ポプリローズフィールド From 真名 耀子

ポプリローズフィールド From 真名 耀子

本当にかっこいい男プロジェクト



「本当にかっこいい男プロジェクト」



 ここのところのストレスが原因なのか、30を過ぎて年甲斐もなく、あご周

辺にできるにきびに悩まされている。直ったかと思うとまたポツンとできを繰

り返してかなりしぶとい。聞くところによると、それは吹き出物でにきびとは

呼ばないらしい。

 それも、あごの周りにできるにきび(吹き出物)は、ホルモンバランスがく

ずれて、男化している現象で、ヒゲがはえる場所に吹き出物ができるという。

実にやっかいだ。

 残業が続き、皮膚科に行っている暇もない。確かにすっかり美容やら、ファ

ッションやらの女としての優先事項は遠ざかり、男勝りな昨今だ。


 4月から係長に昇格して、勤めているデパートのカスタマーサービスセンタ

ーの責任者になった。平社員のときよりは、ほんの気持ち給与アップしたのは

良かったけど、部下の尻拭いが増えただけのような気がする。

後輩か、それとも部下か、係長になるまで何が変わるのか分からなかったが、

そこには大きな差が存在した。

 後輩だったら相談されてもアドバイスの一つ、二つをし、アドバイスをした

こともそれほど気にも留めずに自分は自分の仕事を全うし、その後忘れたころ

に結果報告をもらったりもらわなかったりだったが、それが部下となると、ア

ドバイスというより指導になる。

 指導したのに、実践していないところを見るとイライラしてくる。

いつやるのだ、いつ変わるのだ、と忍耐強く待っていても、結局自分のやり方

で解決してしまったことを知ると、自分の指導力がとことんないような気がし

て、どん底まで落ち込んでしまう。

 自ら考える力を備えたのだと思えばいいのかもしれないが、私はいつまでも

ウジウジと考え込んでしまう性格らしい。悲観的まっしぐらで、自らの足を引

っ張るタイプだ。平のときは、マイペースであったはずなのに、この数ヶ月は

すっかりペースを崩しまくっている。

 カスタマーサービスセンターの大切な仕事の一つに、クレーマー対応があ

る。クレーマーからの電話でスタッフの手に負えないものは、責任者の私に回

ってくる。

 クレーマーというからには、理不尽な言葉を浴びせられることもあり、そん

な時は気持ちがすっかり滅入ってしまう。お陰であれやこれやで係長になって

からストレスが一気に増えたというわけだ。

 ほんの気持ち増えただけの給料でこのストレスをカバーしているとはとても

感じられない。おっちょこちょいの後輩はかわいいが、部下となるとかわいく

ない。しっかりしてくれ、と思ってしまう。

「係長・・・どうしましょう」

 たまには息抜きもいいだろうと、今日は定時で帰るつもりで既にデスクに鍵

をかけ、バッグを手にしたところだったのに、部下の米田亜由美が言いにくそ

うに私に駆け寄った。

「なに?」

 どうしましょう? と聞かれるからには嫌な予感がする。

「誤送信しちゃいました」

 手にしたバッグをデスクの上に置いた。今度このバッグを持つときは、何時

間後だろう。帰ろうとした矢先にショックだったが、亜由美の発した「しちゃ

いました」とはなんだ。言葉のニュアンスに危機感のなさを感じる。


 亜由美が何をしちゃったのかというと、苦情のあった顧客に謝罪の文面を送

ったのだが、つい何日か前も同じ苦情があったために同じ文面の宛名を加工し

て送ったというのだが、文面の中の顧客の名前が前回のままだったという。

「気づくと思います? 私だったらこんなメールがデパートのカスタマーサー

ビスセンターから来てもざっと目を通すだけでじっくり読まないと思うんです

けど・・・」

 失敗をしておいて、勝手に自分の都合のよいように判断するな、と言ってや

りたい。「しょうがないわね。次から気をつけて」で済むと思っているのだろ

うか。事態そのものもそうだが、亜由美の浅はかさに頭を抱えずにいられなか

った。

「これは苦情があったお客様へのメールだったんでしょう? ただでさえ丁重

に扱わなくちゃいけないのに、お怒りになっているところをさらにあおってい

るようなものじゃない。注意がないにもほどがあるわ。現状把握が必要だから

きちんと説明して頂戴。それを聞いてからすぐにでもお客様へ謝罪をしなくて

はいけないからそれが終わるまであなたにも残っていてもらうわよ」

 意地悪をするつもりはないが、自分のやる仕事に責任感を持って欲しかっ

た。

「なんで私が・・・報告したらあとは係長の仕事なんじゃないですか? 山下

課長だったら『あとは僕がやるからいい』って言ってくれるのに」

 なんで私が、だと? カチンと来たが、そのあとの山下課長だったら、には

特に物申したい。

 亜由美は知らないのだ、山下があとは自分がやるからいい、と言ったあとに

何を思っているか。私は山下をはじめ男性社員がぼやきをタバコ部屋に入れ違

いざま耳に入ってくるのでよく知っている。

『だから女は、使い物にならないんだよ。あとはいい、と言ったらラッキー、

だもんな。いつまでたっても誰でも出来るようなことしかまかせられないよ』

 亜由美だってこんなこと聞いたら、だから山下課長ってかっこいいですよ

ね、なんて言ったことを後悔するだろう。


 本当にかっこいい男というものは、聞こえて欲しくないものは口に出さない

男だ。

 思うのは自由だろうが、ぼやきだろうとなんだろうと、口にするのは小さな

やつがすることだ。聞こえていいのだったら、本人に直接言ってやればいいん

だ。

 会社に長くいればいるほど、周りに器が大きいように見せておいて影では何

を言っているか分からないというような輩によく気が付くようになってしまっ

た。私が、社内の男連中にまったく個人的な感情を抱かなくなったのはそうい

うところからだ。

 意味のない使命感だとは分かっているが、本当にかっこいい男がいないんだ

ったら、私がなってやり、こういう男がいればいいのに!という例を体現しよ

う、という気になったは、昇進する直前だっただろうか。

 この本当にかっこいい男になってやるプロジェクトは、おいしいことなど一

つもない。私が認める本当にかっこいい男になれたところで、周りはそうは思

ってくれるどころか下手をすると、やたら細かい部下いじめのやなヤツと言わ

れかねない。

 私だって本当にかっこいい男に自分がなってやろう!などと使命感を燃やそ

うとも、魂は女の子なのだ。やなヤツになんかなりたくない。複雑なこの気持

ちを誰が分かってくれよう。そもそも社内に本当にかっこいい男というのがゴ

ロゴロいたとしたら、私だって、こんなこと考えたりはしないのに。

このプロジェクトはストレスで崩れ去るが早いか、あきらめという名の元に消

え去るか、自己満足で完結するかのどれかであろう。誰に宣言するわけでもな

く立ち上がったプロジェクトだ。

 亜由美の誤送信一件は、客がメールを読む前に連絡を取ることができたもの

の、事情を話し、個人情報漏洩ではくれぐれもないことを説明したのだが、や

はり客の苦情、不満をあおるのみになり、客宅へ担当者が菓子折り持参で謝罪

に行くということになった。

 山下は、落ち込んだ亜由美を見ていつもの「あとは僕がやるからいいよ」の

得意のセリフの後に、口角まで上げて更には「残業になっちゃったね、お疲れ

様」などと言って見せた。

 亜由美はやはり、山下をかっこいいと見ているようで、自分のミスなどどっ

かに行ってしまったかのように「やっぱできる男は違いますよね~」と弾んで

いる。

 あれは、出来る男でもかっこいい男でもないんだよ! 腹の中ではめたくそ

言っているんだから! と亜由美にこっそり教えてやりたいが、聞こえて欲し

くないことを口にしないのが、本当のかっこいい男だ。山下に聞こえないよう

にするということは聞いて欲しくないということだ。言うことはできない。


 山下は、カスタマーサービスと品質管理を兼任していて、私が責任者になる

前の前任者だ。一応、上司でもある。その山下がデリケートな件だからと自ら

客宅に訪問すると言う。だが、カスタマーサービスセンターの責任者は自分だ

からと、言い倒し、私もついて行くことにした。

だが、その客だって働いているわけで、来るんだったら9時に来て欲しいとい

うリクエストがあり、こちらはそれを飲むしかなかった。

「染山さん、菓子折りなんでもいいから下から買ってきておいて。8時すぎに

出よう」

 山下から言われ、店舗の食料品売り場で焼き菓子詰め合わせを買ってきた。

そういえばセール最終日だ。衣料品フロアにも寄り道していくと、セールの目

玉商品を叩き売っている。

 セールにも行きそびれたのに、もう既に秋ものへ入れ替わりを見せている。

夏が終わってしまう。私の夏はなんだったんだろうな~。ふと思う。


 責任者として部下と派遣の子たちの夏休みを希望通りに回すことというのも

大きな役割で、自分のことを後回しにしたら9月はおろか10月も休みがとれそ

うもなかった。10月というと、世の中はまだでも、デパートは年末商戦本格始

動に入るから会社全体忙しくなってくる。カスタマーサービスセンターはそう

じゃなければいいが、バイヤーたちは右往左往しているのを見るとこちらもせ

わしい気分になってくる。

 仮に休みがとれないまま年末に入ってしまうとここ何年も、年末休みはない

に等しいから長期休暇は、閑散期の2月ということになるだろう。が、ここの

ところバレンタインで2月が閑散期とも言えなくなって来た。カスタマーサー

ビスセンターへの問い合わせも増えるだろう。

 春になったら春になったでスタートの時期で催事が多い。それに加え、カス

タマーサービスセンターにだって新入りが入ってくるだろうし、トレーニング

のプログラムを組まなくてはいけない。やっとその子たちが慣れたと思った

ら、また夏が来る。

 こんな風に、1年また1年と過ぎていくのだろうか。片手に焼き菓子詰め合わ

せの入った手つき袋を持って、視点が定まっていないかのようにぼうっと席に

もどった。私は取れない疲れをずっと抱えている。


 席に戻った私を見て、山下が心配そうに声を掛けてきた。

「大丈夫? 染山さん顔色悪いよ。どっか悪いの? あのさ、二人も行ったら

お客さんもかえって驚いちゃうだろうし、本当に俺だけでもいいんだから今日

は帰ったら?」

 天から降ってきた言葉のように聞こえ、甘えたくなった。そもそも今日はた

まの息抜きで明るいうちに帰れる喜びを噛み締めたかったのだ。

 が、次の瞬間私は自分に鞭打った。だめだ、だめだ!

 この言葉の裏には「だから女は」というのがあるのを知っているじゃない

か。

 山下を見ると、裏に見下したものがあるとはとても思えないような思いやり

に溢れたまなざしをこちらに向けている。まじまじと顔を見たことはないが中

の上には楽勝でランク付けできる。山下は私より7つか8つ上で今年40だっ

たかな? それで確かバツイチ。少しは傷がある男の方が、学んでいる分人と

して深みがあるだとよく言う。

 恋人はいるのだろうか。いるんだろうな。気配りのできる男ってかっこいい

な。

 不覚にもそんな言葉が頭にするっと過ぎってきたのを私は叩き割った。

「いえ、私が行かないと意味がありませんので、行きます!」

 せっかく言ってあげたのに、という山下の心の声が聞こえた気がした。

「あ、そう? じゃあ、やっぱり二人も行くことないと思うから染山さんにこ

の件のフォローアップお願いしようかな。じゃ、明日朝一で報告して。お先」

 そっちがそうなら、もう手を差し出さないよ、とも聞こえた。

去り際に私の肩をポンっと叩いて、席に戻るとかばんを持ってさっとオフィス

を後にした。

 右肩に山下の手の感触が残っている。なぜかずっしりと重い。

 自分から言ったんだし、これで社内の男どもが言う『だから女は』が減るん

なら本望だ!と思おうとしたが、心が晴れない。

 なんだか私は孤独を感じた。

 部下にも上司にも寄り添えず、ぼやける相手すらいないことに気づく。


 客の家へと向かう電車の中は帰宅ラッシュだった。似たような毎日を送って

いる人間が集まっているのだろうなと思う。私みたいなのも、このぎゅうぎゅ

うの中にいるのだろうか?「孤独な人いますかぁ?」と聞いたら、みんながつ

り革から手を離し、一斉に手を宙に浮かせるんじゃないかとも思ったが、逆か

もしれない。ぼやきながらほどよい責任感で、たまには誰かに任せて、自分は

適度にかっこいい程度でやっているのだろう。


 目的地に着くと、時計は9時10分を差していた。9時という指定どおりの

はずだが、窓に電気はついておらず、留守のようだった。

 見知らぬ街の見知らぬ人の家の前で、怪しくもいつ戻ってきてもいいよう

に、姿勢を正して直立を保つ。やな役だよなぁ、と思う。

 街灯の下で、ぽつんと立って、これから自分に苦情を言うであろうものを待

つ。これから謝るわけなんだなぁ、怒られちゃったりするのかなぁ、と思うと

キリキリと胃が痛み出した。そこに向こうから一人の男が近づいてきた。待っ

ている張本人かと思ったら、山下だった。

「おつかれさん。やっぱり気になってね。あ、何? 留守?」

 あれ? もしかして案外いいやつ?

 この裏には「やはり任せておけない」があるかもしれないのに、浅はかにも

思ってしまう私がいた。

「はい。指定どおりの時間に出向いたというのに、こんなのってないですよ

ね」

 言ってしまって、ハっとした。客に聞かれたくないことを口にしてしまっ

た。本当にかっこいい男だったら言わないことだ。

「まぁ、そんなものだよ」

 山下に返されて、そうだよね、そんなもんだよなぁ、と簡単に翻ってしま

い、気持ちはというと、急に楽になった。諦めに似ているかもしれないが、ほ

んの一回り伸ばした許容度が器の大きさというものなのだろうか。

「確かに。そんなものですよね」

 こんな同意くらいで、孤独を感じずに済むのだったらいくらでも同意してみ

せ、本当はかっこよくない男の仲間に喜んでなってやろう。

 私の意固地な使命感であった本当にかっこいい男になるプロジェクトはひと

まず休憩だ。ひとまず休憩したあとは、本当にかっこいい男の定義が少し変わ

っているかもしれないなぁ、などと適度にかっこいい男の横で思うのだった。



メイク




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