2001年10月31日
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私達の乗ったタクシーは海沿いの道を、熊本駅とは反対の方向にしばらく走る。「草枕温泉」という案内標識から右折して山道に入った。たちまち、右も左も前も、ミカン、ミカン、ミカン・・・・傾斜地に高い石垣を積み上げて、平らになった所にミカンが植わっている。その石垣が、山のずっと上の方まで連なっている。白い石垣、緑のミカンの樹、そして黄色く色づいたミカン。どこを旅行していても、この風景を見るとなぜかホッとする。毎日馴染んでいる風景に出会ったとき、それが実際は違った場所であっても、人間の緊張は緩むのだろう。「草枕」にもミカン畑は出てくるのだが、当時はこれほどたくさんのミカンは植わっていなかったと思う。

ミカン栽培の歴史は、全国的にほぼ明治20年代に始まる。これは、日本で貨幣経済が普及するのと時を同じくしている。ちょうど日清戦争が終わり、日本国内の購買力が次第に大きくなってきた時期でもある。今まで、麦か芋くらいしか出来なかった海沿いの傾斜地の農村は、そこにミカンを植えることによってお金を稼げるようになったわけだ。当時、米一升(約1.5kg)とミカン一貫目(約3.75kg)が同じ値打ちだったというから、ミカン農家にしてみればものすごいビジネス・チャンスに恵まれたことになる。折りしも、明治政府は「富国強兵」政策を取り、国力増強に努めていた時代である。ミカン農家が、必死で山を開墾しミカン畑を増やす事は、自分のためだけではなく、国家のためにもなっていたのだ。高く積み上げられたミカン畑の石垣には、そんな歴史がある。

両側にミカン畑を見ながら、九十九(つづら)折れの坂をタクシーは登って行く。運転手さんはもう20年以上この道を通ったことがないそうだ。「昔は全国からミカンの視察にやって来る人も多かったとばってん・・・」と、しみじみと話してくれる。やがてタクシーが大きくカーブを曲がり終えたとき、突然小高い丘の上に巨大な建物が現れた。波をイメージしたような曲線の屋根と茶色の高い塔が見える。「あれが、草枕温泉です。確か4年前に出来たとかなぁ・・・」運転手さんは今や観光ガイドに変身している。しかし、その建物はいかにも行政が考えそうなシロモノだった。私の「草枕」のイメージとは全くかけ離れている。もっと、こじんまりとした鄙びた雰囲気が欲しかったのに・・・・失望は大きかった。「維持費は結構かかるだろうなぁ」「採算はあうのだろうか?」私の頭にはそんな考えしか浮かばなかった。(つづく)






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最終更新日  2003年01月11日 18時41分33秒
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