
たのだ。
3回目のデートで初めて妻子持ちだと気づいたケース。
結婚詐欺師だったのか、私貯蓄額を知りたがりいつも財布を忘れる男。
虚偽癖のある自称俳優。
など。それに比べたら三宅さんには、だめな理由が見つからない。
「でもさ、非の打ち所なんてないのになんで彼女いないのかな~」
彼に抱いた素朴な疑問を明美に投げかけた。
「へ?」
明美は半ばあきれている。悠太ちゃんが口に含みきれていないベビーフード
をあぷあぷさせているのにかかわらず、まだまだほしいよ、と手足をばたつか
せている。
「はいはいはいはい。まだ食べるのぉ? 今日はいっぱい食べるね~」
黄色いプラスチックのスプーンでまた悠太ちゃんの口に「あーん」と言いな
がら運んでいる。
「親と同居しているわけでもないし、ちゃんと仕事もしていて、それなりのポ
ジションで、お金だってあるし、服装のセンスだって人並み以上あるし、ちょ
っとしゃべれば人を笑わせられるユーモアさもあって、話も合うの。人付き合
いだって悪くないし、おたくっぽいところもなければ、マザコンでもない
し・・・・なのに彼女もいなければ一度も結婚したことないんだって。つまり
まっさら」
「彼女いない方がミチコにとって好都合でしょうが。もう少しポジティブに考
えなさいよ。いい人に出会えたって思えないわけ? それも今10年に1度のチ
ャンスかもしれないんだよ」
明美は悠太ちゃんの口元を小さなタオルでぬぐいながら、悠太ちゃんには母
親の笑顔を向け、私には理解不能の顔を向ける。
「いい人ではあるんだけど、そこがなんだか怪しい」
「わけわかんない。デートに誘ってくれているんでしょ? 楽しめばいいじゃ
ない」
悠太ちゃんがおねむになり、ぐずったので、私のくだらない話を聞きなが
ら、明美が悠太ちゃんを胸にだっこすると、悠太ちゃんは明美の胸に顔をうず
め、すやすやと寝息を立てはじめた。
実を言うと、だめな理由を見つけるとほっとしてしまう自分がいた。
ネガティブな考えを持つことによって自己防衛をしているのだ。というのも、
恋が実らなかった理由が私には必要で、相手にだめな理由があれば、恋がうま
くいかなかったエクスキューズになる。こんな理由があったんだから仕方ない
よ、と自分を慰める。
この年まできたら、今までの恋人の人数だってそれなりにあり、恋に免疫が
多少なりともあるだろう。だけど私はいつになっても恋の駆け引きに疎かっ
た。
恋人がいたのは7年も前になる。この年で恥かしいがそれが私の人生で唯一
の恋人だ。あの頃は難しいこと考えずに恋をしていた。理想的な相手とはおよ
そ及びもつかなかったけれど、恋人のだめなところを愛していた。
デートの計画も立てられない上に割り勘だったところも、音を立ててスープを
飲むところも、好きな本を薦めても5分で爆睡してしまところも、音痴なとこ
ろも。そんなだめなところは私にそんなところがあっても好きな気持ちが大き
くリードしていることを確認させてくれる要素でもあり、かわいいものだっ
た。
そんな恋人もだめな私を愛してくれていた。
いつも遅刻してしまう私を、すぐに怒り出す私を、お酒を飲むと絡んでしま
う私を、熱しやすく冷めやすい私を。
二人でいるとただただ楽しかった。何があんなに楽しかったのだろう。高級
なレストランに行くわけでもなく、派手なイベントに出かけていくわけでもな
く、ただ散歩しているだけで、ただ部屋で映画を見ているだけで、ささやかな
いただきますや、ごちそうさまを繰り返し、たまにおやすみや、おはようが加
わったそんな生活。
その生活に安らぎも刺激もほどよく混ざり合って心地よかったが、10年も経
つとその両方ともだんだんと薄れていった。
熱しやすく冷めやすい私が、一人の男と10年付き合ったのだ。それは快挙だ
った。だけど、あろうことか私はひとつの疑問があった。
私の人生は一人の人との恋で終わっていいのか?
私はその疑問を恋人に投げかけたことはない。だけど、同じことを恋人も思
っていることを私は感じ取っていた。
私たちは別れた。
新しい出会いを求めていたものの、だれもピンとこなかった。私は誰かを好
きになることは奇跡に近いことだったのだとはじめて知った。
そのうちに私は「好きな人が欲しい」と言うようになった。それは特定の誰
かに対して想いを寄せるものとは違い。大きな真っ暗な闇夜に向かってつぶや
くようなものだった。
あてもなくつぶやいても誰かに届くことなどのないものだった。
片思いができるのならときめきをくれるものだろう。だけど、このつぶやきは
何のときめきもくれない。
合コンに行って時間もお金も労力も無駄にしているような気がしてそろそろ合
コン引退宣言をしようと自分に誓った頃、何も非のうちどころのない、三宅さ
んが現れたというわけだ。
私は少しだけときめいている。失態を見せたのにときめいている。四捨五入
すると40歳の私がときめいている。
「そうだね。楽しもっと。だめな理由が見つからない人でもいいよねぇ」
ちょっとした覚悟だった。
「あのね~。一緒にいれば嫌でもだめなところが目に付くものだよ。前に進ま
なきゃ見えないこともあるんだから。そんな心配は無用だったと後で思うんだ
から。後悔しないようにしなさい」
明美の言うことにはそれなりな説得力もあり、まるで親であるかのように窘
められた。
だが、恋愛音痴の私にだってそんなことは分かっている。
「好きな人が欲しい」から一歩前へ進もうとしている私がいつ女の子を脱皮す
ることがあるのかは分からない。ゆっくりと時間をかけておばさんになろうと
スヤスヤと明美の胸で眠る悠太ちゃんの寝顔に誓った。
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