2002年06月10日
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成長期(14)

 この頃の出来事でどうしても取り上げておきたいのは、昭和14年に香川県全域を襲った大旱魃だった。梅雨明けが早く、夏の間は一滴も雨が降らなかった。8月3日、県は緊急に市町村に雨乞い祈願をするようにという通達を出した。曽保地区でも農家は水が干上がった大池の土手で焚き火をして雨乞いをしたが、結局9月14日まで雨は降らず、水田では稲穂が真っ白になって一粒の米も採れなかった。しかし、ミカンは小玉ながら豊作だった。偶然にも昭和14年は、明治23年に県内で最初にミカンが栽培されてからちょうど50年目を迎えていた。仁尾町のミカンは、もうほとんど成木になっている。成木になってしまえば、ミカンの根は土壌深くまで細根を伸ばし、夏の旱魃にもめったに枯れることはないのだ。ミカンは夏に雨量が少ない香川県の気候に適した作物だったことが証明された出来事だった。

その上、旱魃で味は濃厚になり美味しかった。しかし、当時はまだ味より大きさに市場評価の重点が置かれていた。大阪の市場情報でも「香川産は『み』印以下の小玉多く、特に品質の優良をもって知られたる七宝産が著しき干害を被り甚だしく品質を低下させる。」と報じられている。本当にミカンの味が市場評価の最重要項目になるのはまだ30年以上先のことである。

それでも当時のミカンの値段は一箱(約6貫500匁入り)
「天」   6円19銭
「特」   5円54銭
「さ」   4円85銭
「ぬ」   4円49銭
「き」   4円08銭

「か」   3円72銭
「ん」   3円25銭(昭和14年産大阪中央市場・香川県平均)
だった。ミカンの「M」級で1貫目当たり69銭にもなる。昭和14年の米価が1俵16円25銭で1升当たり41銭だったので、昔から言われてきた「米1升=ミカン1貫目」よりミカンの方がはるかに高い。

 昭和10年から13年にかけては日本が長い戦争に入っていく過程で2・26事件や蘆溝橋事件、南京虐殺、三国同盟などが次々と起こり、世の中は依然として不景気に覆われた暗い時代だった。そして昭和14年4月には米麦配給統制令が施行されて米類が配給制度になり、10月には物価統制令が施行されて肥料は配給制度になっていった。しかし、そんな世相の中で平二、義正、良弘たち「仁尾ミカン百年史」のミカン農家は50年目にして初めてスポットライトを浴びてキラキラと輝いていた。






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最終更新日  2002年06月10日 11時54分57秒
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